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02 出会いと、この先


「ところで詩子さんは、どうやってここに来たんですか?」


 シンのお姉さんのものだという服に着替え、軽く身嗜みを整えたところだった。

 若草色のワンピースは丸襟で、首元に揺れるレースの白いリボンが清楚さを際立たせる。しかし後ろは背中を見せるような間が取られていたので、シンに頼んでカーディガンをだしてもらった。ウエストを細身のベルトで調節しながら、ちょっぴり胸元が緩いことに気付いてお姉さんの体型に想像が広がる。あたしより大きいのは間違いない。服のデザインから考えるに、清純派かセクシー派か迷うところだ。シンの血縁と考えるなら清純そうだけど、性格は似るか正反対になるか予測がつかない。

 答えないあたしを訝しんだのかシンの眉が不安そうに下がり、視線を逸らさないでいるとおろおろと目を彷徨わせ始めた。出口を塞がれて慌てふためくハムスターみたいで可愛い。子供の頃に飼っていた真っ白なペットを思い出しながら、あたしはようやく口を開いた。


「わからないなぁ。いつも通り夜は家で寝て、起きたら此処だったし」

「命を落とすような事故や、何か不思議なことがあったってわけじゃないんだね」

「それがトリップの定番ってやつなら何にも。逆にあたしはどうやってここに現れたの?」


 昨晩はいつも通り大学が終わった後に花屋でバイト。コンビニで夕飯を買って帰宅し、ベッドに入るまで特に変わったことは何もなかったはずだ。部屋から出て長くない廊下を歩きながら、シンは顎に指を当てて考えているようだった。

 真剣な表情の彼を横目に、あたしは家の中を見回す。リビングまでに通り過ぎた扉を考えると3LDKみたいだ。一人暮らしにしては広いので、お姉さんも同居なのだろう。もしかしたら家族も住んでいるかもしれない。最初に目覚めた部屋もそうだが、間取りやインテリアは驚くほど日本に似ている。和風という意味ではない。全体的なコーディネイトの雰囲気に全く違和感を感じないのだ。新鮮さはあっても受け入れ難いものに出会わない。窓の外が衝撃的だっただけに、少しほっとした自分が居る。

 リビングは大きなL字型のソファが印象的だった。ソファの長さにぴたりと合うテーブルと向かい合う大画面薄型テレビ。思い出してみれば部屋にパソコンのようなものがあったのだから、これも驚くようなことではない。

 見ただけでふかふかだとわかるソファに座るよう促されて腰を下ろす。案の定、沈み込む体を必死に支えることになった。あたしの様子に笑うのを堪えたシンには気付かないふりをする。


「詩子さんがやってきたのは今朝だよ。ピュアメモ…あぁさっき見た詩子さんが出てるゲームね。それの新作CMが今朝初放送だったんだ」

「あれ、まだ続くの?」

「人気作品だからね。アニメ化も決まってるらしいし」


 考えがまとまったのかシンは話しながら、何も無い空間を指先で叩くような仕草をした。何らかの法則があるような叩き方だ。すると動きを止めた人指し指の先から白く光る線が伸び始め、正方形の形に浮かび上がった。呼吸を忘れて見入るあたしをよそに、シンはその枠の中に手を突っ込んだ。突っ込んだ先から手は出てこない。消えているのだ。スパッと途中で消えているように見える腕が僅かに揺れて、ゆっくりと引き戻されて出てきた右手には飴色の液体が詰まった硝子のティーポット。それをテーブルにかたんと置いて、再び手を空間に入れる。次に出てきたのはポットとお揃いのティーカップが二つ。手を引き抜いたあとは最初と同じように指先で宙を叩けば、光る線は薄れて消えていった。


「とりあえずお茶でも飲みながらゆっくり…詩子さん?」


 どうしたの?と言わんばかりの顔で小首を傾げるシンにあたしは言いたい。


「もしかしてとは思ってたけど、やっぱり魔法もあるの」

「魔法?あっ、そっか!詩子さんの世界は魔術がないって設定だったっけ。そうだよ、ここは科学と魔術が存在してる。俺にしてみれば魔術無しで発展した世界の方がずっと不思議だけどね。ちなみに今のは、空間魔術で作った収納スペースを呼び出せるよう部屋自体に魔術式が組まれているんだよ」


 「このマンションの売りの一つ」と紅茶をカップに注ぎながら微笑むシンは間違いなく異世界の住人だった。詳しく聞いてみると、個人の魔力紋と指先のリズムがIDとパスワードの役割を担い、それを魔術式に組み込んで認証しているという。魔力紋は地球で言う指紋のようなものだ。この世界の生き物は大なり小なり魔力を持って生まれてくるのが普通だ。その魔力には波長があり、同じものは二つとして存在しない。それを利用した便利システムなのだ。思わぬところで異世界を感じるはめになってしまった。

