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白花の咲く頃に  作者: 夕立
風の国《シレジア》編 王子の帰還
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4-11 眠れる女王

 白亜の城は昔と変わらず美しかった。

 大教会と同じ建築様式で建てられてはいるが、王城の窓にはまるステンドグラスには動植物や幾何学模様が描かれている。大きな違いといえばそんなものだろう。

 所々に置かれたランプには色ガラスで作られたランプシェードが掛けられ、白を基調とした建物に彩りを添えている。階段の手すりなどは細く優しい曲線を描いており、白一色であることによる冷たさは感じられない。

 その有り様は、繊細で女性的な城という言葉がしっくりくる。


 散策している風を装って城の中をうろついてみると、懐かしい顔にも数人出会った。古くからの臣や騎士達が変わらず業務をこなしている。


 変わらない。


 そう思いたいところだったが、明らかに異質な灰髪灰瞳の《ザーレ》兵達が、チラホラと視界に入ってくる。


 アレクシアの部屋前にも灰髪の兵が立っていた。兵――恐らく監視――が付いているのだから何かあるのだろうが、今のままでは確認のしようがない。

 怪しまれぬよう、立ち止まらずに通り過ぎた。


(王城にはロードタウンほど《ザーレ》人達はいない。にしても、どこまで入り込んでるんだ? あいつら)


 《ザーレ》貴族達が我が物顔で闊歩してはいないので、この地まで掌握されてはいないのだろうが、全貌が見えてこない。


(まぁ、すぐに尻尾は掴めないか)


 小さくため息をつき、長丁場になる可能性も視野に入れる。

 一通り城内を見終わると建物から出た。庭を横切り、飛び石を渡って、凍った池の中に立つ東屋あずまやに腰を下ろす。


 幼いゼフィールはこの場所が好きだった。飛び石を渡る行為が楽しかったのもあるが、池によって周囲と隔絶された空間が彼を引き付けた。

 幼子なら誰でも憧れる秘密基地。この東屋は、幼いゼフィールにとって、まさにそれだった。


 実際は周囲から丸見えで、秘密も何もなかったのだが、優しい周囲の大人達は、少年が居心地良いよう様々な鉢植えを置いたりと、心を砕いてくれていた。

 この場所に座り目を閉じれば、今でも鮮明にその光景を思い出せる。


「これはこれは。このような寂しい場所で人と会うとは」


 思い出に浸っていると頭上から声が掛かった。目を開けてみると、すぐ側に男が立っており、ゼフィールを見下ろしている。少し癖のある髪を後ろで緩く束ね、中年ながらもガッシリした体格の男だ。


(……アイヴァン。老けたな)


 彼を見た第一印象はそれだった。

 男の事はよく知っている。ゼフィールが産まれる以前から城に仕え、国政を担ってきた者の一人だ。青かった髪は白くなり、皺も増えているが、トレードマークの手入れされた口ひげが健在で、一目瞭然だった。


 昔は第二の父のような存在だったが、今は立場が違う。ゼフィールは立ちあがり礼をしようとしたのだが、アイヴァンに手で止められた。仕方がないので、幾分姿勢を正して座りなおし、尋ねる。


「入ってはならない場所でしたか?」

「いや、構わない。純粋に人と会うのが珍しかっただけだ」


 アイヴァンは手近な柱に背を預け言葉を続ける。


「儂はアイヴァン、この国の宰相をしている。マルク王子の友人の詩人というのは君か?」

「ゼファーと申します。この度は《シレジア》への入国を許して頂けた上に、このような学習の場まで与えて頂き感謝致しております」


 座ったまま礼をする。頭を上げると、アイヴァンは興味深げにこちらを見ていた。


「王子と同じ名とは面白い。それにしても、今は楽器を持っておらぬようだな。何か弾いてもらえれば良い休憩かと思ったが。サボらずに仕事をしろということかもしれんな」


 やれやれ、とアイヴァンは柱から身体を離す。そして、少しだけゼフィールの方へ顔を向けた。


「今度会う時は何か聴けるのを楽しみにしているぞ」


 それだけ告げると宰相は城へと戻って行く。


(そういえば、アイヴァンなら、お母様や国の現状も知ってたかもしれないな)


 思い至った時にはアイヴァンは随分と遠くへ行っており、今更どうする事も出来なかった。



 ◆


 曲を学ぶという一点において、城に招待されたのはこれ以上ない幸運だった。城仕えの楽師達だけあって曲のレパートリーが多い。難しい曲も多く、技術的な事も教えてもらえたのは幸いだった。

 反面、アレクシアの居場所につながる情報は尻尾すらつかめていない。国状についても同じくだ。


 なんとなく訪れた城の礼拝堂をゼフィールは眺めた。

 昔はここにも司祭達がいたものだが、今は誰もいない。それでも荒れていないのは、掃除だけは誰かがしているからだろう。


(大教会だけじゃなく、城の司祭達までいなくなっているとはな。なんで司祭なんだ?)


