3-14 消えかけの命
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ゼフィールが診療所に入ると人々の視線が集中した。
本来ならば診察順を待たねばならないのだろうが、ユリアを見た人々が優先して医者のもとへ導いてくれる。
診察室に据え付けられている寝台にユリアを寝かせ、ゼフィールは医者に懇願した。
「お願いです。ユリアを……彼女を助けて下さい」
「どうしてここまでなるまで彼女を放っておいたんだね?」
ユリアを見た医者が表情を険しくする。
なぜこんなことになっているのか。それはこっちが聞きたいことだった。何も知らないゼフィールにできるのは、ただ、彼女の回復を願うことだけだ。
「薬を下さい。朝方渡した光苔からはまだ薬はできていませんか? それに、また採ってきたんです。これだけあれば治療に十分な薬が作れませんか?」
ホルガーに持ってきてもらった光苔を医者に渡し、すがる。病を癒す魔法など知らない。医者に頼るしかなかった。
そんな彼を落ちつくようになだめると、医者は憐れむような目でゼフィールを見てくる。
「ここまで病状が進行してしまうと薬も効かない。悪化を遅らせることはできるけど、苦しむのが長引くだけだよ。薬はできてるから出せるけど、それでも飲ませるのかね?」
「……お願いします」
「分かったよ」
医者は頷くと席を立ち、グラスを手に戻ってきた。それをゼフィールに渡す。グラスの中に揺れている透明で薄緑の液体、これが薬なのだろう。
「飲ませてあげなさい。寝たままだと気管に入ってしまうかもしれないから、座らせてね。飲み込んでもらわないといけないから、飲ます時は彼女を起こすんだよ」
ゼフィールは言われたとおりにユリアの上体を起こし、後ろから支え、座った姿勢にしてやる。
「ユリア。ユリア。起きてくれ、ユリア」
彼女の耳元で名を呼び、軽く身体を揺する。けれど、目を覚まさない。
どれほど経っただろうか。根気強く続けていると、薄らとユリアの目が開いた。
「ユリア?」
「……ィ……ル……」
呼びかけにユリアが答えた。診療所の雑音に消されてしまう程の小さな声だったが、彼女を支えるゼフィールの手に力が入る。
ユリアはまだ生きている。その事実を感じられたのが嬉しかった。
「ユリア、薬だ。辛いかもしれないが頑張って飲んでくれ」
彼女の口に少しだけ薬を流し込んでやる。けれど、ユリアは薬を飲み込まない。医者が彼女の口を閉じ、座っている姿勢を少しだけ緩やかにしてやって、ようやくユリアの咽が動いた。
「残りも同じ感じで飲ますんだよ」
ゼフィールは頷くと、医者に倣い、薬を少しだけ流し込んで口を閉じてやる事を繰り返した。わずかな液量なのに、無くなるまで随分時間が掛かる。それだけ彼女が弱っているのだろう。
ユリアはグラスの中身を飲み終えると再び目を閉じた。手の平から伝わってくる彼女の体温はとても高い。ユリアが少しでも楽になるように横に寝かせ、ゼフィールは医者に頭を下げた。
「貴重な薬をありがとうございます」
「いいんだよ。元々君達が採ってきてくれた原料だしね。これからどうする気だい?」
「どうする、とは?」
医者の言いたい事が分からずゼフィールは首を傾げた。医者はそんな彼からユリアへと視線を移す。
「彼女の事だよ。いっそ安楽死させてあげるのも優しさだと思うけどね。治療を続けるというのであれば止めはしない。薬は提供しよう」
薬の材料は採ってきてもらうけど。と、医者は続ける。
その程度で貴重な薬を提供してもらえるのであれば、いくら採りに行かされても構わなかった。だが、医者の言葉は、暗に彼女が助からないと告げている。
震えそうになる唇から、なんとか言葉を捻りだした。
「今まで、この状態から薬を飲んで良くなった患者はいないんですか?」
「薬の量が無かったからね。飲み続ければ効果があるのかもしれないけど、これまでにはいない」
「だったら、俺は彼女が良くなる方に賭けます。少しでも可能性があるのなら、諦めたくない」
元気になる可能性がゼロでないのなら、その可能性に賭けたかった。ユリアは強い娘だ。きっと病も乗り越えてくれる。そう信じたかった。
でなければ、彼女を失うなど――耐えられない。
しばらくゼフィールを見ていた医者が助手を呼んだ。彼女に小声で何かを言うと、再度ユリアの様子を観察しながら告げてくる。
「薬は用意してあげるから毎日取りにおいで。一日分ずつ出すからね。できれば果物の汁か、砂糖と塩を溶かした水でもいいから飲ませてやると良い。体力の消耗を抑えられるからね。後は――」
