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偽りの結末


「ふっざけるなあああああッ!!」


過去と現在とが乖離する。

かつての自分は震えるだけで、何をする事も出来なかった。

今は違う。今なら出来るはずだ。英雄という名の悪魔を、一発ぶん殴る――ッ!


阿鼻叫喚を放ち、奈落が地面を蹴る。彼我の距離およそ十メートル。

その距離を、奈落は一足飛びにゼロにまで縮めた。

両者の身体が肉薄する。

疾駆の勢いそのままに、奈落は拳を打ち放つ――

が、奇襲にもかかわらず英雄は身をひねるだけでそれをかわした。

奈落と英雄の身体が交錯し、再び距離が開く。

ザ――ッ!と大地を踏みしめる。

砂埃を舞わせ、急停止する。

間を置かずに、奈落はコートを翻す。

瞬きとも見紛う瞑目。甲の魔石に光条を灯した。


「求むるは刃、鉄の光条、我が手中に為せ!」


光条が鋼鉄の質量を伴い、剣の使い魔となって手中に収まる。

視界に佇む英雄も、既にこちらへと向き直っていた。

その手には、一振りの銀剣。

見間違うはずもない。

あれは、十年前に向けられた、血塗られた刃。


期せずして、両者が同時に敵へと駆け出した。

刹那、互いの剣が激突する。

裂帛の気合いが周囲へと迸る。

最速の打ち込みでの、剣と剣との舞。

そして剣戟が展開される。

奈落は激情の気合いで瞬速の一撃を。

英雄は表情を凍らせ冷徹な瞬速の一撃を。

あるいは袈裟斬りに、

あるいは薙ぎ払い、

あるいは突き、

あるいは打ち下ろし。

一瞬の間に繰り出される剣は十を越える。

使い魔を召喚する余裕など、あろうはずもない。

周囲の大気が、気圧されるように震えていた。

間断なく繰り出される幾多もの剣は、しかし敵の剣に阻まれる。

二手、三手を先読みする戦いの最中、決定打どころか掠り傷すら負わせない。

常識から逸脱した二人は、互いに相手の剣の先を行かんとする。

リアルタイムでシュミレートされる自他の剣の軌跡。

それに従い繰り出される一撃。

しかし剣に阻まれ相手には届かない。

それもそのはず。

何手先を読んでも、その先に決着という終焉が見えないのだ。

互いに決着の見えない勝負に、決着が訪れるはずもない。

それだけ互いの技量が研ぎ澄まされている。

優れすぎているが故に、どれだけ先を読もうとも終わりなどない。

赤く燃える地獄の中、何十、何百と響くのは。剣と剣の激突する、澄み渡りの音――。


その戦いは、しかしまったく唐突に、意外な終止符を打たれた。


ドン―――ッ!


