4-19 霊峰ネビス
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ゴミでも捨てるように、《ザーレ》兵達はゼフィールを冷たい岩盤の上に放り投げた。動けぬゼフィールの腹を蹴ると、唾を吐きかけ、楽しそうに笑い声を上げる。
醜く歪めた顔で部屋を見渡すと、周囲で項垂れている青髪の者達に向けて言った。
「お前達元気ないな。新入りだぞ? もっと喜べよ。しかも、今度の新入りは、お前達の大切な大切な王子様だ。優しい俺達が見つけ出してきてやったぞ。もっとも、既に散々傷めつけられている上に、ここでもきっちり働かせるからな。いつまで生きていられるかは知らんが」
周囲がざわめく。その反応に兵達は満足したのか、ゼフィールを再度蹴り、高笑いを上げながら部屋を出て行った。
兵がいなくなると、項垂れていた男達がゼフィールの周囲に集まってくる。集団のあちらこちらから漏れ聞こえる囁きに、狼狽が含まれているのはなんとなく分かった。
(ああ、そうだ。俺が王子だなんて信じられない方が普通の反応のはずなんだ。なのに、アイヴァンは――)
心と身体の痛みに顔が歪む。
「申し訳ございません! お痛いですか? すぐお降ろししますので、もう少しだけご辛抱を」
ゼフィールを抱え上げる男が申し訳なさそうに謝罪する。言葉通り、彼はすぐにゼフィールを下ろした。そこには薄い毛布が何枚も集められていて、岩盤の上と比べてとても柔らかい。
寝る場を移されたゼフィールを一人の老人が覗きこみ、痛ましそうに手をかざした。
「酷いことをする。大丈夫ですか? ああ、余裕のある者は治癒を手伝ってください。私の魔力だけでは完治させられそうにないので」
ほんのわずかな治癒を施すと、老人は疲れたように脇に避けた。そこに入れ替わり立ち替わり他の者達がやってきて、少しばかりの治癒を施していく。
その様子を見るともなく眺めながら、ゼフィールはされるがままになっていた。
身体の傷は少しずつ癒され楽になってきているのだが、心がついてこない。治癒を施してくれた者達に礼を述べるのが礼儀だろうに、それすら億劫だ。
(アイヴァン、なぜお前が……)
ゼフィールをここに送り込んだ者のことを考えると切ない。
まだ幼かった頃、仕事の合間を縫って、遊んだり様々な事を教えてくれたアイヴァンが、ゼフィールは好きだった。彼は優しくて、仕事熱心で、それでいて、とても厳しかった。
我儘を言い過ぎて怒られた事も一度や二度ではない。けれど、それは愛情の裏返しだと分かっていたから、叱られ、泣きながらも、彼の手を離さなかった記憶がある。
だというのに、あの頃には、彼は既に腹に一物を抱えていたという。
気付けなかった。
年端もいかぬ子供に気付けというのも無理な話だが、それでも、気付けていれば何かが違ったかもしれないと思うと辛い。
アイヴァンが《ザーレ》と組む事は無く、父も健在で女王も笑っている。そんな未来を選べたのかもしれない。光景を思い浮かべるだけで胸が締め付けられる。
もう何度繰り返したか分からぬ問答に答えは出ない。
魔力を奪われ続け、傷めつけられたことで重い身体。疲労のせいでまとまらない思考。ままならない感情。全てが厭わしい。
「傷はあらかた癒しましたが。お加減はいかがですか? ゼフィール様」
始めに傷を癒してくれた老人が話しかけてきた。
横になったまま、ゼフィールは問いを返す。
「なぜ俺がゼフィールだと信じる? 俺は髪も瞳も青くない。あいつ等の嘘だとは思わないのか?」
「その可能性もありますが――」
老人は少しだけ困ったように笑い言葉を続けた。
「貴方の血は青かったですしねぇ。それに、看守達は私達の嫌がることが大好きなのです。そんな彼らが貴方を傷めつけていたので、きっと本物なのでしょう。後は……。信じたいのですよ。我々の王子が生きていらっしゃったと」
