4-1 ざわめく心 ◇
久方ぶりに訪れたレンツブルクは郊外で育てられている作物が変わっていた。今、耕作地に植えられているものは麦。それはつまり、季節がこれから冬へと向かって行くことを示している。
昔と同じ安宿に部屋を取り、双子と別れたゼフィールは、王城へと続く通りを歩いていた。
木造煉瓦造りの家々が立ち並ぶ通りは落ち着いていて、質素ながらも安心感がある。屋台でごった返す夜の街も嫌いではないが、学問の街としての昼の顔の方が好みではある。
紅葉した街路樹の落ち葉が赤や黄の彩りを添える道を抜け、城門へと続く橋へ辿り着いた。
四頭立ての馬車でも余裕で離合できるほど大きく長い橋なのだが、そこに長蛇の列ができている。所々で兵によって整列させられている列の最先端は城門前まで続いており、そこで検問が行われていた。
きっとこれが、入城を希望する者達の列なのだろう。
(時間が掛かりそうだな)
ゼフィールはフードを深く被りなおし列の最後尾に並んだ。
暇つぶしがてら列を眺める。並んでいる者達は商人風の装いの者から文化人、一般人と実に様々だ。城に入りたい理由を兵に申告するようだが、弾かれている者の方が圧倒的に多い。
武器を携えた男が兵に伴われ主門の脇にある通用門から中へと入って行った。彼には許可が降りたようだ。しかし、後にも先にも、彼以外で入城を許されたのは極わずか。審査は思っていたより厳しい。
「次の者、前へ」
ゼフィールに声がかかった。呼んだ若い兵の前へ行き軽く頭を下げる。
「名前と城を訪れた目的は?」
「ゼフィールと申します。マルガレーテ様にお会いしたく城を訪れました」
マントの裾から左手を出し、指にはめた指輪を見せる。マルクから預かった《ドレスデン》王家のレリーフ入りの指輪だ。
最初、兵はゼフィールが手を出した理由が分からなかったようだが、指輪を見て顔色を変えた。
(指輪の意味には気付いたな。すんなりいきそうで良かった)
兵の様子に、ゼフィールはほっと胸をなでおろす。
しかし、安堵とは裏腹に、次の瞬間兵に腕をきつく掴まれた。兵はゼフィールの指から指輪をもぎ取り、怒気を含んだ声で尋ねてくる。
「貴様、これをどこで手に入れた? これは貴様のような下賤の者が持っていて良いものではない。それともアレか? 城に入るために偽物でも作ったのか?」
「違――」
「違うもクソもあるか! 先程から顔も見せぬし、怪しい奴め! 顔を見せろ!」
兵の手がフードに掛かる。隠していた長い銀髪が露わになり、周囲から感嘆の声が漏れた。だが、そんな事に兵は動じない。ゼフィールの腕を掴む力を更に強め睨みつけてくる。
「虫も殺さぬような顔をして、やる事は大胆だな。だが、貴様のやった事は重罪だ。この指輪はこれから詳しく調べる。沙汰があるまで牢に入っていてもらおう!」
いつの間にやらゼフィールの両隣りは兵に挟まれていて、軽く背を押された。歩けということなのだろうか。片方の兵を見上げると、厳つい顔で睨み返される。申し開きを聞いてくれそうな雰囲気ではない。
「随分と予想外の展開になっているが。この場合はどうしたらいいんだ? マルク」
小さくぼやくが、返事をしてくれる友はいない。
「何か言ったか?」
「いえ」
これ以上ぐずっても更に刑を重くされるだけだろう。とんだ冤罪なのだが、それを証明する術は無い。
仕方なしに、ゼフィールは兵に促されるまま足を踏み出した。
看守の詰め所ではボディチェックがあった。隠し持っている武器を探しているのだろうが、マルクと話しに来ただけなので、その類の物は持っていない。何も見つけられなかった看守達は金銭だけを没収した。
それが終わると出入り口の鉄格子が開き、前後を看守に挟まれ牢内を進まされる。薄暗い牢内は換気が悪いのか、悪臭が鼻につく。
表面上は平和なレンツブルクだが、牢に収監されている者が思ったより多い。いつだったか、賊が増えているという話を聞いたような気がするが、その辺が関係しているのかもしれない。
看守が止まった。彼は目の前の房の入り口を開けると、アゴをしゃくる。
「入れ」
ゼフィールが房に入ると、看守は入口を施錠し去って行った。
一人残されたゼフィールは、寝床らしき場所にとりあえず腰を下ろした。床より少しだけ高くなっている場所に薄い布を置いただけのそこは、何やら湿っていて座り心地が悪い。
かといって、地べたに座る気には更になれず、寝床に座ったまま壁に背を預ける。
(ラスクを逃がして来たのは正解だったな)
小さな連れを思い出して苦笑が漏れた。
《シレジア》は寒冷地の上に、これから冬を迎える。リスを連れて行くのは酷だろうと思い《ハノーファ》で逃がしてきたのだが、別の意味で正解だったようだ。
ラスクのことだ。こんな場所に入れられれば、鉄格子の隙間からどこかへ抜け出し、探すのに手間を掛けさせるだろう。
(まぁ、今はあいつどころじゃないな。どうやってここから出ればいいんだ?)
