第7話 山中の戦い
影の中は以外にも真っ暗闇というわけではなかった。
全体的に青黒く、ところどころが歪んで見える空間。なんとなくこのまま進んでいると過去か未来にでもスリップしてしまいそうな気分にさせられる。
ジャッロレオーネはそんな壁も天井も床すらもない空間をひたすらに駆けていた。だがこの空間を自由に移動できるのはシェイドだけの特権らしい。こいつに腕を掴まれている俺は、まるで〝重力のある宇宙〟に放り出されたかのように下に引っ張られ続けている。
わかる。今ジャッロレオーネが手を放せば、俺は真っ逆様に底なしの青闇を落ち続けることになるだろう。
「大人しいねぇ。でもそれで正解だ。おめぇをただ殺すだけならここに突き落とせばいい。だけど、その首を持って帰らないことニャー組織は信じちゃくれないんだよね」
「組織だと?」
「ヴァニティ・フェア。異世界人のおめぇには馴染みねぇ名前だよっと!」
そこでジャッロレオーネは飛び上がった。と次の瞬間、俺たちは影の中の世界から脱出していた。
「じゃあ、死ね!」
地面に足をつけた瞬間、ジャッロレオーネが鋭い爪で俺の首を狩りにきた。唐突だったがなんとか反射的に首を逸らして回避し、思いっ切り頭突きをかましてやった。堪らずジャッロレオーネは俺を放り捨てる。
受け身を取って立ち上がり、俺は敵を警戒しながら眼球運動だけで周囲を見回した。
「ここは……?」
午後の日差しが常緑樹の葉群に遮られているため辺りは薄暗い。踏み固められていない少しふわふわした土が緩い傾斜となって八方に敷き詰められている。どこかの山奥だろうか?
「おい、どこだよここ?」
「さあ? あたしも適当に出たからわかんないニャン」
いい加減に答えて肩を竦める獅子女。適当に出たのは同じシェイドのアルヴィーやまり子ちゃんを巻くためだろうか?
「あー、助けは期待しない方がいいわよん。あたしら獅子族が使う影の道はちょっと特別でね、いくら白龍だろうと女王だろうと追って来れねぇのさ」
よくわからんが、俺だけでどうにかするしかないってことはよくわかった。にしても、白龍は見たからわかるが、女王って誰だ?
「さてさてさて、無駄話をしてる暇はニャーのよ。さっさとおめぇの首をチョンパして持って帰らねえといかんからねぇ。全てはレオ様のために」
レオ様。それがこいつに俺殺しを指示したやつだろう。となると、下っ端のこいつよりそっちに直接訊いた方が元の世界に帰る方法がわかるかもしれない。教えてくれなきゃ、教えたくなるようにするまでだ。俺も無事じゃ済まなくなりそうだけどな。
「一つ訊く。このまま大人しく言うことを聞いてりゃ、そのレオ様ってやつには会えるのか?」
「もっちのろん、会えるよ。おめぇは首だけの状態だけどねん」
「そうかい」
俺はなんとか手放さなかった日本刀を構えて前方に跳躍する。ただ誘拐するつもりなら敢えて連行されてもよかったが、そうでないなら戦うしかないだろ。
「ニャハッ! 無駄な抵抗はしてほしくないんだけどね!」
日本刀を片腕の爪で楽々と受け止めて弾き、ジャッロレオーネは凶悪な笑みを浮かべてもう片腕の爪を俺に突きつける。頸動脈を狙ったそれを身を捻ってかわし、そのまま勢いに任せて一回転からの横薙ぎを放つ。
「おっとっと」
が、身軽なジャッロレオーネには掠りもしない。
爪を日本刀で防ぎ、日本刀は爪で防がれるか避けられる。似たような攻防が十秒ほど続いたその時――
「いい加減にめんど。さっさとくたばってくれないかしら?」
ジャッロレオーネが両爪を広げ、弓を引き絞るように腕を後ろに下げた。――来る! なにかは知らんが大技が。
「――黄金の煌爪!!」
叫び両腕を振るった瞬間、ジャッロレオーネの爪から無数の光刃が放たれた。金色に輝くそれらが容赦なく飛襲してくる。日本刀でどうにか防ごうとする俺だったが、急所を守るだけで精一杯で次々と身体を切り裂かれてしまう。
「うぐっ……」
鮮血が舞い散り、激痛が走る。薄暗い山中で眩い光を浴びたせいか視力も若干ながらやられた。ヤバい。
「サヨナラさんっとね!」
空気を引き裂く音。ジャッロレオーネが獣爪を振るったんだ。なんとか勘を頼りに身体を逸らし、左肩を抉られただけで済んだ。
次が来る前に日本刀を袈裟斬りに振り下ろす。結果はやはり空振り。ジャッロレオーネはバックステップで俺から距離を取っていた。
「しぶとい男は嫌いだわぁ」
「別にあんたに好かれたいとは思っちゃいない」
「可愛くないねぇ。おめぇじゃあたしニャ勝てねぇってことにさっさと気づけってのよ」
飄々と笑うジャッロレオーネ。確かにこれは……戦法を変えるしかねえな。ただ刀剣で打ち込むやり方じゃ勝てない。
ならどうする?
