6・利宇摩
一
櫂浬のマンションへ行った翌日、流留は利宇摩川の河口付近に立つ大きな鳥居にきていた。
鳥居の向こうには参道も神社もなく、東京湾の運河がみえる。そのさらに向こうには、羽子崎国際空港の管制塔がそびえている。
湾に突き出す埋立地にある空港からは、飛行機が次々と飛び立っていく。
鳥居はどう見ても、近代的な空港設備を祀っているようにみえてしまう。
しかし実際のところ、この鳥居と空港はあまり関係がない。この鳥居は櫂浬のひいおじいさんである星乃川の気障神子様が、空飛ぶ神様のごきげんとりのために建てたものの、まるで顧みられず放置されていたあの鳥居なのである。
飛行訓練場跡の更地にぽつんと立っていたこの鳥居は、国際空港建設のときに動かされ、利宇摩川の河口に持ってこられてしまった。日本人は小さな神様も大切にするので、神様のために建てられた鳥居をこわすなどもってのほかなのである。星乃川の気障神子様も迷惑なものを建ててくれたものだ。
それでも流留は、この鳥居の存在がうれしかった。
この鳥居は、空飛ぶ神様やパイロットのみんなが、大空から眺め下ろしていたものだ。もしも今、空飛ぶ神様がジェット機に乗ってあそんでいたら、ここにいる自分をみつけてくれるかもしれない。
……そんな夢をみせてくれるから。
流留はため息をひとつつくと、鳥居の前に設置されたベンチに腰をおろした。通行人が鳥居から下がった鈴を鳴らして拝んでいったが、なにを拝んだのかききたいところだ。空飛ぶ神様を拝んだのか、空港を拝んだのか。
(それとも勘違いして利宇摩神を拝んだのかな)
鳥居を動かすのは仕方なかったとしても、場所が悪い。なんで利宇摩川の河口?
(設置を許したのは大ばば様なんだろうけどさ……)
河口付近は風のにおいがもう「海」だ。堤防の下に広がる干潟をてくてく歩いている鳥も、鴨ではなくて白いゆりかもめだった。干潟でしゃがみこんでいる親子連れがなにをしているのかと思ったら、潮干狩りをしていた。あさりがバケツに山盛りとれている。
(ここはもう完全に海なのでは?)
少なくとも、山育ちの流留にとって、利宇摩川の広い河口は川のイメージから外れている。
潤もそうだったのだろう。
さっき、流留は沙月に呼ばれて、鳥居からすぐそばの神力管理局新支部に行ってきた。
潤の代わりに来年度から来てくれないかと言われた。
そういう話がくるだろうと予想はしていた。潤と実力的に並んでいるのに加えて、流留には利宇摩川の水を扱える可能性があるのだ。新支部のすぐそばまで迫る、利宇摩神の力を。
俺は必要とされる場所に行く。
潤の言葉を思い出す。
(必要とされる場所か……)
本当は、一生ずっと鳴滝山にいたかった。渡鳴湖の近くにいたかった。でも渡鳴様には清一も深二もいて、もっとすごい神子があと三人もいる。自分の出る幕はない。
流留は目を閉じた。
そよ風が鼻先をかすめる。なじみのない、海のにおいがする風。
ほんの数日前までの日々が、遠い夢のようだった。
自分は羽子崎に来ることになるのだろうか。
櫂浬と結婚することになるのだろうか。
櫂浬と結婚したら、もう渡鳴湖には帰れない。あんなに世話になった鳴沼家を裏切ることになるのだから、もうみんなに会わせる顔がない。
「みんな」の中に潤がいなくなるかもしれない。
「みんな」の中の渡鳴様が変わってしまうかもしれない。
いろいろなことが変わってしまう。
望まないほうへと……。
流留は目を開いた。鳥居の先の羽子崎空港が、涙で蜃気楼のようににじんでいたので、強く数回目をしばたいた。
(泣かない泣かない泣かない! 高井賢介だって、絶対死ぬってわかってても日記には最後まで希望を書き綴ったんだから! 泣くと涙に引きずられてどんどん悪くなっちゃう。ダメダメダメダメ!)
流留はベンチからすっくと立ち上がると、鳥居のほうへ歩いて行った。軽くお辞儀をし、垂れ下がる紐をおもいっきりぶんぶんゆらして、鳥居の鈴をガンガンに鳴らした。
二礼二拍手。
(空飛ぶ神様。力を貸してください!)
