4-18 解放 後編
(一安心したら、またお腹空いてきちゃった)
マルクは少し冷めてしまったスコーンを口に運んだ。生地に練り込まれているベリーの酸味が身体に染みわたる。疲れている時にはこの酸味が嬉しい。
呑気に食事を再開したマルクを見て安心したのか、リアンもサンドイッチを頬張りながら話しかけてくる。
「にしても、マルクさん、よく、《ザーレ》に関することだって分かったね」
「え? あ、えーと。ほら。アタシって勘がいいから~。名前をちょっと出したらエレノーラちゃんが反応してくれたし~。こ、これかなって」
あらぬ方向を見ながら答えを返す。
(ちょっと苦しすぎたかしら。でも、ゼフィールと連絡取れたなんて言えないし。これ以上突っ込まれたらどうしようかしら)
内心ハラハラしながら食事を続ける。幸い、リアンの反応は淡白なものだった。
「ふーん」
「あら? それだけ? もっと突っ込まないの?」
「だって、マルクさん、僕達の知らない情報沢山持ってるだろうから、そんなこともあるかなって。それにさー。僕達いつもゼフィールと一緒だったんだよ? 彼ってば、ただでさえ僕達には使えない魔法使うから理解不能なのに、突然何の脈絡もない話しだしたりもするしさー。それがまた、後になれば、つながってる事だって分かるんだよね。だからさ、今分かんないからって、細かい事気にしてたらやってらんないって」
「あ、あら、そう?」
「それにしても、ゼフィールのやつどこにいるのかしら。師匠何か聞いてない?」
ユリアもケーキに手を伸ばした。それをフォークでつつきつつ、不満そうにぼやく。
「さ、さぁ、どこにいるのかしらね? アタシも知りたいわ」
マルクは平静を装って返事をしたが、双子の言葉に、手に残っているスコーンをうっかり潰しそうになった。少し崩れてしまったソレを慌てて口の中に押し込んで隠す。
(二人共、《シレジア》でその名前は禁句! って、アタシ、ゼフィールが名前変えてるって誰にも言ってなかったわ)
完全に自分のミスだが、今更どうしようもない。どうしようもないのでスッパリ忘れた。そして、これ以上誰も彼の名や話題を出さぬよう祈る。
特にエレノーラの前ではマズイ。ゼフィール本人に会っている彼女の前で下手な受け答えをしては、彼の正体がバレてしまう可能性がある。
しかし、マルクの祈りはあっさりと裏切られ、当のエレノーラが話題に食いついてきた。
「ゼフィール様……とは?」
「さっき話してたこのブレスレットの贈り主。私達を置いて、一人で《シレジア》に行っちゃったのよ。それも、師匠に私達の足止めをさせて。酷いと思わない?」
ユリアがフォークで手首にはまるブレスレットを軽く指す。ブレスレットをしばらく凝視したエレノーラは、真剣な眼差しをマルクに向けてきた。
「マルク様。ユリア様のブレスレットには、ゼファー様の魔力が込められていました。話を聞く限りですと、ゼファー様とゼフィール様は同一人物になるのですが」
エレノーラの視線がマルクに刺さる。その上、ユリアとリアンもこちらを見ている。
そんなに注目されても答えるわけにはいかない。そんな事をしては、確実にゼフィールから文句を言われてしまう。
「マルク様」
「師匠」
「マルクさん」
三人からの圧力が強くなる。
目の前に座るゾフィに助けを求めてみたが、笑顔で流された。恐る恐る三人の方に目を向けると、もはや適当に誤魔化すことは許さない雰囲気を醸し出している。
「分かったわよ。言うわよ。エレノーラちゃんが会ったゼファーの本当の名前はゼフィールよ。はい、これでお終い」
言い捨てると、マルクは三人に背を向けた。
偽名はバラしてしまったが、これくらいなら許容範囲内だろう。これ以上突っ込まれぬよう、再び食べる作業に戻る。
しかし、背後から、双子の疑問たっぷりの声が聞こえてくるのが気になってしょうがない。
「なんであいつ、わざわざ名前変えてるのかしら?」
「そういや、そこそこ名の通った家の出って言ってた気がするけど」
「そんなこと言ってたかしら? リアン、あいつの下の名前まで知ってる?」
「いやー。そこまでは教えてもらってないよ。正直どうでもよかったから追及しなかったし」
「……師匠、まだ何か隠してるでしょ? ねぇ!」
双子が身を乗り出して迫ってくる。口の中を食べ物で満たし、今喋れないと主張してみるが、笑顔のリアンが両手でマルクの頬を挟む。
「マルクさん、さっさと飲み込もうか。それとも、吐き出す方がいい?」
(怖いっ! 怖いわよ、リアン君!)
