6-6 最後の
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ニーズヘッグと意志の疎通が取れるようになって数カ月足らずで、ユリアは力を使いこなせるようになった。ニーズヘッグの教え方も上手かったのだろうが、本来持っていて当たり前の力なので、勘が働いたのかもしれない。
他愛無い日々を送りながら三人の一九の誕生日を祝い、更に月日が流れ、《シレジア》で迎える二度目の春にはまだ足りない日。
ゼフィールはユリアを《ブレーメン》の継承の間へと転送すると、自身も《シレジア》の継承の間へと跳んだ。
以前と変わらず五体の像が並ぶだけの無機質な空間を眺め、少しだけ眉をひそめる。
この部屋は玄室と似ていてあまり好きではない。どれだけ時が経とうと劣化せず、生の温かみを持たない、ただ、目的の為に造られた施設。
どちらも神の力により作られているので、似ているのは仕方ないのだろうが。
部屋の中央に立ち、ゼフィールは神の器達に念話をつないだ。
『俺はいつでもいい』
『アタシもいつでもいいわよ』
『私も問題無い』
『わたくしも問題ありませんわ』
『私も大丈夫』
返ってくる答えと訪れる静寂。それを破って、厳かにライナルトが告げる。
『では始めよう』
その声に従い、ゼフィールはウラノスの像に向き合い手を掲げた。そして、これまでの日常とのつながりを完全に断ち切る言葉を口にする。
「時は来たれり。地深くに眠りしウラノスよ、我は汝が欠片なり。黄昏し世界を祓い癒す力を我は欲す。願いを叶える力を汝が欠片に与えよ」
言い終わるか終わらないかのうちに、足元から淡く白い光が浮かび上がった。綿雪のような光は少しずつ上へと上がり、ゼフィールを包み込んでいく。
何気なく手を動かすと、触れた側から光が魔力に変換され体内に取り込まれる。その魔力はとても大きくて、強く、温かい。
まさに、神の本質とでもいうべき力だ。
目を閉じ、身体の中に満たされていく力を受け入れる。
継承によって得られる力は神の力のほんの一部だ。黄昏に対してはなんの決定打も打てぬ力しか与えられない。それでも、力を抑えた継承が行なわれるのは魔力に身体を慣らす為。
全ては、更に大きな力を受け止めきる為のお膳立てだ。
力の流入が収まったのを感じ、ゼフィールは薄く目を開けた。軽く指先を動かしてみても違和感はない。
(力が暴走しそうな気配はないし、上手く馴染んだみたいだな)
一先ず安心し、再び目を閉じた。
そして、意識を身体の外へ向ける。外へ向けられた意識は城を出、空を登る。やがて宙高くから大地を俯瞰した。
眼下に広がるのはゼフィール達の暮らす大陸。
大地のほぼ全てが黒い靄に覆われ、緑を覗かせているのは五王国くらいだ。
五王国の王城からは白く眩しい光の柱が天へと立ち昇っている。その光柱の先にいるのは五人の器達。
力を更に取り込んだ事で身体は神に近くなり、各々の髪と瞳が銀に輝いている。
銀は神の色。
幼少時のゼフィールの髪が青を失って得た色が銀だった。あの頃からこうなる事が宿命付けられていたようで、なんとも皮肉だ。
『全員覚醒できたみたいね。それにしても何度目かしら? 真面目に繰り返してるんだから、アタシ達って働き者よね!』
見た目や存在が変わろうとも中身は変わらない。相変わらずの調子でマルクのお喋りが始まる。それを苦々しくライナルトが窘めた。
『ぼやいても始まらないだろう。これが私達の仕事だからな。ではユリア殿、頼む』
『任せて』
頷いたユリアが軽く手を振ると、大地と生物を薄い膜が覆った。
次いで、ライナルト、マルク、ゾフィが手をかざす。すると、大陸をすっぽり囲む白い光の輪が産まれた。光に触れた部分では、瘴気も大地も生物も、全てのものが区別無く消滅していっている。無事なのは、ユリアの膜に守られている内部のみだ。
三人が目を見合わせ頷く。それに合わせて光の輪は大陸の中心へ向けて収束を始めた。輪が閉じて行くに従って大陸から猛烈な勢いで瘴気が取り除かれていく。やがて、一点にまで収束した輪はほぼ全ての瘴気と共に消えた。
防御膜をユリアが消す。
随分と小ざっぱりとなった大陸をゼフィールは眺めた。
