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クアレンタベインテ



「貴重な本……なん…だ…よ」


 途端に、一希はグラス淳平に押し出す。光っている縮れた髪の隙間から目を向けられている事が分かった。


淳平は不安からか目を見開く。

2度目、差し出されたグラスを受け取る事なんてできやしなかった。


淳平は睥睨を向けらているのだ。

ただでえ神神しい月の光を浴びるこの男に、まるでこの世の者ではない人間にそんな眼で睨まれては、その光景に恐怖さえ感じてしまう。




その怒りとは言いがたい苦痛の表情は淳平にこそ向けてはいなかったが、妙な荒い呼吸をわずかに聞き取れた。




一希は淳平から視線を離さずに、ゆっくりと口を開く。





「………て…くれ…じゅんぺ…い……」


「いっき……?」




 差しだしていた腕からグラスが地の重力によって落ちた衝撃で割れた。




「いっっきっ!!おい!しっかりしろっ!!いっっっきィィィィぃぃぃ!!!」


胸を抑え床でもがく一希にすぐさま淳平が助けに入る。オエっとどす黒い嘔吐を何度も繰り返す一希に淳平はその身体を床に抱きかかえながら叫んでいた。苦しそう吐き出す異物はあまりにも醜く止まる事のない嘔吐の辛いありさまに、淳平は何度も何度も助けを叫びながら、一希が苦しそうに胸を抑えているコートを脱がし始める。


「!」



「いっっっっっきィィィィィィ!!!!くそったれっ!!っ!誰か来んかァっっ!」


黒いコートを無理に剥がすと、中にも黒い布製のTシャツを着ていた。暗い室内と黒いシャツではどんな状況かがよく把握できなかったが、着ているシャツがびっしょり濡れているのがわかった。淳平の手が濡れる程に滲んでいた。


 組内で走る事は禁止されている。今夜は珍しく一切の予定はなかったため、見張りの数が少ない事を含め見張り当番の組員が本部の奥にある一希の書斎から叫ばれる声を聞きつけ、組員らが本部を猛スピードで走り回る。バタバタとする足音にただ事ではないと寝ていた者達もぞろぞろと、何事か、と集まる。

駆けつけた組員が電気を付けると淳平は一希の身に何が起こっていたのか確認ができた。


「…っ!…救急車を呼べっ!」

組員らが頭と、それを抱えている淳平のまわりに集まり、喫驚する。突然の事でその場にいる人間はなにも理解ができず、組の頭である一希の名を叫ぶ。

悲鳴を上げる者もいれば、泣き叫ぶ者もいて、さらには絶叫の声をあげる者もいた。床には一瞬にして水たまりの血が流れていて、もう淳平の抑える手だけでは血は止まらなくなっている。四十代の組員らと若い男達に力をかり、一希の身体をバスタオルで巻いた。


淳平はただただ一希の身体を抱く事しかできず、止まらぬ嘔吐に人の身体から溢れ出す血に、冷や汗が止まらず、救急車はまだか、と同じ言葉を繰り返す。

何か、とても恐ろしい事がこの細身の身体に起きていて、それを見てしまった淳平にはどうする事もできない。さっきまで自分の足で歩いてきた一希がこんな惨い事になっていたとは誰が予想できたか。嫌な予感がし、どうか的中しないでほしいと、どこぞの神でもいいと、祈りながら、そっと、恐る恐る淳平の大きな手は一希の細くてしなやかな手首を握った。













なかった。









確認ができない。一切の鼓動を感じられない。

温い一希の体温に淳平の脳裏を過るのはただ一つ。


恐怖だ。それはこんな事で一希を亡くす恐怖。世話係である自分は一体なにをしていたのか。しかしこの1、2時間の間にこの身に何が起きたのか、知る由もなかった。


自分が身代わりになれなかった無念。もしも万が一この男がいなくなった時には全てが終る。会社も組も今が絶頂の時になぜこんな事になっているのか。自分は何をしていたのか、高々無数の写真に気を取られていたのか。今は全てが馬鹿馬鹿しい。



 静かに止んでゆく嘔吐に、室内に渡り行く見覚えがある生臭い鉄の匂い。



本部が騒がしい。だが、淳平には何も聞こえない。一希の身に取り返しのつかない危険を感じるのだ。冷えてゆく身体に、わずかにしていた呼吸さえ聞き取れない。苦しそうにもがく様子も、2分、前の話で、今は既に止んでいた。眼を限界まで見開きながら涙を零し始める淳平は一

希から視線を逸らさない。


奥の表廊下で1人の組員が、組内全体に響き渡る叫び声で助けを呼ぶ。



「誰か助けてくれエっっっ!!!殺された!!!!組長がアっ!組長がっ!!!っっ!」




一希の瞳から溢れ出した、血まじりの涙が額を伝うのと同時に若頭、大江一希は細く笑う。





口を重そうにわずかに開くと、血まじりの声で淳平に向かって言い放つ。











「…淳…平…っ…おれを…このわたしを……恨…む……か?…っ…………」









「い………っき…?おい…おい一希…嘘だ…うそだろ…おい!…どうしたんだよ?……なぁ?……恨むわけねぇ!!!……なぁっ! いっっっっっっっっきィィィィィィィィぃっっっっっううあぁあぁぁぁぁっっ!!!!…」













 その瞼はゆっくり閉ざされいていった。






















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