第8話 絶体絶命の零児
激痛が全身を支配する。
ハンマーの刺で抉られた横腹から血が止めどなく溢れる。骨も何本か持って行かれたかもしれん。
やば、視界まで霞んできやがった。
「放っておいてもくたばりそうだが、放っておく理由もない」
レオ様は冷血な色を瞳に宿して慎重に俺へと近づいてくる。
「ここで貴様を見過ごせば、またもイレギュラーな事態に陥りかねん。同じ轍を踏まぬためには、やはり目の前で確実に息の根を止めておく必要があるとは思わんか?」
俺に問うているのか、部下のジャッロレオーネに問うているのか、それとも両方か、あるいは自分自身にか。判断に困るため、俺もジャッロレオーネも沈黙を返す。
もっとも、俺には既に思考を言語化する力すら残っていなかった。
「異世界人の貴様とて、人間の形をしているなら頭を潰せば即死は免れぬだろう? 案ずるな、死体はきちんと火葬してやる」
どこにも安心できる要素がない。
レオ様が刺球つきハンマー――モルゲンステルンを振り翳す。
絶対的な『死』が数瞬後に訪れる。
死……俺、こんなわけわからん場所で殺されるのか?
「ふ……ざ……けんなぁあッ!!」
〈魔武具生成〉――フリウリ・スピアー。
俺はない気力を無理やりに絞り出し、刃根元の突起が鷗状に反れた長槍を生成。モルゲンステルンを振り下ろされる寸前にレオ様を串刺した。
が、狙いは大きく外れた。槍の切っ先はレオ様の心臓ではなく、左肩を僅かに掠めただけだった。
紫色の血が少しばかり流れるのを目にした途端、俺は全身の力が抜けて倒れ伏した。くそっ、もう指一本動かせねぇ。
「ふん、断末魔の一撃といったところか。だが蚊ほども効かぬ。死ね!」
感心したように呟き、レオ様はなんの躊躇いもなく振り下ろしたモルゲンステルンで俺の頭をスイカのように叩き割る――――ことにはならなかった。
「そこまでや!!」
ドスの利いた関西弁が轟くのと同時に、レーザー光線らしき光の弾丸がレオ様の背中に直撃したからだ。
「ぐおっ!?」
「レオ様!?」
低く唸って膝をつくレオ様――いやもう『様』はいらんや――レオにジャッロレオーネが悲痛な表情をして駆け寄る。
そんなシェイドたちの様子など気にする風もなく、闖入者は実に愉快そうに言葉を紡ぐ。
「偶然ここらを通りかかったらサーチャーがやかましく鳴ってのォ。なんやろ思うて来てみたら、これまたドえらい大物がおったっちゅうわけや!」
大型の銃をガンマンのように軽々と持ち回す青髪ロン毛の青年は――いつぞやのたこ焼き屋! あの時の半被姿じゃなくてスカジャンだけど間違いない。名前は市村……で合ってるよな。下の名前は聞いてない。
「貴様、市村正史か。なんと間の悪い……」
「レオ様、やつの始末はあたしが」
市村と対峙して臨戦態勢を取るジャッロレオーネだったが、レオは彼女を引き止めた。
「待て。この私に不意打ちを成功させるほどの相手だ。負傷したお前では楽に始末はできん」
レオのダメージも決して軽くはない。意識が朦朧としている俺でもそのくらい見ればわかる。
市村は口の端をニィと凶悪に歪めた。
「そら賢明なことで。なんやったらあんたとそこの姉ちゃんと纏めてかかってきてもええんやでェ?」
「なるほど。それならば勝機はあるな」
レオも同じように余裕を含んだ笑みを強面に浮かべる。
「だが、やめておこう。貴様も負けが見えていて挑発したわけではあるまい? ここは潔く退くとしよう」
レオの口から撤退の言を聞いて、ジャッロレオーネは驚きに目を瞠った。
「れ、レオ様、この機を逃せばあの異世界人は仲間と合流しちまいます」
確かに潔過ぎる。せっかく追い込んだってのに、たった一人が乱入しただけでリセットしていいものじゃないはずだ。殺される俺としては嬉しい判断だけどな。
レオは銃口を向ける市村を見据えつつ、一秒ほど逡巡する。
「見逃せば仲間と合流する、か」
「はい」
「違うな」
「え?」
否定され、きょとんと首を傾げるジャッロレオーネ。
「お前の頭は空っぽか? よく見ろ。既に合流しているではないか。あの異世界人と市村正史に接点があることは既に調査済みだ。無理に留まれば恐らく、我らが不利になる一方であろう。たとえ異世界人の始末が叶ったとしても、その後に我らが倒されてはなんの意味もない。退き時は今だ」
「しかし――」
「口を閉じろ、レオーネ。私の決定だ」
ギン! と一睨みで威圧されたジャッロレオーネは、命令通り返答もせず口を閉ざして縮こまった。
「オッサン、ごっつい面しとる割にはえらい慎重やないの。てっきり脳ミソも筋肉でできとるんか思たわ」
「ほざけ若造。獅子とは狩る側の者だ。無計画のまま動けばなにも得られないことくらい知っている」
ひゅう、と市村が称賛の口笛を吹く。
「ほんならその気高き獅子様に免じて十秒待ったる。その間にどこへでも消えろや」
市村はレオの眉間に照準を合わせていた大型銃の銃口を下げ――なかった。
「――ってわしが言うとでも思うたか? アホがぁ!」
代わりに引き金を引きやがった。レオを不意打ちしたものと同じビームが銃口から連射で飛び出し、獅子のシェイドたちを襲う。
が、レオはモルゲンステルンを地面に叩きつけ、大地を強引に引っ繰り返すようにしてビームを防いだ。そしてすぅと息を吸い込んだかと思えば、灼熱の吐息を市村に吹きつけた。
「こ、こいつ火ィ吹きよった!?」
一瞬で大木を炭化させたファイアブレスを市村は寸でのところで転がって避けた。
「命拾いしたな、異世界人。だが、覚えておくことだ。我らは次こそ全力で貴様を狩るぞ」
回避を行った市村を後目に、レオはそれだけ俺に語りかけた。そしてジャッロレオーネと共に影の中に沈んでいった。
と見せかけた襲撃は、ない。
「あ゛~、あのどアホウ! 山火事なったらどないすんねん! ん? あー、誰かと思えばこの前東條はんと入れ替わったっちゅう兄ちゃんやんけ」
落ち葉とかに燃え移った火を消しながら歩み寄ってきた市村は、どうやら俺だってことに気づいたようだな。
その安心感からか、俺の意識は急速に闇へと沈んで――
「にしてもあのネーちゃん、シェイドのくせにちょいと可愛すぎひんか……?」
はい?
ここは普通、安否の確認が先じゃね? 見てほら、こんな大怪我してるんですけど?
「ま、東條はんとこの姐さんとまり子ちゃんにはかなわんけどよ」
「あんた、なにしに来た……んだ……」
助け起こそうともしない市村に、俺は一抹の不安を抱きながらマヌケにも意識を手放してしまうのだった。