5-11 軋轢 - あつれき -
「ユリア! 返事をしろ、ユリア!」
ゼフィールはユリアの傍らで膝をつき、片手で彼女の剣を押さえ、もう片手で彼女の肩を揺さぶった。
力なく彼女の身体が動く。けれど、まったく抵抗が無いわけではない。
ゼフィールが手を止めると、ユリアはゆっくりと顔を上げた。彼女の目は真っ赤に腫れていて、頬には涙が幾筋も走っている。
「良かった、無事で。怪我もなさそうだな」
ゼフィールは大きく息を吐き、脱力した。改めて彼女の顔を見、未だに瞳からあふれ続ける雫を指で拭ってやる。
ユリアの涙は止まらない。後から後から頬に筋を作る。
「何があったのか教えてくれないか?」
少しでも彼女が落ち着くようにゆっくり尋ねる。
ユリアは眉根を寄せると口をへの字にし、ゼフィールの服をぎゅっと掴んだ。
「ゼフィール達が出掛けてすぐにその人達が来たの。私には城に戻れって言うだけだったんだけど、他の人には問答無用で剣を向けたのよ? 信じられないでしょう? だから、止めようとした。でも、ここの人達武器の扱いには疎いし、私だけじゃ捌き切れなくて、何人も奥に行かれちゃったの」
ユリアの声に苦渋の色が濃くなる。合わせて、ゼフィールの服を握る手が小刻みに震えだした。
「そうこうしている間に一緒に頑張ってた人達が何人も斬られて、奥から戦えない人や子供達が引っ張られてきだしたの。もう駄目かもって思ったら彼女が――」
少しだけ収まっていたユリアの涙がまた流れ出した。ゼフィールを見つめながら続きを語る。
「ツェツィーリエが出てきたの。彼女、兵から剣を奪うとそれで彼らを――。動きは前見せてくれた神楽に似てたんだけど、剣を持ってることだけが違ってた。彼女が舞う度に周囲の人が倒れて。私が動けなくした人達も気付いたら亡くなってたの。ねぇ、なんで? ここまでしなくても良かったんじゃないの?」
堪え切れなくなったのか、ユリアはゼフィールの胸に顔を埋めると本気で泣き出してしまった。
ゼフィールは彼女の小さな肩を抱き、背をゆっくり叩く。
一度にこれだけの人数が命を落とす現場にユリアが直面したのは初めてなのかもしれない。それも、この中の何人かは失くさなくても良かった命だ。それだけにショックが大きいのだろう。
遠慮なく泣いたのが良かったのか、比較的早くユリアが落ち着いてきた。まだぐずりはしているものの、もう心配はいらなさそうだ。
ゼフィールが彼女を抱く手を放すと、ユリアも身体を離す。
「もう大丈夫。ごめん。ありがとう」
「いや。大変な時にいなくて悪かったな。それで、ツェツィーリエはその後どうしたんだ?」
「怪我人の手当てをするってみんなを連れて行ったわ。確か……あっち」
ユリアが居住区のある区画を指す。
ゼフィールは立ち上がるとユリアの頭にぽん、と手を置き、彼女の示した方へ歩き出した。
あの状態のユリアを一人残して行くのは気が引けるのだが、怪我人がいるのなら治療を優先すべきだ。それに、今はツェツィーリエの顔も見たくないだろう。そうなると置いて行くしかない。
向かった先には住人達がいた。血で汚れているからか部屋には入らず、下草の生えている場所に寝そべっている者もいる。けれど、彼等に傷は無い。服は破れ血に汚れているのに無傷というのは、明らかに治癒魔法が使われている。
(ここには治癒魔法が使える者までいるのか?)
