転章-3 ウラノス
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半泣き状態のアレクシアを部屋に送り届けるのは中々に大変だった。自制心の強い彼女でさえあの様だったのだ。双子に別れを告げる時はどうなるのかと考えると、今から胃が痛い。
それでも、その時までにはまだ時間がある。
一先ず忘れて、ゼフィールは久しぶりの十字石に触れた。
『マルク、ゾフィ。継承の儀を受けたぞ』
自室へと廊下を歩きながら念話をつなぐ。
もうじき深夜に掛かろうという時間なので働いている者も少ない。たまにすれ違う者達に挨拶を返す程度はせねばならないが、念話に意識を向けるには良い環境だ。
二人共もう寝ている可能性もあったけれど、問題なく返答があった。
『はぁ~い。久しぶり。あれから四カ月ってところかしら? 《シレジア》って、まだ雪積もってるの?』
『さすがにもう無いな。大分暖かくなって過ごし易い季節になった』
『儀式を行えるほど余裕ができたと考えてよろしいのですかしら? 女王様のお加減は良くなりまして?』
『ああ。二月程は寝たきりだったが、最近ではご自分で歩けるし執務にも復帰なさってる。完全に復調するにはもう少しだろうが、もう心配はいらないだろうな』
辿り着いた自室に入ると扉を閉める。
詰襟のホックを外し首元を緩めた。そのまま法衣を脱ぎ、シャツとズボンだけの軽い格好になる。
『それは良かったですわね。ところで、ゼフィール様は"どちら"を継承なさいましたの?』
『俺が継承したのは――』
部屋の窓を開けた。
新鮮な風が髪を揺らす。昼間は暖かくなったが、朝晩の空気はやはり冷たい。
『ウラノスの記憶と力』
『おはようウラノス。目覚めた神の器はアナタで四人目よ』
マルクの返答に淀みはなく、別段驚いてもいない。
『その様子だと、俺が器だと分かってたみたいだな』
『だってアナタ、フレースヴェルグと話してたじゃない? 力と話せるのは対になる器だけですもの。儀式を受けてなくても、それだけでアナタがウラノスの器だって丸分かりよ』
『それを知ってるのなら、お前達も器なんだな?』
『まぁね』
やはり、だった。
王達は継承が二種類あると知らない。それを知るのは器たる者のみだ。ゾフィから"どちら"と問われた時点で察しはついたが、断言してくれたお陰でスッキリした。
『欠けているのは誰だ?』
『アテナですわね。ただ、彼女の器がどこにいるのか全然見当がつかなくて、困っておりますの』
『《ブレーメン》の王家にはいないのか?』
『一○○年くらい前からかしら、ブロン家は王家としての力と資格を失くしてるわ。本来ならシステムの復元力が働いて、新たに正統な王が立つはずなんだけど、それも無し。おいそれと他国に干渉するわけにもいかないし、困ってるのよね』
(アテナの血統すら行方知れずか)
ゼフィールは窓辺に寄りかかり星空を眺めた。おもむろに窓枠に手を置くと、その手を支点に外へと飛び出す。窓枠を軽く蹴り、そのまま屋根の上へと飛び上がった。
以前はフレースヴェルグの力無くしてはできなかった空中浮遊だが、今では歩くことと同じようにできる。継承の儀によって与えられた知は整然と頭の中に収まり、目的を成すための魔力の紡ぎ方を教えてくれる。
ゼフィールが継承した力は天空神ウラノスのもの。生命と時空に関する分野で規格外の万能性を持っており、空がつながっている場所は彼の領域だ。
屋根に降り立ち腰を下ろすと、南東の空に目を向けた。
星が瞬く空の下には黒々とした稜線が横たわっている。あの山脈の向こうは《ブレーメン》だ。《シレジア》の南東に位置する五王国の一角。
『《シレジア》も《ブレーメン》の隣じゃない? 情報無いの?』
『自国の事すら満足に把握しきっていない俺に聞くか? だが、俺の知る範囲だと無いな。街道も今は封鎖されてて、直接行き来する道すら無い。お前達の国から行くより時間かかるぞ』
『あらやだ、街道封鎖されてるの? いつから?』
『分からない。こういう時、歴代王の記憶が無いと不便だな』
神の器に王の記憶は継承されない。その逆もしかりだ。
人の身に掛かる負担を多少なりとも軽減させるための配慮だったが、不便な事もいくつかはある。
それでも、王に聞きさえすればすぐに解決する程度の問題ではあるが。
『いっそのこと、五王国会議でも開きますこと? 《ブレーメン》の様子も少しは分かるかもしれませんし、ゼフィール様とライナルト様の顔合わせの機会も必要ですわ。この念話、便利なのですけれど、お互いの事を知らねば回路が開かないというのだけが唯一の欠点ですわね』
『まぁ、それくらいはね? 顔も知らない相手とベラベラ喋るのもなんか気持ち悪いし。会議を開くっていうのはいい意見だと思うわ。アタシも賛成』
『ベラベラ喋るのは貴方だけでしょうに。ゼフィール様はどう思われます?』
意見を求められ、少しだけ考える。
正直、会議を開かれても今のゼフィールには何もできない。せいぜいが、会議の末席を埋め、そこで交わされる話を聞くくらいだろう。
