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03 綺麗なお姉さん

 お姉さんが帰ってくる予定時刻は午後六時。タイムリミットまで二時間を切っているが、お風呂と夕飯の用意だけならそう慌てるほどの時間でもない。そう考えたあたしは甘かった。

 まず、バスルームに案内されて、その広さに固まった。バスタブは足を伸ばして入れるくらいだから、ひとまず普通。シャワーや水道の設備も変わらない。しかし、体を洗ったりするバススペースがやたら広く取られているのだ。多分、そこだけで四畳くらいある。無駄としか思えない。何てことは無い顔で説明をするシンの様子に、これが異世界のお風呂の常識なのだと思うことにした。ほら、幼い頃に親子で入るとか広い方が便利だものね。そういうファミリーサイズなのよ、きっと。

 既に洗ってあったバスルームは軽くシャワーで流して、湯船にお湯を溜めるスイッチを押せば終了。お湯は一定量で自動停止するというので、もうすることはない。


 リビングに戻って、カウンターキッチンとなっているそこに立ってからが問題だった。


「買い物もすっかり忘れててあるもので作ることになっちゃうんですけど…えーと、ベジカリーならできるかなぁ」


 冷蔵庫の中を眺めながら、自信なさそうに呟くシンを見た時点で気付くべきだったのだ。しかし何も知らないあたしはシンの指示を仰ぐだけ。取り出される野菜を受け取って、水で洗うとまな板の側に置いていく。野菜は見慣れた形から、全く味の予想がつかないような変なものまで様々だ。外国の野菜売り場みたい。知ったことある野菜が並んでると安心する感じ。

その中から見た目通りなら人参と思われる野菜を手に取ったシンは、まな板に置いてから勢いよく包丁を振り下ろした(・・・・・・)。効果音をつけるとしたらスパーンかストーンか迷うところ。真ん中から分かたれた片割れが、虚しく転がってシンクに落ちる。


「……えーと、シンくん?」

「あはは、ちょっと勢い強すぎたかなー!」


 明らかに動揺しながら震える手で人参を拾うと、再び包丁を構える(・・・)

いや、まず包丁ってそんな大袈裟に構えるものじゃないよね!?


「シン!シン、落ち着いて。ストップ!」


 包丁が振り上げられる前に、シンの両肩を掴んで動きを止める。このままじゃ人参が弾き飛んでいく未来しか見えない。人参だけで済めばいいが、一歩間違えば指の一本や二本飛んでいってもおかしくないレベルだ。

 あたしを振り返ったシンは、今にも泣きそうな顔で項垂れた。


「実は俺、少し料理が苦手なんです」

「少しじゃないよね!?」


 いつもは出来合いのものを買ってきて食卓に並べているのだが、今日はあたしのトリップという事態にすっかり買い物を忘れ、更に一緒に作るとあたしが言ってしまったため舞い上がって気付けば今に至る。そう落ち込みながら話してくれたシンをあたしだけは責めることができない。もともと責めるつもりはなかったけど、原因の大半はあたしだからね。

 肩を叩いて慰めるとシンの体をそっと押して横に移動させ、場所を入れ替わる。


「あたしが作るから、シンは手伝ってくれる?勝手が違うから、どうしても教えて欲しいことはあるし」

「はい。俺が作れなくてすみません」

「得手不得手は誰にでもあるじゃない。あたしも得意ってわけじゃないけど、出来ることがあるのは嬉しいよ」


 シンが作ろうとしていたベジカリーというのは、地球でいうカレーに似た料理らしい。確かに見たことのある野菜は人参だけでなく、ジャガイモと玉葱もあった。ただし名前は、キャロル、ポタット、ロニオン。どことなく地球の面影が見え隠れする名称だ。キャロルとポタットは特に変わったこともなかったが、ロニオンは切ってみると中身が赤かった。色の濃い赤玉葱といえばわかりやすいだろうか。他にはハート形のピーマンにしか見えないプリカ。しかし味は苦味より甘味が強かった。真っ赤でズッキーニのような形をしたキトマは、食べるとかなり酸っぱいトマト味。あまり生で食べたいとは思えない。