超強大な破壊の力で瘴気を一掃する為にユリアに大地と生物を守ってもらったけれど、それでも損傷を受けている部分がある。逆に、膜の内部に入り込んでいたりで、破壊の力を免れ残っている瘴気もチラホラ見えた。
四人が行った作業は大掃除の箒がけ。残った瘴気の完全浄化と傷付いた部分の治癒――掃除に例えるなら雑巾と蝋がけ――がゼフィールの仕事だ。
「どれだけの者が残れることやら」
口の中だけで呟き、ゼフィールはゆっくりと両手をかざした。
柔らかな金の光が天から降り注ぐ。傷付きしものには癒しを、不浄なるものには浄化を、その他のもの達には安らぎをもたらす光だ。
乾き切った死の大地に光が降り注ぐと、薄らと霧が生まれ、地が湿った。くすんだ草木の葉は瑞々しい緑に変わり、獰猛に暴れ回っていた獣達も穏やかに転寝を始める。
その様を見ながら、ゼフィールは顔に優しい表情を浮かべた。
大地が再生していく様は何度見ても嬉しい。自分達の犠牲が無駄ではないのだと実感できるから。
だが――。
穏やかになった獣の隣で複数頭の獣が消滅した。
それは、獣に限った話ではない。人や、瘴気に侵食され過ぎた大地でも起こっている。
この現象を引き起こしているのは浄化の力だ。この浄化が非常に曲者で、行ってみない事には、どれだけのものが消えるのかが分からない。
浄化の光は、多少瘴気に侵されている程度のものなら瘴気だけを取り除く。しかし、侵食が進んでいるものは存在そのものを消滅させてしまう。
これだけ瘴気の侵食が進んでいる大陸だ。どれだけのものが消えてしまうのかと思うと胸が痛む。
《ザーレ》で浄化した者など比にならぬ程の命が消えるだろう。けれど、後の世に禍根を残さぬためには、わずかたりとも瘴気を残すわけにはいかない。これは必要な犠牲だ。
分かっている。分かってはいるが、それでも顔が曇るのはどうにも抑えられない。
大陸の全てのもの達に正反対の審判を下した光もやがて消えた。
一点のシミすら無くなった大地を五人は眺める。
『結構消えましたわね』
『まぁ、あれだけ真っ黒黒助だったものねぇ』
『ゼフィール……』
『気にするな。予想していた事だ』
『どういう結果になったにしろ、これで、大陸に対して私達ができる事は無くなったな』
雑談に流れがちな四人をライナルトが適度に遮る。年長者だからか、それとも性格か、まとまりのない集まりを締めてくれるのは実にありがたい。
そんなライナルトがゼフィールを見ている。次にやるべき事を思い出して、ゼフィールは軽く頷いた。全員を見回し宣言する。
『では、しばしの後にウルズの泉に召喚する。皆、十字石の返却等やり忘れの無いよう頼む。ユリア、お前だけは戻ってすぐに一旦《シレジア》に喚ぶ。喚ばれる覚悟だけはしておいてくれ』
『分かったわ』
ユリアの返事を確認すると、ゼフィールは目を閉じ意識を身体へと向けた。
一瞬の浮遊感の後、目を開けると、身体は少し前と変わらず継承の間に立っていた。
ユリアの意識がまだ戻っていない可能性もあるので、少しだけ時間を置き、そして、呼びかける。
『ユリア?』
『うん、もう戻ってる』
返事があったのでユリアを喚んだ。
転移したてで目をぱちぱちさせている彼女の身体に腕を回し抱き寄せる。ユリアは抵抗しなかったが、困ったように笑った。
「喚んですぐにそれなの? こんな時に、もう」
「こんな時、だからだろう? 最後だからもう少しだけ――」
「――ん」
彼女の唇を塞ぎ、抱く腕に力を込める。
この柔らかさと温かさを感じられるのもこれが最後だ。この感触を、もう少しだけ記憶に刻みたかった。この先の長い長い眠りで幸せな夢が見れるように、ユリアの事を忘れてしまわぬように。
しばしの抱擁の後、二人はゆっくりと離れた。
ゼフィールの頬に手を添え、ユリアが優しく囁く。
「ゼフィール、瞳も銀色になっちゃったのね。緑の瞳、綺麗で好きだったのに」
「ユリアもな。銀髪銀瞳でお揃いだ。まぁ、後約三……いや、四名もお揃いだが」
「確かにそうね」
ふふっとユリアが笑う。何が面白かったのかは分からないが、彼女が笑ってくれたので、ゼフィールも笑顔を返しておいた。
「行きましょう」
頬に添えていた手をユリアが下ろす。その手を掴むと、ゼフィールは頷いた。
「ああ」




