話其の参/正義が誤解を生んだり、導いたり
お爺さんとお婆さんの溢れる愛情を一身に受け止めて、
桃太郎は真っ直ぐにスクスクと育っていった。
五年もすると、桃太郎の肉体は人間の大人と大差ない
ところまで成長していた。
とは言え、その精神はまだまだ幼く、お爺さんやお婆さん、
そして、近所の住人達をも度々困らせていた。
同じ頃、桃太郎の暮らす村、更にはその周囲の村々では、
「鬼」という存在に悩まされてもいた。
だから、桃太郎の暮らす村の住人達は「鬼」と桃太郎と、
二重の苦しみに苛まされていたのである。
しかし、桃太郎は決して悪気があっての事ではなかった。
少々悪戯が過ぎただけの事で、村人達も桃太郎に関しては、
寛大な気持ちを以って桃太郎と接していた。
問題なのは「鬼」の方であり、「鬼」に苦しめられた上で、
桃太郎の悪戯があるという事が二重の苦しみだったのだ。
だから、桃太郎の悪戯は、「鬼」さえいなければ、
笑い話として笑い飛ばす事だって出来たのかもしれない。
しかし、現実に「鬼」には苦しめられ、桃太郎に対しても、
いつまで寛大でいられるかもわからなくなってきていた。
そんなある日、桃太郎がお爺さんに武器を無心した。
お爺さんは桃太郎に理由を尋ねる。
すると、「鬼」を退治したいとの事だった。
それもそのはずである。
桃太郎は悪戯好きである一方、
強い正義感も持ち合わせていた。
実は、これまで周囲に迷惑を掛けていた悪戯も、
桃太郎からすれば、半分くらいは、
良かれと思ってやった事の結果だったのだ。
どういう事かというと、例えば、畑を荒らしに来た、
野生動物を追い払おうとして、結果的に桃太郎が
畑を荒らす事になってしまった、というような感じである。
しかし、そんな事は周囲の者達には判るはずもなく、
村人達にとって桃太郎は、図体だけは一人前なのに、
悪戯ばかりする、まだまだ幼さの抜けない子供、
というような認識をされていたのである。
もちろん、その認識の半分は間違いではないし、
誤解も半分程度と言っていいだろう。
そんな中で桃太郎は村人達にそのような誤解を与えている
とは露知らず、自分なりの正義を作り上げてきたのである。
そして、今、その正義感が「鬼」退治という選択肢に
桃太郎を導いたのでもあった。