3-3 寂れた村 前編
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辿り着いた村は小さくて寂れていた。石と煉瓦で作られた小振りな家が点在しているが、通りを歩く人は少ない。
だが、小さい村だけあって住人は皆知り合いなのか、すれ違う人々がエミに話しかけていく。皆、一様に、馬車で帰って来なかった事を不思議がり、途中で襲われたと聞くと表情を曇らせた。
「ここがあたしの家。ありがとう、リアンお兄ちゃん、ユリアお姉ちゃん、ゼフィールさん」
エミがぺこりと頭を下げた。そのまま家の中へ入るのかと思いきや、つないだままのリアンの手を離さない。むしろ、家の方へと引っ張っている。
「あのね、お兄ちゃん達をお父さんとお母さんにも紹介したいの。いいでしょ?」
「らしいけど、どうする?」
リアンが顔を向けてくる。
「私は別に構わないけど。挨拶するだけでしょ?」
「俺も」
「良かった~。入って入って」
笑顔でエミが三人を家の中へと導く。家へと入ると、奥へ向かって彼女は元気よく帰宅の挨拶をした。しかし、いくら待てども返事はない。
「あれ? 二人ともいないのかな?」
首を傾げながらエミは奥の部屋へと消えて行く。
エミの家も他の家と変わらず質素な作りだった。玄関から入ってすぐにあるのはダイニング。簡単な調理場があり、食卓が置かれ、生活雑貨もコザコザと置かれている。そこから二つの部屋に続いているようだが、外から見た感じだとそれで全てだろう。
「ところでさ、この村って宿あるのかな?」
勝手に椅子に座りながらリアンがぼやいた。
「どうだろうな? 村も小さいし、旅行者も来そうな雰囲気じゃないから、怪しいな」
「だよねー。最悪買い物だけして素通りかな」
「たまには宿でゆっくり休みたいわね」
同意、と男二人も頷く。だが、宿の有無など自分達ではどうしようもない。結局、あることを祈ろうということで話は落ち着いた。
そんな時だ。奥の部屋からエミが飛び出してきた。彼女は一番近場に立っていたゼフィールのマントを掴むと、突然大声で叫ぶ。
「ねぇ、どうしよう!? お母さんが寝てて、目を覚まさないの! 呼んでも全然!」
「落ち着け、エミ。熟睡しているだけじゃないのか?」
「違うの! なんかおかしいの! ねぇ!」
なだめてみてもエミは落ち着かない。首を横に振りながら同じ言葉を繰り返すだけだ。
らちがあかないので、ゼフィールはエミをなだめるのを諦めた。
「ちょっと様子を見てくる。エミ、お母さんの所に案内してくれるか?」
「うん、こっち!」
エミが奥の部屋へとゼフィールを引っ張る。連れられるまま部屋に入ると、寝台に一人の女性が寝ていた。エミが心配そうに寄り添っているので、彼女が母親だろう。
寝台の傍らに行き様子を見ると、エミの母は苦しそうな息使いで眠っていた。額には温くなったタオルが、枕元には水たらいが置かれている。
「病気のようだな」
ゼフィールはタオルを冷たい水に浸すと、絞り、エミの母の額に乗せなおした。ほんのりと顔も赤い。そう高くはないが、熱も出ているようだ。大した熱でもないのにこれだけ苦しそうなのだから、熱以外が体調不良の原因なのだろう。
腕にシミのような斑点がいくつかあるのが気になった。
「お母さんだいじょうぶ?」
「どうだろうな。俺は医者じゃないから詳しくは分からないが。今すぐどうこうという風には見えないな」
曖昧な答えしか返せない。それでも、心配そうに見上げてくるエミの表情が少しだけホッとしたものになった。
「タオルも置いてあるし、お父さんが面倒を看てるんじゃないか?」
「それなんだけどさ。お父さんここで暮らしていないんじゃないかな?」
いつの間にか寝室に来ていたリアンが後ろから声をかけてきた。彼がそんなことを言う理由が分からない。エミと共にゼフィールも首を傾げた。
「どういうことだ?」
「生活臭が無いんだよね。台所もだけど、奥の工房? みたいな部屋。どっちもここしばらく火を入れた形跡が無いんだ」
「お父さんは外に働きに行っているのか?」
「ううん。お父さん、いつも工房で何か作ってるから、大体家にいるんだけど」
エミの表情が泣きそうになった。ゼフィールのマントを掴むとぎゅっと握りこむ。
「だとしたら、誰が面倒を――」
「ちょっとあんた誰だい? 人を呼ぶよ」
「私はエミちゃんの友達よ。あなたこそ誰よ?」
