#043「希望の星」
@三宮の一軒家
アツコ「メロンパンでも、焼きプリンでも、キャラメルでも、一日どれか一つ、幼稚園の帰りに生協で買ってあげます。だから、諦めなさい」
カズコ「嫌だ、嫌だ。フン。ママが買ってくれなくても、パパのお嫁さんになっておねだりするもん」
アツコ「いけません。さっきから何度も言ってるように、パパは十年前から、ママのものです」
イヅミ、入室。
イヅミ「正座して真剣に向かいあってるから、つまみ食いをした和子を説教してるのかと思ったのに」
カズコ「あっ、パパ。あのね、ママがね」
イヅミ「はいはい。――恥ずかしいからやめさせてよ、敦子さん」
アツコ「入れ知恵したのは、わたしのお母さんよ。孫にろくでもないこと吹き込むんだから」
イヅミ「でも、僕の両親に預けると、またお洋服や玩具が増えるよ?」
カズコ「だって、ジイジもバアバも、買ってあげようって言うんだもん」
アツコ「それほど欲しくないものだったら、ちゃんと断らなきゃ駄目よ。――そうなのよね。だからといって、そうそう国北さんに預かってもらう訳にもいかないし。こういうとき、共働きって厄介ね。だいたい、四人とも孫に甘過ぎよ」
イヅミ「初孫が可愛いんだよ。一人っ子同士だから、他に近しい親戚もいないし」
カズコ「目の中に入れても痛くないって言ってたわ。でも、和子はおめめより大きいから、そんなところに入らないわよね?」
アツコ「ものの例えよ。――まぁ、小学校に入るまでの辛抱だって言うし、我慢して頑張るしかないわ」
イヅミ「無理しないで、僕も頼ってね。一緒に乗り越えよう」
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@伊丹のハイツ
ナツメ「あたしが預かろうか?」
アツコ「子育てしたことないじゃない」
ナツメ「なくたって平気よ。介護福祉士に任せなさい」
アツコ「お門違いもいいところよ。本当に、尾崎さんといい、なっちゃんといい、くっつけ隊は独身のままだから、気楽なものだわ」
ナツメ「お腹を痛めたことが無い人間でなければ、母親でないとでも言いたげね」
アツコ「そこまで言わないわよ。それに、ここ四半世紀で無痛分娩の技術が進んで、もう鼻から西瓜を出す時代ではないんだから。でも、他人の世話ばかり焼いて、自分のことは等閑にしちゃうのは良くないわよ。そういうのは紺屋の白袴といって」
ナツメ「ハァイ、はいはい。左様然り、御尤もでございますよ、木登り名人」
アツコ「なっちゃん。まさか、和子から聞いたの?」
ナツメ「木に引っかかったんだけど、ママが取ってくれたの。ママは登っちゃ駄目よって言うんだけど、風船を持って降りてくるところは、お猿さんみたいでカッコ良かったって」
アツコ「もぅ。内緒よって言っておいたのに」
ナツメ「えぇ。だから最後に、これは内緒よって言われたわ」
アツコ「意味が分かって無いんだから。嫌になっちゃうわ」
ナツメ「そういうものよ。はじめに、言葉ありき」
アツコ「意味が違うわ」
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@三宮の一軒家
アツコ「誕生日に欲しいものがあったら、紙に書いておきなさいって言ったら、短冊に書いて持ってきちゃって」
イヅミ「ハハッ。和子の誕生日は、七夕だからね」
アツコ「こちらの予想外の行動をするから、目が離せないわ。寝てるときは、菩薩のように穏やかなんだけど」
イヅミ「幸せそうな顔ですね」
アツコ、カズコの頬を指でつつく。
イヅミ「起こしちゃいますから、頬を突かないでくださいよ、敦子さん。そこから傷みます」
アツコ「そんな、桃じゃないんだから」
イヅミ「同じくらい瑞々しいですよ」
アツコ「張りと潤いに満ちてて、羨ましいわ。ウフフ」
イヅミ「何かおかしなこと言いましたか?」
アツコ「いいえ。ただ、フッと頭に浮かんだ考えが面白くて。運命の女神って強引だと思わない?」
イヅミ「どうして?」
アツコ「だって、お互いの存在を気付かせるにしても、なにも体当たりさせる必要ないじゃない」
イヅミ「そうかな? それくらいしなきゃ駄目だと判断したのかもしれませんよ?」
アツコ「そうかしら? そんなことないわよ」
イヅミ「そんなことないことないですよ」
アツコ「いいえ。ないことないことないわ」
イヅミ「いいや。ないことないことないこと、……アレ? 今、どっちだ?」
アツコ「はい、和泉さんの負け」
イヅミ「敵わないな。ハハハ」
*
――三宮の乗降客数は、三ノ宮駅、神戸三宮駅、二路線合わせ、一日十八万人以上。これは、その中の一組の男女による、ほんの小さなドラマでしかない。