笑顔で凄まれると怖い。マルクは観念して口の中の物を飲み込むと、双子に向き直った。
「あー、もうっ! 分かったわよ! アタシの負け! 彼の本名はゼフィール・エンベリー。《シレジア》のれっきとした王子様よ。つまりアタシは、この国の王子に協力を求められて、街を解放しに来たの」
「「は?」」
ユリアとリアンがぽかーんと固まる。二人の顔を眺めながらゾフィが呟いた。
「勝手にばらしてしまって。マルク、後でゼフィール様に絶交されても文句言えませんわね」
「仕方ないじゃない! こんな流れになるなんて不可抗力よ!」
半分泣きたい気分で叫ぶ。絶交はさすがにされないだろうが、ばらした内容が内容なので無いとも言い切れない。
四人が騒いだり茫然としている傍らで、エレノーラが顔を手で覆い涙を流し始めた。突然どうしたのかとユリアがオロオロしているが、エレノーラの涙は止まらない。
「お願いします。この国を救ってください。私の知っている事は全てお話しします。ですから、ゼフィール様を助けて……」
エレノーラが頭を下げる。そんな彼女にマルクはニカッと笑いかけた。
「大丈夫よ、エレノーラちゃん。こう見えてアタシとゾフィすっごく強いの。この街の《ザーレ》兵がまとめてかかってくるよりね。五王家の実力見せてあげるわ」
◆
街を見渡せる小高い丘からマルクはロードタウンを眺めていた。
ゼフィールがよく来ていたというこの場所は中々にいい。街中と違い魔力を吸われる割合は少ないし、何より、街を一望できる利点が大きい。
『そろそろ始めてよろしくて?』
『いいわよー。派手にやって頂戴』
許可を出すと同時に、街の周辺部で無数の雪柱が吹きあがった。雪柱は空中で巨大な雪玉になり、ゆっくりと落下を始める。そして、地上に衝突すると、巨大な地響きを立てながら砕け散った。
それまで静かだった街が急に騒がしくなる。慌てた様子の人々が、建物の中から次々飛び出してきたのだ。
その様子にマルクは口角を上げる。
一手目、人々は予想どおりの反応を返してくれた。中々に幸先が良い。
マルクがニヤニヤ観察している間も雪玉は作られ、地響きをたて続けている。通りに出ている者の数が増え、ざわめきも大きくなってきた。
遠目からだといい感じに混乱しているように見える。これなら、この騒ぎに乗じて街中の珠を壊して回っても、咎める余裕のある者は少ないだろう。
「頃合いかしらね。さーて、《ザーレ》の皆さん、アタシの手の平で転がってもらうわよ~」
マルクは胸の前で両手を広げると、手の平を上にして目を細めた。無数の魔力の糸を紡ぎ出し、街中の人々へとつないでいく。
珠が残っている場所では糸が切れてしまったが、双子や私兵達が片っぱしから壊して回っているので、じき、全ての者に糸をつなげるだろう。
しばらく作業を続け――
街中を糸で覆い尽くした感覚を確認すると、マルクは朗々と詠唱を始めた。
「――さぁ、我が手の平で踊れ。くぐつ共!」
糸につながっている者の中から、《ザーレ》人だけを選別して混乱している精神の隙間に入り込む。そして、指示どおりの行動をとるよう暗示を掛けた。
ゾフィの派手な演出に混乱している人々の心を掌握するのは実に容易い。雪が街へ雪崩込まぬように配慮してあるので、騒がしくちょっと揺れる程度で危険は無いのだが、知らなければ恐怖もするだろう。