「なんだってエミちゃんとあんたみたいな大きい子が友達なんだい!? 嘘をつくならもっとマシな嘘をつきな!」
ゼフィールの疑問を遮って、ダイニングの方から騒がしい声が聞こえてきた。
ユリアが誰かと言い争っているようだ。
なんだって二人とも喧嘩腰なんだと呆れながらダイニングに移動すると、ユリアと恰幅のいい女性がいがみ合っている。
「おばさん!」
そう叫ぶと、エミは恰幅の良い女性に飛びついた。女性はエミを抱きとめつつ、ユリアとエミを交互に見ながら目をぱちぱちさせる。
「エミちゃん! 帰って来てたのかい? あれ? じゃぁ、あんた、本当にエミちゃんの友達かい?」
「だから、さっきからそう言ってるじゃない!」
「はーいはい、ユリアも落ちついて。どうどうー」
未だに文句を言いたそうなユリアをリアンがなだめる。いつもの調子で二人で喧嘩を始めたので、ゼフィールはエミ達から彼らが見えぬように立ち位置を変えつつ、エミに尋ねた。
「そちらは?」
「となりに住んでるおばさん。あ、おばさん、あのね。この人たち、あたしと一緒に村まで帰ってきたの。帰りつくまで、遊んだり面倒みてくれたりしたんだ」
「そうなのかい? あたしゃてっきり物盗りか何かだと思っちゃってさ。ごめんね」
バツが悪そうにおばさんが笑う。そんなおばさんのスカートの裾をエミが引っ張った。
「ねぇ、おばさん。お母さんどうしたの? お父さんは?」
「あ、そうだった。お父さんから言伝があるんだったよ。しばらく出掛けるから、お父さんがいない間に帰ってきたら、またお婆ちゃんの所に行っていて欲しいって」
「なんでお父さん出掛けてるの? お母さん寝てるのに」
「エミちゃんが出掛けてる間に病気が流行ってさ。お母さんもかかっちゃったんだよ。で、この村の医者じゃ治せないって言うから、お父さん薬を探しに行っちゃってさ。お母さんの面倒はあたしが看てるからいいんだけど。早く戻ってくればいいのにね」
やれやれとおばさんは肩をすくめた。彼女を見上げるエミの肩をぽんぽんと叩くと、エミを安心させるかのように笑顔を向ける。
「お母さんの世話はあたしが続けてあげるから心配いらないよ。エミちゃんも、こっちにいる間はうちで面倒見てあげるから、後でおいでね」
最後に一度だけエミの肩を叩き、おばさんは帰っていった。
残されたエミはワンピースの裾を掴み、自分のつま先をジッと見つめている。どうしたらいいのか分からなくて困っている、そんな感じだ。
ゼフィールはしゃがんでエミと顔の高さを合わすと、彼女に尋ねた。
「エミはどうしたいんだ?」
「……わかんない」
「お母さんと一緒にいたい?」
「うん」
「お婆さんの家に戻るのは嫌?」
「あの道をまた馬車で通るのは……怖いよ」
エミは嫌嫌と首を振る。襲われた時を思い出したのか表情が厳しい。いよいよエミが泣き出しそうになった時、手を上げながらリアンが彼女の前に飛び出してきた。
「はいはいはいはいっ! こうしようっ! 隣のおばさんに、この村に残りたいよーってお願いしよう! 僕達も一緒に頼むからさ」
凄い気迫で飛びこんできたリアンを、エミは目を丸くして見つめた。出かかっていた涙も引っ込んでしまったようだ。
「いいの?」
「いいの、いいの。僕達はエミちゃんの味方だから」
「それじゃ、頼みに行くか」
「うん!」
笑顔でエミが頷いた。さっきまで泣きかけていたのに今はもう笑っている。泣いたり笑ったり忙しいものだ。忙しなく移り変わるエミの表情を見て、ゼフィールの口元にわずかに笑みが浮かんだ。
◆
「宿があってくれて本当に良かったわ~」
「ほんとだよ。久々にご飯も作らなくて良かったしね」
少し早い夕食を終え、借りた部屋に戻ると、ユリアとリアンが勢いよく寝台に飛び込んだ。久々の屋根のある場所での寝床に随分とくつろいでいる。
その様子を見たエミも、真似をして空いている寝台に飛び込んだ。そのまま寝台の上をゴロゴロ転がり遊び出す。
何往復かした頃に、エミの肩掛けポシェットの中からラスクが這い出してきた。何度かエミの下敷きになったのか、若干ヨロヨロしている。
あのままポシェットの中にいれば更に潰されていたので、逃げ出してきたのは正解だろう。賢いリスである。
隣のおばさんだが、事情を話したらエミの面倒をみる事を承諾してくれた。そのままエミとは別れるつもりだったのだが、別れるのをぐずられ、今晩までは一緒に過ごすことになった。