もう一度、深く一礼。
そして顔を上げたら、ちょうど飛行機が滑走路から飛び立ったところだった。流留は大空を目指すジャンボジェット機に向かって、「神様、おねがい」とつぶやいた。
「なにをだ」
「ひゃっ!」
ふいに背後から声がして、流留は飛び上がった。
おそるおそるふりかえる。
一瞬、渡鳴様かと思った。
銀髪だったから。
顔が似ていたから。
平安装束だったから。
「なにを願うのかわからなければ、叶えようがない」
けれど渡鳴様より深い声。
渡鳴様より精悍な顔。
渡鳴様より豪奢な衣裳。
流留は口をぱくぱく開けたり閉じたりしていた。声帯から声が出てくれない。
平安装束の彼はしばらく不思議そうに流留の顔をながめていたが、なぜか満足そうに口角をあげてうなずいた。それから鳥居の元に歩み寄って、その朱色の足を掌でぽんぽん叩くような仕草をした。
しかし実体ではないので、音はしない。
「そろそろ声出るか?」
彼はふりかえって言った。
「と、と、と……」
「トーマ」
彼の発音は「タァウムァ」に近かった。
「亜米利加ではそう呼ばれていたのだ。ハイカラであろう」
「ハイカラっていまどき誰も言いませんから」
と言ってしまってから、流留はあわてて口を押さえた。心にしまっておくべきことはどうしてすんなり声になってしまうのか。
「そうなのか」
彼は眉毛を下げて「しょぼーん顔」になった。
「欧米風がかっこいいって時代は終わったので」
いや、なにをレクチャーしてるんだ自分は。
「そうか。いろいろ教えるのだ。なにせ私は八十年近くも石にされていたらしいからな。桜の精にきかされて驚いたのなんの」
「なりたくて石になったんじゃないんですか?」
「おまえ石になりたいか?」
「なりたくないですけど」
「私だってごめんだ。あれはもういやだ」
「……じゃあなんで石になんかされちゃったんです?」
「こわい神官に無理矢理。こわかったなあ……。亜米利加ってこわいなあ……」
「それは大変でしたね……」
「大変だった……」
両者、しばし無言。
(ちょ、ちょ、ちょっと待って。なんか変。なんかおかしい。これってちがわない? かなりちがわない? なにをわたしたち……)
ほのぼのしみじみ話してるんだ!
「あ、あのですね、あの、あの、あの……」
封印が解けたんですか? 櫂浬が解いたんですか? どうしてアメリカに行ったんですか? どうやって行ったんですか? 洪水起こしたんですか? なんで起こしたんですか? なんで何度も起こしたんですか? 呼江の夫殺したんですか? なんで殺したんですか? なんで滝家の女にしか力貸さないんですか? ほかの人にも力貸してくれませんか? そうしてくれないとまた誰か潤みたいに……。
ききたいことと言いたいことが押し寄せてきて、混乱してしまった。だからもう流留は勢いに任せて、一番言いたいことを言い放った。
「潤の命を助けてください!」
「願いというのはそれか?」
「そうです!」
本当はいろんな意味での総合的な「おねがい」だったのだが、しかも利宇摩神ではなくて空飛ぶ神様に願ったのだが、もういい。単純にいこうと流留は思った。
「『潤』というのがおまえの想い人か?」
「は?」
「『潤』という男と一緒になりたいのかときいている」
「一緒にって?」
「夫婦になりたいのかということだ」
「いやべつにそういうわけでは」
「なら、助けない」
利宇摩尊はぷいっとそっぽを向いた。
「なんで!」
「想い人でないなら、そいつが死んでもおまえは死なぬ」
「なにそれ。どういう意味ですか?」
「呼江の夫が死んだら、呼江は悲しんで死んでしまった。女は好きな男が死ぬと自分も死ぬのだ。だから私は神子が死なないように、神子の想い人を死なせないようにしている」
「はあ?」
(ちょっとまって。なにその理屈???)
「女は想い人と一緒になれなくても死ぬのだ。だから私は神子が想いを実らせるよう、神子の思い人に働きかけることにしている」
「……そこまで失恋に耐性のない女の人はごく一部だと思う」
「うそを言え。女はみなそうだ」
「そんなバカな」
「私は、我が神子の恋を末代まで守ると決めたのだ」
(…………)
ひとつわかったことがある。
こいつはバカだ。
利宇摩神はバカだったのだ……。
(もしかして、潤が想い人ですって嘘つけば助けてくれるのかな)
しかし流留は思いとどまった。大ばば様が何度も言っていたのだ。決して好きな人を利宇摩様に知られてはいけないと。おそろしいことが起こるからと。
(思い込みの激しいバカはなにしでかすかわからないってことか……)
