#005「昔の話」
@なぎさ銀行京町筋店
♪固定電話の音。
アツコ「こちら、なぎさ銀行、京町筋店でございます」
カズアキ『中嶋か。俺だ』
アツコ「どちら様でしょうか?」
カズアキ『からかうな、支店長代理。お前の上司で支店長の樋口だ』
アツコ「今日は、どのような迷惑を押し付けるつもりで?」
カズアキ『棘のある言い方だな』
アツコ「早く用件を言わないと、銅貨が無くなりますよ?」
カズアキ『こっちも固定電話だ、馬鹿者。まぁ、良い。十四時過ぎになったら、本部長がそっちに視察に行くと思う。多分、神戸本店の腰巾着どもを引き連れてるだろう。対応してくれ。十四時半には、俺が代わるから』
アツコ「適当に世間話でもすればいいのかしら? たしか、パターゴルフとネイチャーフォトがお好きだったと」
カズアキ『あれ? バッハマニアじゃなかったか?』
アツコ「バロック牧師は、副頭取ですよ」
カズアキ『あぁ、そうだ。危うく、ミスするところだった。サンキュー』
アツコ「どういたしまして。用件は、それだけですか?」
カズアキ『あぁ。大丈夫だと思うが、とにかく、粗相の無いようにな』
アツコ「任せてください。五匹くらい、猫をかぶっておきます」
カズアキ『頼んだぞ。それじゃあ、また、あとで』
*
カズアキ「お疲れ」
アツコ「お疲れさまです。また、その栄養ドリンクですか。あまり頻繁に飲まないほうが良いですよ?」
カズアキ「そっちのブラック珈琲も、飲みすぎるなよ。小用が近くなる」
アツコ「まぁ。レディーに対して、失礼ですよ」
カズアキ「霞み目かな。淑女の姿なんて、どこにも見当たらない」
アツコ「老眼が始まったんですか? すぐ目の前にいますよ」
カズアキ「入行当初は、可愛げがあったのになぁ。ロングヘアーだったし、レモンティーだったし。あぁあ。猫かと思ったら虎だった」
アツコ「新人研修の頃は、カッコ良かったのになぁ。黒々としてたし、エスプレッソだったし。あぁあ。狼かと思ったらハイエナだった」
カズアキ「真似するな。あと、さり気なく若白髪を批判するんじゃない」
アツコ「長く一緒にいると、口調も仕草もうつりますよ」
カズアキ「ここまで長い付き合いになるとは、あの頃は考えもしなかったな。てっきり、二、三年もすれば寿退行するとばかり。存外、シブトイもんだ」
アツコ「シブトイのは、お互いさまじゃありませんか」
カズアキ「まぁな。上がれないまま三年経てば、飛ばされるか隅に追いやられるんだ。必死だよ。――中嶋は、地元民だったよな?」
アツコ「えぇ。実家は長田ですから」
カズアキ「両親には、ちょくちょく機嫌を伺ってるか?」
アツコ「その必要はないんです。わざわざ、こっちから行かなくても、向こうからフラッと訪ねてくるので」
カズアキ「そうか」
アツコ「たまには実家に顔を出したほうが良いですよ、樋口さん」
カズアキ「向こうから来るのを待つのは駄目か?」
アツコ「駄目、駄目。長男でしょう? 長崎のザボン売り」
カズアキ「宮崎の日向夏農家だ。ハァ。会って五秒で母親に『まだ一人か』と聞かれ、五分後には父親から『早く孫の顔が見たい』と言われ、五時間後には姉の子供に『叔父さん、寂しくない?』と同情される俺の気持ちにもなってくれよ」
アツコ「嫌ですよ。自力で解決なさいまし」
カズアキ「冷たいな」
♪チャイムの音
アツコ「わたしは、三階で打ち合わせがありますから。お先に失礼します」
カズアキ「おぅ。……俺も、早く戻って資料をチェックしよう」