5-16 死の司祭 後編
倒れたユリアへ人形達が殺到する。それを、カーラは剣で薙ぎ払い、ゼフィールは強風で弾いた。
ユリアの額には大粒の汗が浮かび、呼吸が荒い。顔色も悪く、一見して何か異常が起きていると知れた。
ゼフィールとしては彼女の容態を確認したいのだが、押し寄せる人形達がそれを許してくれない。ユリアの症状を診に戦線を離れるだけでも、今の均衡は崩れてしまうだろう。
ひたすらに人形達の相手をしている間もユリアは苦しそうに喘ぎ、焦燥だけが募る。
そんな中、ゼフィールの神経を逆なでするようにツェツィーリエの声が流れてきた。
「ああ、殿下。貴方の大切な彼女は私の毒で倒れてしまいました。早く解毒しないと死んでしまいますよ? もっとも、そんな手段なんてありませんが。高位の司祭であろうとも解毒は出来ませんものね。私も司祭の端くれですから、神聖魔法の限界は存じていますもの」
「なぜユリアに手を出した!? こいつも連れ帰らねばならない者の一人だろ!」
「ヨハン様からは、彼女も連れ帰れとは言われておりません。ただ、貴方お一人ではお戻りになってくださらないので、彼女も連れ帰ろうとしただけ。ですが、よくよく考えてみれば、彼女を殺しても同じ効果が得られるんですよね」
「ふざけるなっ!」
怒りに任せて広域を風で薙ぎ払ったが、魔力が枯渇気味なせいで風の刃が鈍くなってしまった。大型人形は崩れさえせず、前進を続けている。
「貴方の頭の中は私への怒りでいっぱい。そう思うと実に愉快です。やはり彼女は、生かして連れ帰るより殺す方がいい仕事をする。殿下、貴方は命のまま連れ戻すだけではもの足りない。私になびかなかった貴方の記憶の中にこそ、私を深く刻みつけたいのです」
「あんたも厄介な奴に好かれたもんだねっ!」
「振り向いて欲しい奴は振り向いてくれないのにな!」
目の前の人形を吹き飛ばし、ゼフィールは唇を噛んだ。
今のままでは完全にジリ貧だ。ユリアの解毒をする暇はとれないし、自分達も人形達に押し切られる可能性が高い。狂ったように嬌声を上げているツェツィーリエだが、やる事は隙がない。
自力で今の事態から抜け出すという目標は、そろそろ捨てた方が良さそうだ。
「ツェツィーリエ、お前は周到だった。それは認めよう」
「おや? では、大人しく私のもとに下られる、と?」
「いいや。お前が人形を作ったように、俺も助けを喚ぼうと思ってな。お前達の相手は彼女にしてもらうとしよう」
ゼフィールは腰の小袋を掴むとユリアの傍らに膝をついた。そして呟く。
「後は頼んだ、ゾフィ」
「任されましたわよ」
ちょっとしたお願いを引き受けるくらいの気やすさで、背後から返事があった。その声と共に無数の水の柱が地面から吹きあがる。
勢いよく伸びた水は槍の如く人形達を刺し貫き、唯の砂へと戻していく。その範囲は半径一○メートル以上にも及び、風の刃と比べて、威力も効果範囲も格段に上だ。
破壊をもたらした女性は、閉じたままの扇子で不服そうに自身の頬を叩いている。
「ほとんど説明らしい説明もないまま喚び出されてみれば、水の加護の弱い荒野だなんて。これがマルクからのお願いでしたら、文句の五つや六つじゃ済まないところですわよ」
「まさか、ゾフィ・アイゲル王太子殿下? なぜここに……」
隠れ蓑の人形を失ったツェツィーリエが茫然とゾフィを見ている。水槍の範囲外にいた人形達が前進してきてはいるが、再びツェツィーリエの姿を隠すには至っていない。
そんな彼女の姿をゾフィは不愉快そうに見ると、扇子を開き口元を隠した。
