格違いの攻防
互角の鍔迫り合いの最中、少女は勝利の笑みを浮かべる。
奈落が使い魔を召喚せんと瞑目する間に、少女は深く息を吸い、叫んだ。
「我、御するは文明の源――炎の裁断、愚者に裁定を!」
刹那、奈落の体が炎に包み込まれた――
かに見えたが、警棒から伝わる抵抗が消失した事から、その炎が獲物を喰い損ねたのは明白だった。
役目をまっとう出来なかった炎が、その場に四散して消滅する。
油断なく背後に視線を走らせれば、そこには驚愕に顔を歪ませた奈落。
少女は感心と呆れの入り混じった表情で、小さな口を開いた。
「よく避けたわね。これで終わると思ったんだけど」
「魔法使いだったのか! マジでやばかったな今の。――何してくれるテメエ!」
ぜえぜえと息を弾ませて、彼は必死の形相で抗議の声をあげるが、
「何を今更。非合法の壊し屋・奈落――貴方に刑罰を執行しているんです」
と、少女は実にあっさりと職務を言い表した。
「半人前が言うじゃねえか」
「誰が半人前よ! まだ決着もついてないじゃないッ!」
少女は耳を傾けながら、奈落の瞳を注視する。
先程のように時間を稼ぐ事を意図しているのならば、一瞬でも瞑目があるはずだ。
しかし、彼にその気配はない。
そして彼女は、その意味にまだ気付いていない。
「決着がついてから実力差がわかるようじゃ遅いだろ」
少女が反駁しようと口を開くが、それを制して奈落は続けた。
「俺もそう暇でないんだ。もう終わりだ。気をつけな、終わりを見失ってるぜ?」
「意味が解ら――」
瞬間、少女を中心に砂礫が舞い上がった。
「――ッ!」
何事かと少女は半ば混乱しながら危険を感知、背後へ飛び退く――
が、その先にも眼前で視界を塞ぐそれと同様の砂礫が舞っていた。
それらは意志を伴うように彼女を取り囲み、やがて縄のようにまとまり、少女を圧した。
「かはっ――」
少女が苦悶の嗚咽を洩らす。
ギリギリと、何重にも少女に巻きついた砂礫の縄は、拘束の力を強めていく。
とどめに砂礫が猿ぐつわを形成し、少女に噛ませた。
縛られた事でバランスを崩し、少女はその場に倒れてしまう。
奈落、勝利の瞬間だった。
刑軍の少女は、訳の分からないままに、拘束という形で敗北を喫した。
「言ったろ。見失ってるって。いるか、解説?」
軽薄な口調が空から降ってきた。
簀巻きにされ地に転がるという屈辱に赤面しながら、少女は煽りの視界に声の主を入れた。
そこには、逆立った黒髪、赤黒いコートの男、奈落が――二人いた。
一人は直立不動。
もう一人はこちらを見下しながら隣の自分に肘をかけるという、挑発的な態度をとっている。
間違いなく後者が奈落だ。
もう一人は――。
この時になって、ようやっと、自分の敗因を悟った。
彼の訊いた解説の必要有無について、彼女は首を横に振った。
「自分で喋りたそうだな。――刑罰執行軍之心得第九条之三項」
奈落の言に呼応して、少女の脳裏に条文が反芻する。
曰く、刑罰執行軍は虚言を弄してはならない。
採用試験に備えて徹夜で丸暗記した心得を、今もはっきりと思い出せる。
「魔法を使わないなら、猿ぐつわ外してやるが?」
彼の言に、迷わず首肯した。
どうにも砂礫の猿ぐつわは、気持ち悪くて仕方がない。
「よし」と短く答え、奈落が使い魔に命じる事で口が解放された。
とはいえ魔法の行使は許されない。
如何に非常事態と言えど、刑軍の規則には、心得を翻せるようなものはなかった。
奈落もそれを承知の上で解いたのだろう。
ほぞを噛む思いを抱える少女はうめくように言った。
「………やられたわね」
「だから言ったろ? 半人前だって。まあ、俺が直接言ったわけじゃないけどな」
つまりはそういう事だ。
「私と言い争いしてたのは、本物のアンタを模した使い魔だった。
その使い魔と入れ代わったのは、私が魔法を使ったあの瞬間――炎に紛れて、ね。
そして使い魔が時間稼ぎをしている間、アンタは新たに、この砂の使い魔を召喚する準備をした――こんなとこ?」
「ご名答。もっと早く――俺が話しかける時に気付けりゃ、百点満点だったのにな。
魔法使いは単発での魔法行使しか出来ないのに対して、魔術師は契約している限りの使い魔を同時召喚出来る。それがお前――魔法使いの敗因だ」
言いながら、奈落は自分を模した使い魔を緑色の宝石へと戻した。
少女は歯噛みした。
初任務でこんな失態をさらすとは、末代までの恥だ。
「さて、いくつか訊きたい事がある。階級は?」
「刑罰執行軍・第三位所属・ヒセツ・ルナ・下士官」
何ら逡巡の見受けられない答えに、奈落はきょとんとする。
「お前――ヒセツ? 訊いといてなんだが、んなアッサリと答えていいもんかね」
「自分の職業に誇りを持ってるのよ、アンタと違って」
「成程、立派な心掛けだ。それで参考までに訊いておくが、俺が刑罰執行される場合、刑種は何だ? 傷害刑か、剥奪刑か、懲役刑か」
「多分、懲役刑でしょうね。三十年くらいおとなしくしてもらうのが、最善かしらね」
「長いな――。そうなると、悪ぃが執行されるわけにはいかないな。んじゃ次に――」
ガシャーンッ!
