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白花の咲く頃に  作者: 夕立
水の国《ライプツィヒ》編 狂楽の祀り
20/104

2-10 アフロディテ礼讃祀 中編

 ◆


 カインはこの腐りきった茶番に疲れていた。


 十年前、親友であるクルトを殺害したことで、ヨルク侯は剣を握れなくなった。

 そんな彼に代わって金の剣士に選ばれたのが、ヨルク家に仕える騎士の一人だったカインである。その外見と、剣の腕を見込んで抜擢された。

 仕える主人の為に金の剣士になること。それはカインにとって喜びであり、誇りであった。


 揚々と祀りに出場した初年。

 復讐に狂ったヒルトルートが、銀の剣士にカインを殺させようとした。仇であるヨルク侯ではなく、代理であるカインをだ。

 それはその年だけでなく、翌年も、その翌年も続いた。


 彼女にとっての復讐の相手とは、ヨルク侯という個人ではなく、"金の剣士"なのだろう。

 送り込まれてきた血に狂った銀の剣士達を、カインは全て返り討ちにしてきた。最後まで引かなかった故に殺すしかなかった者、上手く戦闘不能にできた者、両方いた。

 しかし、同じ人物が翌年現れることはなかった。


 名誉も誇りも無い茶番が早く終わることだけを最近のカインは考えている。


 男達が全力で繰り広げる命のやり取りの中から生まれる美。それを、美と愛の女神アフロディテに捧げることこそ、この祀りの趣旨であったはずだ。

 剣を持つ者にとって崇高な試合を、復讐などという下賤なものに貶めてよいはずがない。


(彼なら何かを変えてくれるだろうか)


 横に立つ銀髪の青年をカインは眺めた。

 これまで相対してきた銀の剣士達とは違い、殺意を放ってこない彼なら、これまでとは違う結末を導いてくれそうな気がした。



 ◆


「ご来場の皆々様、お待たせいたしました。これより剣士による剣舞の奉納を始めさせて頂きます。剣士は王太子殿下に礼」


 進行の声が掛かり、場が静かになる。

 ゼフィールとカインは貴賓席に向かって一礼すると、互いの剣を合わせた。


 白銀の細剣と黒い刀身の無骨で肉厚な剣が交差する。


「始めっ!」


 合図と同時にカインが一歩踏み出し、交差した剣を横に大きく薙いだ。


(重いっ!)


 その一撃を、ゼフィールは後方に重心を動かしながら細剣を滑らせることで流す。

 無造作に見えた一撃だったが、黒塗りの剣の重量と、カインの腕力から繰り出される斬撃は一撃が重い。まともに細剣で受けようとすれば刀身が折れてしまいそうだ。


 後ろに退がったゼフィールにカインの追い打ちがきた。初撃と違い、歩きながら突くように剣が繰り出されてくる。

 そんなカインの攻撃を、後退しながら細剣で相手の剣の軌道を変え、身を捌くことでゼフィールは凌いだ。

 しかし、あっという間に壁際に追いつめられ、地に手をつく。


(一つ)


 追いつめられ地に手をついたように見せかけながら、ゼフィールは忍ばせていた種に魔力を込め、地に落とした。


「もう後が無いようだが。青年、降参するかね?」

「ここで降参できるならしたいのは山々ですが。それだとあんまりなので、少しは頑張りますよ」


 ゼフィールは立ち上がると、細剣に風をまとわせた。そのままカインへと踏み込み、足に向けて細剣を突き出す。

 その剣先を払おうとカインが動く。が、細剣の刀身に黒剣が触れた途端、風が黒剣を弾いた。


 わずかにカインのバランスが崩れる。そのチャンスを逃さず、ゼフィールは突きを打ち込んだ。同時に、回避しようと動くカインへ風をぶつけ、身体をあおる。

 カインは不安定な体勢での攻撃は無理と判断したのか、防御に専念し、後退を続けた。


(二つ)


 追撃を続けながら、魔力を込めた種をゼフィールは足元に落とす。


「なるほど、君は魔法を使うわけか。どうりで剣一筋の者達と雰囲気が違うわけだ。ふんっ!」


 突きのリズムに無理に逆らわず、タイミングを測ったカインが大振りな一撃をゼフィールの剣筋に打ち込む。反射的にカインを強風で弾き飛ばしたが、力強い一撃にゼフィールも後方へと押し返された。


(とんだ馬鹿力だな)


 わずかに痺れた右手を振りながら相手との距離を測る。

 カインの攻撃は一撃が致命傷になり得る威力だ。対して、ゼフィールの攻撃は小さなダメージを蓄積させ、相手を動けなくさせることに重きを置いている。

 実力の違い過ぎる相手に何発も剣戟が届くのか怪しいところではあるが、やるしかあるまい。


 細剣を握り直し、ゼフィールはカインへと向かって行った。



 ◆


「魔法が使えるだなんて。随分とクルトと似た者を見つけたものね」

「……」


 貴賓席で戦いの様子を観戦していたヒルトルートは、ゼフィールが魔法を使ったことに驚いていた。ヨルク侯爵夫人が何か言っているが、それも耳を素通りしていくほどだ。

 屋敷の中でゼフィールは一切魔法を使わなかった。故に、今まで彼が魔法を使えるとは知らなかった。


(ゼフィール、貴方はどこまでクルトと似ているのかしら)