『神子が想いを遂げるよう、働きかけることにしている』の働きかけの内容も、洪水関係を思わせて、非常にこわい。「うちの神子と祝言あげないと洪水起こす」とか、相手を脅してたんじゃあるまいか……。
「えーと、利宇摩様、ちょっとうかがいますが」
「『トーマ』でよい」
「……『タァウムァ』ではなくて『トーマ』でよろしいですか? わざとらしい英語風はこっ恥ずかし……流行らないので」
「むぅ」
「例えば、私の好きな男の人が、溺れて意識不明の重体だったとします。脳に損傷があって、意識が戻っても元の能力がとりもどせないとします。そんな場合でも、利宇摩様……トーマ様は彼を元どおりにすることができるんですか?」
「様はいらない。トーマでよい」
「そうはいきません。わたしにも立場ってものが」
「おまえ、例えばとか言っておいて、それは潤のことだろう? やはり好きなのだろう?」
バカかと思ったけどそこまでバカではなかったか。流留は心の中で舌打ちした。
「あのですね、好きにもいろいろあるんですよ! 女が男を好きな場合でも、一緒になりたいって場合だけじゃないんです。潤とはずうっと何年も毎日一緒に修行してきたんです。どうでもいいようなケンカもしたし、技能で負けてくやしくて口きいてやんなかったり、勝って威張ってやったらムカつかれたりもしましたよ。でも潤はわたしがほんとにできなくて落ち込んでたらできるまで居残り修行につきあってくれたし、わたしが修行をやめようとしたときは何度もわたしの家まできて引っ張り出そうとしてくれたし、ほんとに潤がいなかったら、わたしは今のわたしじゃなかったんです。恋とかは関係ないんです! 恋じゃなくても、大切な相手だっているんです! わたしは潤が死んでも後追いなんかしないけど、それでも心のどこかが死んだみたいな気持ちになります。自分の一部分が壊れたみたいになります。遠くに離ればなれになったって、潤がこの世に生きてるだけで……生きてるだけでいいんです。それ以上なにも望まない。本当はずっと一緒にいたかったけど……いつか修行の時期は終わってしまうからずっと一緒にいるのは無理だけど……死んでお別れなんて嫌です! 潤との時間がぷっつり切れてしまうなんて……生まれてからずっと一緒にいたのに……ずっと一緒にがんばってきて……。なのにいなくなるなんて……。この世のどこにも……そんなの……いや……」
話しているうちに感情が昂ぶってきて、流留は涙声になってしまった。
「つまり潤は仲間か?」
「仲間じゃだめなんですかっ!」
流留は鼻水を垂らしながら、怒鳴るように言った。
流留の携帯電話が鳴ったのは、そのときだった。
二
潤の容態が変わった。自発呼吸をしなくなった。
渓太郎からそう連絡を受け、流留はタクシーで病院へ向かった。
神様は乗り物には乗れない。流留は利宇摩尊に病院に来るように何度も念を押してから、タクシーに乗り込んだ。タクシーの運転手は、空中に向かって「絶対きてくださいよ。こなかったらもう口きかない。石にしてやる」と語りかける流留を気味悪そうにみていた。
集中治療室の前には清一、深二、怜流、渓太郎がいた。霞月は昨晩、具合の悪い月夜のために渡鳴湖へ戻っていた。
「流留!」
「どうなの、潤は」
「人工呼吸器と電気マッサージ。……危険らしい」
清一が言った。
深二が今までみたことのない怖い顔で、治療室のドアをみつめている。
「トーマは」
流留は言った。
清一が、なに?とたずねるような表情を流留に向けた。
「トーマ様はきた?」
「利宇摩様って……」
清一の質問を遮って、「な、流留ちゃん!」と、怜流が震え声をあげた。
流留は廊下を見た。
透視図法の作図のような、白く長い廊下のずっと先から、近代設備に不似合いな豪奢な平安装束の男が歩いてくる。冠のない略装で、銀髪も結いあげず背に垂らしているものの、金糸で文様を織り成したその衣は、長く権力とともにあったことを表す絢爛豪華なものだった。
看護師がひとり、彼の体をすり抜ける。患者もスタッフも、誰もこの目立つ存在に目を止めはしない。縛られたように固まっているのは、鳴沼の神子たちだけだった。渓太郎は即座に拝の姿勢をとっていた。
「遅い!」
彼の唯一の神子である流留は、軍神のようないかめしい立ち姿で、悠々と歩み寄る利宇摩尊をにらみつけて、言った。
「……迷ったのだ」
「自信満々に『神子の居場所はどこでもわかる』って言ったじゃないですか。潤が死んじゃいそうです! なんとかしてください!」
「潤はどこだ?」
流留は集中治療室の重たそうなドアを指さした。
「その扉の先には魂魄が抜け出そうな者などおらぬようだぞ」
「えっ! じゃあ潤は助かるの?」
「……死人はいるがな」
「!」
流留とその場の面々は顔を見合わせた。
潤が死んだ?
