5-10 補給物資 後編
「随分とお久しぶりでございます。ゼフィール殿下におかれましては健やかにお過ごしのようで、何よりの喜びでございます」
「止めてくれ。あんたにそんな態度を取られると調子が狂う。昔と同じでいい」
げんなりとゼフィールは態度の是正を求める。
礼を尽くされている部類に入るのだろうが、ヒルトルートに下手に出られても、馬鹿にされているようにしか感じられない。
ゾフィの立ち振る舞いには厳しかった彼女だが、自身のゼフィールへの態度に拘りはないらしい。大仰な慇懃さはあっという間に消え去り、昔と変わらず高圧的な彼女が顔を覗かせた。
「そう? それならそうさせて頂くわ。それにしても、貴方が《シレジア》の王子だっただなんてね。わたくしと会う時は王子らしくない恰好ばかりなのは、なぜかしら」
「驚かれまして? わたくしには貴金属の目利きも買い付け交渉もできませんから、そちらに明るい彼女に同行してもらいましたの。折角の機会ですから、良い物があれば買い付けもしておきたいですし」
ゾフィがコロコロと笑う。彼女がこちらを見上げる目は悪戯が成功した子供そのものだ。
「驚きはしたが……。お前、半分は狙ってただろ」
「否定しませんわ」
「あそう」
口の中だけでゼフィールは溜め息をつく。
このサバサバさが良くも悪くも彼女なのだろう。幼い頃はもっとおっとりしていた気もするのだが、どう育つとここまで変わるのか不思議だ。
「そういえば」
ゾフィが笑うのを止めた。彼女はふらりと馬車の中へ戻ると、こぶし大の小袋を二つ持って帰ってくる。そして、それを差し出してきた。
「マルクから預かっていたのですけれど、すっかり忘れていましたわ」
「マルクから?」
ゼフィールは小袋を受け取る。手の中のそれはズシリと重い。中身を確認してみると、魔晶石が詰まっていた。
「こんなにいいのか?」
「《ザーレ》で回収した物の一部なので気にしないでいいらしいですわよ。この国魔力が相当薄いようですし、彼にしてはいい仕事しましたわね」
「なら気にする必要はないな。マルクには後で礼を言っておこう」
受け取った小袋をベルトに吊るす。そして、ズボンに挟んでいた羽根を一枚だけ残し、二枚ゾフィに差し出した。
『ゾフィ、これを。可能なら一枚は儀式の扉前に置いてきて欲しい。もう一枚はお前が持っていてくれ』
『構いませんけど。何のためですの?』
『羽根のある場所は座標が分かるからな。跳ぶにしろ喚び寄せるにせよ、正確な空間転移には座標が必要だ。俺が知っている場所なら必要無いが、いかんせん知らない場所だからな』
『儀式の扉前は器が見つかった時のための布石、わたくしの分は何かあった時のための保険、と、いったところですかしら?』
『ご名答。理解が早くて助かる』
『承りましたわ。まぁ、《ブレーメン》はわたくし達の領域ではありませんし、保険を掛けておくに越したことはないと思いますわよ』
受け取った羽根をゾフィはヒラヒラさせて遊ぶ。
そうこうしていると、荷馬車の方からカーラが声を上げた。
「おーい、ゼフィール。こっちの仕分け大体終わったけど。持ち切れなかった分、本当にあんたが全部運んでくれるのかい?」
「ああ、構わない。置いて行ってくれ」
ゼフィールは軽く手を上げ了解の意を示す。すると、大量の荷を抱えた者達が次々と離脱して行った。
そんな中で、カーラだけはこちらに向かって歩いてくる。
離脱して行った者達も決して少なくない荷を抱えていたが、彼女の持つ量はその段ではない。重い物がその大半を占めている上に、荷の山の高さは彼女の背丈を優に超える。普通なら持てたものではないが、それを可能にする重量操作は大したものだ。
カーラはゼフィールの傍らまで来ると、興味深そうにゾフィとヒルトルートを眺めだす。
「どうかしたか?」
「いやさ。こんなに大量の物をくれるお人好しってどんな顔してるのか見てやろうと思って。そこのご婦人方?」
「ゼフィール。貴方、それが誰からだか言ってなかったの?」
「出所は必要ないと思って、物資をくれる一行が通るから取りに行こうとしか言ってないな」
「普通は最初に教えるでしょうに。呆れたものね」
ヒルトルートがこめかみに指を当てつつ小さく首を振る。
「それで、そちらはどなたですの?」
声もだが、カーラを見るゾフィとヒルトルートの視線が冷たい。不躾に観察されたのもあるのだろうが、彼女等の視線の向かう先はカーラの身体、つまりは服装だ。
貴族社会では肌の過度な露出は失礼とされている。こんな熱い地方で一般人にまで服を着込めというのも無理な話だと思うのだが、文化の溝は深い。
なんにせよ、このまま放置していると両者の間の空気は更に険悪になりそうだ。少しでもカーラの服装から二人の意識が逸れるように、ゼフィールは話を進める。
「彼女はカーラ。俺が今世話になっている所の取りまとめだ。で、こっちの二人は、まぁ、俺の個人的な知り合い?」