 そういった野菜をひたすらカットして、鍋で炒めた後は水を加えて煮込み、市販されているベジカリー専用調味料を溶かして出来上がり。本来なら調味料とスパイスを混ぜるのだが、元の味を知らないあたしに再現は難しいから遠慮なく使わせてもらった。

 完成したベジカリーは、最後に投下した調味料でとろみのついた赤茶色のスープに変わっている。味はカレーとビーフシチューを合わせたようなもの。酸味が強く感じるのはキトマが多かったのかもしれない。お肉を入れていないのにコクがあるのは、調味料自体に含まれていたようだ。…食べられるが、特別に美味しい仕上がりではない。あたしの作り方がまずかったのか、それともこれで正解なのか。

 納得のいかない顔をしていたのだろう。シンも味見用に少量を皿に取り分け口に入れた。


「…美味しい!詩子さん、美味しいよ!」

「これでいいの?」

「ばっちり!これ食べたら姉さん驚くよ」


 「もう一口だけ」と言って味見のおかわりをしているシンからお世辞を言っている様子もないので、これがベジカリーという料理の味なのだろう。自分の舌が肥えているとは思わないが、海外で現地の料理が合わないなんてよくある話。味覚に違いがあるのか、単に食文化の問題なのか、今のあたしにはわからない。とりあえず食べられる味だっただけで良しとする。


 出来上がったメニューは、あたしの作ったベジカリー。添えるように置くのはナパというもっちりした白いパンだ。ターレと呼ばれる、サニーレタスのようなカラフルな葉っぱを千切っただけで出来るサラダはシンの担当。ドレッシングも調味料を混ぜるだけなので、味見をしながら簡単に作れた。

 全ての料理をテーブルに並べ、エプロンを外したところでチリンチリンと鈴のような音がリビングに響き渡った。時計を見れば六時ジャスト。時間ギリギリで間に合ったようだ。


「ただいま。お姉ちゃんが帰ったわよー」


 女性らしい穏やかな声が、明るい気分をそのまま表すようなトーンで紡がれる。

 帰ってくることがわかっていたとはいえ、知らない人と初対面というのは緊張する。きゅうっと胃が縮む不快感に強張りながら隣のシンを見ると、小さな声で「大丈夫」と安心させるように微笑んでくれた。同じ家の中で、玄関からリビングまでの短い距離だ。心構えなどしてる暇はない。


 あっけなく姿を現したシンのお姉さんは、とても綺麗な人だった。最初に引き込まれたのは宝石のように煌く海色の瞳。瞼がぱちくりと落ちて開くたびに輝きが増すように感じる。綺麗なお姉さんは視線を横にいるシンに映すと、両手を口元で合わせ花が綻ぶようにふんわりと笑った。


「シン君ったら連絡くれればよかったのに。彼女にお姉ちゃんの服を着せなきゃいけないようなことしてる時に、私が帰ってきたらお邪魔だったでしょう?」

「俺が二次元しか興味ないの知ってて良くそういうこと言うよな」

「だからこそじゃない。やっと現実にもシン君の興味を惹く素敵な人が…あら?貴女どこかで…」


 こてんと首を傾げたお姉さんの微かに色づく紫色の髪が胸元で楽しげに揺れる。形良く張り出した膨らみはあたしの理想サイズだ。見惚れて呼吸を忘れるあたしを呼び戻すようにシンが肘で小突いてきた。ハッとして姿勢を正す。


「西崎詩子です。…えっと、あたし…」


 困った。どういう自己紹介をしたらいいんだろう。トリップしてきましたと正直に言っていいのか、シンの友達ですと言えばいいのか。…

 ここはシンの出番よね?大丈夫って言ったよね?縋るようにシンを見ると、彼が喋る前にお姉さんが口を開いた。


「シン君。いくらゲームの詩子さんが好きだからって、彼女にそれを演じさせるのはどうかと思うわ。確かに見た目は似てるけど…まさか外見だけで選んだんじゃないでしょうね?貴女もこの子の我侭に付き合うことないのよ」


