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白花の咲く頃に  作者: 夕立
水の国《ライプツィヒ》編 狂楽の祀り
21/104

2-11 アフロディテ礼讃祀 後編

 ゼフィールが叫ぶと、競技場の六ヶ所からカインに向かって茨が伸びた。茨はどんどん長く、太く育ち、カインへと迫る。同時に、彼の服の中からも茨が生え出し、胴や手足に巻き付いていく。


「何だこれは!? 青年、何をした!?」


 ぐんぐん成長し、拘束を強める茨に抗いながら、カインはゼフィールへ手を伸ばした。しかし、その手もすぐに茨に絡め取られ、緑に覆われる。

 自らも茨に捕まらぬよう、ゼフィールは数歩後ろへさがった。そして、目の前で茨に包まれてゆくカインの姿を見守る。


 必死に抵抗するカインだが、もはや動かせる場所は顔くらいしかない。その顔も、伸びゆく茨に包まれすぐに見えなくなる。何重にもカインを取り囲み、彼の存在など感じさせないほどになって、ようやく茨の成長は止まった。

 後に残ったのは歪な円柱状の茨のオブジェだけだ。


 それまで騒がしかった会場が水をうったようにしんとなった。

 誰も動かない。いや、動けないのだろう。彼らの視線はカインを包むオブジェに釘付けになっている。


 観衆の見守る中、茨に複数の膨らみができた。膨らみはゆっくりと緩んでいき、鮮やかな花を咲かせる。


 開花したのは薔薇の花。赤、黄、桃、黒、白、大輪の物から小振りな物まで、七種類の薔薇が咲き誇っている。

 その様は、さながら、庭師が遊び心で作ったトピアリーのようだ。


 ゼフィールが見つけた日記には、クルトが考案した魔法の仕組みが記されていた。

 下準備として、花の種で六芒星を描き、捕縛したい人物にも種を仕込む。次いで、核となる人物が六芒星の中にいる状態で魔法を発動させると、周囲の種から急成長した弦が伸びて、核となる人物を拘束する。


 ここまでだと、ただの面倒なだけの捕縛魔法だった。だが、この魔法はその先が面白い。成長した植物はそのまま花を咲かせ、目を楽しませるらしいのだ。

 注釈で、核になる人物に危害は無いが、後で怒られそうだ。と、書かれていたのが印象深い。

 わずかばかりの悪戯心の混ざった、ヒルトルートを喜ばせるためだけに考え出されたかのような魔法だった。


 それはゼフィールでも扱えそうな魔法だった。その上、剣だけでは生存が厳しそうな彼に、いくばくかの勝機を見せてくれる。この魔法に賭けてみることにした。


 結果、ゼフィールは賭けに勝った。快勝ではないが、少なくとも命はある。対戦相手であるカインも存命だ。


 薔薇のオブジェから一輪を手折ると、ゼフィールはヒルトルートに向けて手を伸ばした。


「十年前、クルトはあんたにこれを見せようとしていた。そして、ただただ、あんたの喜ぶ顔だけを楽しみにしていた。クルトを想うなら、もうこんなことは止めてやれ。あいつが悲しむだけだ」