もっと小回りの利く武器に変更するか?
「……いや」
やつはまだ俺を見下している。刀剣で斬り合うことしかできない単純野郎って具合にな。それならまだチャンスはある。
あまり使わない戦法なだけに恐らく一度しか通用しないが、やるしかないだろう。
まずは武器を変更する。
〈魔武具生成〉――鎖竜侘。
「――えッ?」
錨のような穂先に鎖と分銅を取りつけた鎖鎌に近い武器を見て、ジャッロレオーネが呆けたように呟いた。これは主に中国の水軍で用いられ、龍が怒って爪を立てた時に似ている形状からその名がついた武具であり、その使い方は――
「うにゃっ!?」
――相手の衣服に引っ掛けて絡め取るための補具だ。
「お、おめぇ、こんな武器まで作れるなんて聞いてねぇぞ!」
別の武器で打ち込んでくると思い込んでいたらしいジャッロレオーネは、俺が生成完了した瞬間に投げた鎖竜侘に意表を突かれ見事絡まってくれた。
「言ってないし、言う必要もないからな」
俺はこの右手で触れ続けられる物で、且つイメージできる武器ならなんだって生成できる。それがたとえオリジナルであってもな。もちろん異能力のある武器も生成可能ではあるが、その異能を俺が理解してないと意味ないのでほとんど作れない。
「捕まえられりゃこっちのもんだ!」
俺は鎖竜侘を思いっ切り引っ張る。身軽なだけに体重の軽い獅子女は呆気なく引き寄せられた。
「ま、待て! なにをする気だ!?」
身動きを封じられたジャッロレオーネが焦り顔を見せるが、俺は構わず鎖竜侘を手放した。右手を離れたことで一瞬にして魔力が拡散し消滅する補具に代わり、すぐさま別の武具を生成する。
〈魔武具生成〉――ナックル・ダスター。
拳を強化するための金属製外装を纏った右手が、引き寄せられた勢いでこちらに飛んでくるジャッロレオーネの顔面に深々と減り込んだ。
「あぎゃっ!?」
ぶっ飛び、大木に背中から叩きつけられるジャッロレオーネ。仮にも女性の顔を殴ってしまったことに罪悪感を覚えはするも、あの程度じゃやつはくたばらないだろう。
俺は使い慣れないナックル型の武具を捨てて日本刀に戻すと、その切っ先をジャッロレオーネの喉元に突きつけた。
「チェックメイトだ」
「くぅ」
ジャッロレオーネは悔しげに喉を鳴らす。
「質問に答えろ。まず、レオ様って誰だ? どこにいる?」
「お、おめぇごときが気安くその気高き名を口にするな!」
俺は軽く日本刀の切っ先をジャッロレオーネの喉に押しあてた。短い悲鳴が上がり、つーと紫色の血が流れる。仕方ないとはいえ、こういう拷問はやり慣れないなぁ。
「面倒だな。よしこうしよう。俺をそいつの下へ連れて行け。訊きたいことは直接あんたらのボスに訊くから」
「いや、その必要はない」
低くて重い、威厳のある声が背後から響いた。
「――ッ!?」
振り返ろうとした刹那、俺は刺のついたハンマーらしき物で真横から殴打され、派手に吹き飛んだ。
「がはっ!?」
地面を転がり、血反吐を吐く。横腹が熱い。刺が刺さった部分に穴が開いてるんだ。早く止血しないと死ぬかもしれん。
「私は既にここにいるのでな」
俺をぶん殴ったやつは、古代ローマ戦士のような格好をした大男だった。逆立った金髪、強面の顔は左目に傷があり、歴戦を潜り抜けてきたであろう風格を醸し出している。その右手には先端に丸い刺鉄球のついた巨大ハンマーを握っている。あのハンマーはモルゲンステルンか? なんにせよ俺を殴った武器には違いない。
「レオ様!」
ジャッロレオーネが歓喜の声で叫ぶ。
こいつがレオ様?
なるほど、確かにボスらしい風貌だ。
「レオーネ、お前に任せていたらいつまでかかるかわかったものではないな」
「も、申し訳ございません」
しゅんと萎れるジャッロレオーネに鼻息を鳴らし、レオ様は横腹の痛みで立ち上がれない俺を睨む。
「異世界人、悪いが、貴様にはここで消えてもらうぞ」