 垂れ目気味でおっとりとした印象を受けるお姉さんが、諭すように語りかけてくる。責めるような気持ちが一切篭っていない優しい声で言われると思わず謝りたくなるけど、残念ながら本人なんです。あたしと違ってシンは慣れているのか動じた気配がない。彼女にゲームのキャラクターのふりをさせるという特殊性癖だと思われてるのに流石だ。

 それにしてもお姉さんまで西崎詩子(あたし)を知っているのは弟の影響か、オタクでなくとも視界に入るような有名作品なのか、とても判断に困る。


「姉さん、演じてさせてるわけじゃなくて本人なんだ」

「あら、同姓同名なの?」

「そうじゃなくて。詩子さんは二次元からトリップしてきたんだよ」


 迷うことの無い真剣な眼差しで言ったシンにお姉さんは口を噤んだ。あたしとシンを交互に見やり、静かに息を吐くと「きちんと話しなさい」と言って、ソファに座った。




 話すように言われたところで、あたしもシンも大して言えることはない。朝からの出来事を包み隠さずお互い話し終わると、お姉さんは顎に指を当てて考え込んでいるようだった。シンも思考するときは同じポーズをしていた。髪と目の色は全然違うが、ほんのり下がった目元はよく似ている。血の繋がりを見つけて、改めて姉弟なんだなと実感する。


 沈黙の中、お姉さんが顔を上げた。

 

「話はわかったわ。シン君が魔力を感じたというし、魔術が関係しているなら次元を越えてしまうというのも…可能性がゼロとは言えないものね」 


 この世界でも魔術の全てが解明されているわけではない。信じられないような現象も起こりうるのだ。だから、あたしを否定することはできないとお姉さんは頷いた。しかし、何か腑に落ちないことがあるようにシンを見つめる。


「シン君、魔力は後ろから感じたのね?」

「うん。…それがどうかした?」


 シンが当時座っていたという場所は、ちょうどお姉さんが座っているところだ。テレビの真正面にあたる特等席。背後を確認するように振り返るが、ソファの背凭れと真っ白な壁しかない。お姉さんは何かを振り払うように緩く首を振った。


「なんでもないわ。この壁の向こうは私の部屋だし…手掛かりもないのね」

「そうなんだよ。…これはもう神様が俺の願いを叶えてくれたとしか思えないだろ?」

「案外そうかもしれないわねぇ」


 部屋に満ちていたシリアスな雰囲気を茶化すようにシンが言うと、それを感じ取ったのかお姉さんが便乗して微笑む。その笑顔だけで光が差し込んだように明るくなった気がした。


「弟の願いを神様が叶えてしまったなら、それを願ったシン君に責任があるわ。きちんと貴女のことは守らせるから安心して」

「お言葉に甘えるしかなくて申し訳ないんですが、本当に、よろしくお願いします」


 引き継いだ神様云々の冗談をそのままに、頼もしい言葉を貰って頭を下げると髪に温もりが置かれる。そのまま優しく髪を撫でながら頬に手を滑らせると、そっと顔を上げさせられて目が合った。


「私はエリシア・ウィスターノ。シンの姉です。これから宜しくね、詩子ちゃん」


 手の平は温かいけど、指先は冷たい。そんなお姉さんの手に不思議な安心感を感じながら、あたしはこくりと頷いた。エリィさんの瞳の中の海が穏やかに凪ぐ。 


「ふふ、妹ができたみたいで嬉しいわ。私のことはエリィって呼んでね」

「はい。…エリィさん」

「なぁに、詩子ちゃん」

「ストーップ!!」


 「呼んでみただけです」という声は吐き出されることなく割り込んできたシンに奪われた。


「なんだよ、この恋人になりたての二人が初めて名前で呼び合うみたいなシーン!俺のときはこんなことにならなかったのに!」


 触れていたエリィさんの手をぺっと剥がして投げ捨てるシンは、体全体を使って心の底から悔しがっていた。そんな姿にエリィさんと目が合って、同時に呆れた苦笑が浮かぶ。シンが勝手に感じていた甘い空気は完全に霧散したようだ。