奈落の言葉を遮って、天井が崩落した。
………。
見上げると、そこには先の崩壊分も含め、二つの穴から青空が覗けた。
黙って――元凶の方向――すぐ脇を凝視する。
瓦礫の敷き詰められたカーペットの上、砂埃のカーテンから身を躍らせたのは、言うまでもない――シルヴィアだ。
どこにいたかと思えば、やはり屋根上に避難していたのか。
主の危機にも安閑たる無表情で。
しまいには天井を二度も破りやがった。
しかし奈落の怒りも何のその。
状況を把握した忍者シルヴィアが抑揚なく告げた。
「――緊縛」
「待てシルヴィア。それはとてつもない誤解を招く」
「真理として申し上げます。誤解も解の一つであると」
「自信たっぷりに拳握るな馬鹿。――で、何の用だ忍者シルヴィア」
「大変嬉しいご報告があります。総勢三十二名、団体で、ガラの悪いお客様がお越しです」
「――マジですか」
「マジです」
思わず、苦虫を噛み潰したような顔になる。
もう吐息すらない。
息をつく暇もなく、次々と起こる騒乱に。
いい加減不条理を訴えずにはいられなかった。
「でもまあ、悲観してても仕方ねえな。それに、ものは考えよう……か」
裏を返せばこの状況、今日一日で溜まった鬱憤の発散先が、三十二名もの大サービスで、しかも向こうから向かって来てくれている、という事だ。
鬱憤を晴らしに向かえ討たんと、奈落は扉に手を掛けた。
背後から、拘束されたままのヒセツが抗議の声をあげていたが。
無視した。
◇
シルヴィアに崩壊された住まいを後に、奈落が一歩を踏み出すと。
そこには見渡す限りの人、人、人。
あるいは堂々と、あるいは建物の影に、あるいは屋根の上に、それらはいた。
全員が個性的な衣装や化粧に身を包んだ、いわゆる不良である。
シルヴィアの言によれば、散開した彼らは総勢三十二名。
そしてそれぞれが木刀、ナイフなどの得物を携え、それぞれに構えを取っている。
奈落は一人一人を睥睨して口の端を吊り上げた。
構えを見れば一目瞭然だった。
全員が素人である。
武器を拠りどころにして強気になっている、カワイイ連中だ。
素人三十二名を相手にするなど、今しがた剣を交えた刑軍と比較すれば朝飯前だ。
奈落は瞑目し、闇の中から彼らを探り当てた。
「さて、誰に喧嘩売っちまったのか、後でじっくり反省するんだな」
その宣言を皮切りに、壊し屋のもとへ素人衆が殺到した。
奈落は開眼した。
使い魔を召喚する、闇色の黒瞳を。
眼前に展開された光景を目にして――相変わらず奈落の使い魔に捕らえられていたが、這って玄関まで出てきていた――ヒセツは開いた口が塞がらなくなった。
一斉に肉薄する無数の凶器を風に例えるならば、奈落は柳だった。
圧倒的不利な数の暴力を、彼はことごとく回避した。
身をずらし、跳躍し、時に不安定な体勢で自重に任せ回避――。
その立ち回りに、攻防という単語は似つかわしくない。
攻撃をかいぐくり、生じた隙に呼び出すのは数々の使い魔たち。
続くはそれらによる迎撃。
召喚する使い魔はどれも人の範疇を越えた代物であり、
素人達は当然のように軒並み地に伏していった。
次々と顕現され使い魔は増えていき、それらに昏倒される事で素人は減っていき――
最後には、数が逆転していた。
一対三十二から三十二対一へ。
奈落の側に立つのは、剣を模したものもいれば盾を模したものもいる。
醜悪な姿の者もいれば、可愛らしい妖精もいた。
その中心で腕を組むのは、主人たる壊し屋・奈落。
統一性が皆無である彼らに、しかし共通する理念がある。
それは、奈落という主人を防衛し、愚かな敵を屠るという、生存意義。