 興奮で僅かに速くなった心臓を落ち着けようと、差し出されたカップに口をつける。ふわっと広がるバニラの香りから爽やかに抜けていく紅茶の味。良かった、味覚まで異世界仕様じゃなくて。


「それで、さっきの話だけど…えーっと、CMの放送日だって言ったよね」

「うん、聞いた」

「ご存知の通り俺もピュアメモファンだから、そのCMは絶対に見逃したくなかったんだ。すっごく楽しみにしながらここに座って放送待機してた。だって3年ぶりの新作だからね!期待に胸を膨らませて、待ちに待ったCMが流れて、今回のテーマとなる花を背景に微笑む詩子さんのシーンになったとき!」


 そのときを思い出しながら語り始めたのか熱の篭った口調のシン。握り拳を作る姿に若干引きながら頷いて続きを聞いた。


「後ろから魔力の放出を感じたと思ったらテレビが光ったんだ。あまりの明るさに目を閉じて、次に目を開けたときにはテレビの前に詩子さんが倒れてた。ジャージ姿は園芸部イベントで何度も見てるし、成長した姿はCMから抜け出してきたとしか思えなかったからすぐわかったよ」

「へ、へぇ…」


 確かに着ていたジャージは高校時代に部活用で買ったものだ。運動部と違って園芸部は激しい動きがないから、土で汚れることはあっても買い替えるような事態には滅多なことじゃならない。卒業してからも捨てるには勿体無くて、ついパジャマ代わりにと使い続けていたのだ。

 だから、あたしの高校時代を知っているなら見覚えがあってもおかしくはないけれど…良い気分にはならないなぁ。あたしの知らないところで、あたしを知っている人がいる。どうにも慣れそうにない。

 滅入る気分を誤魔化そうと、もう一口紅茶を飲んだ。


「魔力が流れてきた背後も調べたけど何も無かったんだ。不思議に思ったけど、詩子さんを床に寝かしておくわけにいかないからベッドに移動させて、今に至るってわけ。詩子さんも信じられないと思うけど、俺自身まだ現実味が湧かないよ」


 困ったようにはにかんでから、あたしと同じように紅茶を口にするシンは、どこかうかれた雰囲気が拭えない。自分に置き換えてみたら、ファンだった芸能人が突然部屋に現れるようなものだろう。その気持ちはわからないでもない。その対象であるあたし自身に有名人の自覚がないから、戸惑いと気まずさしか生まれないわけですが。


「じゃあ、あたしがここに来た原因はよくわからないってことね。一応聞いてみるけど、魔術であたしを帰すことができたりしない?」


 言われると思っていたのだろう。シンは苦い顔をして首を左右に振る。


「それは多分できない。俺も専門じゃないから何とも言えないけど、異世界と繋がれる可能性が高いのは召喚術や送還術の類で古代魔術と言われてる。その実証は未だ成功例がないんだ」

「失われた古代魔術…それを調べてみるって展開がゲームならテンプレだと思うけど」

「あはは、確かに。一応魔術師の友達に声はかけてみる。でも、とんとん拍子で解決に向かうってことはないと思うよ」

「わかってる。念のため聞くだけでいいの」


 魔術師だとか召喚術だとか、話がどこまでも胡散臭くなってきたが、ゲームじゃなくてこれは現実。早く慣れて受け入れなくちゃならない。何だってダメで元々だ。どんなに足掻いてみたって帰れないときは帰れない。逆に、ふとした瞬間にはぽっと帰れているかもしれない。こんな非現実的なことになってる時点で先のことはほとんど予測不可能。考えても分からないことをいつまでも悩んでいたって解決するわけじゃない。問題を先送りにするだけだとしても、目の前にある全てを見定めていくしかないのだ。


「そんなに心配しなくてもきっと大丈夫だよ」

「シン?」


 前向きになるつもりが、また深く考え込んでいたあたしの陰気なオーラを掃うように、二杯目の紅茶を注ぎながらシンが明るく呟く。


「いつの間にか来ちゃったなら、いつの間にか帰れるっていうのも王道の一つ。さよならを言う時間くらいは欲しいけどさ」

「…そうだね」

「詩子さんは楽しんで過ごせばいいんだよ。日本じゃ絶対に体験できない、ファンタジーの世界を」


 あたしと同じように考えながらも、その上で楽しめとシン言う。楽観的な発言だけど、それに救われた。甘えた考えかもしれないが、楽しめるのならそれが一番だ。シンの言うとおり、あたしのいた場所とは百八十度違う世界。拒絶するより受け入れていったほうが精神的にも優しい。


「心配しなくてもこの世界のことは俺が教えるし、衣食住も任せて。もちろん出て行きたくなったら、ちょっと寂しいけど支援するし!」

「もう寂しがるのが決定してるなんて気が早すぎ」

「決定事項に決まってるよ!詩子さんは俺がどれだけファンなのか知らないから、わからないだろうけどさ!」

「その顔、かわいくないよ」

「ひどっ」


 子供っぽく頬を膨らませるシンに噴き出して笑うと、ショックを受けた顔をしていたのを忘れたように彼も笑い出す。笑えば笑うほど晴れていく心に、ようやく前を向けた気がした。