「まぁ。それなら、わたくしもお礼を申し上げるべきですわね。ゼフィール様のお世話をなさって頂きありがとうございます。荷は頼まれた物をついでで持ってきただけですから、用立てたのは彼でしてよ」
「マジで!? 金持ちなんだろうとは思ってたけど、あんたどんだけなんだよ!」
カーラの視線が痛い。逆からはゾフィとヒルトルートの視線も痛い。どちらかといえば善行をしているはずなのに、責められている気がするのは何故だろう。
なんにせよ、こんな状況に長時間曝されるのは御免だ。早々に退散することにした。
「用も済んだし帰ろう。ゾフィ、ヒルトルート。お前達は気を付けてな。ああ、後一つ頼まれてくれ。城に着いたらリアンとエイダを保護してくれないか? 儀式を餌に俺の不評を買わぬよう牽制しておいたが、お前が入城すれば効果が無くなるだろうからな。二人を盾に俺が脅されるのは避けたい」
「任されましたわ。ゼフィール様もご無理は程々に、ですわよ」
ゼフィールは曖昧に頷き、軽く手を振って荷馬車へ向かう。
その後ろに慌ててカーラもついてきた。そして、興奮した様子で尋ねてくる。
「背の高い方の女の人、祀りで見たことあるんだけど。あの人、銀の婦人じゃないのかい?」
「そういえば、カーラは《ライプツィヒ》にいたんだったな。正解だ」
「あの人めっちゃ偉いんだろ? てか、そんな人と普通に喋ってたなんて、あんたも《ライプツィヒ》のお偉いさん?」
「知る必要があるか? ここで地位なんて何の役にも立たないだろ」
カーラの勘違いを訂正せず、ゼフィールは残された荷を宙に浮かせる。
たまたまではあるが、カーラがゼフィールを《ライプツィヒ》貴族と勘違いしてくれたのはついていた。
正体を明かすには、彼らとの付き合いはまだ浅すぎる。しばらくはこのまま勘違いしていてくれた方が何かと都合がいい。
「ところでさ。彼女等とどうやって連絡とったんだい? あたしの見た限りだと、あんた蛇沼から一歩も出てないのにさ」
器用に荷のバランスを取りながらカーラが疑問を投げかけてくる。
不思議に思うのも当然だろう。しかし、答えられない事柄でもある。
意図的に聞こえなかった振りをして、ゼフィールは崖から身を躍らせた。
荷を運びつつ空の散歩を楽しむ。頬を撫でて行く風が気持ちいい。
蛇沼での生活も三週目が見えてきたが、訪れた当初より随分と過ごしやすくなった。それは、魔力の薄い環境に身体が慣れたからか。それとも、《ブレーメン》の魔力が多少なりとも回復したからか。
おそらく両方だろう。
神の器はいるだけで場に多少の影響を与える。継承の儀を受けることで影響力は更に強まるが、他国での影響力は弱い。一方で、継承の儀を受けていない器の影響力は、自らの国であろうとも弱い。
最近の蛇沼は水場の水位が僅かに上がり、緑が僅かに鮮やかになり、風に僅かに潤いを感じるようになった。
その変化を産んでいるのが器の存在なのは間違いないのだろうが、ゼフィールが滞在している事に因るものか、アテナの器が国に戻った事に因るものか、その判別はつかない。
分かっている者がいるとすれば、ニーズヘッグくらいなものだろう。
蛇沼まであと少しの所でゼフィールは眉をしかめた。流れて来る風に不愉快な血の匂いが混ざっている。それも、蛇沼に近付くほど強い。
胸騒ぎを覚え、帰路を急いだ。
適当な所に荷を置き、臭いの発生場所に降り立つと、むせかえる血臭に鼻を手で覆った。
外周壁の迷路を抜けてすぐの場所に血まみれの者達が多数転がっている。上から眺めても酷いものだったが、近くで見る現場は想像以上に凄惨だ。
倒れているのは三○人程。幸いというには言葉が悪いが、そのほとんどは《ブレーメン》兵だ。ただ、その中に生者がいない。誰も彼も首筋や目といった急所を的確に斬り突かれ絶命している。
ゼフィール達が出掛けている間に兵の襲撃があって返り討ちにした、と、見立てるのが妥当なのだろうが――。
これだけの現場を作り出せる人物に心当たりが無かった。
一番の剣の使い手であろうカーラはゼフィールと共にいた。他の住民達で、ここまで鮮やかな剣技を持つ者はいない。
(残るのはユリアか)
技量のみ考えるなら不可能ではない。けれど、彼女の性格を考えると命まで奪うとは考えにくい。たまに見受けられる足の筋を斬られた遺体。この程度の傷を与え、継戦力を奪うに留めそうな気がする。
生き残りを探し屍の中をさ迷っていると、剣を抱きうずくまっている少女がいた。
その長い黒髪も、小さな肩も、細い腕も、大切な彼女のものだ。
「ユリア?」
呼び掛ける。しかし、彼女はピクリとも動かない。
見える範囲で彼女に血はついていない。しかし、剣は血で汚れている。それに、見えない部分まで傷付いていない保証はない。
「ユリア!?」
脇目も振らず、ゼフィールはユリアのもとへ駆けた。




