4-4 入国
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レンツブルクを出発して数日後。数十台の荷馬車と百名程の兵から成る交易隊は《シレジア》との国境に辿り着いた。
関所では相変わらず検問が行われており、多くの人々が困り顔でたむろしている。
「そこの隊、止まれ」
例に漏れず、交易隊も関所で止められた。隊長は隊の行進を止めると、灰色の髪をした警備兵の元へ馬を寄せ、懐から二通の書状を取り出し渡す。
「警備御苦労。こちらが女王からお預かりした朱印状だ。確認なされよ」
「確かに。こちらのもう一通は?」
「今回は王子の要望で詩人殿をお連れしている。それが王子からの嘆願書だ。入国に差し支えは無いだろうか?」
「中身を拝見しても?」
「むしろ読ませて判断を仰げと仰せつかっている」
警備兵は頷くと書面へ灰色の目を走らし、難しい顔をした。
「これは……。私では判断しかねますね。上に判断を仰がないと」
「許可が降りるまで入国できない、と?」
「詩人殿だけ別行動では駄目なのですか?」
「王子から、入国まで責任を持って世話をするよう言われている。お一人だけお残しするわけにはいかない」
「そうですか。しかし、積荷が積荷ですからねぇ」
チラリと荷車の方へ視線を向けた警備兵が困り顔になる。
「分かりました。特例でお通しします。ですが、本城から連絡が来るまでロードタウンから出ない事。許可が下りなかった場合は素早く出国していただく事。これが条件です。よろしいですか?」
「貴殿が融通のきく者で良かった。お陰で私は王子にお叱りを受けずに済む」
隊長は豪快に笑うと隊を前進させた。
ゆるゆると、交易隊は《シレジア》の地へ入る。隊を進ませながら、隊長がゼフィールの乗る幌付きの荷馬車へ馬を寄せてきた。
「――そういう訳で、しばらくは自由というわけには行きませんが」
「いえ、個人では入国すら出来なかったので、この地に残れる可能性を作ってもらえただけでも感謝しています」
「そう言って頂けると私も助かります」
隊長はニカッっと笑うと荷馬車から馬を離し、少し前方を進み始めた。
彼の進む街道は冷たい風が吹き抜けて行くだけで、閑散としていてもの寂しい。先に見える空はどんよりと重い雲に覆われており、気分を更に暗くさせる。
ゼフィールの中の《シレジア》とは随分と違う風景であるが、記憶が美化されているだけで、現実は昔もこうだったのかもしれない。
もはや必要無いであろうフードを外すと、ゼフィールはぽつりと呟いた。
「ただいま」
◆
旅は順調だった。進むほどに寒さが厳しくなり、地や草木には強い霜が降りていたが、雪は降ってこない。お陰で進みやすいと隊長が喜んでいた。
ただ、雲が晴れない。昔は雪の降らぬ日は高い青空が見えたものだが、今は常に重い雲が空を覆っている。
それに、大気がとても薄く感じられた。
《シレジア》の空気はもっと力がこもっていた気がするのだが、今周囲を包むそれからは、わずかな魔力は感じるものの、とても薄い。
交易隊の目的地、ロードタウンではその傾向がさらに強かった。大気に魔力を感じないどころか、逆に力が抜けていくような感覚すらある。
ロードタウンは《シレジア》の中でも唯一対外に向けて開かれた街だ。
西の《ザーレ》、南の《ドレスデン》との交易の中心地であり、全ての対外取引はこの街で行われる。街壁を持たぬ街には白亜の建物だけが立ち並び、周囲が白一色になる。全ての建物が白亜の石材で作られているのが《シレジア》の特徴だろう。
それまで荒涼とした景色ばかりが続いていたが、ロードタウンの中は人が行きかっていた。
しかし、非常に違和感がある。
店舗の中で働く人々の多くは青き血の民のようだが、通りを歩く者は国外人に見える。あれだけ関所で入国制限しているにも関わらず、だ。
それでも、ここは交易の中心地だ。携わる者達が長期滞在しているというのなら、分からなくはない。しかし、通りを歩く者達の多くは兵や貴族といった装いをしており、商人にはとても見えない。
ゼフィールが人並みを観察している間も交易隊は白亜の街並みを進み、中心地に建つ一際大きな宮殿に辿り着いた。
(今頃辿り着いてもな)
建物を眺め、片方だけ口元を上げる。この屋敷は王家の離宮の一つだ。七つの時、非難先としてゼフィールが目指した場所こそがここだった。
外に開かれている街だけあり、ここには兵力が多目に配備されていた。
故に、何かあっても対処できるだろうという事で選ばれたのだと思っていたが、今にして思えば、有事には素早く亡命できるようにとの意図もあったのかもしれない。
もっとも、今となってはどうでもいいことなのだが。
荷馬車を降りると、ゼフィールは隊長や数名の兵達と共に宮内へ入った。そんな彼らを小太りな男が玄関ホールで出迎える。
「これは《ドレスデン》のお客様方。ようこそいらっしゃいました」
「お久しぶりです太守殿。今回もしばらく滞在させて頂きますので、よろしくお願い致します」
太守と呼ばれた男と隊長が握手を交わす。太守というくらいなので、彼がこの街の最高権力者なのだろう。
しかし、解せない。この男の髪と瞳の色も灰色だ。
《シレジア》には元々人種による差別は無かったように思える。有能であれば、どこの国出身でも働けるだろう。だが、関所や交易の中心地といった国防や国政の重要部分に、青き血の民以外がいすぎる気がする。
「こちらが連絡のあった詩人殿ですかな?」