それでも、未だ会ったことのない器と会う機会を得られるというのなら、それだけで価値がある。
どこからともなくフレースヴェルグが飛んできた。
別口で話し中なのに何か言い出すのだろうか、と、少し身構えたが、彼は特に何も言わずゼフィールに寄り添うだけだ。
邪魔にもならなさそうだったので好きにさせ、念話に意識を戻す。
『特に無いな。俺は《ハノーファ》の王太子と顔合わせができればそれでいい。後はお前達に任せる』
『じゃ、決まりね。どこに集まるのがいいかしらね? 《シレジア》は立てこんでるから除外として、言い出しっぺのゾフィかアタシの所よね』
『《ドレスデン》が良いのではなくって? うちだとゼフィール様が嫌がりそうですわ』
『そういえばゼフィールに手を出したお馬鹿さんがいたんだったわね。じゃあうちで。会議開催の旨を正式に書簡で通達しとくわ。《ブレーメン》との連絡もあるし……開催は二月後くらいかしらね』
『悪いな。頼んだ』
マルク達との話を終えると、ゼフィールはフレースヴェルグを優しく撫でた。
「お前は継承の儀の前から俺が分かってたんだな」
『我等は魂を等しくする者。如何様な姿形をしていても見れば感じる。久しいなウラノス。前回から四○○年程ぶりか』
「そう、か。周期がまた短くなったな。ユグドラシルの延命も、そろそろ限界が近いか」
フレースヴェルグの胸の羽毛に顔を埋め、ゼフィールは目を伏せた。
神は実在していた。神話に登場するだけの架空の存在ではなかったのだ。このことを知れば、教会関係者は歓喜するだろう。
けれど、神が実在する事実は、同時に大地の黄昏の歴史も証明してしまった。
前回の黄昏から四○○年。ユグドラシルは再び弱り、大地には瘴気があふれている。
神話は語る、黄昏の原因とその回避方法を。
老いた大樹は要求する、自らを蘇らせる神の生命力を。
原因が老いである以上、黄昏は再び訪れるとウラノスは予見していた。その時一人の神もいなければ、黄昏を乗り切れぬであろうことも。
未来を憂いた彼が作りだしたのが一つのシステム。再び黄昏が訪れる時に自らの魂の一部を転生させ、大樹を若返らせるための贄とすることだった。
その仕組みを構築した五柱の神々は、傷付いた大地を癒すため身体は地へ、大樹を蘇らせるために生命力は樹へ捧げる。その一方で、心は人と交わり命をつなぎ、心を助けるために力の一部を分離した。
人と交わった血脈は王家と呼ばれるようになり、人の中で人として生き、人として死んでいく。
だが、黄昏の時に現れる転生者だけはその節理から外された。まっさらな人の子として産まれ育つが、継承の儀を受けることで神の記憶と力、そして使命を継承してしまう。
大地から穢れを払い、最期には大樹へと命を捧げることを宿命付けられた存在。それが神の器。または、黄昏の贄と呼ばれている。
「それと、ウラノスとは呼ぶなといつも言ってるだろ。直らないな、お前は」
『継承の儀で貴様はウラノスの記憶を引き継いだはずだ。間違ってはおるまい』
「人格まで引き継いではいない。俺はゼフィールのままだ」
フレースヴェルグの胸から顔を上げると、ゼフィールは立ち上がった。立ち位置を変え、眼下に広がる街を眺める。
愛しい民が暮らす街。この街一つでも数万の命が輝いている。
原初のウラノスは人を愛した。短い生を全力で駆け抜ける彼らに惹かれ、継承のシステムに人を組み込んだ。神の器となった者は短くして生を終えることになるが、魂は本体の元へと戻り、記憶の一部として悠久の時を生きる。
ウラノスの人格が継承されないのは、短い時しか生きれぬ者への憐れみであり、人として生きてみたいという彼の希望だ。
『人格まで継承してくれている方が我は楽なのだがな。器ごとに性格が違うと、文句を言われる部分も違って些か面倒だ』
「お前も大変だな」
クスリと笑い、フレースヴェルグの頭を撫でてやる。彼が片羽だけをわずかに動かした仕草が肯定のようで、妙に人間臭いのが少し可笑しい。
昔の彼はもっと感情に乏しかったように思う。
悠久とも思える時の流れの中で、全ては移ろい変わって行く。けれど、変わらぬものもある。
「人は産まれを選べない。だが、生き方は選べる。俺は俺として、最期まであるだけだ」
その言葉は、フレースヴェルグに言っているのか、己へと言い聞かせているのか、自分でもよくわからない。
ただ、こんなことになってしまって、大切な約束を一つ破ってしまったのが心苦しい。
ゼフィールはフレースヴェルグを撫でる手を休めると、空へ向かいぽつりと呟いた。
「悪い、アイヴァン。お前との約束、守れそうもない」
◆
後日、《ドレスデン》から他の五王国へと書簡が届けられ、こう記されていた。
五王国会議の開催を我らここに宣言する也
尚、本会議に国代表として出席する者は器たる太子に限定する
別たれし力の欠片を持ちて、《ドレスデン》の王城へと参られたし
従者の人数は問わぬが、会議室への入室は各人一人までの随行とする
秘匿の意味を考え、各々人選を考慮願う
獅子の月、一日。この日を会議初日とする
Mark Dickhaut. Sophie Eigel. Zephyr Embury.