老人の後ろで男達が頷く。人数はざっと見て百人を少し超えるほど。ロードタウンと対照的に、この部屋にいるのは男だけだ。先程から話をしている老人を始め、数人は司祭の法衣を身に付けている。他に特徴的な者といえば、何人かの見知った騎士達だろうか。
不思議なことに、行方が気になっていた者達がここにはいる。
「私の見立ては間違っておりましたかな?」
「いや――」
ゼフィールは重い身体を起こすと、こちらを見つめる面々を軽く見渡し、頭を下げた。
「間違っていない。あまりにすんなり受け入れられて戸惑っただけだ。失礼な態度をとって申し訳なかった。傷を癒してくれてありがとう。感謝している」
頭を上げてみると、男達が熱い眼差しでゼフィールを見ていた。
それは期待の目だ。ゼフィールが本物の王子である事を、人によってはこれから先の事を。
先の事を期待されても今のゼフィールには重過ぎる。あえて気付かない振りをした。
「ところで、ここはどこだ? それに、俺は《シレジア》に戻って日が浅い。この国で何が起こっているのか教えてくれ」
「ここはネビス。《シレジア》の北方にそびえる霊峰です。ご存知ですか? 《シレジア》で建材として使われる石は、ここから切り出しているのです。この地に収容されてから、我々はずっと石を切り出させられているんですが、こんなに大量の石材を何に使うんですかねぇ」
老司祭が部屋の壁を指さす。
粗末な毛布が乱雑に積まれているだけのだだっ広い広間は、ただ岩をくりぬいただけといった空間だ。その壁は確かに白い。
霊峰ネビス。一年中雪を冠する山は、天気が良ければアントリムの街からもよく見えた。距離は確か、馬で二日ほど。随分と離れた場所まで連れて来られたものだ。
「採石は重労働だろうに。女性にもさせるのか?」
「いえ、ここには男しかおりません。その説明なら私がいたしましょう」
元騎士がゼフィールの前へ出てきて膝を折った。彼は一礼すると話を始める。
「女王がお隠れになり、王子も行方が知れなくなって数年後、宰相が突然大きな人事異動を行いました。王家と関係の深い女性はロードタウンへ、男はここへ、です。ここへ来て驚きました。宰相に反発し、行方不明になっていた者達が働かされていたのですからね。さしずめ、ここは我々男共の強制収容所といったところでしょうか」
「我々も同じくですね。私達なんて、司祭というだけでここ送りでしたけど」
老司祭が困ったように補足する。
「反抗しようとはしなかったのか?」
「我々にも家族や愛する者がいます。彼女らをロードタウンで人質に取られてしまっている状況で、下手な反抗はできませんでした」
悔しそうに元騎士は床を殴った。しかし、次の瞬間、目に力を込めて男は口を開く。
「ですが、我々とて、ただ働かされていただけではないのです。奴等に気付かれぬよう準備をし、決起のチャンスを待っていました。ご覧下さい」
部屋の奥に座っていた男の一人が、乱雑に散らばる毛布の一部をどけた。その下からは荒削りな白い棒が覗く。石を切り出す振りをしながら武器を調達した。そんなところだろうか。
ふいに、唯一の出入り口である扉の向こうから足音が聞こえた。男達は棒の上に慌てて毛布を被せ付近に座り、何事もないかのように装う。
そうこうしている間にガチャガチャと鍵を外す音が止み、三人の看守が入ってきた。一人の手には、あの忌々しい珠が握られている。
入って来た看守の一人が部屋を一瞥し、気に食わなさそうに舌打ちした。
「なんだお前ら、さっきまで死んだような目をしてたのに、やけに反抗的な空気になったじゃねぇか。まぁ、俺達に逆らえばどうなるか分かってると思うがなっ」
言いながら、看守は手近にいた男を蹴り飛ばす。
いわれ無き暴力にゼフィールが抗議しようと身体を前に出すと、元騎士に止められた。彼は首を横に振り、何もするなと訴えてくる。
何もできぬ無力さに、ゼフィールは拳を強く握り締めた。
「ほどほどにしておけ。反抗されると面倒だからな」
