3-16 決意
目が覚めたゼフィールは天井を見つめたまま寝台で横になっていた。
相変わらず酷くダルい。身体を起こすのも面倒で、横になったまま転がり体の向きを変えると、寝台に座るユリアが見えた。
彼女の背中にはクッションが入れられ、楽な姿勢で座れるよう配慮されているようだ。
そんなユリアにリアンが何かを食べさせている。リアンが差し出す匙をユリアが口にする様子を、ゼフィールはぼんやりと眺めていた。
(昼か)
なんとなくそう思った。朝食を食べて寝たばかりのような気もするが、身体は空腹を訴えている。ユリアに倣って何か食べるべきなのだろう。
起き上がるのを拒否する身体を叱咤して身を起こす。
物音でゼフィールが起きたことに気付いたのだろう。リアンが顔は動かさぬまま声をかけてきた。
「おはよう、ゼフィール。良く寝てたね」
「もう昼か?」
「そうだよ。ユリアがね、お腹空いたって言うから調理場を借りてスープ作ったんだ。僕、料理が得意で良かったよ」
ゼフィールもリアンの傍らに行くと器の中を覗いた。具だくさんなスープのようだが、丁寧に煮込まれ原型はほぼ残っていない。これならユリアでも食べやすいだろう。
彼女は二週間弱も固形物を食べていない。下手な物を食べさせては胃が驚いて吐き出してしまう可能性があった。しかし、宿の主人にはユリアが病だと告げていないので、病人食を頼むわけにもいかない。
リアンが料理上手であってくれたのは幸いだった。
「リアンが料理上手で良かったな」
ユリアに笑いかける。
彼女は朝の事をまだ覚えていたのか、一瞬頬を膨らませた。けれど、すぐに機嫌をなおし笑顔を浮かべる。悪気が無かったことは分かってくれているようだ。
「本当。今夜は何を食べさせてくれるのかしら?」
「え? 今から夜の話なの? うーん、まだ胃も本調子に戻らないだろうし、やっぱりコレかな」
「なんかテンション下がったわ」
明らかに残念そうな表情を浮かべたユリアが微笑ましい。食欲が出てきたのなら回復も早まるだろう。
「しばらくは我慢するんだな。リアン、俺、先に飯食べに行ってくるから、後で代わろう」
「うん、行ってらっしゃい。ゆっくりでいいよ。はい、ユリアはこっちね」
ぷーっと不服そうな顔に戻ったユリアの頭をぽんぽんと軽く叩き、ゼフィールは部屋を出た。ふらつかずに部屋から出れて胸をなでおろす。
(もう少しは頑張らないとな)
貧血を起こしているなどと知られては、彼女はまた血を拒絶するだろう。もう少し回復してくれるまでは、ユリアに体調不良を知られるわけにはいかなかった。
◆
翌朝を最後に、ユリアに青い血を飲ませるのを止めた。本当はそれすらも飲ますか迷うレベルだったが、駄目押しで飲んでもらった感じだ。
復調の軌道に乗ったユリアの回復は早かった。
それでも、それは病状に関しての事だけで、長らく寝たきりだった身体の衰弱はどうしようもない。病が癒えてくると体力以上に動きたがり、今度は彼女が無理をしないように見守る仕事ができた。
「少し休憩にしよう」
ゼフィールは肩で息をするユリアに声をかけ、地べたに腰を下ろした。
ユリアも剣を鞘にしまうと、ゼフィールの横に来て座る。そして、右手を掲げ空を仰ぐと眩しそうに目を細めた。
「ゼフィールに手も足も出ないなんて、凹むわ」
「数日前まで寝たきりだった奴に負けてもな。というか、歩けるようになった途端に手合わせしたいなんて言い出すのは、ユリアくらいだと思うぞ」
「そうかしら?」
「そうだよ」
「ふーん」
ユリアは立てた膝の上に腕を組み、その上に頭を載せながら、ゼフィールの方を向いた。
それから特に何を言ってくるわけでもないが、ずっと見られていると気になる。
「何だ?」
「最近マント被ってないなと思って」
「ああ、それか。ユリアが寝てる間に顔がバレたからな。隠すのも今更だし、こっちの方が村の人達の対応が柔らかくて過ごしやすいな」