「魂は亡骸近くを漂っていないようであるから、体と切り離されて一日二日の時間が経っているはずだ。『潤』はとっくに死んでいるということだ」
「死んでねーよ! 心臓動いてんだよ!」
深二がつかみかかりそうな勢いで、利宇摩尊に喰ってかかる。
「心の臓が動いていようがいまいが、魂はもうどこかへ行っているぞ。この土地の祖霊となるならこの空を漂っているであろうし、別の土地の祖霊となるなら別の空を目指しただろう。潤が暮らした土地はどこだ?」
「……渡鳴湖です」
状況すべてが信じられないといった面持ちで、清一が答える。
「渡鳴湖ぉ? あいつのいる? ……まあよい。潤は死んだ。魂は渡鳴湖にいる。死んだのであるから、助かる見込みは……そうだなあ。潤は神子か? ならば百にひとつとは言わない。十にひとつというほどはないがな」
「助かる見込みが、あるの……?」
すがるように流留は言った。
「五十にひとつといったところだ。……さて、そろそろ心の臓も止まる。行くとするか」
「ちょ、ちょっとまって……」
流留の制止もきかず、利宇摩尊は治療室のドアにすうっと吸い込まれて消えた。
一同、ドアをみつめて沈黙する。
最初に口を切ったのは、深二だった。
「流留。あれなに」
「きいてたでしょ。わかってるくせに」
「……どうしよう。おれ、タメ口きいちゃった」
「わたしも似たようなものだったから大丈夫。……だと思う。たぶん」
清一と怜流が流留に説明を求めようと、相次いで口を開いた。しかし言葉が質問の形を成す前に、治療室の中が騒がしくなった。
荒い足音と、看護師の悲鳴。「君! 立ったらだめだ!」という医師の声。
流留は深二と顔を見合わせた。清一は「現実を重んずる人」だから、なにが起こっているのか判断がつきかねている様子だが、マンガなど「物語に親しむ人」である深二は、おそらく流留とおなじ展開を考えている。
集中治療室の両開きのドアが、中にいた人物の手によって、バーンとおもいきり大きく開く。
ドアを開いた人物は重体とは思えない晴々とした顔で、足はしっかり床を踏みしめていた。
「潤……!」
清一は言った。
いやちがうだろと、流留と深二は思った。
大戦のころ、神力の『器』として人間が利用された国があった。日本も遅れをとるまいと、人体に神力を宿す研究がおこなわれていたという。しかしそれは大きめの妖怪か九十九神程度の神力であって、自然神の分体を人体に宿そうなどという大それたことは、いくらなんでも試されなかった。
今、流留の目の前に、利宇摩神の分体を宿した潤の肉体がある。
肉体を生かしておくために、利宇摩神の分体は慣れない食事を試みている。
どうやら箸が使えないらしく、いらいらした様子が手に取るようにわかる。
「流留」
「なんですか」
「食わせろ」
箸を押し付けられる。
(「あーん」? 「あーん」をやれと? ここで?)
まだ入院しているものの、潤の肉体は健康体と言っていいほど回復している。銃で撃たれた肩の傷も、ほぼ塞がりかけている。脳の損傷も同様に回復中だろう。医者には「神子なので神力がめぐったのでしょう」とかなんとか言って怜流がごまかしたようだが、信じてもらえたかどうか。
とにもかくにも、ほとんど健康体なので集中治療室にいるわけではなく、比較的元気な入院患者とともに四人部屋にいるのである。「あーん」はちょっと、恥ずかしい。
「食ーわーせーろー!」
「はいはいはいはい! わかりました! はい、『あーん』!」
「あーん」
カノジョー、もっとやさしくーと向かいのベッドからひやかしがとぶ。流留は立ち上がって仕切りのカーテンを閉めた。
誰がカノジョだ、誰が!
「これ、まずい」
利宇摩尊あらためトーマは、ブロッコリーを咀嚼しながら文句を言った。
「なんでも食べないと元気になれません」
「もっと肉を食したい」
体の持ち主の好みが残っているのか、それとも成長期の男子というのは体が肉っ気ばかり求めるようにできているのか、トーマは肉が好きで野菜がきらいだ。
清一と深二は渡鳴湖に帰った。
「潤の魂」を探す仕事のためだ。
怜流が潤の保護者として病院に残っている。利宇摩神の神子である流留と、流留の保護者である渓太郎も残っている。
トーマが言うことには、人の魂魄は肉体を離れてから三十三日間は、現世の空を漂っているのだそうである。三十三日間を過ぎると次元を移って常世の側に行ってしまうが、現世の空にいるうちはひっつかまえることが可能なんだとか。
「そういうものなのですか」と流留が半信半疑で問うと、「前にもやったことがあるから確かだ」とトーマは答えた。なんでも神子の夫が死んでしまいあせっていたら、「魂だけでもいいからそばにいてほしい」と神子が言うので、空にいる魂をつかまえて呪術者に現世に縛りつけさせ、神子が死ぬまで霊体の夫として寄り添わせたとかなんとか。
こわい話だと流留は思った。トーマもこわいが神子の執念もこわい。
しかし自分が頼んだことも、結果としてこの話とたいして変わらないのだ。
五十分の一の確率だったが、潤の肉体はトーマの器として適合した。神子は一般人より適合率が高いとはいえ、まあ無理だろうと考えていたトーマ自身も驚いたらしい。神様が入れば魂の抜けた肉体でも生かしておくことが可能だ。肉体は確保できたので、あとは魂を探して戻せば生き返ると、トーマは言った。