「みんなきちんと歩いて行くのよ~」
《ザーレ》人達が夢遊病の如き足取りで離宮目指して歩き出す。丘の上から眺めるその光景は、さながら蟻の行列だ。
その様子に、暗示を掛けていない《シレジア》人達がざわめく声が聞こえ始めている。今はちょっとした騒ぎになっているようだが、双子と私兵達には、珠を壊し終わった後に彼女達への事情説明をして回るように言ってある。
それで収まらず、こちらの邪魔になりそうなら多少暗示を掛けるかもしれないが、今は放置でいいだろう。
『ゾフィ。離宮に《ザーレ》の連中送り出したわよ。後よろしくね』
『任されましたわ。問題無く進んでいるようで何よりですわね』
何より、と言う割には、随分とつまらなさそうな声が返ってくる。つまらない、という意見に関してはマルクも同意だ。
「まったく、どこほっつき歩いてるのよゼフィール。早くアタシ達のトコに帰ってきなさいよね」
雪の上に胡坐をかき、マルクはぼやいた。
拍子抜けするほど順調に計画は進んでいる。
計画と言っても大したものではない。《ザーレ》人だけをマルクの魔法で離宮地下広場に集め、集まった者達をゾフィの魔法で眠らせ拘束するというだけの話だ。
実に地味で単純な計画だが、実行するには二つの障害があった。
一つは街中に散在する珠だ。周囲の魔力を無条件に吸収する珠は、魔力で編んだ糸も吸収してしまう。これは、魔力を持たぬ双子と私兵達に破壊してもらうことで対処した。
もう一つの問題は必要な魔力量。特に、街中の者に念糸をつなぐマルクが必要とする魔力量は膨大なものとなる。これはゾフィの術師達に手伝ってもらった。
彼女らには街の周辺部に展開してもらい、マルクの魔法の補助をしつつ魔力の供給を頼んでいる。街から脱出する者がいないかの監視も兼ねての配置だ。ゾフィの連れだけあって仕事振りは実に優秀。この問題もすっかり克服されている。
後は街への人の出入りさえ押さえてやれば、ロードタウンの異変が王都へ伝わるまでの時間稼ぎも出来るだろう。
(正直、アタシ達かなり頑張ってると思うのよね)
つくづくそう思う。
街一つどうにかするだけなら、こんな回りくどい事をせずに、力で制圧する方が数段楽だ。ゾフィなら、この街を雪崩で潰すくらい難なくしてのけられる。魔力を攻撃に扱う事に関して、彼女はそれだけの力を持っている。
街全てを潰してしまうわけにはいかないので、一部消し飛ばして、脅迫する手もあった。
それでも、こんな地味で面倒な手段を選んだのは、ひとえにゼフィールの為だ。
たとえ《ザーレ》人のものであろうと、彼は血が流れるのを嫌うだろう。それに、この美しい大地が汚れるのも、あまり見たくはない。
『マルク、こちらに来た分、拘束し終わりましたわよ』
『分かったわ。アタシもそっちに合流するわね』
マルクは立ち上がると尻を叩いて服に着いた雪を落とした。
『ゼフィール。ロードタウンの《ザーレ》の連中とっ捕まえたわよ。彼らの処遇はアナタの好きになさい』
離宮へ向かいながらゼフィールに呼び掛けるが反応は無い。
(王城に入れたって言ってたし、王都に行けば会えるかしらねぇ)
降り積もる雪に消されてしまった彼の足跡を辿る作業は、なんとも大変そうだ。