 知ってしまったクルトの気持ちへの同情。ゼフィールを助ける術となってくれたことへの感謝。そんなクルトに対するまぜこぜの感情が、ゼフィールに優しい言葉を紡がせる。


 ヒルトルートの狂行もクルトへの想い故のものだろう。肯定はしないが、事情を知ってしまった以上、頭ごなしに非難もできない。

 そこまで深い愛をゼフィールは知らない。なので、同じ立場に置かれた時、自分がどういう行動を取るのか想像できない。


 しかし、今はただ、ヒルトルートも救われてくれれば、と思う。彼女だって苦しんだはずなのだ。それこそ、心の一部が壊れてしまう程に。


「ヒルトルート、クルトは最期まであんたを想っていた」


 その言葉と共に、ゼフィールの手から薔薇が落ちた。

 そのまま、ゆっくりと地に膝をつく。激痛と大量の出血で、もはや限界だった。



 ◆


 咲き誇る薔薇の周囲を一羽の蝶が舞う。輪郭が淡く輝く、夜を切り取ったかのような黒い蝶だ。

 蝶はゼフィールが手折った花の上にとまると、自身よりも重い花を持って飛び上がった。ヒラヒラと舞い、貴賓席までやってくる。ヒルトルートの手元に花を落とすと、しばらく彼女の上を旋回し、何処へとなく飛んで行った。


 蝶の落としていった薔薇を手に取り、ヒルトルートはそれを見つめた。


 薔薇の花、それはヒルトルートが最も愛する花だ。

 それを知ってから、クルトは事あるごとにヒルトルートに薔薇をくれた。プロポーズももちろん薔薇の花束だった。

 クルトとの思い出の詰まった薔薇の花。

 彼との日々を思い出すだけで、涙があふれそうになる。


(ゼフィールは何と言っていたかしら。クルトがわたくしのためにこれを用意していたと)


 そして、ヒルトルートの笑顔を楽しみにしていたと言っていた。クルトは彼女が笑うと一緒に笑ってくれた。クルトは復讐なんて望まない。

 彼が望むのはいつも、ヒルトルートが笑って暮らすことだけだった。


「クルト……。ああ、クルト!」


 薔薇の花を胸に抱きしめ、ヒルトルートは一人泣き崩れた。

 記憶の中のクルトは血だらけで冷たくなっていた。それが、彼女に微笑み掛ける姿に塗り替えられる。

 ヒルトルートの胸に刺さったままだった棘はようやく溶け始めた。



 ◆


「ゼフィール!」


 ゼフィールが倒れたのを見て、ユリアはリアンと共に貴賓席から競技場へと駆け降りた。うずくまったままのゼフィールを横たえると傷の状態を確認する。

 大きな傷は右腕と脇腹。脇腹の傷は特に酷い。

 ゼフィールのマントを破ると、それを包帯代わりに傷口をきつく巻いた。寒いのか、彼の身体は小刻みに震えている。どうにかしてやりたいが、どうしたらいいのか分からない。


(私にも治癒魔法が使えれば!)


 蒼白なゼフィールの顔を見つめ、ユリアは爪を噛んだ。

 ユリアに出来るのはただ壊すことだけだ。ゼフィールのように人を癒すことは出来ない。

 それが歯がゆかった。

 先程から客席から聞こえて来る、ユリア達の行動に不満を漏らす声も酷く不愉快だ。


(貴族なら治癒魔法を使える知り合いくらいいるんじゃないの? なのに、なんで助けてくれないのよ!?)


 黙れ、と、観客席を睨んでみるが、声は無くならない。こちらを見る仮面の群れを見て、逆に気分が悪くなった。


「リアン、ここにいても仕方ないし、医者に運びましょう!」

「動かして傷口開かないかな?」

「ここに寝かせてても良くならないじゃない!」

「その状態で動かすのはお勧めいたしませんわ」


 ユリアの後ろから声が掛かった。声の主はゼフィールの横まで来ると膝をつく。

 小柄な女性だった。綺麗な金色の前髪を三つ編みにして横に流しているのが可愛らしい。


 そういえば、先ほどまで貴賓席で一緒に観戦していた人物だった。ヒルトルートは彼女の事を殿下と呼んでいた気がする。

 ユリア達とそう年は変わらないように見えるが、不思議と貫録があるのは立場故だろうか。


「わたくし、治癒は得意ではないので、本当に止血程度しかできませんけれど」


 そう言うと、彼女はゼフィールの傷口に手をかざし、呪文を詠唱し始めた。王太子の手の平に優しい光が生れゼフィールの傷口を包む。治療をしながら彼女がユリアへ顔を向けた。


