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06 中央政府(後編)

 学校の授業中、先生の話を聞かなくてはいけないと頭の中ではわかっているのに抗いようのない睡魔に夢うつつになったことが何度もある。起きているつもりで実は寝ていたという経験。それは些細なことで不意に覚める。例えば先生のトーンが変わった声だったり、椅子の動く音だったり、友人に突かれるという直接的な感触だったり。

 それが今回は、マティの手を叩く音だった。乾いた音が大きく響き渡り、突如としてハッと頭がクリアになる。


「うむ。ウタコは清き灰色の人間じゃ」


 ハロウェルが水晶の上で満足そうに体を上下させていた。


「世界の多くの者は灰色の中でもがきながら正しき道を模索しておる。ウタコもその一人であるようじゃのぉ」

「つまりそれは」

「人格に目立った問題はないということだ」


 あたしの質問を全て聞くまでもなく、答えてくれたのはマティだった。

 どうやらいつの間にか人格診断というのが行われていたらしい。ハロウェルの目が煌いたように感じた時だろうか。考えてもよくわからないが、きっと心を読むとかそんな魔術なのだろう。地球で流行った魔法使いのファンタジーでもそんな術があったし。心を閉じるとか開くとか。

 

 ひとまずは合格したことに安心して胸を撫で下ろすと、マティが何かを書き取っていた手を止めて顔を上げた。そのまま持っていたペンで水晶を示す。


「次は魔力紋の登録に移る。水晶に触りなさい」

「はい」


 天辺に乗っているハロウェルを避けて水晶の正面に触る。とても冷たいのに、何故かじわりと温かさが伝わってくる不思議な水晶だ。その温度がゆっくりと水晶の中に戻っていくような感覚になったと思ったら、手の触れている箇所から水晶の中で気の流れのようなものが起こっていた。さっきまで透明だった水晶の中に薄い緑色の煙のようなものが現れ、酷く緩慢な動きでゆるゆると回りだす。


「うーむ…魔素との親和性が酷く弱い。生まれたての赤子よりも危ういが…じきに馴染んでいくかのぉ」


 そう言ったハロウェルの方へ引っ張られるようにして回転していた煙流が水晶の上部へ集まっていく。煙はハロウェルへ流れ込んでいるらしい。

 ぶるっと体を震わせると淡く緑色に輝き始め、その頭上に小さな魔術陣が出現した。円一杯に描かれた複雑な模様は細かすぎてごちゃごちゃしているようにしか見えない。しかし纏う光がキラキラと光り輝くのはとても美しい光景だった。やがて水晶の上で、ハロウェルの体が変化していく。五センチ程で伏せるような体勢だったのに、縦に倍ほどの大きさへ変わっていった。そして光が収束したとき、水晶の上には小さな女の子が佇んでいた。


「うむ、これがウタコの魔力で作った姿か」

「これは…大変可愛らしい」


 一瞬だけマティの表情がだらしなく緩んでいたのをあたしは見逃さなかった。しかし、マティがそんな顔になってしまうのも仕方ない存在がそこにあった。

 春に芽吹く若葉色の髪が艶めいて、どこか哀愁漂う目元は勿忘草の青に色付いている。小さな姿と相俟って庇護欲を誘うのは間違いない。これで涙でも流れようものなら悲劇のヒロインは貴女しかいないと言いたくなる。

 当の本人はうむうむと自らの姿を眺め、マティを見上げた。


「マティ、ハンカチ」

「は。両腕をお挙げください」

「む」


 マティがジャケットのポケットから取り出したのは白いレースのハンカチだ。それをバンザイ状態のハロウェルへ器用に巻きつけていく。なぜそんなことをするのかと言えば、人の姿へと変わったハロウェルが裸だったからだ。…小人としか呼べないサイズだが、体つきはれっきとした女性である。


 服代わりのハンカチを身に纏ったハロウェルは、水晶の上にちょこんと座ってあたしを見上げた。


「驚かせてすまなかったのぉ」

「えっと、今のが魔力の登録ですか?」

「うむ?いや、今のはウタコの魔力を妾が覚えただけじゃ。そしてその魔力をカードに付与させることで登録完了となる」

「ハロウェル様の種族であるフロレナ族は他者の魔力を取り込み、全く同じ性質で具現化、付与することを得意としているのだ」


 こんなことも知らないのか、というような顔でマティがあたしを見下ろす。全く知らなかったことなのは間違いないので、その態度に腹立たしさも感じない。何より少し自慢げに胸を張る姿に脱力する。

 絶対、マティはハロウェルのことが好きだ。それがどんな意味の愛情なのかわからないけど。内心では愛らしいハロウェルに思いっきりでれでれしてるに違いない。

 そんなことは微塵も感じさせない鉄仮面で、マティが白いカードを一枚取り出した。それをハロウェルにそっと差し出す。人型になったとはいえ、ハロウェルの身長は十センチ程度。体の半分以上もあるカードを抱き締めるように受け取っていた。そのまま体を触れさせて瞼を下ろす。


