5-17 残されたもの 前編
「え、終わり? あんなに苦戦してたのに?」
「お終いですわよ。力には向き不向きがありますから、あなた方だけでは苦戦しても仕方ありませんわ。ゼフィール様の力は不浄なものを祓い癒す力。本来攻撃に使うものではありませんもの」
ドレスについた埃を払いながら、ゾフィがこともなげに返す。
なんとも納得いかない様子だったカーラだが、それ以上突っ込むのは止めたらしい。ゼフィールの隣へ歩いてくると、ユリアを覗きこみながら座り込んだ。
「で、ユリアはどうなんだい? 助かるのかい? ツェツィーリエのやつ、魔法で解毒はできないって言ってたけど」
「もう毒自体は抜いた。ただ、ユリア自身の体力もかなり消耗してるから、しばらく休ませないと駄目だろうな」
「なんだよ、できたのかぁ。ったく、心配させてくれるよ」
カーラは大きく息を吐くと、笑顔でユリアの額を小突く。ゾフィもユリアの傍らに来て様子を覗きこむと、表情を柔らかくした。
「処置が間に合って良かったですわね」
「ああ」
しばらくユリアを眺めていたゾフィだが、おもむろに腰のサッシュから一枚の羽根飾りを外した。腕からブレスレットも一つ外し、合わせてこちらへと差し出してくる。
「一枚お返ししますわ。後の事も考えると、わたくしをもう一度召喚できるほど魔晶石に余裕もないでしょうし。あと、これが《ブレーメン》の十字石ですわ。アテナの器にお渡しになられて」
「すまない。お前には何かと助けられてばかりだな。今度何か礼をしよう」
ゼフィールは二つを受け取ると、十字石は自らの物と共に手首にはめ、羽根飾りはその場で魔力に変換して取り込んだ。魔力を垂れ流しにしている今の状況で、この補給はありがたい。
ゾフィはにこやかに笑うと、口元を扇子で隠した。
「目的のために仕事をしているだけなのですけれどね。それでもお礼をくださると仰るのなら、そうですわね。新作のドレスと、色ガラスで作られたランプシェードがいいですわ。《シレジア》の物は品が良いですから、気に入っておりますの」
「分かった、用意して届けさせよう。細かい注文もあるだろうが、それはまた後で頼む。それじゃあ、ゾフィ。またな」
冗談めかして笑う彼女に笑みを返し、ゼフィールはゾフィを《ブレーメン》城へと転移させた。
彼女がこの件に関わっているとヨハンにバレれば何かと面倒だろうが、その心配はあまりしていない。
ゾフィがこの地にいた時間は極わずかだった。
空間転移の存在を知らなければ、その時間で城から離れたこの地まで移動し暴れていた、とは、夢にも思うまい。
「突然湧いたと思ったら、今度は消えたんだけど!? あたし、ついに頭でもおかしくなってきたかね?」
カーラが自らの頭をぽかぽか殴り出す。放置しても良いが、今の段階で、彼女から余計な情報が漏れても困る。
「カーラ。今ここで見聞きしたことは、みんなには黙っていてくれ」
「なんか言われそうって思ったけど、やっぱ、そうなる?」
「そうなるな。ゾフィが来ていなくなった事と、ツェツィーリエが話した事は、特にだ」
「へーへー。分かりましたよ。もうね、どうにでもなれって感じだよね」
カーラががっくりと肩を落とす。随分と投げやりな返事ではあるけれど、とりあえずは大丈夫だろう。
(まぁ、カーラはこれでいいか。今はツェツィーリエの件の後始末が先……、というか、酷いな、これ)
ゼフィールは穴と砂山で凸凹になった蛇沼を見てため息をついた。
