4-2 十字石
牢から出ると、マルクは本城へと連結する廊下を選び歩きだした。彼にゼフィールも続く。
窓から差し込む光は茜色になっており、外を覗いてみれば、薄らと紺色のベールが見えた。まだ日が高い頃に城を訪れたはずなのに、随分と長い間牢に放り込まれていたものだ。
外を眺めるゼフィールに並び歩きながら、マルクが話を振ってくる。
「それで、アタシに会いに来たってことは、国に帰る気になったのかしら? それとも、それ以外?」
「両方だな」
「そうなの? まぁ、ゆっくり話も聞きたいし、ご飯でも食べてく?」
ゼフィールは視線を景色からマルクへと動かし、首を横に振った。
「いや、今日は帰る。あまり遅くなるとあいつらが騒ぐからな」
マルクは一瞬キョトンとしたが、次の瞬間には、楽しいことでも思いついたのか、目をキラキラさせながら意気込んでくる。
「じゃぁ、アタシがアナタの宿に行こうかしら? 久々に二人ともお喋りしたいし」
暑苦しさが増したマルクの顔の前に手をかざし、それ以上の接近を拒むと、ゼフィールは再び首を横に振った。
「二人には聞かれたくない話がある。明日の朝、俺がここに出向き直すのでは駄目か?」
「そういうことならいいけど。ねぇ、ゼフィール――」
マルクが何かを言いかけたが続きを言ってこない。
「なんだ?」
「今はいいわ。明日お話しましょ」
それっきりマルクとの会話は無くなった。城から出る時に挨拶を交わしたくらいだ。
再びフードを深く被りなおし夜の帳の降りてきた街を歩く。
トラブルはあったもののマルクとは会えた。本格的な話は明日になってしまったが、出来としては及第点だろう。何より、日を跨がずに解放されたのが一番良かった。
ポツポツと増えてきた屋台を眺めながら、ゼフィールは宿への道を急いだ。
◆
翌朝王城を訪ねるとマルクが出迎えてくれた。むしろ、通用門で待っていた。何かと話が楽で良くはあったのだが、いつから待っていたのかと疑問が残る。
今日の彼も女装していない。ひょっとしたら、城内ではこの格好なのかもしれない。なんにせよ、精神衛生上非常に良い。
「マルク」
長い廊下を歩きながら、ゼフィールは少し前を行くマルクに声をかけた。だが、答えが返ってこない。
この、マルクのいつもと違う挙動が実に怪しかった。
いつもならうるさい程に一人で喋ってる彼なのに、今日はダンマリである。明らかにおかしい。
それに、今歩いている廊下はマルクの部屋への道とは異なるように思える。部屋が変わったと言われればそれまでなのだが、お喋りな彼なら、真っ先に言い出しそうな事だ。
廊下の突き当たりにある、衛視がいる部屋の前でマルクは立ち止った。
「実はアナタに会いたいっていう人がいるのよね」
困り顔でマルクが振り向く。誰がとも言わず、彼はさっさと扉を叩き中へ声をかけた。
「母上、マルクです。彼を連れてきました」
「入りなさい」
中からの返事に従って衛視が扉を開ける。入れということなのだろう。マルクは謝罪のジェスチャーをしながら室内へと歩いて行っている。
(これを隠していたのか)
ようやく、マルクのおかしな行動に合点がいった。
大方、門で待っていたのはゼフィールを逃がさないため。もしくは女王に命じられたから。喋らなかったのはボロを出さないためだろう。
女王の前で喧嘩など見苦しいにも程があるし、ここまできて帰るわけにもいかない。フードの下に溜め息を隠し、ゼフィールも室内へと歩を進める。
二人が部屋へ入ると後ろで扉が閉まった。
部屋の主の視線がゼフィールへと注がれる。ゼフィールはフードを取ると、その場にひざまずき頭を垂れた。
「かしこまらずとも良い。立ちなさい」
女王から許しが出たので立ちあがる。顔を上げてみると、彼女は優しい瞳でゼフィールを見ていた。
ソファにゆったりと座る女王は、マルクの母であるのが不思議な程華奢な身体つきをしている。似ているのは豊かな金髪と緑の瞳くらいだろうか。
「久しいな、ゼフィール王子」
「ご無沙汰いたしておりました。このような身形で御前に参じた事、お許し下さい」
「よい。一先ずそなたが無事であって何より。随分と立派に成長したものだ。若い頃のアレクシアに似てきたな」
「母に、ですか?」
ゼフィールは自らの顔に触れた。
幼い頃は父方に似ていると言われたものだが、顔が変わったのだろうか。
そんな彼の反応に女王はわずかに口元を緩めたが、すぐに真面目な表情になり、腕にはめたブレスレットを外した。
「積もる話をしたいところだが、私も何かと忙しくてな。早速だが用件に入らせてもらう。マルク、これを彼に」
「はい」
マルクは女王からブレスレットを受け取ると、それをゼフィールに渡す。十字模様の石が揺れる地味なブレスレット。マルクが左腕にはめているのと同じ物だ。
(《ドレスデン》王家のお守りか何かか? だが、これと似た物を《シレジア》でも見た気がする)
見たような気はするのだが思い出せない。女王の真意が分からず質問を返した。
「これは?」
「それは十字石と言ってな、持つ者同士なら、離れた場所でも意思の疎通を可能にしてくれる石だ。使用条件は五王家の血筋であること。後は、各王家に二つずつしかないから、王と王太子しか持っていないというところか」
言われて思い出す。
これと意匠は異なるものの、似たブレスレットをアレクシアもつけていた。あまりに日常の風景に溶け込んでいたせいで思い出せなかった。