少し意外に思いながら、ゼフィールは人々の様子を見て回った。
青き血の民は例外だが、治癒魔法は通常、信心深い司祭が修行の末に会得する。それはつまり、治癒魔法を使った者は元司祭だということだ。どの国でも比較的安定した生活を送れるはずの司祭まで奴隷の身に落とされるのだとすれば、《ブレーメン》の政治的不安定さはかなりのものだと言わざるを得ない。
寝転がる男達や、泣く子をあやす女達の集団を横目に進むと、怪我人達がぽつりぽつりと出てきた。もっとも、怪我といってもとても軽い。放置してもいいくらいだったが、ついでなので癒す。
怪我人を辿りながら通路を進むと軽傷者達が集う部屋があった。そこにはツェツィーリエもいる。
彼女が手をかざすと怪我人の傷があっという間に癒えた。傷の治った男にツェツィーリエが優しく微笑む。
「はい、もう大丈夫ですよ」
「ありがてぇ。あんた、本当に女神様だよ」
神に対するかの如く男は彼女を拝んだ。
何人もの崇拝を受けながら、彼女は次々と治癒を施して行く。その姿に、ユリアの語った残虐な彼女の影は微塵も無い。
本来ならゼフィールも怪我人の治療を手伝うべきなのだろうが、彼女一人で事足りそうに見えた。現に、半分以上は治療済みなのだ。今更手伝うと言うのも微妙だろう。
(俺の手はいらなさそうだが、治療が終わるまではもう少し掛かりそうだな)
それならユリアの所に戻るか、と、身を翻そうとした時、こちらに顔を向けたツェツィーリエと目が合った。
「戻っていらしたのですね。驚いたでしょう?」
「そうだな。お前が治癒魔法を使える事も、兵以上の剣の使い手である事も驚きだ」
「あら? ユリアさんにでも聞きました?」
ツェツィーリエの態度には驕りも謙遜も否定も無い。それだけで、提示した事柄のどちらもを、当たり前だと彼女が認識しているのが分かる。
余裕が無くて、やむを得ず殺したというなら仕方がない。しかし、己の有利を知りながら殺し尽くしたのであれば、ただの虐殺だ。
「あれだけの腕があれば、殺さずに追い返すのも容易かったと思うんだがな。なぜ殺した?」
問いに少しだけ不服の色を乗せる。
そのせいか、ツェツィーリエが治療を止めた。まっすぐにゼフィールの方を向くと、教えでも説くように告げてくる。
「いけませんか? 彼等に捕まり、奴隷の身に戻った我々に待つのは重労働の末の死のみです。私はそんなのは御免ですし、家族の皆さんにもそんな目にはあって欲しくない。だから彼等を殺したのです。それが最も簡単で確実な方法でしたから。生存の為の闘争をアテナは禁じておりません」
「その言い分は無理がないか? 生きる為の闘争と無益な殺生は別物――」
「お前、いい加減にしろよ!」
伸びてきた男の腕がゼフィールの胸倉を掴んだ。彼は互いの鼻が付きそうな程顔を近付けると、血走った眼でこちらを睨みつけてくる。
「綺麗事ばっかり言いやがって。お前に俺らの何が分かるって言うんだ!? 泥水をすすって飢えをしのいだ事があるか? 朝から晩まで鞭打たれながら働かされた事は? お前ら貴族があぐらをかいてる下で、俺らはコキ使われてんだ! やり返されても当然だろ?」
「だが、彼女が命を奪ったのは貴族達じゃない。使われている兵達だ。彼らに怒りをぶつけるのは筋違いだろう?」
「同じだよ。確かに奴等は貴族共には使われるが、俺らの頭を押さえつけて、ゴミとしか思っちゃいねぇ。俺達から見れば、どっちも奪う側なんだよ! お前だって屋敷に戻ればそうなんだろう? くそ! なんでそんな奴がここにいるんだ!? 殺されちまえば良かったんだよ、お前も!」
男は唾を飛ばしながら叫ぶとゼフィールを突き飛ばした。そのまま片足を後ろに引き、蹴りの体勢を取る。
(蹴られる!)
そう思ってゼフィールは身体を緊張させ目を閉じたが、いつまでたっても衝撃がこない。目を開いてみると、ツェツィーリエが男の背にしがみ付き、彼の股の間に足を入れている。
「家族同士で争うなんて止めてください! 悲しくなってしまいます」
「止めるんじゃねえ! こいつが家族なもんか! お貴族様が道楽で居座ってるだけだからな!」
「そうだそうだ! 今すぐ出てけ! それか、あいつらみたいに死ね!」
部屋にいる他の者からもゼフィールを非難する声が上がる。彼等の口から出て来るのは暴力的な言葉ばかりで、子供達が酷く脅えている。
男の暴力は制止できたツェツィーリエでさえ、周囲の雰囲気に困った表情で固まってしまった。
「なんだい、なんだい? 騒がしいね。何があったのか誰か説明しておくれよ」
突然聞こえてきたカーラの声に罵倒の大合唱が止む。ゼフィールも声のした方へ顔を向けると、しかめっ面のカーラが歩いてくるところだった。