そして――。奈落の振り上げた剣が一閃し――最後の一人を壊した。
顕現されたその力を眼前にして、ヒセツは戦慄していた。
――何て人の相手をしてしまったのだろう。
先の戦闘では、屋内という条件が付与されていたために互角を演じる事が出来た。
しかし今、展開されるは屋外での戦闘。
それは、最早戦闘と呼称できるのかも判然としない。
己に害為す者への、圧倒的な力による、迅速な排除。
仮に、素人衆と代わってヒセツ・ルナという個人が立ち向かったなら。
結果が変わらないどころか、戦闘の所要時間は更に短縮される事だろう。
この時、ヒセツは初めての戦闘訓練を思い出していた。
相手は戦闘の専門家で、上官だった。
その訓練に勝機は見出せず、それはひたすらに結果の見え透いた戯れであった。
今、回想と現実とが重なり合う。
その感覚は、ヒセツにとって久しいものだった。
即ち――畏怖。
それはヒセツの胸中を埋め尽くし、その他の一切を些事とし、認識を拒んでいた。
だから――
その間に奈落が逃走した事にも気付かないでいた。
5
火の勢いは増すばかりで、
赤色と闇色の境界に立つ少年まで熱風を運んできたが、
彼はそれに気付いてすらいなかった。
少年は、
瞠目する先に全ての神経を傾注させていた。
視線の先に屹立する英雄の姿へと。
火中の惨禍より現れ出でた英雄。
その出で立ちは惨憺たるものだった。
身につけた鎧は赤黒い返り血と黒い焦げ目で覆い尽くされ、
装備の状態は満身創痍といえた。
それでも顔色一つ変えない彼は、
ただ黙して少年へと歩み寄る。
少年は微動だにしなかった。
全身が総毛立ち、
襲い来る震えが、
「逃走」という選択を霧散させていた。
惑乱した思考は遅々としてはたらかず、
ただ立ち尽くすばかりだ。
やがて。
少年には永遠と感じられた一瞬の時が過ぎた。
憧れの英雄――カルキ・ユーリッツァが眼前にまで迫っていた。
見上げる視界に、
彼の瞳が――冷酷な、感情の一辺すら覗かせない瞳が映る。
英雄カルキ・ユーリッツァは、
右手の長剣を高々と振り上げる。
業火を反射させる剣は、
血に塗れてなお銀光を放つ。
躊躇なく、
容赦なく――
カルキ・ユーリッツァは、
少年へと剣を振り下ろし。
そして鮮血が舞った。
◇
「奈落様……っ!」
珍しく切迫したシルヴィアの声で、奈落は固く閉ざしていた目を開けた。
薄ぼんやりとした霞む視界で、シルヴィアの無表情を見つける。
今回ばかりは礼を言ってやりたくなる。見ていた夢は極上の悪夢だった。
常とは微妙に異なる彼女の口調に懸念が差し、奈落は睡魔を一蹴して上体を起こした。
窓の外は暗闇に包まれていた。
曇天なのか、星も月も、今宵はその姿を潜めている。
「どうしたシルヴィア、こんな時間に?」
暗中で時計をどうにか確認すると、午前三時だった。
「ルードラント製薬会社が、かつてない大惨事です」
「――何?」
シルヴィアの即答に、奈落が目を細めた。
スプリングの利いたベッドから跳ね起きて、シャツを着替えてその上にコートを羽織った。
使い魔を封じた手甲を両手にはめながら、奈落は鋭い声で問いを重ねた。
「それで具体的には?」
和服姿の彼女が、噛んで含めるように答えた。
「――ルードラント製薬会社が、燃えています」
手甲をはめる手が思わず止まった。
窓の外に視線を転じる。
一瞬。
赤色の惨事が、炎としてその一辺を垣間見せた。
続きを気にしてくれる方、偶然ここに辿りついた方、
いらっしゃいましたら、評価いただけましたら幸いです。