「そうなの?」
のんびりと喋っていると、果物籠を抱えた女性が二人の側にやってきた。彼女は軽く会釈しながら微笑みかけてくる。
「彼女、随分と良くなったのね。診療所で見た時はもう助からないと思ったのに」
「あの時診療所にいたのか?」
「ええ。ああ、そう、これ。その子のお見舞いと、薬のお礼。お医者様に聞いたの。あなたが薬の原料を採ってきてくれたって。お陰でうちの主人の病が治ったのよ。ありがとう」
女性は深々と頭を下げ、果物籠を置いて去って行った。
ゼフィールは彼女の背中を見送ると、果物籠の中を覗きこんでいるユリアに笑いかける。
「良い事もあるだろう?」
「本当。ここの人達って何かと親切よね」
ユリアが果物籠の中からベリーを見つけ出し口の中に放り込んだ。酸っぱかったのか、眉間に皺を寄せなんとも言えない顔になる。
ゼフィールも食べてみると確かに酸っぱい。ユリアと同じく顔をしかめ、思わず二人で噴き出した。
「平和ね」
「そうだな」
この村に初めて訪れた時は空気も霞んでいたし、謎の流行り病で重苦しい雰囲気が漂っていた。
しかし、薬が量産できるようになったお陰で病は収束の方向に向かっており、新たな発病者もいない。未だ病を患っている者はいるが、それもいずれいなくなるだろう。
病から解放された村は気持ちの良い涼風が吹き、穏やかな空気が流れていた。
「なぁ、ユリア。プライベートを覗くようであれなんだが。竜穴で俺達と別れた後に何があったんだ?」
「竜穴?」
キョトンとユリアが目をぱちくりさせた。思い出すように斜め上を見ていた彼女だが、急に表情を厳しいものに変え、ゼフィールの腕に掴みかかる。
「あいつは!? ヨーナスはどうしたの!?」
「残念だが彼は助けられなかった。俺が見つけた時はもう亡くなってて、お前を連れ帰るだけで精一杯だった」
「そう……」
ぽつりと呟き、ユリアが空を見つめる。
不思議だった。
ユリアならどんなに嫌いな相手でも、亡くなったと聞けば涙の一つでも流しそうなものなのだが、その気配は無い。涙すら出ないほど嫌いだったのか、悲し過ぎて涙すら出ないのか。
無表情な顔からは判別がつかない。
「ゼフィール知ってる? あいつ、ヨーナスって、《ライプツィヒ》の貴族が雇った刺客だったのよ」
「何?」
ユリアが漏らした言葉の意味が分からず、ゼフィールは疑問を返した。こちらの声が聞こえているのかいないのか、遠くを見ながら彼女は続ける。
「あんたを傷付けないで捕まえるために心を折りたかったんだって。その為にエミちゃんとお母さんを殺して、私も誘いだして襲ってきた」
「待ってくれ。どういう――」
「あいつに殺すって言われたからって、大人しく殺されるわけがないじゃない? でも、悔しいけどあいつの方が私より強かった。それでも、私はあいつを止めたかった。私の次はリアンで、最後はあんたに被害が及ぶのが分かってたから」
ユリアがゼフィールを見た。その目には涙があふれ、今にも零れ落ちそうになっている。
「でも、駄目だった。私はあいつに追い込まれる一方で、あのままだと確実に殺されてたの。そんな時に、竜の死骸が動き出してあいつを貫いたわ。そのままブレスを吐かれちゃって何も分からなくなったんだけど。そう、あいつ死んだのね」
泣きたいのに笑いが出る。そんな歪んだ顔でユリアは笑う。
彼女の笑顔を見てゼフィールはギョッとした。
その顔は歪んでいた頃のヒルトルートに似ている。ヨーナスとの間に何があったのか細かい事は分からない。けれど、その一件がユリアに悪影響を与えたのは間違いない。
ゼフィールは立ちあがるとユリアの腕を掴み、彼女も強引に立たせた。
「休憩は終わりだユリア。剣を持つんだ」
「何なのよ急に? さっき休憩始めたばかりじゃない」