「あなた方はこの方のお身内ですこと?」

「ゼフィールは私達の弟よ」

「そう。ゼフィール様と仰るのですね。大切な弟君に治療を施さなかった治療班の怠慢は、ひとまずわたくしが謝罪いたしますわ。彼ら含め、責任者も後ほど処罰しておくとしましょう」


 ゼフィールのピアスに軽く触れると、王太子はヒルトルートの方へ向き直った。


「クリストフ侯爵夫人、この方を決して死なせないように。頼みましたわよ」

「ぁ、は、はい。その命、確かに承りました」


 ヒルトルートが慌てて承諾の言葉を返す。王太子はその答えに満足そうな表情を浮かべると、立ち上がり、観客席を見回した。


「さて、ご来場の皆様方。今年の祀りは美しく終わりましたのに、そのような不満の声を上げ続けるのは貴族としての品位が落ちるというものでしょう」


 彼女の掲げた右腕にはめられたブレスレットがシャラリと微かな音をたてた。まるで、観衆に黙れと命じているようだ。

 静かになった貴族達に向かい王太子は語る。


「わたくしの権限のもと命じますわ。今後一切、祀りでの殺し合いを禁じます。以前同様、名誉ある儀式として扱うように。従わぬ者は爵位を剥奪しますわ」


 様々な思いを飲み込みながら、今年のアフロディテ礼讃祀は幕を閉じた。



 ◆


 身体が恐ろしくだるいなと思いながらゼフィールは身を起こした。そして、首を傾げる。

 ゼフィールの右と左の椅子に座ったユリアとリアンが、寝台に突っ伏して寝ていた。こんな事になっている理由が分からない。


 とりあえずリアンの頬を軽く叩いてみる。煩わしそうに彼が手を振るが、無視して更に叩く。しつこく続けていると、ようやくリアンが目を覚ました。


「ゼフィール目が覚めたんだ」


 彼は寝ぼけまなこでゼフィールを見ると、頭を掻きながらユリアの方へ向かう。そして、眠る彼女の肩を揺すりながら声をかけた。


「ほら、ユリア起きて。ゼフィール起きたよ」

「あとちょっとだけー」

「こんな時まで寝ぼけないでよ。だからゼフィールが目を覚ましたんだってば」


 リアンは中々起きようとしないユリアの上体を強引にあげ、座る姿勢にさせる。そこまでされて、ユリアはようやく目を覚ました。そして、欠伸をしながら大きく伸びをする。

 その様子をゼフィールが見ていると、背伸び中の彼女と目があった。


「ゼフィール目が覚めたの!?」

「さっきから僕が言ってるでしょ? まぁ、いいや。僕、君が目を覚ました事ヒルトルートさんに伝えてくるよ」


 溜め息を一つ残し、リアンは部屋から出て行った。


「体調はどう?」


 テーブルの上に置かれた水差しからグラスに水を注ぎながら、ユリアが尋ねてきた。それをベッド脇まで持ってくるとゼフィールに差し出す。ありがたく受け取り、口を付けながらゼフィールは返事をした。


