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01 気がつけば三次元

 最初に目に飛び込んできたのは知らない天井だった。

 青と白が描かれた壁紙は一瞬で青空だと理解できる。視線を動かすだけで行き止まりに突き当たる天井の広さは八畳ほどだろうか。不思議なことに電気が見当たらない。その代わりというように、大きく縁取られた窓から太陽の明かりが差し込んで明るい。ただ、朝の日差しではなかった。

 そして何より重要なこと。どう考えても、ここはあたしの部屋ではない。


「………ここ、どこ…?」


 目が覚めたら知らない部屋。体を起こすと軽く頭が痛んで思わず額を押さえた。昨晩はお酒を飲んだ記憶もなく、どちらかと言えば寝不足時のような重だるい鈍痛。しかしそれもすぐに落ち着いて息を吐いた。落とした視線が捉える服装は色気の欠片もないパジャマ代わりの黒ジャージ。念のため襟元から体を覗いてみるが乱暴を受けたような形跡はない。

 部屋を見回せばシンプルな一人部屋のようだ。自分が寝ていたベッドのほかにデスクとパソコン、窓とクローゼット以外の壁は全て棚が設置されている。扉が閉まるタイプで中身は見えない。

 何か手がかりがあるかとベッドから降りようとしたとき、扉をノックする音が三回部屋に響いた。返事をする間も無く、無造作に開かれた扉から顔を覗かせたのは淡い金色を輝かせた見知らぬ青年だった。


「あ、目が覚めたんだ。よかった!っていうか本物!やっぱり本物だぁ!」

「え、あの…」


 水にオレンジ色の絵の具をほんの少し溶かしたような薄い赤みがかった金髪。瞳は夏から秋へと移り変わる頃の優しい空色。日本人とは違うはっきりした顔立ちは一目で外国人だとわかるが、話す言葉は流暢な日本語でちぐはぐだ。外国人なら大抵は整った外見に見えてしまう程度の美的感覚なので、容姿についてはなんとも言えない。

 外国人はあたしを見るなり嬉しさを堪えきれないというように笑みを浮かべた。そんな表情を見せられる覚えもないあたしが戸惑うのも構わず、大股で傍に歩いてくると、ひしっと両手を握られた。


「ひっ、何!?」

西崎詩子(にしざきうたこ)さん、落ち着いて聞いてください」

「ちょっと、離して!イヤだって!」


 笑顔から一転、真剣な表情で見つめる青年に不安が膨れ上がった。なんであたしの名前を知ってるの?何度も言うがこんな外国人は知らない。あたしの記憶にないだけで出会ったことがあるとしても、覚えていないんだから大した知り合いではないはずだ。アルバイト先のお客さん?それとも同じ大学に通う生徒?仮にそうだったとして、こんな自分の部屋みたいなところに連れ込むなんて犯罪者の予感しかしない。

 振り払おうとしてもびくともしない両手に恐怖を感じて涙が滲む。


「やだっ、変態!何なのよ!」

「聞いてください!信じられないと思いますが、貴女はこの世界だと二次元のキャラクターなんです!」

「………」


 真っ直ぐ突き刺さる瞳の強さと比例するように、大きく声を張り上げて告げられた言葉に思わずあたしも黙り込んだ。


「…しかも、ギャルゲーの」


おまけとばかりに付け足された一言は何の救いにもならない。


「何それ」


 再び頭痛がやってきそうな衝撃発言だったが、はいそうですかと信じられるほど天然培養の純粋少女時代はとうに終わっている。

 不安と恐怖は吹っ飛んだが、何の解決にもなっていなかった。力が緩んでいた手を解いて眉間を抑える。

 あたしが困惑しているのを察したようで、青年が口を開いた。


「えっと、すみません。こんなこと言ったって信じられるわけないですよね。ていうか初対面の俺にこんなこと言われるとか詩子さんからしたらストーカーか変質者疑惑を持たざるを得ないと思うんですけど、残念ながら俺以外にも詩子さんを知ってるピュアメモユーザーはたくさん存在してるんです!世間での一番人気はやっぱメインヒロインの一色(ひとついろ)さんだけど、俺はパッケージ見たときから詩子さんがドストライクで!高校編の夏祭りスチルは今でも神だと思います!あ、もちろん大学デビューした詩子さんも好きなんですが、それが制作の狙いだとわかっていてもあんなに可愛くなられたら主人公じゃなくてもやきもきしますよ。しかも人気もぐんっと上がったし!あぁでも、ふとした瞬間に見せる高校生の頃の面影もたまらなくて」