だが、まだ女王の真意は分からない。ゼフィールは問いを重ねた。
「各王家に二つずつしか無いのなら、私がこれを受け取ってしまうと、この国にある物が一つになってしまうのでは?」
「心配には及ばない。一時的に貸すだけだ。そなたは《シレジア》へ帰るのだろう? 帰るべき場所に帰り、身を落ち着けたら返してくれればいい。使い方はマルクが説明する。私の用件は以上だ。下がりなさい」
口を挟む間も無く退室を命じられ、ゼフィールとマルクは女王の私室を出た。
貴重過ぎるブレスレットを受け取っていいのか判断に迷うが、今更返すのも失礼な話だ。渡すだけ渡してさっさと退室を命じたのは、受け取り拒否を防ぐためだと思えてならない。
不服な感情を込めてマルクに視線を向けてみると、彼も困ったように苦笑いを返すばかりだ。
(そういえば、こいつには、俺の事を女王が知っていた理由も聞かないとな。まったく、人を振りまわす母子だ)
善意でやってくれているのだろうが、説明が足りなさ過ぎる上に、外堀を勝手に埋められている感じがして、微妙に腹が立つ。かといって、文句を言うのははばかられる。
ままならぬ状況に、不機嫌を通り越して笑顔が浮かんだ。その顔でマルクの肩を叩く。
「まぁ、アタシの部屋で話でもしましょうか」
何かは伝わったのか、マルクは口元をひきつらせ肩をすくめた。
マルクの部屋は、一角を除けば、落ち着いた調度品の並ぶ質素な部屋だった。その一角にある鏡台の上に並ぶ化粧品の数々。一見して、こここそ彼が化物に変身する現場なのだと分かる。
なるべくそちらは見ぬよう気を付けながら、ゼフィールは部屋の入り口付近に設えられた応接セットへ向かった。
「お前が王太子だったんだな」
「そういえば言ってなかったわね。決まっちゃった時はアタシも驚いたわ~。家族はもっと驚いてたけど。ほら、うちって女系家族じゃない? ここ最近もずーっと女王が続いてたし。プラプラ遊んで暮らせると思ってたんだけど、気付いたら儀式通過しちゃってて」
マルクがやる気の無い言葉を吐きながらドッカリとソファに沈み込んだ。ゼフィールはマントを脱ぎ対面のソファに腰かける。柔らかなクッションに体重を預けひと心地つくと、マルクに尋ねた。
「その、儀式というのは何をするんだ?」
"儀式"――五王国のみで採用されている後継者の選定システムだ。
この大陸には五王国と呼ばれている国がある。
風の国《シレジア》
木の国《ドレスデン》
水の国《ライプツィヒ》
火の国《ハノーファ》
土の国《ブレーメン》
この五国で、他国とは違い国名に冠詞を持っている。国力とは関係が無く、慣習として呼ばれているところも大きい。
一般には知られていないが、その五王国の王家――通称五王家に産まれた者は、一五の歳に儀式を受ける。そこで後継者に相応しいか否かの判定を受けるらしいのだが、詳細をゼフィールは知らない。
知っているのは、後継者の選定基準に、産まれの順や性別が関係しないというくらいだ。
「残念だけど儀式の内容は教えられないの。まぁ、受ける時を楽しみにしておくといいわ」
マルクが人差し指を口にあて内緒のジェスチャーをする。彼には悪いが、筋骨逞しい大男がやると気持ち悪いことこの上ない。
ゼフィールがゲンナリと視線をマルクから外すと、部屋の扉がノックされた。
マルクが返事をすると侍女達が入ってくる。彼女らによって、二人の間にある机の上はあっという間に料理で埋め尽くされた。その途中で何を飲むかと尋ねられ、選択肢の中に紅茶もあったのでそれを貰う。マルクにはコーヒーを用意し、侍女達はさっさと退室していった。
いれてもらった紅茶を一口飲む。《シレジア》で飲んでいたものとは少し違うが、随分と懐かしい味がした。紅茶やコーヒーは嗜好品で、庶民が普段飲むには高価過ぎる。
どれだけぶりに飲んだのかと考え、それだけ国に帰っていなかったのだという事実に気付かされた。同時に、もう一つの問題にも思い至る。
カップを受け皿に置き、後ろにもたれかかり天井を仰いだ。
「女王の口ぶりだと、俺は城に戻らないとならなくなったみたいだな」
「あー。そういえばそうね。アナタ、城に帰るつもりは無かったんだったかしら?」
「そうも言ってられなくなったみたいだけどな。お母様の事も気になるし、戻った方がいいとは思うんだが」
瞳を閉じ昔を思い出す。
厳しくも優しかったアレクシア。今では唯一人の肉親。彼女も命を狙われていた。今どうしているのか、安否は非常に気に掛かる。
だが、それはそれとして。と、ゼフィールはマルクへと視線を戻した。
「どうして俺がここに来るのが陛下にバレたんだ?」
「あ、それ?」
取り皿に揚げた芋やソーセージを山盛りにしていたマルクの手が止まった。彼は気まずそうに視線をさ迷わせ、苦笑いを返す。
「指輪の騒動が母上の耳にも入っちゃって、問い詰められたのよね。で、つい喋っちゃって。あ、怒らないで! 仕方ないじゃない! アナタも知ってるでしょうけど、母上が怒ると本気で怖いのよ! 軽く半殺しにされるんだから!」
何やら必死で言い訳するマルクを怒るのも馬鹿らしくて、溜め息をついて忘れる事にする。バレてしまった事を今更とやかく言ってもどうしようもない。
それに、彼に頼み事をしに来た身だ。ここは引くべきだろう。
「もういい。それよりマルク、頼みがある」
「あ、そうだったわね。何かしら?」
「俺は一人で《シレジア》に行く。その間、ユリアとリアンを保護しておいて欲しい」