 ウラノスの像に問い掛ける。彼ならここで起こった全てを見ていたはずだ。だが、やはりただの像。答えを返してはくれない。


「詩人殿」


 後ろから声がかけられた。振り返ってみると、杖をついた老人が後ろに立っている。アイヴァンと同じく、彼も昔から城に仕えてくれている臣だ。昔は杖などついていなかったが、それだけ年月が流れたということだろう。


 声を掛けて来たのに老人は話を切り出さない。ただ、ゼフィールの顔をまじまじと見ているだけだ。

 見られていることに収まりの悪さを感じ、ゼフィールの方から話を切りだした。


「何かご用ですか?」

「用? ああ、確かに。話しかけたのは儂でしたね。用という程のことではないのですが、詩人殿はいつまでこちらに滞在なさるおつもりですかな?」

「まだ特には決めておりませんが。城の方々にご迷惑をお掛けしていますか?」

「迷惑ではありません。ですが――」


 老人は言いにくそうに言葉を切ると、神像の方へ視線を泳がせた。少しの後、視線を戻した老人は一歩だけゼフィールに近寄り、声を潜めて言う。


「今なら《ドレスデン》へ送り届けて差し上げられます。ですが、これ以上雪が深くなれば、春になるまで移動もままならぬようになる時があるのです。その前にお帰りになられた方がいいのでは、と」

(ああ、なるほど。帰りの足を心配してくれているわけか)


 気を利かせてくれた老人へ笑みを向け、ゼフィールは答えを返した。


「お気遣いありがとうございます。ですが、こちらの楽師様方から学べる事はとても多くて、今帰るには勿体ない感じですね。一冬過ごさねばならないようなら、それはそれで仕方ないかな、と」


 本当は女王の居場所を探したりしたいのだが、それは言えない。本来の目的を隠す上で、曲の勉強中という立場は実に便利だ。今度マルクに会ったら礼を言わねばなるまい。


「あとは……そうですね。曲の勉強もいいですが、こちらにいる間に女王陛下を拝顔できれば嬉しいですね」


 しれっと女王の話題を出す。それとなく老人の様子を観察してみるが、大きな変化は見られない。

 だが、小さな変化はあった。老人が少しだけ眉を寄せ、口を開く。


「女王陛下は――」

「大臣殿」


 最初から老人――大臣の背後にはいたものの、黙ったままだった灰髪の兵が口を挟んだ。兵に遮られた老人は表情を渋いものにし、続きを話さない。

 ようやく喋りだしたと思ったら、女王の話題ではなくなっていた。


「おや、何を言いたかったのか忘れてしまいましたな。年を取ると物忘れが激しくて困ります。さて、あまり長々と話していては祈祷の邪魔になるでしょうし、これにて退散するとしましょう」


 大臣は柔和な笑いを残し礼拝堂を去って行った。老人の背を見ながらゼフィールは小さく舌打ちをする。


(また《ザーレ》の連中か。重要なところは全て彼らが邪魔をする)


 大臣はアレクシアを知っている感じだった。兵が邪魔さえしなければ教えてもらえただろう。

 だが、現実は何も聞きだせなかった。人があてにできないのであれば、自らの足で探すしかない。


 もはや神像を見ず、ゼフィールも礼拝堂を後にした。



 ◆


 それからも何の情報も得られず、日数だけが流れる。

 あまりの手掛かりのなさに焦りすら感じ始めていた頃、ゼフィールがそこに居合わせたのは偶然だった。


 女王の部屋の前にいた兵が持ち場を離れたのである。すぐに戻ってくるだろうと物陰から様子を見ていたが、兵は中々戻って来ない。


 周囲に誰もいないのを確認すると、女王の部屋の前へ駆け寄る。そして、扉の取っ手に手を掛けた。ノブを回そうとするとわずかな抵抗を感じる。目を向けてみると、ゼフィールの手元には多くの精霊達が集まっていた。抵抗の原因は彼らのようだ。


『お前達がお母様を守ってくれている精霊達か? 俺は彼女の息子だ。お母様に会いたい。通してくれ』


 力づくでも押し通れそうな感じだったが、どうせなら友好的な方がいい。声を掛けてみたらすんなりと扉が開いた。

 誰かに見咎められる前に素早く部屋に入る。


 扉をくぐると空気が一変した。何が変わったのか、はっきりとは分からない。けれど、外とは空間そのものが隔絶されている。そんな気がする。

 そんな現象が起こっているのは、きっと、この部屋の主に関係があるのだろう。


 ゼフィールは目の前の寝台に掛かる天蓋をくぐり、そこに横たわる女性に目を落とした。

 手入れの行き届いた長い青髪の女性が横たわっている。睫毛の長い端正な顔立ちは、記憶の中の彼女から幾分も衰えていない。別れた時そのままの容姿を保ったアレクシアの姿がそこにはあった。


