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白花の咲く頃に  作者: 夕立
水の国《ライプツィヒ》編 狂楽の祀り
19/104

2-9 アフロディテ礼讃祀 前編

 ◆


 アフロディテ礼讃祀らいさんし開催日。

 ヴェルスは祭りの雰囲気一色に包まれていた。街では小舟の一艘に至るまで色とりどりの花に飾られ、家々の軒には国旗がはためいている。


 中でも、〈金の侯爵家〉と〈銀の侯爵家〉から闘技場へと続く大通りには、それぞれ金と銀の国旗がはためき、その通りが特別な道であることを主張している。

 兵士によって規制線が引かれた大通りには人々があふれ、押し合いをしながら主役の登場を待っていた。


 ゴーン ゴーン ゴーン――……


 教会の鐘が鳴った。

 一瞬人々の喧騒が静まるが、次の瞬間、歓声と指笛が乱れ飛ぶ。鐘の音を合図に、〈金の侯爵家〉と〈銀の侯爵家〉から剣士を乗せた山車が出発したのだ。


 〈銀の侯爵家〉から出た山車にゼフィールとヒルトルートは乗っていた。

 今日の二人の装いは白一色と言っていい。

 椅子に座るヒルトルートのドレスや髪留め、その傍らに立つゼフィールの服、靴、手袋、マントに至るまで全てが白い。ただの白かと思いきや、布地に施された刺繍で、光の当たり具合によっては銀に見えるのだから手が込んでいる。


 普段は下ろしているゼフィールの前髪も今日は全て上げてきた。長い髪を後ろで束ねたのも、動く邪魔にならぬようにとの配慮だ。


(後はもう、運を天に任すばかりだな)


 抜き身の細剣を足元に突き刺し、直立の姿勢でゼフィールは前を向いた。

 道端の観衆が手にした白い花弁を撒き散らし、歓声がこれでもかと上がっている。


「今年はまた一段と美しい殿方を選ばれたのね」

「あのお方のお名前は何と仰るのかしら」

「兄ちゃんカッケー! まぁ、十年後にあそこに立ってるのはオレだけどな!」

「あんた髪茶色いじゃん」


 そんな声が聞こえてくる。


「良かったわね。貴方の姿は随分と民衆に好評のようよ」

「これだけ着飾ればな」


 自身に対する評価を他人事のように流しながら、ゼフィールは山車の上から大通りを眺めた。

 進行の邪魔にならぬよう脇に押し込められた民衆が、熱い眼差しでゼフィールの姿を見ている。

 これから向かう闘技場で何が行われるのかを彼らは知っているのだろうか。きっと知らぬのだろう。そうでなければ、あのように無邪気に楽しめるはずがない。


 闘技場まで続く大通りは途切れることなく人であふれている。そんな人ごみの中で、二つの影がチラチラしていることにゼフィールは気付いた。

 黒髪の二人組が、人ごみを掻いくぐりながら山車を追いかけてきている。二人がたまに跳びはねる時に見えるあの顔は――


(ユリア、リアン……)


 あの夜、ユリアが屋敷に忍びこんできて以来、彼女には会っていない。

 むしろ、それで良かった。再度ユリアが来たりしていれば、間違いなくヒルトルートは彼女を殺していただろう。それも、虫を殺すような表情で。

 死地に臨む前に二人の無事が確かめられたのは幸運だった。


「いつかの猫が付いて来ているみたいね。もう一匹一緒にいるみたいだけど」


 ヒルトルートも双子に気付いたようだ。彼女は何かを考えるように口元に指を当てると、視線をゼフィールに向ける。


「彼女達、一緒に連れて行こうかしら。その方が貴方も嬉しいでしょう?」

「何?」


 ヒルトルートの突拍子もない言葉にゼフィールは片眉を上げた。こちらの動揺を知ってか知らずか、彼女は言葉を続ける。


「いつぞや忍び込んで来た子猫のことよ。貴方の最期を見届けられた方が彼女達も嬉しいでしょう? 貴方も最期くらいお友達と一緒にいたいでしょうし。わたくしからの最後の贈り物とでも思って頂戴」

「だが!」

「反論は受け付けないわ。山車を止めるから迎えにお行きなさい」


 ヒルトルートが山車を止めた。二人を迎えに行かねば先には進まないのだろう。

 ため息をつくと、ゼフィールは細剣を鞘に戻した。そのまま山車を降り双子のもとへ向かう。


 握手を求める人垣を笑顔でさりげなくかわし進むと、ユリアとリアンがポカーンとした顔で立ちつくしていた。

 本当はこれ以上巻き込みたくなかった姉弟。しかし、現状ヒルトルートの言葉は絶対だ。巻き込むことを申し訳なく思いながら、二人に声をかける。


「久しぶりだなリアン。元気そうで何よりだ」

「あ、うん。君も元気そうだね」

「あれから何もなかったか? ユリア」

「え、ええ」

「突然で悪いが、ヒルトルートが呼んでいる。二人とも一緒に来て欲しい」


 それだけ言うと、ゼフィールは山車へ戻るため歩き出した。双子がはぐれていないか途中で視線を向けてみたが、きちんとついてきている。そのまま山車へ登ると、恐る恐る二人も登ってきた。