 彼を祀りに出したことを少しだけ後悔した。

 共に生活を始め、少し経った頃から迷っていたのだ。それほどに、竪琴を奏でるゼフィールが醸し出す優しい雰囲気は懐かしく、魅力的だ。

 祀りに出してしまえば、彼を失ってしまうと目に見えていた。


 祀りになど出さず、冷たい目で彼女を見る青年を閉じ込め、自分だけのものにしてしまえば、もうクルトを求めなくても良かったかもしれない。

 今は懐かなくても、薬と香で籠絡してしまえば、いずれ言うことも聞くようになるだろう。現に、彼は最初の頃より柔らかい態度で接してくれる。時間は掛かっても不可能ではないだろう。


(でも、わたくしの本当の望みはそのようなものではない)


 ヒルトルートの心に焼きついて消えない、血塗れのクルトの姿を塗り替えて欲しかった。

 彼を失ってから、復讐だけを考えていた時期もあったが、それももう疲れてしまった。今では、送り出した剣士が無事に帰ってきてくれればそれでいいとさえ思える。


 ゼフィールに試合から笑って帰ってきてもらえれば、心に刺さった棘も抜けるかもしれない。それを求める限り、彼を祀りに出す以外の選択肢は無かった。

 もはや賽は投げられた。今のヒルトルートにできるのは、試合のなりゆきを見守ることだけだ。



 ◆


「ハァッ、ハァッ……」


 乱れる息を整えようとするも、心臓は一向にゼフィールの言うことを聞かない。足りない酸素を補おうと呼吸が荒くなる。

 流れる汗で皮膚に張りつく服が、動く時にひどく邪魔だ。


「くそっ」


 落ちてきた前髪を掻き上げながら苦々しく毒づいた。手数を必要とするゼフィールの攻撃スタイルだと、どうしても運動量が増える。その上、風も使っているので、嫌でも体力を奪われた。

 一方、カインは無駄な動きが少ない。ゼフィールが付けた傷もいくつかあるが、大してダメージも入っていないようだ。


 今のところ、ゼフィールはまだカインの刃に捕まっていない。しかし、この調子で疲労が蓄積すれば、動けなくなるのはもうすぐだろう。


「大分疲れてきたようだな。限界か?」

「もう少し頑張れますよ」


 なんとか苦笑いを返す。負け惜しみしか言えない。ゼフィールの劣勢は明らかだ。けれど、まだ降参するほどではない。

 切り札の仕込みもほとんど終わっているし、勝機はある。


「そろそろ本気で行くぞ」

「!?」


 強い踏み込みと共に、今までより早い一撃がカインから繰り出された。剣の軌跡が半月を描く。

 受け流そうとしたが、カインの剣は途中で軌道を変え、刀身をすり抜けた。慌てて風で障壁を作り、それ以上の刃の侵入を防ごうとしたが、それすらも破られ、黒刃がゼフィールに迫る。


「――!!!」


 観客席のヤジが止んだ。

 ゼフィールは右腕に傷を負い、細剣を取り落としていた。腕からは血が流れ、白い服をみるみる青く染めていく。


「さすがはクリストフ侯爵夫人! あのような羊を手に入れてくるとは!」

「今年の祀りは実に面白いですこと」


 観客席の静寂も束の間、これまで以上に悪意を含んだ歓声が飛び交う。


 ――殺せ 殺せ 殺せ 殺せ


 明確な殺意を含んだ声が競技場の剣士達へと降り注ぐ。


(六つ……)


 腕から流れる血に紛れこませながら、ゼフィールは種を地に埋めた。

 深く傷付いた右腕は力が入らない。傷を癒せばいいのだろうが、魔力もそろそろ空っぽだ。後々を考えると治癒にあてる余力は無い。だが――


(あと一つ)


 左手に最後の種を握り込み魔力を込めた。カインに最後の種を埋め込めば、試合開始から行ってきた仕込みは終了する。カインに到達さえできれば、身を守るための剣はもはや必要ない。


「青年、君は青き血を持つ者であったのか。これだけの人数に知れては、ここで生き残っても命を狙われ、平穏な日々には戻れまい。せめて、私がひと思いに命を断ってやろう」


 哀れな者を見るような目で、カインがゼフィールに剣を振るった。致命傷だけは避けるように身体を捻りながら、ゼフィールはカインへと向かう。疲労と痛みで身体の動きが鈍い。


 致命傷とはならなかったものの、剣が深々とゼフィールの左脇腹に刺さった。激痛で何かを叫びたくなる。


 ――殺せ! 殺せ! 殺せ!


 客席からのヤジが一際大きくなる。


(あと一つ……!)


 細切れになって飛んでいきそうな理性を総動員して、ゼフィールはカインの服を左手で掴んだ。そして彼の服の中に最後の種を潜り込ませる。

 仕込みは終わった。後は魔法を発動させるだけだ。


 貴賓席に座るヒルトルートを振り向き、ゼフィールは力の限り叫んだ。


「ヒルトルート、これがクルトがお前に見せたかったものだ。しかと受け取れ!」

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