ゾフィが地下水を引っ張った跡が深い穴となって無数に残っている。これを埋めておかねば落下死する者が出るだろう。
元は人形であった砂山で穴を埋め、地をならす。
作業が一段落すると小さな穴を用意し、ツェツィーリエを埋めた。
本来なら彼女もきちんと弔ってやるべきなのだろうが、その死は公開できない。彼女が生きているとヨハンに思わせておくことで、追撃までの時間を稼げることも考えると、なおさらだ。
そこも他の場所同様に整えてやると、彼女が眠るのがどこなのか分からぬ程になった。
整地された跡を見ながら口笛を吹くカーラを横目に、ゼフィールはユリアを抱きかかえた。そして、居住区の方へ歩き出す。
「とりあえずはこれでいいだろう。ユリアをゆっくり休ませたい。帰ろう」
◆
お産はまだ終わっておらず、ゼフィールは女部屋に近付けなかった。
かといって、いつまでもユリアを抱えているわけにもいかない。仕方がないので、いつも使っている男部屋に彼女を寝かせた。眠るユリアの傍らに座り、黒髪を指に絡ませ口付けると、彼女へ視線を落とす。
ユリアの顔色は良くなり、呼吸も今は穏やかだ。
(俺に巻き込まれて命の危険に曝されるのも、これで二度目だな)
ゼフィールは彼女の髪から指を抜き、眉間に小さく皺を寄せた。
倒れたユリアを見た時血の気が引いた。
これ以上自ら危険に突っ込んでいかぬよう、彼女を鳥籠にでも閉じ込めたい気分だが、ユリアはそれを良しとしないだろう。
(いっそ、こいつだけ《シレジア》に帰すか。そうすれば巻き込まれようもないし)
帰国した時に激怒されるにしても、その方が良い気がした。
それでも、それは、ユリアときちんと話すべき事柄だ。
今はただ、彼女が早く目覚めてくれるようにと、頭を撫でてやりながら時が過ぎるのを待つ。
しばらくそうしていると騒がしい足音と声が聞こえ、部屋の入り口で止まった。
「あ、ゼフィールここにいたのか! ちょっと大変なんだ。一緒に来ておくれよ」
慌てた様子のカーラが部屋に駆け込んできて、ゼフィールの手を掴み強引に引っ張る。連れて行かれるのは女部屋の方向で、今、男は立ち入り禁止になっているはずだ。
「俺がこっちに行くのはマズイんじゃないか?」
「んなこと言ってられないんだよ。母体の出血が酷い上に止まらないんだ。ツェツィーリエはもういないし、あんたに頼るしかないだろ?」
(そういうことか)
納得する。
けれど、お産に立ちあっていた女達にはそうでなかったらしい。部屋に連れてこられたゼフィールを見て、あからさまに嫌な顔をされた。
彼女等はカーラに近寄ると、眉をひそめながらヒソヒソと苦情を漏らしている。
「カーラ……」
「ツェツィーリエが見つからないんだから仕方ないだろう。止血が間に合わなくて死んじまうよりマシだと思うけど?」
「そうだけど」
「ほら、ゼフィール。あんたもそんなトコに突っ立ってないで、早くこの子の血、止めてやっておくれよ」
「あ、ああ」
促され、ゼフィールは思い出したように足を踏みだした。血臭と熱気と、場違いであるという雰囲気に、少しばかり顔が歪む。
導かれるまま進むと一人の女性が寝床に横たわっていた。彼女の腕は力なく寝床から垂れ下がり、床にまで血が流れている。大量出血のせいか顔色は悪く、唇も青い。命はつながっているものの、とても弱々しい。
横たわる女性に断りを入れ、下腹部に目を向けると、赤褐色の塊と、へその緒もついたままの汚れた赤子が見えた。
(胎盤まで出てるのに出血が減らないとなると、産道の途中が切れたのか?)