魔力転写(レトラクライ)


 何か小声で喋ったあとに聞こえたのは呪文のような一言だった。

 ハロウェルに触れているところから侵食されるようにして白かったカードが緑色に染まる。全てが染まるとすかさずマティがカードを取り上げた。

 ほっと息を吐いたハロウェルが目を開いて足をぶらぶらと揺らした。


「うむ。これで魔力登録は無事に終わったのぉ。あとはカードにウタコがサインを施せば完了じゃ。…マティ」


 ハロウェルがマティに目で合図する。カードがあたしの目の前に置かれ、隣には羽ペンのようなものがさっと用意された。羽ペンなのにインクがない。疑問に思ったことに気付いたのだろう。くつりとハロウェルが笑った。


「それは魔力で書く特殊な魔術具じゃ。持つと勝手に魔力を吸ってくれる」

「お前は魔力が少ないようだ。できるだけ素早く書きなさい」


 持ち続けていると無駄に魔力を吸われ、魔力がなくなると体内の魔素を奪い始めるらしい。…さんざん会話に出てきたけど、魔素と魔力の違いってちゃんと聞いていなかった。あとでシンに聞いて教えてもらおう。

 分かったふりをして頷くと、あたしは羽ペンを手に取った。体の表面がざわり粟立ち、握った羽ペンの方へ流れているような気がする。嫌な感じに急かされる様にして、あたしはカードに自分の名前を記入した。書き終わった瞬間にペンを放すと、違和感は消え去るものの、軽い疲労感が残った。


「純水晶と違って、このペンは魔素との相性がイマイチだからのぉ。魔力を強制的に引き出されるのは嫌な気分だろう。しかし、これで全て終わりじゃ」


 記された名前の文字が橙色に輝いた緑色のカード。それがあたしの身分証明証だ。


「この身分証明証は本人が手にすると、魔力に反応してそのサインの部分が輝く。また、カードに記憶させられた魔力情報と純水晶で読み取った情報を照合することで本人証明となる」


 説明を実演するようにしてマティがあたしのカードに触れると、輝いていたサインは光を失い、その署名すらもカードに溶け込んで見えなくなってしまった。再度あたしが触れるとサインが浮き出て輝く。これはすごい。


「ジャンパーニュ国内では証明証として大抵の役割を果たす。しかし他国ではその限りではない。国を超える場合には注意するように」

「わかりました」


 真面目に頷くあたしをハロウェルが足を揺らしながら見つめている。何か言いたそうな目に首を傾げると、ハロウェルが青色の瞳を細めた。


「ウタコの名はこの国で少しばかり有名じゃ。謂れもない言葉も耳に入るだろう。意味の分からない賞賛も浴びるだろう。だが、ウタコの存在は妾が証明しよう。保証しよう。大丈夫、西崎詩子はここに()る」


 

 思わず言葉を失うあたしに、優しく微笑むハロウェルの眼が輝いた気がした。




 部屋から出ると、入ったときよりも政府の中が騒がしくなっていた。受付に並ぶ人、椅子に座って待っている人、忙しなく行きかうスタッフ。朝よりもずっと人が増えている。ハロウェル達と居た部屋の中は外の音が一切入ってこなかったから、こんなに人が集まっているなんて気付かなかった。

 シンを探して見回すと、椅子に腰掛けている見知らぬ男性と目が合った。驚いたように目を見開く男性から、そっと目線を下げ帽子を深く被る。ハロウェルに変なことを言われて他人が気になるようになってしまったようだ。


「自意識過剰か、もう」


 頭を振って気を紛らわせていると、こちらに向かってくる足音があった。


「詩子さん!」


 駆け寄ってくるシンを見つけて緊張が和らぐ。


「随分長かったからどうしたかと思った。カードは貰えた?」

「うん、大丈夫だったよ。カードもばっちり」


 矢継ぎ早に問いかけてくるシンにもらったばかりのカードを見せると、心配そうに下がっていた眉がきゅっと上がって笑みを浮かべる。


「よかった。何か問題でもあったのかと心配したよ。でも、これで安心だね」


 何も無かったわけではない。マティのエルフ耳に始まり、よくわからない人格診断、ハロウェルの変身、最後には意味深なことを言われたりと驚くことばかりだった。そう伝えてもシンは可笑しそうに笑うばかりだ。


「アニマティウスが出てきたから発行人はハロウェルの婆ちゃんだと思ってたけど、そんなに可愛く人化したなら俺も見たかったな」


 アニマティウス。それがマティの本名らしい。

 この世界には黒エルフと白エルフがいる。黒エルフは黒髪赤眼と褐色の肌、白エルフは金髪碧眼と青白い肌が特徴だ。黒い髪に赤い瞳、そして白い肌を持っていたマティは黒と白のハーフだとシンは言う。