 「そんなことよりご飯にしましょう。冷めちゃったかしら?すごく美味しそうな香りでずっと気になってたの!」


 そのまま三人で夕食を囲むこととなった。

 ベジカリーはシンの予想通りエリィさんの口にも合ったようで、おかわりするほど気に入ってくれた。エリィさんは普段から酸っぱいものを好んで食べるらしく、キトマはおやつ感覚で食べられると言っていて驚いた。さらにあたしをびっくりさせてくれたのが、なんとエリィさん、既婚者だと言うのだ。髪と服で隠れていたチェーンを胸元から引っ張ると指輪が出てきた。細い指先で掴んだリングを幸せそうに見せてくれる。こんな美人を射止めるなんて相手の男性は勝ち組すぎるでしょ。


「旦那さんはどんな方なんですか?」

「姉さんにデレッデレの残念イケメン」

「シン君」


 咎めるようにエリィさんがシンを呼ぶが、言葉とは裏腹に緩みきった表情はあたしのお腹も一杯にしてくれた。こんな可愛くて綺麗な奥さんならデレデレのふにゃふにゃになっても仕方ないと思う。しかしエリィさん曰く、それだけではないようで。


「一人暮らししてるシン君が心配で週に一回はこうやって様子を見に来てるんだけど、そういうのも弟離れしてないって怒る人は怒るでしょう?あと私の仕事のことも理解して、助けてくれているわ。心から支えてくれるの。…私もルークにとってそうであればいいんだけど」


 あ、これ話題の振り方失敗した。

 物憂げに溜息を吐く姿に、シンがもう聞いていられないというようにテレビのスイッチを入れた。特に見たい番組があったわけではないのか適当にチャンネルを変えている。

 見たことない映像ばかりの画面がかなり気になるが、エリィさんの話をおざなりにするわけにいかない。


「へぇ、すごく素敵な旦那さんなんですね。…ところで、エリィさんのお仕事って?」


 強引に話題を変えにいったあたしをチラリと見て、シンがにやにやしていた。何が悲しくて惚気を長く聞かなきゃならないのだ。


「私?魔道機関車(レトライン)紫翼操縦士(ラーヴェファーラー)よ」

「れとらいん?」


 クエスチョンマークを浮かべたあたしにエリィさんは快く説明をしてくれた。


 魔道機関車とはジャンパーニュ国の主要都市間を繋いだり、街の中心地を巡る乗り物だ。シンに見せられた窓の外、空中に浮いていたレールを走る列車のことである。トラッツェンで所有されている列車は七台。各列車は分かりやすいよう屋根が違う色で塗装されている。虹を連想させる赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色だ。その中で紫の列車、ラーヴェラインを操縦しているのがエリィさん。


「基本定時だけど、昼夜交代制だから少し不規則なの。それも都市間運行に当たると短くて二、三日はトラッツェンを離れることになるしね」


 それは確かに旦那さんの理解が必要になるかもれない。共働きが当たり前の現代日本ならまだしも、この世界はどうだろう。もし、女は黙って専業主婦なんて価値観が主流だとしたら、エリィさんを支えてくれる旦那さんの存在はかなり大きいはずだ。見たこともない残念イケメンの評価がぐぐっと上がる。


「街に慣れたら魔道機関車も是非乗ってみて。私の機関車だったら張り切っちゃうんだから」

「絶対乗ります!空を走る機関車なんて夢みたい!」


 あたしは二つ返事で頷いた。本当に夢のような世界なのだ。想像して頬を緩ませたところで、シンが立ち上がる。


「姉さん、風呂沸いてるから入ってきてよ。今日からは詩子さんもいるんだし。食器は片付けておくから」

「あ、そうね。ありがとう」


 とうに食事は終わっていたエリィさんは立ち上がろうとテーブルに手を付いて、何か思いついたようにあたしを見た。


「詩子ちゃん、せっかくだから一緒に入らない?」


 このきらきらと輝く瞳は見たことがある。数時間前に誰かさんがフリフリエプロンを翳していたのと同じだ。そのときと唯一違うのは、美人のきらきらは断れないってこと。


 お姉さんがスキップしながらあたしの手を引いていくのを、シンが何ともいえない目で見ていた。



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