奈落の身体が、横手から突き飛ばされたのだ。


「なッ」


体勢を崩され、呆気にとられる奈落が視界の隅に見たものは、


「シルヴィア!?」


両手でこちらを突き飛ばしたシルヴィアの姿だった。

動揺しながらも、後転してすぐに体勢を立て直す。

すると刹那の前に彼の立っていた、その位置に。


「――ッ!」


天よりの稲妻が走っていた。

視認と同時、音の断片すらもかき消さんと轟く雷鳴が、激しく耳朶を打つ。

周囲を白一色に染め上げる稲光に目を焼かれ、思わず腕で視界を塞ぐ。

シルヴィアの奇行は、これを察知したための、咄嗟の機転だったのだろう。


「シルヴィア――ッ!」


叫ぶが、彼女の安否を確認する術はない。

己の不甲斐なさに舌打ちした。

幸い、稲妻は数瞬の内に収束した。

やがて奈落の目が回復し、再び赤に彩られたルードラントの本社を映し出す。

眼前には稲妻の牙痕。

凄まじい熱に焼かれ表面を炭化させた土。

だが、そこにシルヴィアの姿はなく。

視線をめぐらせるまでもない、彼女は数歩と離れていない距離に存在していた。

ふう、と安堵の吐息は胸中で済ませ、すぐさまシルヴィアの視線を追った。


英雄の立ち位置に並ぶようにして、それはいた。

炎に照らされる人影は、初老の男だ。

尖った顎を持ち、頭髪は夜に映える白髪で、オールバックにまとめていた。

そして、眼鏡の奥で光る、あらゆる感情を削ぎとったような瞳が印象的だった。

彼は――布にくるまれて判然としなかったが――何かを両手に抱きかかえていた。

周囲に使い魔は見受けられない。

恐らくは魔法使いで、先の稲妻は彼によるものだろう。

奈落とシルヴィアが緊張の面持ちで睥睨していると、男は両手に抱えていた何かを英雄へと委ねた。

カルキ・ユーリッツァは腕の中にそれを抱え、一瞥すると――今度は奈落へとそれを無造作に放った。

警戒するに越した事はない。

奈落は回避しようとして――慌てて留まった。

両手を空に掲げて、放られたそれを抱きとめた。

それを見て、奈落は英雄の意図に疑問を覚える。

人影の抱えていたそれは――人間だったのだ。

それも、


「子供……か? まあいい、とりあえず――シルヴィア」

「了解しました」


正体は知れないが、華奢な体躯をシルヴィアに預け、男に視線を戻す。

彼は、既に音もなく地面に降り立っていた。

そしてその位置は――英雄の隣。

やはり彼らは友党のようだ。

魔法使いと合流すると、英雄・カルキ・ユーリッツァは嘆息した。


「興が削がれたな」

「申し訳ありません。待たせてしまいましたか」


魔法使いの謝罪に肯きかけて、しかし英雄は言葉を濁す。


「ああ……いや、暇を持て余さずには済んだな」


言って、奈落へと一瞥をくれる。

その視線を受けた奈落は、その物言いに怒りを露呈させずにはいられなかった。

彼の言葉を反芻する。


暇を持て余さずには済んだ。


「テメエ、俺の十年を、暇潰しだと……?」

「恨むならば恨めばいい。それが救いに変わる事もあるだろう。

だが、私にはこれ以上児戯に付き合う暇はない」


突然の宣言。

彼の言に奈落が異を唱えたのは、言うまでもない。


「待てよッ! 何の答えも寄越さずに、帰れるとでも思ってンのかッ!?」

「吐かせられなかったのは貴様だろう?」

「なん……だとッ」


そして躊躇なく、英雄は背を向ける。

ハッとして、奈落は慌てて駆け寄った。

長年追い続けた背中が、また消え去ろうとしている。

この機を逃せば、次は一体いつになる事か見当もつかない。

最悪の場合、これが最後の機会かも知れないのだ。

英雄の背中まで、あとわずかだというのに――

肩にかかろうとする手は。



果たして、空を切った。



逃がした。

認識されたその事実は、途端、奈落に重くのしかかってきた。

悔しさに歯噛みする。

皮を切り、口の端には血がつたった。


「ちッくしょおおおおおおッ!」


感情に任せて放たれる慟哭が、赤く紅く燃える地獄にこだます。


捕らえる一瞬前、英雄と魔法使い、その双方ともが、姿を消していた。



次第に恐る恐るといった体で、火事場に人が集まり始めた。

人々が懸命に消火活動にあたる中で、奈落は力なく肩を落とし、その場に座り込んでいた。

十年。

十年かかって、ようやくにして――

だが、何一つ解決できなかった。

悔恨に、皮を破ってなお唇を噛み締めていた。

だからシルヴィアの呼びかけも、しばらく無視していた。


「――奈落様」


何十度目かの呼びかけに、奈落はようやく口を開いた。

その頃には、いくらかでも冷静さを取り戻していた。

力ない口調で、ぼそりと先を促す。


「……何だ?」

「グッジョブ」


間髪入れない即答に、奈落は眉をしかめた。

顔を上げれば、シルヴィアの相変わらずの無表情がそこにあり。

なぜかグッと右手の親指を立てていた。


何が「グッド・ジョブ」なのか。


訳も分からず今度は視線を落とす。

シルヴィアが抱きかかえているのは、魔法使いに放られた子供――

それを失念していた事を、今、ようやく思い出した。

改めて見れば、少女だった。

年は十歳に満たないだろう。

腰まで伸びた金髪を、ツインテールにまとめている。

ふと疑念が差す。

寝息をたてるその少女に、見覚えがあったのだ。

奈落は手紙と同封されていた、誘拐された少女の写真を脳裏に浮かべる。

その少女は、年は十歳未満、腰まで伸びた金髪をツインテールにまとめていた。


「……………あ」


壊すべきルードラント製薬会社は、周知の通り壊滅状態。

そしてシルヴィアの抱いている眠った少女は、疑う余地すらなく、件の少女だった。

シルヴィアが奈落の肩にポンと手を置く。

奈落が顔を上げると、彼女は無表情に、グッと親指立てて繰り返した。


「グッジョブ」

「………」



何だかよく分からないうちに、仕事は完遂した。



まあ、グッジョブかなあ………。




<第一章 了>







次回より第二章です。


続きを気にしてくれる方、偶然ここに辿りついた方、

いらっしゃいましたら、評価いただけましたら幸いです。

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