看守の中にも比較的まともな者がいるらしい。珠を手にした看守が暴力を振るった者に苦言を呈した。そんな彼がゼフィールの方へ視線を向ける。
「王子よ。先程は忘れていたが、貴様からは毎晩魔力を抜くようにと言われている。貴様が反抗すればこいつらを傷めつける。余計な抵抗はしないことだな」
看守が真っ直ぐにゼフィールの方へ歩いてくる。その進路を遮るように男達が立ち塞がった。歩みを止めた看守が男達を睨む。
「なんのつもりだ?」
「王子への手出しは我々が許さない」
「止めろ!」
力の入らぬ足を叱咤し、ゼフィールはなんとか立ちあがると、壁になっている男達の背にしがみついた。彼らを支えに前へと足を出す。どうにか看守の所まで辿り着くと男達を見回した。
「お前達が俺のために傷付くことは許さない。俺を王子だと認めるのなら命に従え」
周囲からざわめきが起きる。明らかに不服を訴える声が多い。それを聞き流しながら、ゼフィールは看守へと向き直った。
「看守よ、お前達もだ。お前達の用があるのは俺だろう? それなら、他の者には手を出すな」
言いながら、看守の持つ珠へ手を乗せる。何度経験しても、魔力を限界まで吸い取られる感覚には慣れない。唯でさえ力の入らぬ身体から力が抜け、ゼフィールは膝から崩れ落ちた。
倒れたゼフィールの周囲に男達が群がる。
頭上からは動揺したような看守の声が聞こえてきた。
「民想いの王子様に感謝するんだな。お前達もこいつを見習って反抗などしないことだ」
言い捨てると、看守達はさっさと部屋から出て行く。
慌てふためいた男達がゼフィールを毛布の上へ運んだ。
「大丈夫ですか?」
「なぜです!? 我々のためなどに貴方様がそのような目にあわれる必要は!」
次から次へと心配する声が寄せられる。
(大丈夫)
ゼフィールは小さく唇を動かしたけれど、力が抜けすぎて声が出ない。仕方がないので、弱々しく微笑んだ。
それは男達を安心させるための笑みであったけれど、同時に、ゼフィールの心の現れでもある。
ゼフィールのために誰も傷付かずに済んだ事。それが堪らなく嬉しかった。
翌朝からゼフィールを待っていたのは、宣言されたとおり過酷な労働だった。昨晩搾り取られた魔力はようやく動ける程度までしか回復しておらず、とても肉体労働などできる状態ではない。
それでも、看守達は働けとゼフィールを追い立て、疲れ、動けなくなると暴力を振るった。
(せめて、あの珠さえ無ければ)
ふらつく足取りで切り出された石を運びながら、ゼフィールは崖を睨んだ。
石切り場の壁には多くの珠が埋め込まれている。その密度はロードタウンやアントリムの比ではない。数が増えているせいで吸い取られる魔力量も増え、回復を妨げる。
ゼフィールがネビスに放り込まれた時、ほとんどの男達がわずかな治癒しか使えなかったのも納得だった。
『ちょっとゼフィール、聞こえてるなら何か反応しなさいよね。ロードタウンで何すればいいのよ。エレノーラちゃんも何も教えてくれないし。教えてくれなきゃ、このまま帰っちゃうわよ』
唐突に、強烈な頭痛を伴いながら頭にマルクの声が響いた。あまりの激痛に、頭をおさえながらその場にうずくまる。
何も考えずに使っていた念話だが、やり取りには結構な魔力を必要とするようだ。魔力の残量がほぼゼロの状態で使うには、身体への負担が大きい。
『《ザーレ》……を、排斥……』
込み上げる吐き気に口を手で押さえた。なんとか吐き気を耐え、肩で息をしながら立ち上がると、石を運ぶ作業に戻る。
おかしな動きをしては看守達に怪しまれてしまう。それは避けたかった。
わずかな言葉しか返せなかったが、要点は伝わっただろうか。
叫ぶように求めた助けをマルクは拾ってくれた。エレノーラの名が出たのなら、彼はロードタウンに来ているのだろう。
(ありがとう、マルク)
何をするにも手詰まりだった現状に、一筋の光明が見えた気がした。