抱えている問題に頭痛がした。
牢を出なければマルクに会えない。困った問題だが、これはそんなに気にしていない。
頭を悩ませてくれるのはユリアとリアンだ。
《ライプツィヒ》で誘拐にあって以降、双子はゼフィールの帰宅予定に若干神経質になっていた。そこに追い打ちをかけるように追手の襲撃である。双子の警戒心は過去例を見ない程だと言っていい。
だというのに、ここに日を跨いで拘束されてしまっては、あの二人が騒ぎ出すのが目に見えていた。事態が更にややこしくなりそうなので、それだけは避けたい。
「よう、お隣さん。あんた何でぶち込まれたんだい?」
結局何も思いつかずにいると、隣の房から擦れた男の声が聞こえてきた。
やることも無いので話に乗るのはやぶさかではない。話をしているうちに妙案を思いつくかもしれないし、とりあえず答えを返した。
「別に。人に会いに来たら言いがかりを付けられただけだ」
「ふーん。ひょっとして、城に入れてもらう為に、その人ゆかりの物でも見せたのかい?」
「よく分かったな」
隣から乾いた笑いが響く。
「そりゃそうさ。ゆかりの物をでっちあげるのは昔からよくある手だからよ。まぁ、それくらいならすぐに出られるんじゃね? お偉いさんの物をでっち上げてたら、どうなるか分からんけど」
「迷惑な話だな。お陰で俺は牢行きだ」
「またまた~。ここにいるんだから偽物だったんだろ? あんた繊細そうに見えたけど、結構図太いな」
なんとも愉快そうに男は笑う。嘘は言っていないのだが、信じてもらえていないようだ。
なんにせよ、これ以上細かく突っ込まれると困る。話題を変えることにした。
「それで、あんたは何をして捕まったんだ?」
「俺か? 俺はアレだ。髪を少し集めていただけなんだがな」
「髪? それだけで投獄されたのか?」
「俺は綺麗な髪に目がなくてなぁ。そんな髪をした女がいると、つい欲しくなっちまう。で、ちょっと我慢できなくなって、殺して髪を一房だけ頂くっていうのを繰り返していたら、捕まっちまった」
「……」
返す言葉が見つからず、ゼフィールは口をつぐむ。
軽い感じで言っているが、男の行動は立派な猟奇殺人だ。彼が捕まってくれて、レンツブルクに住む女性達はさぞ安心しただろう。
しかし、互いに顔が見えぬせいか、男はゼフィールが引いた事に気付かないようだ。恍惚とした声音で話し続ける。
「チラっと見ただけだが、お隣さんも綺麗な髪してたよなぁ。なんならここを出る時に一房くれて行ってもいいぜ。あんた声は男だけど、美人だった気がするから、そこは目をつぶることにする」
「俺はあんたの趣味に付き合うつもりはない」
ピシャリと拒絶し、それで男との会話を終える。特に得られそうな情報はなさそうだし、これ以上付き合う必要は無いだろう。
無駄に疲れたので寝床に横になる。
置かれていた布は湿っていただけあってカビ臭い。隣人の下卑た笑いは未だ聞こえてくるし、ここにいるだけでストレスが貯まる。
イラつきに反応するように空気が動いた。風など吹くはずのない房内なのに髪が揺れる。
それに気付いたゼフィールはきつく目を閉じた。
(落ち着け。大した事じゃない)
深呼吸する。嫌な空気が肺に入ってきたが、そんな事は言っていられない。
《ハノーファ》での一件以来、自分でも認識できる程イラつきやすくなっている。感情の揺れに合わせて風が反応するというおまけ付きで、だ。