身体の内部のことなので詳細は分からないが、このままだと命にかかわる。
とりあえず全身の弱っている部位が癒えるよう魔力を注ぐと、血が止まった。
「止血はした。助かるかは本人次第だ」
「そっか~。いや、ありがとよ。死産だったってのに、母親まで死んじまったらやるせない所だったよ」
「死産だったのか?」
「ほら、そこ。産まれても泣かなかったらしくて、放置されてるよ」
胎盤につながったままの赤子をカーラが指さす。母体の容態が悪い上に泣かなかったせいで、血や粘液すら拭ってもらえなかったようだ。
(せっかく産まれてきたのに可哀想にな)
汚れたままではあまりに不憫で、せめて綺麗にしてやろうと、ゼフィールは赤ん坊に触れる。と、手の平に微かに伝わってくる鼓動があった。
(生きてる!?)
とても弱いが、確かに心臓は動いている。
ゼフィールは赤ん坊の汚れを綺麗に拭き取り、うつ伏せにして背を軽く叩いた。だが、赤ん坊に変化は無い。今度は鼻と口から羊水を吸い出してやると、小さく、おぇぇと泣いた。その反応に、周囲の注目が集まる。
「その子生きてるの?」
「もう少しか……」
再度赤ん坊の口から羊水を吐き出させてやる。すると、今度こそ赤ん坊は勢いよく泣き始めた。
一息ついてへその緒を切ってやると、赤ん坊を布にくるんでカーラに渡す。
「もう大丈夫だろう。水を飲んでたせいで息ができなかったみたいだな」
「へー、そうなんだ。よく分かったね」
「出産時にたまにある事のはずだが。なぜお前達が知らないんだ?」
「あー、いやさ。あたしら誰も出産も立ち会いも経験が無くて。この子がここで初めて生まれた子だし。あんたがいて良かったよ」
カーラは受け取った赤ん坊を恐る恐る抱きながら、照れくさそうに笑った。そんな彼女の周囲に他の女達も集まってきて、泣き続ける赤ん坊を興味深く見ている。
その横で、ゼフィールは汚れた手を洗い、部屋の出口へ向かった。
「俺にできる事はもう無さそうだな。二人ともお大事に」
「ああ、ありがとよ」
カーラが礼を投げてくる。
「あの、ありがとう」
続いて、女達からも口々に感謝の言葉が贈られた。
ゼフィールは特に返事はせず、口元に薄く笑みを浮かべながら、軽く手だけを振って部屋を後にした。
ユリアの眠る部屋へと戻りつつ、ゼフィールは手の平を眺めた。
ゼフィールだって赤ん坊を取り上げたことは無い。けれど、頭の中には膨大な知識があり、その一部があの子を助けてくれた。
「赤ん坊が生まれたよ、ユリア。生命を生み出すのだから、女性というのは凄いな」
眠るユリアの傍らに腰を下ろしながら呟く。
「無事産まれましたか。良かった」
「!?」
返ってきた声に驚く。ユリアの顔を見てみると、黒い瞳がゼフィールを見ていた。目を覚ましてくれた事に安堵のため息をつき、彼女の頭をなでようと手を伸ばす。
「気分はどうだ?」
「ウラノスの器よ――」
ユリアの口から洩れた言葉にゼフィールは手を止めた。そして、彼女をじっと見つめる。
あり得なかった。
ユリアがその言葉を知っている事もだが、ゼフィールがウラノスの器だと知っているのは、器の宿命を同じくする者達だけだ。その誰もが、彼女にそれを口外するような人物ではない。
「お前、誰だ……?」
「私はニーズヘッグ。貴方に頼みたい。この娘を継承の間へ連れて行って欲しいのです」
「ニーズヘッグだと? お前は蛇のはずだろう。なぜユリアの姿をしている」
嫌な予感に声がかすれる。この予感だけは外れて欲しいと痛切に願う。
「私の本来の姿は蛇ですが、ようやく彼女に近付けたので、身体を借りて貴方と話をしています。もう気付いていると思いますが、彼女こそがアテナの器です。貴方に覚醒の手伝いをして頂きたい」
外れて欲しい予感ほど、世の中は当たっているものだ。