(こういうのを神をも恐れぬ所業っていうんだろうな)
その神様がいいって言うんだから、いいのかもしれないけど。
(でも「想い人」じゃないのに、よく引き受けてくれたなあ。そんなに融通きかないタイプでもないんじゃないかな。わたし以外にも利宇摩川の力を貸してくれるように、そのうち頼んでみようっと)
考え事をしていてうっかり箸が止まっていた。
イラついてるかなと思って流留が皿から顔をあげると、トーマはにこにこして流留の顔をみつめていた。
「……なに笑ってんですか」
トーマは潤だったら絶対しない表情をよくするので、どうも面食らってしまう。
「流留の顔は呼江によく似ている」
「……」
またか。
呼江呼江って。
トーマは本当に滝家の始祖呼江を気に入っていたようで、なにかと言うと「……と呼江が言っていた」だの「呼江は……が好きだった」だの、呼江を引き合いに出して話をする。歴代のほかの神子は「神子が」で済ますくせに、呼江だけは固有名なのだ。呼江の夫は、やはり嫉妬で殺害されたんじゃないかと疑いたくなる。
そのあたりのことも、度重なる洪水のことや滝家の女にしか力を降ろさないことと合わせて、是非きいてみたいのだけれど……。
(そういうダークなことは、こういう人のいい顔されるとききづらいっていうか……)
もぐもぐと食べものをほおばるトーマの姿は無邪気であどけない。うっかり母性が湧きあがってしまいそうだ。
潤の体なのだが、潤をあどけないと思ったことはない。中身が変わると人の雰囲気はこうも変わるものなのねと、感心してしまう流留だった。
それはトーマのほうも同じ様子で、
「しかし魂の色がまったく違うから、せっかく似ているのに呼江にみえない」
と、残念そうにうなだれるのだった。
おなかがいっぱいになったトーマは横になってすやすや眠ってしまった。神様が眠るという話はきいたことがないが、体が人なので仕方ないのかもしれない。
暇なので売店にでもいこうと一階へ行くと、外来の総合ロビーで渓太郎と怜流が深刻な顔で話し込んでいた。
いつもおちゃらけたこの二人の深刻な話し合いはめずらしい。
流留が近づいていくと、「淳史さんが……」と潤の父親の名前が会話に混ざるのがきこえた。
「潤のおとうさん、連絡ついたの?」
「あ、流留ちゃん。淳史さんはアメリカに行ってたらしい。やっとさっき電話が通じたんだけど……。あの人はまったくもう」
「こない、とか言うんじゃないでしょうね?」
息子がこんな目にあったのに、駆けつけもしないとは思いたくない。潤の父親は潤に似て、あまり情を感じさせないクールな雰囲気なので、親心をつい疑ってしまう。
「いや、くるよ。くるんだけどさ、渡鳴湖に……。どうすんだよ渓さん」
「俺はいくぞ! 淳史さんの『依頼』だ! 淳史さんが協力してくれと。この俺に!」
流留は訝しげな顔になった。
ロクでもないことに、父親が燃えている。
流留は父・渓太郎にではなく、怜流に「どういうことですか?」ときいた。
「淳史さんには追いかけてる案件があって……。どうも難しい仕事らしい。電話ついでに、私と渓さんに協力を依頼してきたんだよ。あの一匹狼がめずらしいことに」
「ということだから流留、俺は渡鳴湖に帰る」
「はい? 帰る? トーマ様どうすんのよ!」
「潤の体は回復してるし、利宇摩様は俺には興味ないから問題ないだろう。明日検査が済んだらおまえもすぐ帰ってこいよ。利宇摩様と一緒に、新幹線で」
「きのう生死をさまよってた患者を明日退院させてくれるわけないじゃない」
「そんなもんぶっちぎって帰ってこい」
「おじさんこのバカ親父なんとかして」
「……ごめん流留ちゃん、私もいこうかと思ってるんだ。代わりに霞月を呼ぶから」
「えええっ! おじさんまでなんで!」
「淳史さんの追ってる案件は、渡鳴様にも関係してるらしいから……」
渡鳴様の名を口にしたとき、怜流の顔つきがすっと変わった。
らしくない厳しい表情に、流留は息を飲む。
怜流が、渡鳴様を心の底から大切に思っていることが、強く伝わってきた。
「淳史さんと、怜さんと、俺と。三人で戦うのはひさしぶりだな」
渓太郎がにやりと笑った。
三
まさか本当に渡鳴湖へ帰ってしまうとは。
病院前で渓太郎と怜流が乗ったタクシーを見送りながら、流留は愕然とする思いだった。
けれど、ふざけるなという思いはもちろんあるものの、ふたりから熱い気持ちが伝わってくるのも感じていた。怜流の渡鳴様を思う気持ち、渓太郎の淳史を慕う気持ち。
そしてなにより、三人の中に若いころから継続する結束力。
なんだかうらやましい。
病室へ戻る前に、父が今発ったよと家へ連絡しておこうと思い、携帯電話を取り出す。病院なので切っておいた電源を入れ直した途端に着信音が鳴って、びっくりしつつ見たら渓太郎からだった。
〈言い忘れた。淳史さんからの伝言で、デイジー・ベリスという女性から協力要請があったら、手を貸してやってくれだそうだ〉
「誰それ? WGPOの人?」
〈彼女のことはWGPOには極力漏らすなだそうだ〉
