6-4 諦観と抵抗の狭間 後編
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石と煉瓦で作られた小振りな平屋。その懐かしい家の扉をゼフィールは叩いた。しばらく待つと、男の声が返ってくる。
「空いてるよ」
「邪魔するぞ」
許可が出たので中に入る。
入ってすぐのダイニングはエミを送って来た頃と変わらない。変化といえば、少しだけ散らかり気味で、あの頃は使われていなかった工房から音が聞こえているくらいだろう。
金属を叩く音がしばらく響く。それが止むと、ホルガーが汗を拭きながら工房から出てきた。
懐かしい顔に、ゼフィールは気楽に声をかける。
「精が出るな。俺を覚えているか?」
「覚えているも何も、あなたのような身分の高そうな方に知り合いは――」
ホルガーがかしこまって頭を下げかけるが、途中でその動きを止めた。下から上へと視線を動かし、マジマジとゼフィールを見つめて驚いた表情を浮かべる。
「まさかゼフィール君か? 驚いたな。以前と格好が全く違うから分からなかった。そっちのお嬢さんはあの時の子か?」
「元気になっただろう? ユリア、彼はホルガー。エミのお父様だ。お前は会ったことが無かっただろう?」
「初めましてユリアさん。元気になって良かったな」
ニカッと笑いながらホルガーが軽く手を上げる。対照的に、ユリアは申し訳なさそうに視線を彼から逸らした。
「どうも。エミちゃんと奥さんの事は、その……」
「それはお嬢さんのせいじゃないだろ? それに、過ぎた事だ。いつまでも引きずっててもいい事はないしなぁ」
ホルガーが軽く肩を竦める。そのまま棚に向かい、置いてあった酒を手に取りゼフィールに顔を向けた。
「にしても困ったな。何も無いから酒でいいか?」
「気にしないでいい。顔を見るついでに仕事を頼みに来たんだ。ユリア、さっきの石を貸してくれないか?」
「これ? はい」
ゼフィールはユリアから石を受け取り、そのままホルガーに渡した。
受け取った石を、ホルガーはかざしたり指で弾いてみたりしている。
「見たことは無いが、いい石じゃないか」
「それを彼女に似合う装飾品に加工してくれ。石を削ったり穴をあけたりはして欲しくないんだが、頼めるか?」
「石は無加工でその子に合う装飾品ねぇ」
ホルガーは石を顔の前に掲げ、それとユリアを見比べている。
「ペンダントが妥当なところだな。それでいいか?」
「だ、そうだが。どうする? ユリア」
「え? あ、うん。お任せ」
自分の物だというのに、どこか他人事のようにユリアが頷く。元々彼女は装飾品や服にそこまで興味を示さない。それを考えれば当たり前な反応ともいえる。
「本人がいいらしいからそれで頼む。加工にはどれくらい時間が掛かる?」
「そうだなー。石をいじらないし、半刻から一刻くらいかな」
「そうか。それじゃあ、また後で取りに来る。エミの墓参りにも行きたいからな。代金はいくらになる?」
それまで豪快そのものだったホルガーの眉が少し寄った。口もへの字に引き結ばれており、何かを堪えている表情だ。
しかし、それは一瞬の事で、彼は先程までの陽気な顔に戻ると、ニカッと笑いかけてきた。
「前の件の礼があるから代金はいらない。墓参りに行ってくれるならエミも喜ぶな。それじゃ、オレは早速作業に取り掛かるとするよ」
それだけ言うと、彼は工房の方へ向かう。ゼフィール達は家を出ようとした。すると、背後からしんみりとした声が掛かる。
「なぁ、ゼフィール君」
名を呼ばれたので、足を止め振り返った。工房の入り口で立ち止まったホルガーが背を向けたまま言葉を続ける。
「厚かましいんだが、今度村を訪れた時も墓を参ってやってくれないか? 村の連中の話だと、あの子は随分と君達に懐いてたみたいだから」
「もちろんだ」
それで会話を終えると、三人は互いの目的地へ向けて歩き出した。
