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白花の咲く頃に  作者: 夕立
風の国《シレジア》編 王子の帰還
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4-12 悲鳴 前編

 ◆


 ゼフィールが目覚めた時、身体は牢につながれていた。


(寒い……)


 歯の根が合わず、ガチガチと音を鳴らす。

 一切の暖房処置が行われていないのか、体感温度は外にいるのと変わらない。だというのに、身に付けているのは防御魔法の掛かっていない部屋着だけで、寒さが身にしみる。

 せめて、自らを抱き暖をとりたかったが、両腕は天井からの鎖で拘束されていて頭の上だ。半分吊るされている状態なので、身体を動かして暖まることも出来ず、かといって、寒さを訴える相手はいない。

 ひたすらに耐えるしかなかった。


 どれほどの時間が経ったのだろうか。灰髪の兵がやってきた。


「震えているな。寒いんだろう? どうしてここにいるのかは分かっているはずだ。大人しく吐けば、すぐに温かい部屋に帰してやる」

「知らない。俺は全て話した」

「まぁ、喋らないならそれでもいいけどな。俺達のお楽しみが増えるだけだからよ。精々頑張ってくれよ?」


 不敵に笑った兵が手に持つ鞭を振るう。兵はゼフィールに何度も鞭を叩きつけながら、同じ質問を繰り返した。

 その度にゼフィールは答えを返したのだが、相手は信じてくれない。

 そのうちに服が所々破け、鞭が直接皮膚に触れて傷を作った。

 服に滲んだ青に兵は驚いたようだが、だからといって尋問が止むわけではない。終わらぬ問答の疲労と痛みで意識を失いそうになった。


 そのまま気絶できればどれだけ良かっただろう。

 頭から水を掛けられ、強引に意識を引き留められてみれば、続くのは変わらぬやり取りだ。

 それに加え、兵は定期的にゼフィールに珠を当て、魔力を奪う。身体の力は抜けるばかりで、意識の混濁に拍車が掛かった。


 そんなことを続けられたせいで、今では時間の流れすら全く分からない。回らぬ頭で何か考えようとしてみても、形になる前に霧散してしまう。


「眠れると思うな、起きろ!」


 何度目かも分からぬ水が頭から掛けられた。その冷たさに意識が浮上する。水に濡れた髪や服が肌に張り付き、余計に体温を奪う。余りの寒さに背筋が震えた。

 口から白い息が漏れる。

 ゼフィールが反応を示したのに兵は満足したのか、桶を床に置いた。代わりに鞭を手に、これまでと変わらぬ問いを繰り返す。


「いい加減答えろ。どうやってあの部屋に入った?」

「……知ら……ない」

「そんな訳があるか! 我々が何を試しても開かなかった扉だぞ! そんな言葉が信じられるか!」

「っ!」


 鞭を兵は激しく振るう。しなる革が音を立ててゼフィールに叩きつけられた。繰り返される折檻に今もまた皮膚が弾け、服に新たな染みを作る。

 ただ、感覚が麻痺してきたお陰で、最初ほど寒さも痛さも感じない。これだけが、唯一の良いことだろう。


 鞭の音と兵の怒鳴り声ばかりが響く牢に、微かに異音が混じる。異音――足音が近くで止むと、兵の鞭も止まった。


 ゼフィールがどうにか顔を上げて音のした方を見てみると、王子を名乗った青年の姿が目に入る。

 青年は鉄格子を開け房中に入ると、おずおずとゼフィールに近付いてきた。驚きの表情を浮かべる青年の伸ばされた手から、癒しの魔力が流れ込んでくる。

 傷を治してくれているようだ。


「どうしてゼファーがこんな所に? それに、この血は? 君は《ドレスデン》人じゃないの?」

「……」

「王子が尋ねていらっしゃるのだ! 答えないか!」


 鞭がゼフィールの背を強かに打ち新たな傷を作る。それを見た青年が、兵にかみついた。


「止めるんだ! 彼は僕の客人だぞ! なぜこんな事をしているんだ!?」

「この者は女王の部屋へ侵入していました。侵入した理由と方法を吐かせない限り、解放できません」

「あそこは開かずの間なんじゃ?」

「女王の部屋から出てきたところを捕えたと聞いております。放置しておけば、我々にとって害と成り得ます」


 兵の言葉に青年は驚き、疑問に満ちた目でゼフィールを見つめてくる。


「君は……何者なんだい?」


 何者かと問われれば、いくつかの答えがある。旅の詩人、マルクの友人、出奔した王子、などだ。元王子である事は明かせない。かと言って、他の答えを返しても、青年は満足してくれないだろう。

 結局、ゼフィールは何も言わずに首を横に振った。


 二人の間に嫌な沈黙が流れる。

 それに先に耐えられなくなったのは青年だったようで、ゼフィールの新たな傷を癒しながら優しく囁いてきた。


「僕はね、同じ名前の君とは仲良くやっていけると思ってたんだ。実際、君の話してくれる事は興味深いし、演奏の腕も申し分ない。だからね、いつまでもこんな所にいて欲しくないんだ。聞かれている事なんてさっさと答えちゃいなよ。そうすれば、罰を軽くしてもらえるように僕から頼むから」


 いくら甘い条件を出されても、答えられない事はある。それに、答えられる分は既に正直に話しているのだ。女王の部屋への特殊な入り方など知らない、と。


 実際には守護精霊に話しかけはした。しかし、その存在すら気付いていない者に話したところで無価値な情報だろう。

 普通に扉を開けて入った。それが精霊を視えない者にとっての真実であり、全てだ。


 だが、この青年もきっと信じてくれない。そう思うと再度説明するのも面倒で、口をつぐむしかなかった。


「……なんで――」


 青年の案にも沈黙を守っていたからか、段々彼の様子が変わってきた。それまで柔和一辺倒だった雰囲気に不穏な気配が混ざる。少しだけ顔を赤くした青年は、ゼフィールの服を掴み身体を揺さぶってきた。