「あ、あやしい……」
そんな人物から協力しろと言われても、正直ためらうと思う。
〈それからもうひとつ。これはじいさんからの伝言だ。『利宇摩様を信用するな』。以上〉
「えっ、おじいちゃんから? ちょっとなんなのそれ? ……ちょっとー! おーい!」
電話は切れた。
流留が病室へ戻ったら、トーマは昼寝から起きてプリンを食べていた。
「どうしたんですか、そのプリン?」
「もらった」
さっきのひやかし男が、向かいのベッドでにっと笑って手をあげる。仲良くなったようだ。
(考えてたのと全然イメージちがうな。利宇摩様は)
見た目はイメージどおりだった。櫂浬が言っていたように、利宇摩尊の姿は腕のよい絵師によって何枚も残されている。滝家が江戸にあったころはよく実体となり、出入りの絵師に姿を見せていたのだろう。
見た目から想像したら、もっと気位が高くてえらそうなかんじじゃないかと思っていたけれど、思いのほか親しみやすくて話しやすい。そしてとても人間味がある。どうして石の封印が解かれたのかトーマ自身もわからないらしく、櫂浬にも連絡がつかないのだが、封印が解けることをおそれる必要はなかった気にすらさせられる。
(渡鳴様より表情の豊かな自然神がいるなんて)
宿っている体の持ち主が無表情だったから、比較でなおさら表情の多様さが際立つ。今だって、本当においしそうにプリンを食べているのだ。
「彼女も食べる?」
ひやかし男が流留にもひとつもってきてくれる。
「ありがとう」
彼女じゃないですけど。心の中で否定しておく。「じゃあどんな関係?」ときかれると面倒くさいから。
(神様と神子の関係ってなんなんだろう)
トーマは呼江を愛していたのだろうか。
呼江に対する執着ぶりを見ると、そうとしか思えない。
(だから呼江の子孫の女にしか力を降ろさないのかな)
呼江以降の神子は、呼江の劣化コピーみたいなものなのだろうか。呼江の血は、代を重ねるごとにどんどん薄まってゆくのだから。
(……なんか不毛)
「流留」
ふいにトーマが口を開いた。ささやくような小声だ。
「なんですか?」
「この病院に『器』がもう一体ある。この体が寝ているときに、行ってみてきた。ごく若い男だ。命を保つだけのわずかな神力しか宿していないが、なんなのだ? あれは?」
利宇摩様を信用するな。さすがに祖父のその伝言は気になったので、宿泊先のホテルに戻ってから、流留は祖父・流太郎に電話してみた。
〈先代が流留に残した書き付けがあるんだよ〉
流太郎は言った。先代というのは曾祖母・多津子のことだ。
〈利宇摩神の人態が現れたら、流留に渡すように言われていたんだよ。戦時下の洪水のことについて書いたものらしいなあ。渡されたときに先代が言ってたんだよ。利宇摩様の裏面に、流留が気づくといいがな、とな〉
大ばば様のその言葉は、流留にショックを与えるに十分だった。
――利宇摩様の裏面。
(あの無邪気な笑顔の裏は真っ黒とか、そういうこと……?)
考えたくない。
潤が重体になったときは恨みもしたけれど、流留の願いをきいて潤を助けようとしてくれている。それに潤があんなことになったのは、トーマのせいではない気がする。
自分はトーマにだまされているのだろうか……?
書き付けは流留が鳴滝山に戻ったら渡すと、祖父は言った。
父の言うとおり、明日の検査が済んだら、ぶっちぎって帰ろうと思った。
トーマのことを悶々と考えていたら、部屋のドアをノックする音があった。少し前に霞月からもうすぐ羽子崎に着くとメールがあったから、霞月だとばかり思ってドアを開けた。
流留の知らない女の子がいた。
いや、知っている。どこかで会ったことがある。
野の花を思わせる色白で可憐な顔立ち。栗色の長い髪。切り揃えた前髪の下からのぞく、印象的な緑の瞳。
思い出した。ルジェンドリ氏の別荘で会った女の子だ。黒いブルゾンに黒いスキニーパンツというハードめな服装なので、印象がずいぶん違うが間違いない。
「ハ……ハロー」
「ごきげんよう」
彼女はきれいな発音の日本語で、いまどき聞かない古風なあいさつをした。
「滝渓太郎のお部屋はこちらですこと?」
「こちらでしたけど……。もう帰りましたよ」
「帰った? なぜですの!」
彼女の愛らしい顔が凶悪そうに歪む。以前会ったあの子とはやっぱり別人じゃないかと流留は思った。日本語だし、表情がきついしこわい。
「えっと、知り合いから仕事の依頼を受けたみたいで」
「そのお知り合いって、もしかして早瀬淳史かしら?」
「あ、そうです」
「FU○K! 駒を取り合うなんて……!」
彼女は下品な四文字言葉を吐き捨て、鉄製のドアを拳でガン!と叩いた。
びくうっ!と身をすくませる流留。
「お邪魔しましたわ」
彼女はおびえる流留を残し、きびすを返してホテルの廊下をすたすた歩み去ってゆく。
流留は彼女の背中に呼び掛けた。
「デイジー・ベリスさんですか?」
「デイジー・ベリスだったらなんですの?」
「……協力するように言われてるんです。早瀬のおじさんから」
「素人はいりませんわ」
そっ気なく言い放って、少女は階段に消えた。
(あっそうですか! てか、なにあれ。ムカつくなあ!)