自分の話題が耳に入り、ゼフィールは意識を思考から切り替えた。きちんと太守の方を見てみると、彼もこちらを見ている。上から下まで舐めまわすような嫌な視線だ。
なんとなく逃げたくなったが、そういうわけにもいかない。仕方なしにゼフィールが愛想笑いを浮かべると、隊長同様に手を差し出された。
「ロードタウンの太守だ。この街に滞在中は、ここが自分の家と思いくつろぐといい」
「ゼファーと申します。お心遣い感謝致します」
握手を返すと、太守が指でゼフィールの手の平をくすぐってくる。何かを言いたいのかもしれないが意味が分からない。だが、非常に嫌な感じがする。
手を離すと、太守に見られぬようマントで手を拭い、さり気なく彼から離れる。離れたのに、太守はこちらに近付いてきた。
「そなた、わ――」
「ところで太守殿、荷の受け渡しはいつもと同じでよろしかったですか?」
「ん? ああ、同じでお願いします」
「では、そのように。ゼファー殿、我々は業務に戻りますが、なんなら見学でもなさいますか?」
「見学、ですか?」
隊長の言葉は、明らかに、太守の発言に被せられていた。しかし、話題は全く重要そうに思えない。隊長がそんな言動をとった理由が分からず、ゼフィールは首を傾げた。
しかし、一瞬後にその真意に気付く。
隊長はゼフィールと太守の間に絶妙に身体を入れて、太守のそれ以上の接近を防いでくれている。逃げる口実を作ってくれたのだろう。
「物珍しくて面白そうですね。お邪魔でなければ是非――」
「待ちたまえ。そなたには兵達とは別に部屋を用意させている。後で案内させるのは手間だから、先に確認して行きなさい。これ、誰か」
太守がパンパンと手を叩く。すると、一人の少女が柱の陰から出てきた。
ゼフィールは既に半分ほど背を向けていたが、案内人まで連れ出されてしまっては、太守を無視できない。
「隊長殿、申し訳ありませんが」
「いえ、構いません。我々は現場に行きますが、興味があればいつでもどうぞ」
隊長以下兵達は折り目正しく敬礼すると荷馬車の方へ戻って行った。彼らを見送り、ゼフィールはやってきた少女へと視線を移す。
清楚な服で身を包んだ彼女は、陰から出て来た時と同様に顔を伏せたままだ。だが、耳の下の長さに切り揃えられた柔らかそうな髪の色は青。自然と、瞳の色も青だろうと期待してしまう。
そんなゼフィールの物思いを遮るように、太守の声が耳に入り込んできた。
「部屋へはこの者が案内する。あと、身の回りの世話もやらせよう。何かあれば言いつけるといい。粗相の無いようお世話するのだぞ」
「かしこまりました」
少女が太守へ深く頭を下げる。
「それではお部屋へご案内致します。どうぞ」
頭を下げたままそう言うと、彼女は背を向け歩き出した。今なら少女の頭は上がっているが、前にいるため顔が見えない。少し残念に思いながら、ゼフィールは後をついて行く。
久しぶりの離宮は通る場所全てが懐かしかった。たまにしか訪れていなかったとはいえ、確かにここを走り回っていた頃があったのだから、当然だろうか。
階段を上り、一つの部屋の扉を少女が開いた。
「こちらです」
「ありがとう」
再び頭を下げてしまった彼女へ礼を言い部屋へ入る。
案内された部屋は離宮では一般的な客室の一つだった。部屋に入ってすぐの場所に暖炉があり、その前に背の低い机とソファ、椅子が置かれている。部屋の奥には柔らかそうな寝台があり、窓にはビロードのカーテンが引かれていた。
正直、今のゼフィールには豪華すぎる部屋で少し落ち着かない。この街にいる間の監視を兼ねてなのだろうが、使用人まで付けてくれるとは、高待遇過ぎて怖いくらいだ。
あてがわれた少女を見ると、未だに顔を下げたままだった。
「あの、顔を上げてもらえませんか? 俺は隊長達と違い身分があるわけではないし、できれば普通に接してもらいたいのですが」
「はい」
少女の顔が上がる。ようやく顔を上げてくれた彼女の瞳は予想した通りの青。美人と可愛らしいの中間の容姿を持った少女で、繊細な雰囲気といい、なんとも《シレジア》人らしい人物だ。
ゼフィールを見た少女が、柔らかそうな唇を小さく動かしたが、何を言うでもなく口を閉じる。
「何か?」
「あ、いえ。何でもございません。失礼致しました」
「?」
何も無くはないと思うのだが、そう言われてしまうと追及できない。とりあえず忘れることにして、荷を置きマントを脱いだ。脱いだ物を適当にソファに置こうとしたら、少女が受け取りコートハンガーに掛けてくれる。
「自分のことは自分でできるので、ゆっくりして頂いて構いませんよ?」
「貴方のお世話は私が賜った仕事ですから」
そう言っている間にも、彼女はゼフィールが置いた荷が邪魔にならぬよう収納していく。あっという間に片付けは終了し、何も気にせずゴロゴロできる状態になった。素晴らしい手際である。
礼を言おうとして、彼女の名を知らないことにゼフィールは気付いた。
「俺はゼファーと言います。貴女の名前を聞いていいですか? 今のままだと呼べないので」
「ゼファー……様でいらっしゃいますか?」
少女はゼフィールの名を何度か呼びながら、不思議そうな表情で彼を見る。しばらくすると、はっと顔を赤くし、はにかみながら微笑んだ。
「はしたない真似をして申し訳ございません。エレノーラ・ノースコートと申します。エレノーラとお呼びください」
その名を聞いてゼフィールは彼女を凝視した。彼女の名乗った名は、幼い頃に決められた許嫁の名だった。