ゼフィール達がエミを引き受けたのには宿があったことも大きい。おばさんに宿の有無を尋ねたところ、酒場に併設されていると教えてもらえた。
寝台が四つあるだけで他に何も無いこの部屋が村唯一の宿だ。随分と粗末な部屋だが、野宿に比べれば天国に思える。
思い思いにくつろぐ連れ達を横目に、ゼフィールはカーテンを引いた。外からの目が無くなったので、マントを脱ぎ壁に掛ける。そんな彼の様子を、ユリア達が三者三様に眺めていた。
「なんだ? 何かおかしいか?」
「私、ゼフィールの顔久々に見た気がするわ」
「僕も」
「そうか?」
フードを被っていたせいで乱れた髪に手櫛を通す。何度か指を通すと引っかかりも無くなったので、軽く背に流した。
そんなゼフィールの様子を、エミは口を半開きにしながら見ている。
「エミ、どうかしたか?」
ぽかーんとしているエミと視線を合わすと、顔を逸らされてしまった。それだけなら良かったのだが、近付こうとするとエミはリアンの方に逃げて行ってしまう。更に分からないのは、逃げた先から、エミはチラチラとこちらを見るのだ。彼女の態度の理由が分からない。
対照的に、何かに気付いたのか、リアンがポンと手を打った。
「あー、あれか。エミちゃん、マント被ってないゼフィール見るの初めてだっけ?」
「うん」
(なんでマントを脱いだだけで避けられるようになるんだ?)
ますます理由が分からない。怖い顔でもしていただろうか。なんにせよ、折角懐いてきたエミに素顔を晒しただけで避けられ、少し傷付いた。
「そんなに気にしなくていいと思うよ。多分軽い人見知りだからさ。いきなり知らない顔が出てきたから、知らない人に感じちゃったんじゃない? この、チラチラ気にする態度とかさ、昔の君みたいだよね」
「そんな事してたか?」
「してたよ。ていうか、今でもしてるじゃん? 君ってば、初対面の人には、すんごい他人行儀で接するよね」
何か言い返そうとして、やめた。リアンの言うとおり、初対面の相手に距離を置く癖は間違いない。酒場で演奏をしている時など、営業モードに入っていれば多少の愛想も振りまけるが、普段では無理だ。
言葉の代わりに小さくため息を吐き出し、ゼフィールは自分の寝台に転がった。
人見知りだというのなら、エミが慣れてくれるまでどうしようもない。それに、こうして寝転がっていると、じんわりと身体に疲労が広がってくる。歩いている間は感じなかったが、身体は確実に疲れていたようだ。
今なら目を閉じればすぐにでも眠れる。そんな時に、小さなことに労力を割きたくない。
目を閉じると、予想通りすぐに睡魔が襲ってきた。心地良く半分眠りかけている時に髪を引っ張られる感覚。地味に気になったので薄く目を開いた。すぐ側にエミが来ていて、ゼフィールの髪を引っ張っている。
「もう怖くないのか?」
「うん。ちょっとおどろいただけだから。ゼフィールさんって、すごくきれいな人だったんだね。この髪も、すごくきれい」
「そうか、ありがとう」
横になったままエミの頭を撫でる。恥ずかしそうにエミが笑った。つられてゼフィールの口角も緩む。眠い身体を起こしてユリア達の方を見てみると、二人はまだ思い思いにゴロゴロしていた。
エミを抱き上げユリアのもとへ行くと、彼女の隣に降ろす。不思議そうにゼフィールを見上げるエミの頭をぽんぽんと叩き、囁いた。
「遊んでやりたいんだが、今日は眠くてな。今晩は二人に遊んでもらってくれ」
それまでマイペースに腕立てをしていたユリアだが、ゼフィールの言葉を聞くとそれを止め、背伸びをする。
「確かに今夜は早く寝たいわね。エミちゃんも一緒に寝よっか」
「もう寝るの? ユリアお姉ちゃんお唄歌ってくれる?」
ユリアが固まった。そして、困ったようにゼフィールの方に視線を向ける。
言ってはなんだが、ユリアは歌は得意ではない。ゼフィールがリアンの方を見ると、あからさまに顔をそむけられた。
「分かったよ。俺が歌えばいいんだろう?」
ユリアと共に寝台に横になったエミに毛布を掛けてやり、ゼフィールはベッドの横で膝立ちになった。
エミをあやしながら子守唄を歌っているのだが、嬉しいのか、エミの目は元気に輝いている。一方で、双子はあっという間に眠りに落ちた。
(お前達が先に寝ちゃ駄目だろ)
少女を置き去りにして眠りに落ちた二人に苦笑しながら、エミが眠りに着くまで、ゼフィールは唄を歌い続けた。