何かを考えるように上を向いた医者は、ユリアとゼフィールを交互に見て、ゼフィールの上で視線を止めた。
「君達はこの村の者じゃなさそうだから、宿に滞在しているのかな?」
「はい。それが?」
「早々移る病じゃないんだが、健常者は病人に関わるのを嫌う。重症だと特にだ。彼女を隠してあげないと、宿の主人が入れるのを嫌がるかもね」
「それなら」
ゼフィールはマントを脱ぐと、それでユリアを包んだ。
自らの姿を隠すために使っていたマントだったが、それでユリアが助かるというのなら、彼女に与えるのにためらいは無かった。こんな僻地まで刺客が来ているというのなら、その時はその時だ。
フードですっぽり頭まで覆うと、外からユリアの様子は全く分からなくなった。それを見て医者が頷く。そして、助手が持ってきた小瓶をゼフィールに手渡した。
「これなら大丈夫かもね。で、それが明日の朝の分の薬。薬は一日二回。朝晩に飲ませるように」
「ありがとう……。ありがとうございます!」
「お大事に」
退室を促されたので、ユリアを抱えようとしたら手に持った小瓶が邪魔になった。どうしようかと悩んでいると、ホルガーがそれを受け取ってくれる。
「手が空いていないようだからオレが持とう」
「すまない。助かる」
ユリアを背負うと、もう一度礼を言い診療所を後にする。
医者の助言のお陰で、道中、ユリアの容態をあれこれ言われずにすんだ。むしろ、ゼフィールが素顔を晒した事で宿の主人に止められたが、ホルガーの口添えのお陰ですんなり切り抜けられた。
「お帰りー。ってゼフィール、君、顔モロ出しじゃん! どうしたのさ?」
部屋でくつろぎきっていたリアンがゼフィールを見て驚いた。彼の問いには答えず、ユリアからマントを脱がせ、寝台に寝かせる。そんな彼女を見て、リアンは更に驚いた。
「うわ、ユリアどうしたの、これ!? 見るからにヤバイ感じなんだけど!」
「落ち着けリアン。知ってる事は教えてやるから」
「オレはこれで失礼する。その子、良くなるといいな」
「ありがとうホルガー。色々助かった」
薬と剣をゼフィールに渡したホルガーは部屋を出て行った。受け取った物をゼフィールが片付けている間、リアンは大人しく待っている。
全て片付け終わると、ゼフィールは自分の寝台に腰かけ、リアンに事のあらましを話した。
「――それで、診療所に寄って、ユリアに薬を飲ませてきた。これで全部だ」
「なんなのさ、それ。分からないって事が分かっただけじゃないか」
「そうだな」
「ったく、何やってるんだよ。ユリア」
リアンはユリアの横に行くと心配そうに彼女を見つめた。ゼフィールの説明で納得した様子はなかったが、それ以上何も言ってこない。言ったところでどうしようもないと割り切っているのだろう。
ユリアから視線は外さずリアンが呟いた。
「薬を飲んだんなら、ユリアは良くなるんだよね?」
「分からない。医者には望みは薄いと言われた」
「そうなの? あ、でも、どうしても駄目なら君の――」
何かを言いかけ、リアンは口を閉じた。言わなかったが、言いたかった事は分かる。
――薬で治らなければ、青い血を飲ませろ。
彼の言いかけた言葉はこれだろう。
だが、それはゼフィールの血を絞る事と同義だ。義兄弟とはいえ、冗談以外で求めてはいけないと思ったのかもしれない。
聞こえなかった振りをしてユリアの枕元に行き、ゼフィールは苦しそうな彼女を見つめた。おもむろに首からペンダントを外し、ユリアに掛けてやる。
それは魔のエメラルド。ゼフィールが受け継いだ家宝の一つだ。
「それ、君がいつも肌身離さず付けてるやつだよね? 何かあるのかい?」
「この石は魔に対する耐性を付与してくれるんだ。病自体は魔力的な力で引き起こされているから、耐性が上がれば、進行を遅らせるくらいの効果はあるかもしれない」
「そんな大層な物を手放していいのかい?」
「ユリアの方が大事だろう? 元気になれば返してもらうさ」
ゼフィールの言葉にリアンは少しだけ表情を緩め、ユリアの手を握った。しかし、すぐに驚いた顔になり扉へと向かう。
「僕ちょっと水貰ってくるよ。熱が高いみたいだし」
リアンが駆けて行く音を後ろに聞きながら、ゼフィールはユリアの横に佇んだ。よくよく見てみると、彼女の腕や足には細かい傷ができている。暗かったり動転していたせいで気付かなかった。
(ユリア。あそこで何があったんだ?)
ユリアの傷を癒しながら問いかける。治癒魔法は使えても、病はどうすることもできない己の無力を噛み締めながら。