「お母様……」


 寝台の脇に膝立ちになり彼女の手を取る。

 その手からは一切の熱が感じられず、脈も無い。顔色は土気色で、生気の欠片も感じられなかった。眠りは眠りでも、永遠の眠りについているかのようだ。

 事前にフレースヴェルグから眠っていると聞かされていなければ、亡くなっていると勘違いしただろう。


『戻ったか、王子』


 アレクシアの周囲に漂っている光から思念が流れ込んでくる。これも彼女を守っている精霊だろう。ここにいるなら様々な事情を知っている可能性が高い。尋ねてみることにした。


『お母様は眠っていると聞いたが、詳しくはどういう状態だ?』

『生きてはいない。だが、死んでもいない。時の狭間を漂っている』

『時の狭間? どういうことだ?』

『眠りにつく前、彼女は死に限りなく近い状態であった。それを、フレースヴェルグの力を借りて、時を止めている』

『時を動かしたらどうなるんだ?』

『今のままなら死ぬだろうな』


 精霊の言葉に、アレクシアを握る手に力が入る。

 眠っている彼女さえ見つけ出せれば全て解決すると思っていた。眠りから目覚めさせれば事態は好転すると、根拠も無く思っていた。

 困ったことがあっても、いつも笑いながらこなしてしまう。アレクシアはそんな女性ヒトだった。このままでは死ぬと言われても、ピンとこない。


『なんで……。なぜそんな事になっているんだ!? お母様を助ける方法はないのか?』

『彼女の身体は毒に侵され弱り切っている。その上に呪いに蝕まれているのだ。まぁ、毒だけなら、時間を掛ければ自力で代謝出来よう。しかし、呪いの元を絶たねばそれもままならぬ。それが為されぬ限り時は動かせない』

『呪いの元? 誰がお母様を呪うというんだ?』

『《ザーレ》。かの国から呪いは飛んできている』


 また《ザーレ》だ。《シレジア》にとって不都合な事は全て《ザーレ》に帰結する。名しか知らぬ隣国は、大切な故国に何をしてくれているのだ。


 ゼフィールはアレクシアの手をそっと寝台に戻すと、彼女に背を向けた。


『行くのか?』

『それしか方法は無いのだろう?』

『王子よ、フレースヴェルグはお前の力だ。上手く使うといい』


 振り向かず頷く。外へ戻る為、ゼフィールは再び扉を開いた。


「!?」


 顔の前に突然剣が突き付けられた。驚いて部屋の中へ戻ろうとしたが、肩を掴まれ強引に前へ引きずり出される。そのまま床へと組伏せられた。


 衝撃で視界が揺れる。何が起こったのか分からぬゼフィールの目の前で、一人の兵が女王の部屋の扉に触れ、弾き飛ばされ盛大に転がった。一方で、扉はゆっくりと閉じて行く。


(精霊の許しがなければああなるわけか)


 ぼんやりと様子を眺めていると、背に掛かる圧力が強くなった。ゼフィールを押さえつける力を強めながら、兵が頭上から言ってくる。


「貴様、どうやってこの部屋に入った」

「普通にそこの扉を開けて入っただけだが」

「嘘を付け!」

「ッ!」


 背を強く殴られた。あまりの痛さに身悶える。嘘はついていないのだが、兵は納得しないようで、拘束する力を益々強くして問いを重ねてくる。


「正直に答えんと更に痛い目をみるぞ!」

「嘘などついていない! 俺は弾かれなかった」


 また殴られたが、嘘をついていない以上どうしようもない。それに、この中にいるのは動けぬアレクシアだ。彼女の身に危険が及ぶような事だけは避けねばならない。

 背の上の兵と変わらぬやり取りをしていると、弾き飛ばされた兵も戻ってきた。戻ってきた彼はゼフィールの前にしゃがむと、腰に下げた大きな袋の中身を取り出す。


「落ち着け。大方何かの魔法を使ったのだろう。これが何だか分かるか?」


 鼻の前に突き付けられた珠にゼフィールは総毛立つ。逃げようともがくが、上に乗る兵が邪魔で動けない。

 そんなこちらの様子を見て、兵はニヤニヤと笑った。そして、もったいぶるように珠を近付けてくる。


「嫌だ。止めろ……」

「こいつが嫌いなら、次、目が覚めた時に洗いざらい喋ってくれな? 魔力持ちの連中は、これを嫌ってくれて本当に助かる」

「止め――」


 珠が触れた所から猛烈な勢いで魔力が吸い取られていく。ゼフィールの拒絶の言葉は最後まで発せられる事無く、意識が途絶えた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 装飾やら造型やらを語るときの夕立さんの表現は実に美しい……。 ボンクラではああは書けませんわ……。(羨望)
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