「ちょちょちょ、ストップ!ストーップ!」


 突然のマシンガントークの内容に鳥肌が止まらない。怖い、なにこの人。青年に感じる得体の知れない恐しさもそうだが、それ以上に彼が発言する内容に一点の迷いも無いのが気になる。もし言っていることが本当だとしたら、あたしはこの世界で二次元の存在。彼以外にも一部の人の間で有名人。しかもギャルゲーって…そんなの全然嬉しくない。

 怯えるあたしに気付いた青年は申し訳なさそうに頭を下げた。しょんぼりと体全体で現す姿に何故か罪悪感が湧く。あたし、何も悪くないのに。


「ごめんなさい。気持ち悪かったですよね。こう見えて俺も混乱してるみたいで…夢見心地なんです」

「う、うん…まぁ、いいよ。いいけど、まずはそのゲームを見せてくれない?君の妄想じゃないとも限らないし」

「はい!ちょっと待っててくださいね!」


 しょんぼり姿は幻だったのか。意気揚々と部屋に並ぶ棚の一つを青年は開けた。

 ぎっしりと並べられているのはどうやらゲームソフトのようだ。ギャルゲーなんて言うだけあってゲーマーなのは間違いない。言い方は悪いが彼はオタクというやつなのだろう。

 日本という国に住んでいればアニメや漫画、ゲームに少しも触れないで大人になるなんてほぼ不可能だと思う。幼少期には子供向けアニメを見るだろうし、思春期には少女漫画が女子の間で一度は流行る。そこでどっぷりとオタク方面へ進む子もいるし、そうでなくても有名な作品は一般常識としてタイトルくらいは目にしながら大人になるだろう。ポップカルチャー、クールジャパン。そんな煽り文句でメディアが取り上げるようになってからは、それこそ今までオタクしか知らなかったような知識も入ってくるようになった。

 そんな現代でギャルゲーという単語を私が理解してしまうのも不思議ではない。彼らを偏見の目で見る時代は終わりつつあるのだから、彼がオタクであることはあたしにとってどうでもいいのだ。まぁ、あたしが彼にとって二次元の存在っていうのはなかなか斬新でショックだけど。


「あった、これです。パッケージだけじゃ他人の空似って思うかもしれないんで、説明書のキャラ紹介とかも読んでみてくださいね」

「……うん」


 手渡されたのは『Pure Memories』というタイトルのソフトが三本。

 一作目、高校生編。桜を背景にして五人の少女が描かれている。その中に高校時代のあたしに似た絵があった。言われたとおり説明書に目を通すと、間違いなくあたしが通っていた高校が舞台だとあらすじに書いてある。キャラクターの簡易プロフィールには、あたしとしか思えない少女が一人。パッケージイラストで似てると思った子と同じだ。あたし以外のキャラクターも友人や知り合い、接点はなくても有名だった子ばかり。背中に嫌な汗が伝う。

 無言で二作目を開く。女性達一人一人が向日葵を持っている絵で表紙を飾っている。大学生編と銘打たれたそれにも、同じようにあたしの知っていることばかりが書き連ねられていた。

 もはや義務感で三作目に手を伸ばすと、それを抑えるように青年の手が重なった。緊張で指先が冷えていたのか、じんわりと体温が浸みてくる。


「何?」

「えっと、…大丈夫?」

「大丈夫なわけない。何これ、もう。どういうこと…冗談きつい…」


 ゲームの主人公は高校二年生で転校してくるそうだ。思い出してみれば確かにそんな男子生徒がいた。カッコいい男の子が来たと一時期騒がれていた記憶が蘇る。三年の頃には学年で一番の美少女、一色さんと付き合ってるって有名だった。あたしは一色さんとも主人公と思われる円藤君ともそんなに親しくならずに終わったから、卒業後どうなったか詳しく知らない。それが知りたかったら二作目、大学生編をやってみればわかるのかもしれない。

 幸いなのはあたし自身が攻略された記憶がないってことだろう。残念ながら好きな人は出来ても、恋人は今まで作ったことありませんからね。もし円藤君と恋人になっていたら…その『if』の世界がこの円盤の中にはぎっしり詰まっている。

 何と言い表していいのかわからない。混乱してしまいたいのに、与えられる情報が増えればそれを冷静に処理していく性格は昔からだ。

 ちらりと顔をあげれば、無言で心配そうにあたしを見つめる青年と目が合った。何と声をかけたらいいのか困っている顔だ。そりゃそうだろう、二次元だと思っていた存在が目の前に現れたら……二次元?