なんであの子がデイジー・ベリス? デイジー・ベリスって何者? あの子が別荘のそばにいたのも偶然じゃなかったってこと?
流留の頭の中をぐるぐると考えがめぐる。
そして再びノックの音がして、今度こそ霞月だと思いドアを開けたら――。
「ごきげんよう」
また彼女がいた。
なぜ自分が高級ホテルの中庭にひそんでいなければならないのか、流留はよくわからなかった。ビジネスホテルで霞月を待たなければいけないのだけれど。
同じ区内なのだが、このホテルと流留が宿泊中のビジネスホテルは、まるで別世界だった。
敷石を敷き詰めた中庭は、しゃれた外灯でほのかに照らされていた。大理石でできた天使が、池の真ん中で大きな羽を広げている。ヨーロッパのどこかの国に飛ばされたような気分だ。
流留は神術をもちいて、合図があったらこの池の水をすべて外壁前の花壇に移すことになっている。なんでそんなことをするのかとデイジーにたずねたら、「狭い花壇だと蔦に水が足りなくなるから」と彼女は答えた。
花壇の水やりくらいホテルの従業員がやっているだろうが、目的は植物を健やかに育てることなんかじゃない。流留にだってそのくらいは見当がつく。
二度目にビジネスホテルのドアを開けたとき、デイジーは「あなた、利宇摩神の力をつかえますのよね?」ときいてきた。
流留が「まだつかえません」と答えたら、「どうして? 封印なら解きましたのに!」と言った。
まだくわしい話はきいていないのだが、宝石『トーマ』の結界解除には、デイジーが関わっているようだ。事情を知りたい一心で、流留は言われるがまま彼女についてきた。
そして今、灌木の陰に隠れてデイジーの合図を待っている。
デイジーはホテルの外壁沿いの、植え込みの中にいる。
デイジーが大きく手を振り上げた。
GO。
流留は池の前へ歩み出た。
水を大きく動かすのは、例祭の余興のために毎日練習していたことだ。神力は神子をえらばない星乃川に借りる。池の水は丸く大きく渦を描くと、渦の勢いのまま宙に伸びあがった。そして魚のようなまとまった形でとびあがり、ズン……と頭から花壇に落ちた。
飛沫はひとつもあがっていない。そのまま物音ひとつ立てず、巨大な水魚は頭から土に溶けるように、花壇に浸み込んでゆく。
水魚の透明な体を透かして、蔦がホテルの壁を伝いのぼるのがみえる。蔦の成長が加速するのに伴い、水魚が土に沈むスピードも上がる。
デイジーが蔓をつかんだ。
蔦の成長がさらに加速する。
デイジーが、猛スピードで壁を這いあがる蔓に引き上げられ、凄い勢いで壁をのぼる。
そしてデイジーはホテル十九階の一室に消えた。窓ガラスの割れた音は聞こえなかった。すべてが無音のうちに行われた。
(うっわ……)
人のことを素人呼ばわりするだけのことはある。神術も身のこなしもプロだ。
流留がデイジーから依頼された仕事はここまでだが、ではさようならというわけにもいかない。再び灌木の繁みに隠れてデイジーの消えた窓を見上げていたら、蔦が急激に枯れ始め、あっという間に茶色く干乾びて、バサバサと地上に落ちてきた。
(えっ! どこから帰ってくるのデイジー?)