「本来ならエルフは魔力の強い親の容姿に似るはずなんだ。でも、親が同じくらいの魔力だとアニマティウスみたいになるケースが稀にあるらしいよ」

「珍しいんだ。…黒エルフと白エルフの仲は良いの?あたしの世界では仲良しのイメージがあんまり無いんだけど」

「険悪な時代もあったみたいだよ。でも今は和解が進んで交流もあるし、黒と白で一緒になるのも増えてきたかなぁ。そうそう、灰エルフなんて名乗るエルフもいるって聞いた」


 話しながらシンと一緒に政府を後にすべく玄関に向かうと、あたし達の受付をしてくれたお姉さんが外から入ってくるところだった。お遣いか、休憩でも行ってきたのだろうか。つい見つめてしまうと、お姉さんがこちらに気付いてにこりと微笑んだ。


「証明証は無事に発行できましたか?」

「はい、お世話になりました」

「それは良かったです。気をつけてお帰り下さいね」

「有難う御座います」


 お姉さんはそのままその場に立ち止まり、小さく手を振ってあたし達二人を見送ってくれた。 


 外に出るともう太陽は高く昇り、街中の喧騒も大きくなっていた。


「そろそろお昼か。詩子さんも疲れただろうし少し休んでいこう」

「うん、ありがとう」


 さりげなくあたしの手を握るシンに引かれて、近くのカフェへと立ち寄った。ログハウス風の落ち着いた内装の店内は、お昼時で忙しくなり始めたころだったのだろう。その雰囲気とに反してとても活気に溢れていた。飲み物と軽い昼食を注文してから、先ほどのハロウェル達の話を続ける。 


「人格診断の方法はいろいろあるけど、ハロウェルの婆ちゃんは心眼持ち。相手の心を読み取ることができるんだよ」

「心眼?」


 フロレナ族には心眼と呼ばれる特殊な力がある。相手の心を読み取り情報を得る能力だとシンは言った。あたしが予想したとおりの方法だ。魔術ではなく特殊能力のようだけど。


「一族の中でも数人しか持てないらしいんだけど…噂だと、先代が死んだら後継者がその両目を飲み込むことで力を受け継ぐって言われてる」

「飲み込むって…食べるってこと?」


 内容が内容だけに二人して小声になってしまう。驚くあたしに首を縦に振ったシンは「あくまで噂だけどね」と肩を竦めた。噂だとしても、眼球を食べるなんて想像もしたくない。カエルの姿でパクリと一飲みでも、あの可愛らしい小人姿で目玉を抱えでガブリでもモザイク間違いなしだ。


「そういえば、あの人化は完全に婆ちゃんの趣味だから魔力登録には関係ないよ」

「え、そうなの?」

「魔力を取り込むだけならわざわざ姿を変える必要なんてないからね。でも、他人の魔力でどんな姿になるのか試すのが楽しいって前に言ってた」


 あんなに神秘的な光景がただの趣味で繰り返されているとは驚きだ。ちなみにシンの時は透き通るような白髪が美しい少女の姿になったらしい。是非見てみたい。その時のマティも僅かに頬が緩んでいたそうだ。


「あんなに美形なのにデレデレな姿はちょっと残念だよね」

「確かに。でも、エルフはフロレナ族に対して過保護だから仕方ないよ」

「どういうこと?」


 フロレナ族はその能力から魔術的存在価値が高く、更に人化したときの姿は愛玩目的でも人気が高い。フロレナ狩りというのは今でも完全には無くなっていないという。そこで、同じ森の民として友好関係を結んだのがエルフだ。


「フロレナ族はエルフの近くに集落を作り守ってもらう。エルフはフロレナと協力して己の魔術を高める。そんな関係が大昔から続いてるんだ」


 その影響で、エルフはフロレナを守るべきものという目で見る傾向が強い。長命なエルフに比べ、フロレナが短命だということも庇護欲を更に高めているのだろうとシンは呟いた。なんとフロレナ族の寿命は平均して三十年という短さらしい。百年以上生きるのが普通のエルフからしたら、それはとても儚い存在だろう。

 ちなみにハロウェルは既に四十を越えているというから驚きだ。だから尚更、マティの過保護には拍車が掛かっている。いつ別れが来るかわからない不安からかもしれない。


「あんなに元気なんだからまだまだ大丈夫だと俺は思うんだけど」


 しんみりした空気を払拭させる明るい声でシンが笑った。

 

「さ、お腹一杯にして買い物に行こう。まだまだ行くところはあるんだから」


 ウェイターが頼んだ料理を運んでくるのが見えて、あたしも気分を入れ替えた。



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