「この国の民がわたくしを御存じだなんて意外でしたわ。どこかでお会いしましたかしら? まぁ、知り合いにあなたのようなはしたない方はおりませんから、気のせいですわね。ゼフィール様のお願いですし、あなたと玩具、止めさせて頂きますわよ」
ゾフィが扇子を閉じると、ツェツィーリエの足元から細い水槍が吹き上がった。二本の槍はツェツィーリエの足の甲を貫き、彼女を地に縫いつける。
強引に足を引き抜いたツェツィーリエは鬼の形相でゾフィを睨むと、傷に治癒を施し、人形達の中へと逃げ込んだ。
逃げたツェツィーリエをゾフィは追わない。悠然と相手がやってくるのを待っている姿には王者の貫録すらある。
一方で、やや呆け気味だったカーラが頭をブルブルと振った。周辺の人形達が一掃されて手持無沙汰になったのか、ゼフィールの横にしゃがんで小声で話しかけてくる。
「なんかまた王太子って聞こえたんだけど、あたしの気のせいだよね!? てか、このチビっこ、銀の婦人と一緒に馬車に乗ってた子じゃないか。突然出てきたみたいに見えたんだけど、なんだってんだい? それに、これ、彼女がやったの?」
「チビっことは失礼ですわね! わたくし、これでもゼフィール様より年上でしてよ。まぁ、あなたもお疲れのようですから、適当に休んでいて頂いて結構ですわよ」
ゾフィにはきちんと聞こえていたらしく、一瞬だけ表情が厳しくなった。しかし、すぐに澄まし顔に戻ったのは流石といわざるをえない。
彼女とは逆に、カーラは困惑の表情を浮かべている。
「あんなこと言ってるけど、さすがに休むのはねぇ?」
「いや、ゾフィに任せれば問題無い。彼女ならどうとでも出来るから喚んだんだからな。今のうちにカーラも休んでおいた方がいい」
ゼフィールが目くばせすると、ゾフィが頷いた。
荒事は全て彼女に任せ、自分はユリアへ意識を向ける。
彼女の足の傷が紫に変色していた。ツェツィーリエがやたらと傷付けた事を喜んでいたし、仕込み杖の刃に毒が塗られていたのだろう。
傷付けられてすぐなら患部周辺を縛るなりして毒の拡散を防げたが、今は時間も経っている上に激しい運動もした。毒は全身に回ってしまっていると考えた方がいいだろう。
「ユリア、頑張れ。すぐ楽にしてやるからな」
汗で張りついたユリアの前髪を優しく撫でると、ゼフィールは深呼吸した。両手で印を結び、横たわる彼女の胸へかざす。
「生命蝕みし穢れよ去れ。汝の在所は此処に非ず。蝕まれし者よ、我が声に耳を傾けよ。其は汝が道標なり。声を辿り、深き昏迷の縁より戻り来よ」
手の平に生じた淡い光がユリアの胸へ移り、ゆっくりと全身を覆う。ゼフィールはそのまま手をユリアの胸へ置くと、魔力を流し続けた。
人の伝える術の中に解毒は無い。それが為し得るのも、神の力と知識があるお陰だ。
解毒には二種類の方法がある。
一つは患者本人の免疫を助けて解毒する方法。患者への負担も少ないし、魔力の消費も少ない。ただ、完全に徐毒するのに時間がかかる。
もう一つは強力な破邪の力で一気に毒を消し去る方法。こちらは一瞬で終わる作業であるけれど、患者への負担が非常に大きい。身体が負荷に耐えきれなかった場合、最悪死に至る。必要魔力も多い。
無難に免疫を補助する方を選んだ。
「ユリア、俺のもとに戻ってこい。お前の居場所は死者の園じゃない、ここだ」
ユリアの耳元で囁く。同時に、眉をひそめた。
手の平から伝わってくる彼女の鼓動が異常に早い。それなのに、息遣いは段々弱くなってきている気がする。
(悠長に解毒していると身体がもたなそうだな。くそ、厄介な毒を)
ゼフィールは少しだけ逡巡し、しかし、すぐに決断する。