「すまない。そうだな、なんか激しくだるい」


 それとなく周囲を見回してみると、そこは見慣れたクリストフ家でのゼフィールの部屋だった。途中から記憶が無いが、無事戻って来れたようだ。


「ところで、なんでお前達がクリストフ家(ここ)にいるんだ?」

「あんたが倒れちゃったからでしょ? 目を覚ますまで側にいてやれって、ヒルトルートさんが」

「そうか」


 手にしたグラスをなんとなく揺らす。

 以前屋敷に侵入してきたユリアを殺そうとまでしたヒルトルートが、ゼフィールの側にいてやれと言ったという。彼女の中で何かが変わったのかもしれない。

 それが喜ばしくて、顔がほころぶ。


「なんか嬉しそうね」

「うん? ああ。そうだな。色々といい方に転がったようで良かった」

「よく分かんないけど、良い事があったなら良かったわね。あ、水、おかわりいる?」

「くれ」


 少しだけ残っていた水を飲み干すと、グラスをユリアに渡す。水を汲みに彼女が席を立ったタイミングで、ヒルトルートを伴いリアンが戻ってきた。


「目が覚めたみたいね。傷は完全に癒しておいたけど、体調はどうかしら? 三日も目を覚まさなかったから、さすがに少し心配したわ」

「三日? 俺はそんなに寝てたのか?」

「ゼフィール、ヒルトルートさんにきちんとお礼言いなよ。ここの治療師さん達が付きっきりで君の治療してくれてたんだからさ」

「礼はいいわ。元はと言えば、わたくしが貴方を巻き込んだんですもの。ごめんなさい。そして、ありがとう」


 ヒルトルートがそっと頭を下げた。再び上げられた彼女の顔には、これまでと違い影の無い優しさが湛えられている。やはり、クルトの件は彼女の中で吹っ切れたようだ。


「ヒルトルート、良かったな」

「ええ」


 何が、とは言わない。それでも彼女には伝わったようだ。しばしの間、優しい沈黙が二人の間に流れる。

 それも束の間、ヒルトルートは表情を真剣なものに変え、ゼフィールに尋ねてきた。


「それはそうと。貴方、また旅に出るつもりかしら?」

「ああ。なんだ? まだ俺を解放してくれないのか?」

「いいえ、貴方のやりたいことを止める権利はわたくしには無いわ。ただ――」


 ヒルトルートの言葉は歯切れが悪い。


「貴方を狙ってるであろう刺客が祀り以降結構来ているわ。ここにいる間は守ってあげられるけれど……」

「心配してくれるのか? だけど、これは俺が選んだ道だから」

「そう、分かったわ。とりあえず今は早く元気になることね」


 そう言うと、ヒルトルートは部屋を出て行った。



 ◆


 ゼフィールが目を覚まして一週間後の深夜。

 ゼフィール、ユリア、リアンの三人は小さな桟橋に来ていた。周囲に人目が無いことを確認すると、目の前に停泊している小舟に乗りこむ。


 その途中でヒルトルートがゼフィールを呼びとめ、一振りの剣を渡してきた。祀りの時にゼフィールが使っていた細剣だ。


「これは?」

「貴方の身を守る助けになるのではないかしら? これくらいしか私に出来る事は無いから、持って行って頂戴」

「分かった。ありがとう」


 細剣を受け取るとゼフィールも小舟に乗りこむ。


「あなた方の他にダミーの船を出すから、あらかた追手はまけるはずよ。このまま水路を下って《ハノーファ》まで逃げれば、追ってくる者も減るでしょう」


 旅の助けになるようにと、ヒルトルートはゼフィールを狙う追手をまくための手段を講じてくれた。それがこの小舟だ。

 似たような舟が複数あれば、ゼフィールの乗る舟の特定も難しいだろう。


「ヒルトルート、元気で」

「あなた方もね。さぁ、もうお行きなさい」


 ヒルトルートが促すと、リアンが櫂を動かし船を岸から離した。段々と離れ行く船を追い、桟橋の端までヒルトルートが駆けてくる。

 夜の闇に紛れるように小舟は水路を下って行った。

今回で《ライプツィヒ》編はお終いになります。

次回から、火の国《ハノーファ》編に入ります。

引き続きよろしくお願い致します。

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― 新着の感想 ―
[良い点] うん、これ以上ない結末! やはり最後にものを言うのは愛!! クルトそんなこと望まないとか、ただ言っているだけじゃ響かないし陳腐ですが、やはり見せ方ですよね~。 そこへの持っていき方が上手い…
[良い点] うむ……ボンクラ大好きなアツい展開でござった……! ――水の国だけど。(笑)
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