カーラが視線を向けても、誰も彼も顔を背けてしまう。自分達の行為に、若干なりとも後ろめたい気持ちがある証拠だ。
何にせよ、部屋から出るのは今がチャンスだろう。部屋に入ってくるカーラと入れ違いにゼフィールは出口へ向かう。すれ違いざまに彼女に尋ねた。
「遺体を葬ってくる。水場から離れた場所に埋める分には問題無いな?」
「ん? ああ。構わないよ」
「おい、何勝手に決めてんだ! あいつらなんて埋めてやる必要もねぇ! 晒されてればいいんだ!」
「放置しとくと腐敗して異臭を放つし、虫や疫病の発生源にもなる。ここで暮らせなくなるぞ」
事実だけ言い置くと、後ろを見ずに現場へ向かう。
今の住民達に何を言っても悪い方に取られ、下手をすると妨害されそうだ。ならば、許可だけ取って一人でやった方がいい。
この国の歪みはゼフィールの想像以上で、どう対応したらいいのか全く分からなかった。
惨殺現場に戻るとユリアが遺体の目を閉じて回っていた。その途中でゼフィールに気付いたのかこちらへ駆けて来る。そして、目の前に着くと同時に言ってきた。
「ねぇ、ゼフィール。この人達埋めてあげたいの。手伝って」
「俺もそう思ってな。カーラに許可も取ってきた。一緒にやろう」
ユリアには剣や胸当てといった金属を外してもらい、その間にゼフィールが墓穴を掘るということで作業を分担する。
ゼフィールは適度に水場から離れた辺りまで来ると風で地を削った。人数が多いので、用意するのは深くて大きな穴一つだ。なので、すぐに穴の用意は終わる。そのまま金属を外す作業の手伝いに移った。
黙々と二人で作業を続ける。そうしていると、呑気なカーラの声が聞こえてきた。
「お、やってるねー。とりあえず金属を外せばいい感じ?」
「カーラ? どうしてお前が?」
「いや、だって。遺体処理しないといけないのはそのとおりだし」
カーラは当たり前のように作業に加わると、外した物を一カ所に放り投げていく。そして、作業を行いながらゼフィールに話しかけてきた。
「ツェツィーリエから何があったのか聞いたんだけどさ。まぁ、あいつらの事、悪く思わないでやってくれよ。あんたがここにいる理由をあいつらに教えてなかったあたしも悪かったしさ」
「気にしてない。ただ、急に癇癪を起されたのには驚いたな」
カーラが小さく肩をすくめる。
「今まで散々酷い目にあってきたからね。今回の件のショックが大きすぎて、今まで溜まってた不満が爆発しちまったんだと思うよ」
「それでか。まぁ、俺も軽率だった。自分の意見を押しつけるばかりで、彼らがどう思っているかなんて考えてなかったからな」
人手が増えたお陰で作業が大いに捗る。金属回収作業はあっという間に終了した。
「ああ、一つ頼みがあるんだが」
ゼフィールは遺体を浮かせ墓穴へと移動させながら言う。
「さっき取ってきた物資なんだが、出所は伏せておいて欲しい。どうしても知りたいと言われたら、ヒルトルートからとでも言っておいてくれないか?」
「は? なんでだい?」
「俺からだと言って気まずく思う奴がいたら嫌だろ? 折角の物を無駄にする可能性も出てくるし。自分達の住んでいる世界から遠い者からの施しの方が、受け取りやすいと思う」
なるべく丁寧になるように心がけながら遺体を穴に安置する。躯が転がっていた血のしみ込んだ地表面は風で薄く削り、出てきた汚れた砂も穴に埋めた。最後は穴を掘る時に出た砂で周辺を均す。そこまでやると、ここで悲劇があった事は全く分からなくなった。
「まぁ、構わないけど。こんだけ色々してもらってて言うのもなんだけどさ。あんたそろそろ帰った方がいいんじゃない? あちらさんも強硬手段に出てきたっぽいし、あんたまで巻き込まれる必要無いと思うんだよね」
カーラが顔を向ける。その表情は彼女にしては珍しく若干申し訳なさそうだ。
帰った方がいい。
ゼフィールもそう思う。今の彼と住人達の関係では、共にいればいるほど軋轢を生む。だが、それを覚悟してでも得なければならないものがある。
アテナの器。その候補であるカーラ。
彼女が器である断定は未だにできていない。断定するには、ニーズヘッグに判定させるか儀式を受けさせる必要がある。
ニーズヘッグの捜索と移住先の選定を兼ねて、フレースヴェルグに《ブレーメン》国内を飛びまわらせているが、どちらも目ぼしい成果は上がっていない。
このままだと、儀式を受ける事で白黒をはっきりさせるハメになる可能性が高いだろう。
恐らく、ゾフィが入城すれば儀式の扉の場所はすぐに判明する。国が違えど継承の間があるのは城の最奥、地下深くと決まっている。正確な場所さえ分かれば、カーラを連れて跳ぶくらい大した事ではない。
「近いうちに帰るよ」
その時はきっとそう遠くない。




