04 有翼種
ふっと浮かび上がる意識に目を開いたあたしが見たのは、心配そうに見下ろしてくるエリィさんの美貌だった。
「詩子ちゃん!良かった、意識が戻って…」
安堵の息と共に身体の力を抜いたのだろう。あたしが寝かされているベッドにくったりと頭を押し付けた。
どうしてこんなことになっているのだろうと考えて、布団に広がるエリィさんの髪が少し濡れていることに気付く。起き上がって自分の姿を見てみれば、最初に着ていたジャージ姿に着替えさせられている。
…思い出した。エリィさんと一緒にお風呂に入って、そしてあたしは驚き過ぎて気を失ったのだ。
「あの、すみません。迷惑掛けたみたいで」
「いいえ。私の方こそ驚かせてごめんなさいね。てっきりシン君が話しているものだと思って」
顔を上げたエリィさんが申し訳なさそうに謝る。
ちょうどそのとき、シンが水の入ったコップを持って部屋に入ってきた。意識を取り戻しているあたしに目を見開いてから、表情を和らげた。
「目が覚めたんだ、良かった。はい、水持ってきたよ」
「ありがとう」
差し出されたコップを受け取りゆっくり水を飲むと、湯上りで水分を欲していたのか身体に染み渡るように消えていった。なんとなくはっきりしなかった頭もすっきりしたように感じる。そうしてようやく、お風呂場での出来事を落ち着いて考えられるようになった。
「それにしても、その…びっくりしました。エリィさんの背中に、羽が生えるなんて」
そう、あれが夢でないのなら、あたしはエリィさんの背中に翼を見たのだ。
出会った時も今もエリィさんの背に翼などない。その姿は人間そのもの。入浴時も途中までは変わりはなかった。
他愛のない話をしながら一緒に入り、体を洗って湯船で温まる。そろそろあがろうかという頃に、先に湯船を出たエリィさんは「ちょっとシャワーで流しちゃうわね」と何てことないようにシャワーノズルを手にとって、次の瞬間には背中の肩甲骨辺りから光の粒子が溢れ出始めたのだ。
ぽかんと見つめるしかないあたしの目の前で、その光は一対の翼を象っていく。柔らかな光が収まったときには白の中に僅かに混じる茶色の翼が確かに生えていた。
今日一番のあまりに現実味のない光景に、あたしは意識を手放したというわけだ。
「ごめん、詩子さん。俺もすっかり話すの忘れてて…考えてみれば自分のこと何も話してなかった」
顔を上げたエリィさんの隣に座り、シンは語り始めた。
このレトラスには人間以外の種族が数多く存在する。それは既に話題に上っていたが、シンとエリィさん自身もその人間以外の種族に該当するのだ。
二人は鳥型の獣人にあたる有翼種。有翼種は主に翼の形に一族の特徴が出るようで、二人はファルの一族の血を受け継いでいるのだという。しかし、そういった特徴で一族を見分けられるのは同族くらいなもので、一般には大きさや色くらいでしか違いを感じられない。よって、多くの場合には鳥型獣人の総称として有翼種が使われているそうだ。
そしてあたしが驚かされた翼の出現。有翼種の翼というのは魔素で構成されている。この魔素は体内に取り込むことのできる物質なので、必要のないときは分解して仕舞っているというわけだ。
「つまり翼の形をした魔力の塊みたいなものなんだ。取り込めるのは魔素だけだから汚れなんか気にしなくていいものなんだけど」
「有翼種の性質として綺麗好きっていうのがあって、翼に必要ないってわかってても水浴びしたくなってしまうの」
つまりあのバスルームは、翼を伸ばしても大丈夫なように余裕を持った広さで作られていたのだ。そんな理由、言われなかったら絶対にわからない。
翼のためと言えば、あたしが借りたエリィさんのワンピース。背中に作られた穴は翼を出すときの利便性を考えてのことだった。ただのセクシーデザインではないとのこと。「有翼種の間じゃ、男女関係なく一般的よ」と笑われてしまった。そう言われて思わずシンの服も見てしまったのだが、彼は「必要ないときは普通の服も着るから」と穴の開いていない後姿を見せてくれた。
「これはどうでもいいんだけど、姉さんが紫翼操縦士って呼ばれるのは翼があるからなんだ。各機関車には担当操縦士を象徴するモチーフを飾るからさ」
「他に有翼種がいなくてちょうど良かったわぁ。種族の特徴が被ると個性を出すの難しいときがあるもの」
同僚の獣人たちの間で一悶着あったことがあるらしい。思い出して溜息を吐くエリィさんもまた美しかった。ただの溜息が吐息に聞こえるのは気のせいではないと思う。
「そういえばシンの翼はどんな感じなの?」
同じ一族ならお姉さんと同じ姿なんだろうか。あわよくば見たい。そんな期待を込めて見つめてみるが、シンは肩を竦めた。
「姉さんとそんなに変わらないよ。そのうち見せる機会もあると思う」
家の中では普通出さないから、とシンは室内を見回して小さく笑った。
部屋と言えば、あたしが寝かされているのは見たことのない新しい一室だ。聞いてみると、シンの部屋の向かいにあるゲストルームだという。最低限の家具とベットしかない簡素な部屋だ。
「あぁ、ここを詩子さんの部屋にするつもりだから、何か足らないものがあったりしたら言って」
「ちゃんと鍵も掛かるから安心よ」
「何から何まですみません」
本当にお世話になりっぱなしだ。シンが意図してあたしを喚んでしまったという証拠もないのに、保護するのが当たり前というように気にかけてくれる。あたしが好きなキャラクターだからというのが大半の理由なのだろうが、エリィさんに至ってはその理由さえ通じないのだ。
素直に感謝して、できるだけ早く自立しなくてはならない。勿論、帰る手段も探しながらだ。
「それじゃあ、今日はこのまま休んでしまいましょう。明日はシンと一緒に買出しにいってくるといいわ」
「政府にも行ってくるから。姉さんは?」
「付き添いたいけど休めないのよ。ごめんなさいね」
そうシンに答えたエリィさんがあたしの手を握る。
「しっかりシンに案内してもらって、楽しんでいらっしゃい。きっとびっくりすることの連続よ」
ぱちりと完璧なウインクを見せて、エリィさんは部屋を出て行った。シンは呆れた顔をしていたけれど、あたしに「おやすみ」と声をかけて部屋の明かりを消していなくなった。扉の閉まった向こう側ではまだ物音がする。二人はまだ寝ないのかもしれない。
「いつの間にか、敬語無くなってたな」
シンの話し方が慣れてきたのか、敬語がだいぶ薄れてきた。エリィさんの前で素になっていったというのもあるんだろうけれど。少しだけ近付いた距離に悪くない気持ちを抱きながら、あたしは横になってゆっくりと目を閉じた。