「お邪魔しまーす」

「ようこそ子猫さん達。呼びたてておいて申し訳ないのだけれど、あなた方が目立ってはいけないから、そちらに座っていて下さらないかしら?」


 ヒルトルートが笑顔で迎え、山車の片隅を示した。指示に従い双子は隅に座り姿勢を低くする。二人が座ったのを確認してゼフィールが前を向くと、山車は何事も無かったかのように動き出した。


「ちょっとゼフィール。僕達何でここに呼ばれたのさ?」

「俺の最期を見届けさせるつもりらしいぞ」

「君死ぬの確定なの?」

「そのつもりはないんだけどな。リアン、お前代わる?」

「いやー。僕みたいな凡人だと華が足りないから、君に譲るよ」


 控えめに手を振ってリアンが拒否の意を示す。相変わらず彼は緊張感が無い。だが、それが今のゼフィールにはありがたい。久しく忘れていた日常、それが懐かしい。残酷な現実にささくれていた心が、わずかだが癒されるのを感じる。


 乗る者達のやり取りを余所に、山車は闘技場への道を進む。

 会場の前に辿りつくと、すでに一台の山車が停まっていた。

 そこから降りてくるのは一組の男女。彼らの服装は、ゼフィールとヒルトルートの色を変えただけのものだ。こちらの白に対して黒の布地で、金糸で刺繍が施されている。

 あの二人が〈金の侯爵家〉代表なのだろう。


「遅かったわね、ヒルトルート。途中何かあったのかしら?」

「あなた方が早過ぎただけではなくて?」


 金の婦人の言葉をヒルトルートは軽く流す。その横で、金髪に赤い目をした壮年の男性がゼフィールの前へ訪れ、手を差し出してきた。


「お初にお目にかかる。ヨルク家代表のカインだ」

「クリストフ家代表のゼフィールです。お手柔らかにお願いします」


 差し出された手をゼフィールは握り返した。カインの手はゼフィールと比べて随分と堅く逞しい。これまでの研鑽けんさんの違いだろう。九年無敗というのは伊達ではない。 


 金と銀の剣士の握手に、闘技場周辺にいた人々から歓声が上がる。パフォーマンスの一環で、握手をしたまま観衆へ軽く手を振った。


「神聖な祀りの儀式故、手加減はできない。君も全力できなさい。良い試合ができることを祈る」


 パフォーマンスを終えると、それだけ言い残し、カインは金の婦人と共に闘技場の中へ消えて行く。


「わたくし達も行きましょう」


 ヒルトルートに伴われ、ゼフィール達も闘技場の奥へと進んで行った。



 ◆


 競技場の中心でカインと並び立ちながら、ゼフィールは視線を貴賓席に向けた。

 そこには、金の婦人やヒルトルートと共に、ユリアとリアンがいる。双子に会えたのは嬉しかったが、彼らがヒルトルートの近くにいるのは、状況として最悪だった。


 本気で戦っても勝てそうもない時、降参を求めれば、カインならばそれを認めてくれそうな雰囲気ではある。わずかに言葉を交わしただけではあるが、それでも、彼の誠実さはなんとなく伝わってきた。無駄な血を流すタイプには思えない。


 しかし、ヒルトルートはそれを許さないだろう。なにせ、彼女の願いの中には"相手に勝ってこい"という条件が入っているのだ。双子の命を盾に試合続行を命じそうですらある。彼らを人質にとられた形になった。


(それにしても――)


 視線を観客席に動かし、その異様さにゼフィールは眉根を寄せた。 

 視界に映るのは仮面、仮面、仮面、そしてまた仮面。

 観客席に座る者達は一様に仮面を付け、その顔を隠している。服装から貴族とその従者達だと分かるのだが、周囲をこうも多くの仮面に囲まれると不気味ですらある。


 仮面の下から漏れて来る悪意と愉悦を含んだ囁き。競技場に立つ二人の剣士に絡みつくような視線。そんな、どろりとした黒い空気が闘技場の中に蔓延している。


(外が陽なら、ココは陰だな)


 闘技場に入るまでの華やかさと違い、中は負の空気に満ちている。以前からそうだったのか、変質してしまったのか。それはゼフィールには分からない。

 しかし、このような空気の中で剣を交えていれば、いずれ理性のタガが外れ、取り返しのつかない惨事になってもおかしくないと思えるほどに異常だ。


 そらざむい感覚にゼフィールの背筋が震える。


「青年、怖いかね」


 横からカインが話しかけてきた。


「そうですね。空気が……嫌いです」


 正直に答えた。

 この会場の空気は嫌いだ。隙があれば正気を飲み込んでしまいそうな黒さがある。瘴気ではない。けれど、それに類する何かな感じがする。


「そう思っていられる間は君はまともだ。これまでの者達と違って、生き延びられるかもしれんな」


 目を細め、どこか遠くを見つめるカイン。その雰囲気はどことなく疲れて見えた。

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