「よし、じゃあ次!しばらくシンに甘えるしかないけど、ずっとってわけにはいかないし、やっぱり仕事探さないと。あたしが働けるような場所ある?」


 生活する上で必要なこと。それはまず何においてもお金だ。お金を稼いで先立つものを作らなかったらやりたいことがあってもできない。これが手荷物を持ってトリップしてきたのだったら売って足しにできたのだけど、あたしはジャージ一枚という悲しい現実。どうにかして働く場所を見つけなければならないだろう。割と文明は発展しているようだから、就職するにも身分証明が必要そうなのが心配だ。そう話すとシンは軽く手を振って答えてくれた。


「身分証明なら問題ないです。中央政府(トラッツェンホール)で直ぐ作れますから。俺が身元引受人になりますし」


 政府(ホール)とは、日本で言う役所のことのようだ。トラッツェンはジャンパーニュ国の首都に当たるから中央政府。国が求める最低限の個人情報を申請する場所である。身元引受人がいれば特に厳しい審査は無く書類記入だけで完了するという。逆に引受人がいない場合には魔術による人格診断が行われるらしい。適正ボーダーラインは相当低く設定されているが、それに引っかかると魔術でマーキングされて問題を起こしたとき直ぐに判明するようになっているそうだ。魔術って便利。

 身分証明が簡単に作れてしまう理由は、政府の設置された都市にだけ人々が住んでいるわけではないからだ。シンから聞いて驚いたのだが、この世界には人間以外の種族も多くいるということ。未だ国ができていない大陸もあるし、国に属していても都市から離れた辺境に集落を持つ種族もいる。特定の場所に住居を持たない遊牧民のような者も当たり前。そんな彼らに住民登録を義務付けることは不可能に近い。しかし、そこから都市にやってきたとき身分証明が作れず生活できなかったら意味が無い。少なくともジャンパーニュはそういう考えで新しい民を幅広く受け入れているとシンは教えてくれた。


「この国はいろんな意味で寛容だからね。東にヴァルシュベルグって国があるんだけど、そこは入るにも一苦労。しかも入ったら出るのは不可能って言われてる」

「うわ、怖すぎる。ジャンパーニュで良かった…」 


 国の出入りに厳しい国っていうのは地球にもあったけど、どれを聞いてもそれが良い方向に働いているとは感じられなかった。その国で外を知らずに生まれ育ったなら、比べる価値観がないから不満も生まれないかもしれない。でも、日本からのトリップという形であたしが飛んでいたらどう感じていたか…想像する限りではハッピーエンドにならないと思う。


「身分証明が片付いたら俺の知り合いのところに行ってみましょう。仕事の斡旋してる奴なんで、運が良ければ見つかるかも」

「わ、本当?ありがとう。シンって知り合い多いんだね」

「俺自身の友達は少ないんですけどね。その数少ない友達経由で顔見知りはそこそこいます」


 照れたのか不自然に目を逸らしたシンが部屋の時計を見て小さく声をあげた。つられてあたしも時計を見ると、時刻は午後四時を回っている。数字の並びを見る限りでは、地球と変わらない作りの時計に時間の捉え方は一緒なんだなとぼんやり考えるあたしと違って、シンは慌てて立ち上がった。


「やっば、姉さんがもうすぐ帰ってくる時間だ!詩子さん、悪いんですけど政府にいくのは明日でいいですか?」

「全然構わないよ。…いきなりどうしたの?すごく慌ててるけど…」

「…俺の姉さん、帰ってきたときに夕飯とお風呂の準備が出来上がってないとすごく怒るんですよ…」


 遠くを見つめるその脳裏にどんな光景が浮かんでいるのかは、哀愁漂う背中で察した。姉弟でお姉さんが強いのはよくある話だ。きっと子供の頃から尻に敷かれてきたんだろう。それでも意外に仲が悪くならないのが姉弟の不思議。異世界でも兄弟間の繋がりは変わらないらしい。


「あたしも手伝うよ。時間遅くなっちゃったのはあたしのせいでもあるし」

「え、いいんですか!?やった、詩子さんと料理!エプロン探さないと!!」


 あたしの一言でシャキッと背筋を伸ばし飛び上がらんばかりにテンションがあがる変わり身の早さに呆れながら、スキップでエプロンを探しにいく後姿を見つめる。花でも散らしているのかと思うほど足取りの軽いシンに自然と口元が緩んで、異世界の生活を楽しもうと思える自分がいた。


「詩子さん、これでいい!?」


 きらきらと瞳を輝かせてシンが振り向く。

 …いくら楽しもうって言ったって、フリルたっぷりのピンクエプロンは却下しますけどね!


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