「…あたしってこの世界にとって二次元の存在って言ってたわよね」

「はい、言いました」

「……えっと、つまり、ここは…あたしにとっては異世界なの?」


 青年はそっとあたしからゲームソフトを取ると、裏返して表記されているところを指差した。


「メイドイン…ジャンパーニュ…」

「ジャンパーニュ国トラッツェン、それが今居る都市の名前です。世界で言い表すなら、惑星レトラスと言えばいいでしょうか」

「…なるほど。あたしのいた地球や日本は、この世界じゃフィクションなのね」

「詩子さん…」


 フィクション。作り物の世界。今日一番のビッグニュースだ。あたしが生まれて、生きてきた世界が虚構だったなんて。この世界の誰かが作り出した世界だったなんて。


「でもさぁ、信じられるわけがないって、そう泣き喚けるほどリアリストじゃないのよねぇ」


 あたしが想像上の存在だというのはなかなか受け入れ難いけれど、そこは創作物に溢れた日本育ち。そんな世界観があったっておかしくないのかも、と思う自分もいる。この世界にとっては架空だったとしても、あたしには日本で生きてきた記憶があるし、それが偽物だと他人に言われたところで簡単には認められない。きっと帰る方法だってある。それがこの世界にとっては二次元に帰るということなのだとしても、あたしにとっては三次元に違いないのだから。

 それでもここが異世界だということだけは認めなくてはならない。まさかこんな手の込んだ悪戯を仕掛けてくるとも思えないし。


「あたしね、向こうで就職決まってるの。帰らないわけにいかないの」

「…高校時代からアルバイトしていた花屋さんの正社員ですよね」

「っ…そんなことまでゲームになってるの?プライベート駄々漏れじゃない」

「しかも俺、詩子さんルートやりこんでるんで」

「ちっとも嬉しくない」


 得意気に胸を張る青年に緊張感を持っていかれた。仕方ない。まだいろいろと謎や疑問は残るけれど、ひとまず言われたことを受け止めて対応策を考えよう。

 あたしの心が定まったことを感じた様子の彼が屈託の無い笑顔を浮かべる。


「遅れましたけど、俺、シンシア・レッグホーンって言います。シンって呼んで下さい」

「知ってるみたいだけどあたしは西崎詩子。残念ながら、ノンフィクションよ」


 差し出された右手に自分も返して握手をする。するとシンはそのまま軽くあたしを引っ張りベッドから下ろして窓辺に寄った。そう広くない部屋だ、歩く距離なんて五歩程度。しかし、その五歩先の硝子越しに広がる景色はあたしの常識を軽く消し飛ばすのに十分だった。


 高層マンションというには高すぎる東京タワー級のカラフルな建物が遠い地面から生えている。今、自分がいる場所もその一角のようだ。窓に手をついて下を見下ろすと詳細が分からないほど小さく地上が見えた。あまりの高さにぶるりと震えが走って足が竦む。高所恐怖症でなくてもこれは高すぎる。

 地上とこの高い建物の中ほどには電車のレールのようなものがぷかぷかと浮いていた。建物の間を縫うようにして設置されたレールのずっと先を走る乗り物も見える。

 広がる光景に唖然とするのを遮って、更に上空から影が落ちたと思えば鳥というには大きすぎる生き物が窓の外を飛んでいく。しかもそれには人のようなものが騎乗していた。反射的に目線を上に上げると、謎の生き物は一つだけでなく点々と空を優雅に羽ばたいている。


「…こっちのほうが、ずっとずっと二次元(フィクション)じゃない…」


 ゲームなんて言うから日本と変わらない世界を想像していたのに、ファンタジーすぎる景色に開いた口が塞がらない。

 無意識に一歩下がったあたしはシンの体にぶつかった。そんなあたしを面白がるように彼は耳元に唇を寄せて囁いた。


「異世界という名の三次元へようこそ、詩子さん」


 もしかしてあたしは、とんでもない世界にやってきてしまったのかもしれない。


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