転章-1 継承 前編
転章
薄暗い空間に小さな足音が響く。動くのは二つの影。先を行くアレクシアに続き、底の見えぬ螺旋階段をゼフィールも下る。
二人の移動に合わせ足元だけはぼんやりと明るくなるのだが、少し離れた空間は一切見えない。
静かな暗闇に包まれていると、降りてきた距離や時間といったものが分からなくなる。階段を一段降りるたびに五感が鈍くなっていくような感覚。現世との繋がりも一つ一つ断ち切られて行き、まるで死者の園へと下って行くようだ。
階段を下りきり少し歩くと、巨大で重そうな金属扉の前でアレクシアは立ち止った。そして、ゆっくりとゼフィールの方へ向き直る。
「本当は一五の時に受けさせるべき儀式なのに、遅くなってしまったわね」
「二人共それどころではない状況でしたし、仕方ありません」
「そうね。三年ほど遅れてしまったけれど、問題は無いでしょう。ゼフィール、少し、この扉に触れてみてくれないかしら」
「扉にですか?」
何の意味があるのか分からなかったが、ゼフィールはとりあえず手を伸ばす。すると、手は扉をすり抜けて更に奥まで潜ってしまった。そのまま動かしてみても、何もない宙を切っているような感覚だ。
「これは?」
「資格を持つ者には障害とならない扉よ。貴方には部屋に入る資格がある。それは今証明された」
そっと目を閉じるとアレクシアは顔から表情を消し、再び目を開けた。そして、厳かに告げる。
「これから貴方にはこの部屋に入ってもらいます。何があるのかわたくしからは言えない。入ればわかる。とだけ言っておきましょう。さぁ、お行きなさい」
アレクシアに促され足を踏み出す。ぶつからないとは分かっていても、目の前に迫る扉の存在感はかなりのものだ。半分ぶつかると覚悟して、目を閉じ歩き続ける。
再び目を開けた時、円形の部屋の中にゼフィールは立っていた。
光源も無いのに仄明るい。そんな部屋の周辺部には、五体の像が部屋の中心を向いて立っている。大教会にある五神と同じ物だ。
(こんな所に神像? 王家と何の関係があるんだ? それに――)
目の前に視線を落とす。
銀髪銀瞳で小柄な老婆がゼフィールを見上げている。老婆に見えるのだが、果たして彼女は人間だろうか。
儀式の間と呼ばれるここは、王城の中でも極秘中の極秘の場だ。螺旋階段の間ですら、現王と儀式を受ける者だけしか入室を許されていない。だというのに、更に扉を抜けたこの部屋に存在しているとなると、見た目どおりの人物でないことだけは確かだ。
だから尋ねた。
「何者だ?」
「儂? ちょっとした案内係みたいなものかのう。どうせ部屋に入れとしか言われてないんじゃろ? そこで、儂が軽く説明をしてやろうかと思ってのう。継承の間へようこそ、ウラノスの系譜よ」
「継承の間? ここは儀式の間じゃないのか?」
「ひょっひょっ。この部屋に入れるかを見るのがお主らの言うところの儀式じゃからの。その先を知るのは扉を抜けられた者だけじゃが、そやつらは内容を語らない。じゃから、お主らの間では、一まとめに儀式の間と呼ばれとるんじゃないかの?」
どうでも良さそうに老婆が言う。
確かに、部屋の呼び名が違ったところで大した問題は無い。自ら聞いておきながら、それにはゼフィールも同意だ。
「扉を抜けられる抜けられないの線引きは何なんだ?」
「継承の儀を受ける資格の有り無しなんじゃが、そんな答えじゃ満足しそうにないの? そうさのぅ、一言で継承って言っても二つのパターンがあっての」
「二つ?」
「そう、二つ。一つは素養がある者を選ぶ場合じゃな。国を守り、存続させていく為政者として適正を持つ者が選ばれる。お主の母のようにな。もう一つは宿命。お主を含め、今の世代は全てこちらじゃ。で、どちらかにあてはまる者だけが通れる仕組みになっとるよ」
「宿命? どういうことだ?」
「それはこれから分かるじゃろうよ。お主の欲しい答えは、全て継承の儀の先にあるからの」
老婆は右手を上げると部屋の中心を指した。
「五柱の神の見つめる場所、つまり部屋の中央じゃな。そこに立てば継承の儀は始まる。お主に伝えねばならんのはそれだけじゃ」
示された場所を見た後、ゼフィールが視線を老婆に戻したら、そこに彼女はいなかった。どこか移動したのかと部屋の中を見回しても姿はない。言葉だけを残し、彼女は消えてしまった。
己一人しかいなくなった部屋はとても静かで、逆に耳が痛い。
おもむろにゼフィールは足を踏み出した。
問いに答えを返してくれる者はもういないし、部屋に出口は見当たらない。今しなければならないのは、老婆の言っていた"継承の儀"とやらを受けることなのだろう。
以前、フレースヴェルグもそんなことを言っていた。これを受ければ、未だ何者か分からぬ彼のことも分かるのかもしれない。
ゼフィールが部屋の中央部へ到達したと同時に、彼を中心に、床に赤い光が走った。赤光は凄まじい勢いで広がり、複雑な魔法陣を描き出していく。文字とも判別のつかぬ複雑な文様が床を覆った時、一体の像から光が産まれた。光は人の形となり、ゼフィールの前へとやってくる。
光の人の手がゼフィールへと伸ばされ、彼を包んだ。
途端に、脳裏に様々な場面が流れ行く。見ているうちに、これが誰かの記憶だと気付いた。
豊かな緑を湛える大樹と、そこに集う銀色の人々。
黄昏行く大地を覆う黒い霞み。
絶え間なく続く諍いと、流れ続ける血。
そして玄室。
幾度も彼は、彼女は、玄室で眠りに付く。それだけが世界の黄昏を止める術だと知っているから。今でない時、ここでない場所で繰り返されてきた歴史。
(欲しかった答えがあると言われても、これは――)
記憶と共に、世界の摂理と大きな魔力も流れ込んでくる。
「……やめろ、俺の中に入ってくるな――」
ゼフィールは頭を抱え込み床に倒れた。
膨大な知と力とが身体の中を駆け巡る。流れ込んでくる知識の量は脳の処理能力を軽く超え、受け止め切れない魔力に皮膚の下で血管が切れた。切れた血管は不思議な力で即座に修復されたが、身体の他の箇所が傷付き、また修復されていく。
傷は癒されるが痛みが無いわけではない。繰り返される激痛に、床に爪をたてる。爪が剥がれてもおかしくないほどに力を入れるが、痛みを紛らわせるには全くの無力で。
声を出すことをこらえきれず、ゼフィールの口から叫びが漏れた。