『フレースヴェルグ、手を貸せ。ユリア本体へのダメージは俺ができる限り引き受ける。お前の方で一気に毒を消してくれ』
『いいのか? 今の消耗しきった貴様には結構な負担だが』
『構わん。時間がない。急いでくれ』
『ふむ』
空から青い小鳥が舞い降りる。彼はゼフィールの手の甲に留まると、小さく羽を動かした。
『では行くぞ』
宣言と同時に凄まじい圧力がゼフィールに掛かる。
気を抜くと今にも地に倒れこみそうな圧だが、ユリアの体内から急速に毒素が消滅していっているのを感じた。耐えねばならない時間は長くない。
歯を食いしばって魔法の制御だけにひたすら集中していると、ふっと圧が消えた。
そして、フレースヴェルグがゆっくり羽ばたく。
『もういいぞ。その娘にも随分とダメージが流れたようだが、よく耐えたな。目覚めたら褒めてやれ』
『そうか。助かった、ありがとう』
『ふん』
仕事は終わったとばかりにフレースヴェルグは上空へ去っていく。一方で、ユリアの鼓動は緩やかになっていき、呼吸も落ち着いてきた。
(もう大丈夫だな)
ゼフィールはほっと一息つき、周囲に目を向ける。
すると、今まさに、多数の人形が水槍に貫かれている所だった。再び隠れ場所を失ったツェツィーリエが錫杖を構えゾフィへと迫るが、辿り着く前にカーラにいなされている。
ゾフィはカーラに守られるのが当然といった体で悠然と佇み、扇子を持った手を一方向に向ける。
彼女が指した方向に水の柱が吹き上がり、一直線に人形が蹴散らされた。水柱の列は外周壁にまでおよび、大きな音を立てている。
「ゾフィ。威力」
「あら、やりすぎましたわね。もう少し抑えますわ」
ゾフィが扇子を動かす度に水の柱が吹き上がり、人形達を蹴散らしていく。威力は先ほどより抑えてくれているようだ。
ゾフィは軽快に人形を破壊していく。
ゼフィールはその様を眺めながら、彼女のドレスを彩るビジューが段々と消えていっていることに気付いた。
魔法の行使に従って消えているので、あのビジューは魔晶石なのだろう。装飾品に見せかけて魔晶石をドレスに散りばめているとは、なんとも抜け目ない。
情け容赦ないゾフィの攻撃にツェツィーリエは押されっぱなしのようで、ゼフィール達だけを相手にしていた時のような余裕は見えない。
対照的に、ゾフィの瞳はつまらなさそうな色を深めていく。深くため息をつくと、ゾフィは面倒臭そうに口を開いた。
「何か意外な事をしてきてくれるかと手加減していたのですけれど。あなたとの戯れ、木偶の坊が多いだけで楽しくありませんわ。少しは遊んで差し上げたのですから、もう満足ですわよね?」
「何を!?」
「もうお休みなさい。痛みも感じさせずに終わらせて差し上げるので、安心してよろしくてよ」
ゾフィの扇子がツェツィーリエに向いた。手首を動かし扇子で小さな円を描くと、最後に扇子を垂直に立てる。
扇子が上を向くと同時に、地から吹き上がった水柱が真っ直ぐにツェツィーリエを貫いた。股間から頭頂を貫かれたツェツィーリエは、それ以上何を語るでもなく、静かに地に崩れ落ちる。
逃げようとしていた蛇も、地に落ちた途端に串刺しにされた。
彼女が倒れても、事前に聞いていたとおり砂人形は止まらない。残りは少数になっているが、残しておくと蛇沼の住民を襲い被害を出すだろう。
「ゾフィ。面倒だとは思うが、人形達は残らず壊しておいてくれ。お前にとっては朝飯前でも、俺にとっては大仕事だからな」
ゾフィは扇子を開き口元を隠すと、冷めた目で残った人形達達を眺める。
「本当に、つまらない戯れでしたわ」
彼女が扇子を閉じると、残った人形達を水柱が駆逐した。