「いいから。余計な事は考えるな。何も考えられなくなるくらいまで疲れて、嫌な事は忘れろ。それに、考えるのは不得意だろう?」
ユリアに細剣を向ける。
けれど、彼女は動かない。何を言っているんだという表情でゼフィールを見ているだけだ。
けれど、構えてさえいないユリアをゼフィールは横から剣で薙いだ――彼女が十分対応できる程度に手加減して、だが。
狙いどおり、ユリアは鞘に包まれたままの剣で白刃を受け止めてくれる。驚いた表情にもなった。だが、やり返してこない。
それでも、ユリアを誘うようにゼフィールは打ち込みを続けた。しばらく続けていると、ようやくやる気になったのか、彼女が剣を抜く。
「私はっ!」
剣を打ち込みながらユリアが叫ぶ。
「また守れなかったの! あいつを殺してでもあんた達を守ろうと思った。でも! 結果はあんた達に心配を掛けるばかりで……」
ユリアの叫びを聞いた村人が何事かと集まってきた。宿の隣にある空き地で手合わせを行っていたため、少ないながらも人通りがある。
しかし、そんな事すら目に入っていないのか、彼女の独白は続く。
「私は自分すら守れなかったの……。なのに、あんたを守りたいなんてお笑い草よね」
ユリアは力無く剣を打ち込むと、涙を流して動かなくなった。
守りたいのに守れない。その現実が彼女を苛んでいるのだろう。
ゼフィールはこれまで守られてばかりだった。だが、今は守りたい者がいる。双子に何かがあった時、彼らを救えなければユリアと同じ気持ちを味わうのかもしれない。
細剣を鞘に仕舞うと、ゼフィールは村人達から彼女が見えなくなるように立ち位置を変え、そっとユリアの背を叩き、あやしてやった。
泣きたい時は泣くのが一番だとは思うのだが、場所が悪い。彼女の耳元に顔を寄せ、囁いた。
「ユリア、部屋に戻ろう。そこで思いっきり泣けばいい」
ユリアが頷いたので、貰った果物籠を回収して宿へ戻る。途中心配した村人に話しかけられたが、愛想笑いでやり過ごした。
部屋に戻ると、ユリアは毛布に包まり、赤ん坊のように丸くなって再び泣きだした。
(昔、こんな事があったな)
二人とも幼かったずっと昔。あの時泣いていたのはゼフィールで、慰めてくれたのはユリアだった。彼女が撫でてくれた手は温かく、心を落ちつかせてくれた気がする。
(頭を撫でれば、少しでもユリアは落ち着くのか?)
手を伸ばしかけ、止めた。普段やらない事をしようとしても火に油を注ぐだけだ。こういう時に限って、適任者のリアンがいない。
(駄目だな、俺は)
何も掴まなかった手で拳を握る。爪が皮膚に食い込んだ。
大切なものが守れないたびに彼女は傷付くのだろうか。それが、自分の過失でないとしても。
今回の悲劇の責任はユリアに無い。責任をと問われるのならば、ゼフィールこそが原因たりえるだろう。
(なぜ俺以外を狙う)
聞かされた行動理由はあまりに理不尽で、止めろと腹の底から叫びたかった。握った拳を叩きつける場所も無く、さらに強く握り締める。
今回の件で、ゼフィールの周囲にいるだけでも被害が及ぶと判明してしまった。ユリアはなんとか命を取り留めたが、エミ母子は助けられなかった。今後もこんな事が続くのなら、被害者は更に増え、双子の命も危険に曝されるだろう。
「帰ろう。《シレジア》に」
ぽつりと呟き、何の変哲もない壁――《シレジア》の方向を眺めた。
青き血の民に紛れれば、わざわざ特定個人を狙わないはずだ。それに、今の《シレジア》は入国が厳しい。刺客もそう簡単には追いかけてこれないだろう。
今度は別の件で狙われるかもしれないが、それはそれで対処するしかない。今はとにかく、双子を危険から遠ざけることが優先だ。
(お前達まで巻き込まれる必要は無い)
未だ止まぬユリアの啜り泣きを聞きながら、ゼフィールは一人、決意を固めた。
今回で《ハノーファ》編はお終いになります。
次回は幕間を一話挟みます。
引き続きよろしくお願い致します。