心の中でざわめく暗い感情を抑える為、ゼフィールは眠ろうと努めた。
「ちょっと。起きなさいよゼフィール」
名を呼ばれながら頬を叩かれ、ゼフィールは目を開けた。視界に広がるのはマルクの顔。反射的に殴ろうとしたら腕を掴まれた。
「アナタ寝起き悪過ぎるんじゃない!? いきなり殴りつけてくるって、どういう教育されてるの!?」
「あー。いや、悪い。無意識だ」
マルクを押しのけ身を起こす。そこで、ふと気付いた。
「ん? マルク、なんでお前がここにいるんだ? それに、女そ――」
女装していないのはなんでだ、と、言おうとして止めた。
今のマルクは化粧をしておらず服も男物。金髪を刈り上げた逞しい好青年だ。言葉は相変わらずのようだが、これくらいなら許容範囲内。余計な事を言って化物の姿になられるよりは、こちらの方がいい。
幸いマルクは気にしていないようで、手をヒラヒラさせながらいつもの調子で話しかけてくる。
「アナタに預けておいた指輪があったじゃない? あれって、リングの裏に所有者が掘ってあるのよ。で、アタシの所に確認が来て、よくよく話を聞いてみたら、どうもアナタが来たっぽいじゃない? だから迎えに来たの」
「そうか。何にせよ、ここから出れそうで良かった」
マルクと共にゼフィールが房から出ると、入れ替わりで二人の人物が中に入った。牢の中で彼らは凄い勢いで土下座し、大声で謝罪を繰り返す。
何事かと思って観察してみると、一人はゼフィールを投獄した若い兵。もう一人は彼より身なりの良い兵だ。
「マルク、彼らは?」
「ああ。そっちの若い子は命令聞き落としてたから、罰で今晩ここでお泊り。で、もう一人は彼の上司なんだけど、一緒に責任取るって聞かなくって」
「マルク様のお客様にとんだ失礼を致しました! 部下の不手際は上官である私の教育不行き届きの致す所! この際ですので、私も初心に帰るべく!!」
身なりの良い兵が熱く何かを語りだした。その傍らで、若い兵は力なく項垂れている。きっと、こってり絞られたのだろう。その上、一晩この場所であの上官と一緒とは、とんだ罰だ。
「ま、こんな感じなのよね。説得するのも面倒だし、本人のやりたいようにさせようと思って。ここにいてもしょうがないし、出ましょ」
マルクが先導して歩き出す。
それに続いてゼフィールも歩き出すと、隣の房の中から手が伸びてきた。髪を掴まれそうになって慌てて避ける。手を伸ばしたままの元隣人を睨みつけた。 元隣人は顔に下品な笑いを浮かべている。
「お隣さん、本当に冤罪だったんだな。なぁ、一房でいいんだ。頼むよ」
「断る」
「あらなに? お友達にでもなったの?」
「そんなわけないだろ」
「アナタって、良くも悪くも色んな人に絡まれるわよね」
「お前含めてな」
「ちょっとそれ、どういう意味!? まるでアタシが悪い奴みたいじゃない!?」
「いいからさっさと行け!」
立ち止ったマルクを促して先に進ませる。元隣人からは離れて行っているはずなのに、背後から追いかけてくる彼の笑い声が妙に癇に障る。
「美人さん気を付けなよぉ。あんたみたいな、光の下を歩いて来たみたいな奴がこっち側に堕ちると、俺達みたいな小者とは違って、どでかい事をしでかすんだ。臭うぜ。そんな臭いがぷんぷんしてらぁ!」
男がわめき散らした言葉と不愉快な笑いは、ねっとりとゼフィールの耳にへばりついて離れなかった。