「なんで何も答えてくれないんだよ!? 君も僕を馬鹿にしてるのか!? 何の力も持たないお飾りだから、言うことを聞く必要はない、と」


 突然の癇癪かんしゃくに内心驚く。そして、揺さぶられると気持ちが悪い。自らを支える力さえ残っていないゼフィールの身体は、青年の力が加わると容易に揺れる。つられて頭も揺れると、視界が回ってとても気持ち悪かった。


 しばらくは我慢してされるがままになっていたが、いい加減気持ちの悪さが限界だ。青年を止めようと言葉を絞り出す。


「止め――」

「いい加減にしないか。それに、そんなにキャンキャン喚くものではない。まるで迷子の子犬のようではないか」


 知った声が聞こえてきた。それは、やや暴走気味だった青年にも聞こえたのか、彼の動きが止まる。青年は声の主を確認すると、バツが悪そうにゼフィールの後ろに隠れた。


 房の中に入ってきた声の主――アイヴァンが、ゼフィールの後方へ冷たい視線を向ける。アイヴァンが顎をしゃくると、しぶしぶといった様子で青年がアイヴァンのもとへ動いた。


「王子が牢に行ったと聞いて来てみれば、こんな醜態を晒しているとはな」

「そんな、僕は……」


 更に温度の下がった視線でアイヴァンに射竦められ、青年は鉄格子ギリギリまで下がる。下を向いて何かをブツブツ呟いているようだが、小声過ぎて聞き取れない。

 そんな青年の姿をアイヴァンは苦々しい表情で見ていたが、やがてゼフィールに向き直り、深々と一礼した。


「"王子"におかれましては、健やかにご成長、ご帰還なされた事を喜び申し上げる。貴方が行方を眩ませて、十一年ぶりといったところか」

「!?」


 青年と兵が息を飲んだ。正体を見抜かれ驚いたのはゼフィールも同じだ。だが、身体があまりにも疲弊していたお陰で表情すら動かなかった。

 これ幸いとばかりに白を切る。


「宰相殿、王子は貴方の後ろです。その方は長らくどちらかに行かれていらしたのですか?」


 喋るのが辛い。たったこれだけ喋っただけなのに息が切れそうになる。

 小さく笑いを洩らしながら顔を上げたアイヴァンは、ゼフィールの顎を掴み、じっと見つめながら苦笑いを浮かべた。


「髪や瞳の色が違い、見た目も幼少時と変わったから分からないとでも思われたのか? 儂は貴方が産まれた時から成長を見てきたのだ。何より、今の貴方には、若き日のアレクシア様の面影があり過ぎる」

「ゼファーが王子? いや、でも、そんな馬鹿な。アイヴァンの冗談だよね、ゼファー?」


 青年がゼフィールを凝視してくるが、答えなど返せない。周囲は全て敵と思えるこの状況で、元王子だと認められるはずがない。


(アイヴァン。お前もそちら側の人間だったのか!)


 身近に思っていた者の裏切りに奥歯を噛む。

 アイヴァンが《シレジア》の敵であるのは間違いないだろう。味方であるなら既にゼフィールを解放しているはずだ。なのに、アイヴァンはそんな素振りすら見せない。


 アイヴァンは敵。


 そう仮定するだけで、辻褄が合う事が多すぎる。


「尋ねられておるようだが? 答えて差し上げぬのか?」


 アイヴァンがゼフィールから手を離した。支えを失って首が下を向く。そのまま、ゼフィールは床を見ていた。


 目さえ合わせなければ、沈黙を守るのも少しだけ気楽だ。

 顔さえ見なければ、アイヴァンの裏切りに怒る心も多少は静まる。

 できれば、このまま耳もふさいで、これ以上嫌なことなど聞きたくない。


 しかし現実は残酷で、呆れたようなアイヴァンの声が聞こえてきた。


「やれやれ、強情なことだな。随分と拷問されているようだが、何も吐かぬそうだし。一体誰に似たのやら。これ、そこの兵」


 兵がアイヴァンの元へ駆けてくる。何事か話をし、少しすると兵はドタバタと牢を出て行った。


「池の東屋で貴方を見つけた時は驚いたぞ。言葉を交わした時だけではない、それ以外でも、儂は、貴方があそこにいるのをお見かけした。一人になりたい時は東屋に籠る癖、お変わりになられていないようだな。疑問に思うと首を傾げる癖もだ」


 久々に会う子か孫に話しかけるような優しい声音が頭上から降ってくる。

 アイヴァンの中で、ゼフィールが本物であるというのは確定らしい。間違っていないのが非常に困りものだが。


(よく知っている……)


 首を傾げる癖など自分でも知らなかった。意識すらしてない癖まで特定の材料にされてしまっては、どうしようもない。

 見積もりが甘かった。そう言わざるをえない。


「それにしても、だ。これは年寄りからの助言なのだが――」


 アイヴァンの言葉はまだ続いているが、段々と遠くなってきた。兵がいなくなったせいで緊張から解放され、限界をとうに超えていた睡魔が襲ってくる。アイヴァンの声も子守唄にしか聞こえない。


 今でこそ対立してしまったが、以前のアイヴァンは、ゼフィールを包んでくれている繭の一つだった。それを、身体は無意識に覚えているのかもしれない。だから、命じるのだろう。


 彼の側なら安全だ。無理をせず休め、と。


 欲求に逆らわず、ゼフィールは意識を手放した。

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