共同墓地に辿り着くと、墓石代わりに置かれた小石の上に持ってきた花輪を置く。そして、黙祷した。
今回はライナルトに会うのが主目的だったので、リアンを連れて来れなかった。代わりに預かってきたのが花輪だ。エミも花が好きだった。供えた花輪を喜んでくれているだろう。
少し強い風が吹いた。
数枚の花びらが風に乗り空高くへと舞い上がって行く。高く高く飛んだ花びらは、澄み渡る青空の彼方へやがて見えなくなった。
その様は、世界を見たがっていたエミが風に乗り飛んで行ったようだ。
二人で空を眺め続ける。細く伸びる雲の筋を見ながら、ゼフィールは静かに言った。
「なぁ、ユリア。ホルガーからペンダントを受け取ったら、もう一カ所行きたい所があるんだが、付き合ってくれるか?」
「いいけど。どこ?」
視線をユリアへと移す。行き場所の見当がつかぬのか、彼女は不思議そうにゼフィールを見上げてきていた。そんな彼女にゼフィールは小さく笑みを返す。
「エミの好きだった場所」
やはり心当たりが無いのか、ユリアは不思議そうに首を傾げた。
出来上がったペンダントをホルガーから受け取ると、ゼフィールは郊外の更に外れに向かった。ゴツゴツとした岩と低木ばかりの景色の中、一つの枯れた大樹のウロに入る。
その内部は、エミと訪れた当時と変わらず、周囲と一線を画していた。
白い小花を咲かせる緑の絨毯に腰を下ろし、上を向く。
途中で幹が折れてしまった樹の内部からは空がよく見える。エミと来た時も空は澄み渡っていた。
(あの時と違うのはエミがいないことだけ――でもないか)
色々と変わってしまった。ゼフィールも、彼の周囲も、ユリアも。
ウロの中を驚きの表情で眺めている彼女に、隣に座るよう手で地面を叩く。指示されたとおりゼフィールの横に座ったユリアは、さっき彼がそうしたように空を見上げた。
「不思議な所。エミちゃんが教えてくれたの?」
「そう。俺も初めて来た時はユリアみたいな反応だったな」
昔を思い出し、ゼフィールに笑みが浮かぶ。そんな彼を見て、ユリアは唇を尖らせた。
「ズルい。私もエミちゃんとここに来たかったわ」
「俺が教えてもらえたのも偶然みたいなものだったから、そう僻まないでくれ」
ユリアの額を人差し指で押しやる。そうすると、彼女は目を閉じ首を竦めた。
最近のユリアはこういう女の子らしい仕草が増えた気がする。ユリアの中で何かが変わったのか、昔から変わらぬのに、惚れた弱みでゼフィールには違うように見えているのか。
おそらく後者だろう。
彼女との戯れをもう少し楽しみたいが、今はその為にここに来たのではない。緩み気味だった表情を少しだけ締めると、ゼフィールはユリアに話しかけた。
「城では内緒話をしにくいから、ここで少し話をしよう」
「内緒話?」
「そう、内緒話」
首を傾げるユリアにゼフィールは頷いた。そして、真っ直ぐに彼女の目を見る。
「継承の間で何を見た?」
「!?」
ユリアの目が大きく見開かれた。彼女はそのまま顔を下に向け黙ってしまう。しばらく待ってみたが、それ以上動きは無い。
そんな彼女に、ゼフィールはぽつりと言葉を落とした。
「俺は世界が黄昏ていく様を見た。そして、繰り返されてきた贄の歴史を」
ユリアの顔が跳ね上がった。信じられないものを見るように、黒い瞳でゼフィールを凝視してくる。
「待って……。そんな、それを知っているって事は……。ゼフィールも、なの?」
「ああ。俺はウラノスの器。お前と同じだ」
囁くように告げる。ユリアはゼフィールに身体を寄せると、彼の服をぎゅっと掴んだ。
「死ぬのが嫌じゃないの? このままだと、私達死ぬのよ?」
「嫌だなぁ。それに、怖い。俺だけじゃない、マルクも、ゾフィも、ライナルト殿も。皆、嫌で、逃げられるのなら逃げたいと思っていると思うぞ」
「師匠やゾフィさんって……。嘘でしょ? 嘘って言ってよ!」
「嘘じゃない。《ブレーメン》を除く四王家の王太子とユリア。それが今代の神の器だ。お前だってアテナの記憶を持ってるんだ。目をそらしていただけで、薄々は気付いてたんじゃないのか? 誰が器なのか」