はらはらしながら数分間、十九階の窓をみつめる。
なにも起こらない。デイジーの姿もみえない。
「帰りますわよ」
しゃがみこんでいた流留の頭上で、声がした。
デイジーだった。
「どうやって降りてきたの?」
「エレベーターに乗って」
「……ならなんで、入るときは蔦に乗って入ったの?」
「宝石強盗をどうぞいらっしゃいませと、ドアから入れてくれる輩がいると思いまして?」
「宝石強盗っ?」
「『神石』は所有者のほうが悪なのだから、強奪してかまいませんのよ」
デイジーはそう言うと、勝気そうにふんと鼻を鳴らした。
夜はすっかり更けていた。
都会の広い道路を、車のヘッドライトが次々と流れていく。
「改革派には何種類も馬鹿がいましてよ」
帰る道すがら、歩道橋の上で足を止め、デイジーは語った。
アメリカ神界で勢力を伸ばす新宗派、改革派についてである。
「一番目の馬鹿は神様を石にする馬鹿。二番目はその石を売り飛ばす馬鹿。三番目はその石を所有して喜ぶ馬鹿。三番目の馬鹿は、この国にもおりましたわ。あなたをベッドに誘った殿方よ。申し訳ないけれどあのお方、素直に言うことをきかなかったもので、二、三ヶ月外に出られなくしてさしあげました」
「櫂浬さんのこと? 怪我させたの?」
「軽く、皮膚病を患ってもらいましたの。ほうっておけば治ります」
「軽くって、外に出られないほどなんでしょ?」
「顔ですもの」
なるほど。自分の外見を気にしそうな櫂浬の場合、外出できないかもしれない。
「さっきホテルにいた馬鹿は、二番目の石を売り飛ばす馬鹿ですわ。渡鳴湖の別荘にいた馬鹿も二番目の馬鹿ですわね」
「それはルジェンドリさんのこと?」
「神石を売る宝石商など、ほとんど小物ですわ。利用されているのも知らないんですもの。すこしばかり怖い思いをさせてしまえば、震えあがって普通の宝石屋に戻りますわ。たいして罪もないひとたちですけど、二番目の馬鹿を減らさないと最大の馬鹿がのさばりますの」
「最大の馬鹿?」
「『神石』を集めて、権力のために使う馬鹿ですわ。今、改革派の中でなにがはじまっているかご存じ? 枢機卿選出ですの。誰が改革派神官の上位席に座るか、水面下で揉めておりますの。実力重視の改革派では、選出が揉めると、必ずと言っていいほど悪しき風習が復活するのですわ」
「悪しき風習ってなんなの?」
「神力狩り」
「神力狩り……」
「神力を強引なやり方で自分のものにすることですわ。改革派は聖職者のランクで使える神力が割り当てられますから、ほかに少しでも自分が使える力を蓄えておこうと、神力を宿した神石を密かに集めるのです」
「人が扱える神力なんて、神様の力のうちの、ほんのわずかでしょ。強引にほかから集める意味がわからない」
「お馬鹿さん。自然神は移動できませんのよ? アメリカがどれだけ広いとお思い? ニューヨークでもカリフォルニアでも、アメリカ国内のどこででも神力を扱うために、アメリカの上位聖職者は自然神以外にも細かいエネルギー体をたくさんもっているのが普通ですわ。どんな神力をアレンジするかが腕の見せどころみたいな面もありましてよ。ですから使い勝手のいいモンスターや分体を常に探しているのですわ。時には、よその国へ行ってまで」
「よその国? 国際協定違反じゃないの?」
神力の国際間移動は、自然環境の破壊につながるため、厳しく禁じられているはずだ。
「ですから、こっそりやるのです。いざとなったら切り捨てられるような商売人を使うのですわ。改革派の神官たちは『神石』の一部が闇市場に出回ってるなんてこと、百も承知です。裏稼業の宝石商が海外へ出たら、現地で狩って石にしておいた神力を帰国の際に持ち帰らせるのです。同業者を装い、場合によっては神石であることすら教えないこともあるようですわ。テア・ルジェンドリはそれをやられた様子ですわね。このエメラルドで」
デイジーはブルゾンのポケットから、ガラスケースをとりだした。
「あーっ! それ!」
「エメラルドはあきらめるよう、あなたのお知り合いの神力管理局員にお伝えくださいませ」
デイジーは身をひるがえして流れるように柵を超え、歩道橋から下の歩道へひらりと飛び降りた。
階段へ回っている暇はない。流留も負けじと身長ほどの柵に取りつき、懸垂の要領で上によじのぼる。デイジーのような華麗な動きではないが、そんなことは構っちゃいられない。
下に着地したデイジーは歩道橋を見上げ、ぎょっとしたらしかった。
「飛び降りる気ですの!?」
「当然で……ぎゃふ!」
びゅうと突風が吹いた。
流留は風にあおられて、歩道橋の通路に尻から落ちた。
デイジーがほっとしたように走り去る。
流留はしばらく、歩道橋の上で茫然としていた。
流留だって神子のはしくれなんだからわかる。
突風。
さっきのあれは、自然の風じゃない。
(あの子……風をつかった!)
一時間後、流留はビジネスホテルの部屋で、デイジーの三度目の訪問を受けた。
デイジーは苦虫を噛み潰したような顔で、エメラルドのガラスケースを突き出した。
「誰が封印し直したんですの……」
流留はツインの部屋をふりかえる。
霞月が私ですと申し出るように、ほほえんで小さく手をあげた。