「嘘……よ」
力無くうつむくと、ユリアはゼフィールの服を更に強く掴んだ。あえて無感情にゼフィールは言葉を紡ぐ。
「死ぬのは嫌なんだが、俺達が逃げると更に多くの命が失われる。産まれたばかりのエミだって大きくなれないだろうな。俺はそれは嫌だ。きっと自分で自分を許せなくなる。だから運命に従う。それに、考えてみろ? たった五人の命で数えきれない程の命が助かるんだ。安いものじゃないか」
うつむいたままユリアは動かない。そんな彼女を見下ろし、ゼフィールは尋ねた。
「改めて問おう。ユリア、世界の為に俺と共に死んでくれるか?」
ユリアの頭が少しだけ動いた。そして、小さな小さな声が漏れてくる。
「あの時ゼフィールが私に聞いたのって、このことだったのね」
ゆっくりとユリアが上を向く。
「自分は生き残って、あんたも助けるだなんて言い切って。何も知らないで、私、馬鹿みたい」
自嘲しながら上げたその顔には大粒の涙が流れている。
「拒否なんて出来るわけがない。でも、死にたくない。まだ何もしてないもの。ゼフィールに答えだって返してない。好きなの。私だって、ゼフィールの事。だけど、ゼフィールの近くにはエレノーラさんがいるし、私なんて何の身分も持って無い国外人だし。女らしい所なんて何もないし、何も出来ない。なにより、あんたを好きだって認めるのが恥ずかしくて。素直になれる時間が欲しかったのに」
涙と共にユリアの言葉があふれる。
そんな彼女をゼフィールは強く胸に抱きしめた。
「馬鹿だな。エレノーラとの関係は最初からあって無かったようなものだし。復位した時に正式に解消したのは知ってるだろ?」
「でも……」
腕の中でユリアが小さく首を横に振った。そんな彼女にゼフィールは言う。
「でももくそもない。俺は、苦しい時にいつも側にいて支えてくれたお前と、残りの人生を歩みたいんだ。さっきお前が口走った"好き"は、俺を受け入れてくれると取っていいのか?」
「分からない。私、どうしたいのかも」
ユリアがこちらを向く。口は引き結ばれていて、泣いたせいか、それとも恥ずかしいからか、頬が赤い。
そんな彼女の額に、ゼフィールは自分の額を当てた。
「すまない。少し……先走った。まぁ、今更焦らなくてもいい。時間制限はあるが、気持ちがついて来た時に改めて答えを聞かせて欲しい。聞けずじまいで終わったら残念だが、それもまた一つの答えなんだろうし。運命なんかに心まで振り回されるのは嫌だろう? だから、精一杯抵抗して、普通の生活を送ってやろう」
言い終わると額を離し、身体も少しだけ離して、ゼフィールはユリアを見つめ微笑んだ。
それはゼフィールの精一杯の強がりであり、ユリアへの優しさだ。気持ちが分かった以上、今すぐにでも彼女が欲しい。けれど、それはユリアにとって負担にしかならないだろう。
贄の運命に直面したばかりの彼女に、これ以上心労を与えたくなかった。
「ねぇ、ゼフィール」
潤む目でユリアがゼフィールを見上げてくる。彼女は目線をしばらく逡巡させ、小さく唇を動かした。
「キスしてって言ったら、してくれる?」
「いいのか?」
ユリアが小さく頷いた。そして瞳を閉じる。
そんなにすぐに心持が変わるはずがない。緊張しているのが見ているだけでも伝わってくる。
だというのに、一歩を踏み出してくれた気持ちが嬉しい。
「ユリアが望むなら、いくらでも、どこにでも」
少しでも彼女の気持ちを解せるよう、ゼフィールはユリアの耳元で優しく囁いた。そして、彼女の耳を唇で甘く噛む。
瞼、頬と軽く口付け、ユリアの柔らかい唇に自らのそれを重ねた。
最初は軽く数度ついばみ、彼女が抵抗しないのを確認すると、ゆっくりと、深く求める。
「お前は一人じゃない。最期まで俺が一緒だ。共に逝こう」
ゼフィールの背に回されたユリアの腕に緩く力が込められた。それが彼女の答えなのだろう。




