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黒幕、そのモノ


ラッケン・イヴィス・軍曹は焦燥を隠しきれず、人知れず舌打ちをする。

恋人がいればたしなめられていたに違いない。

だがここにいるのは恋人ではなく二千人の罪人であり、

行われているのは人生を懸けた恋愛ではなく命懸けの闘争だ。


(そもそも恋人なんていませんけど……ねッ!)


八つ当たり気味に、魔法を付与した帯電警棒を敵の脇腹に叩き込む。

悶絶しながら倒れ伏した敵をまたいで、次の敵へ。

目が合った金髪ピアスの青年に目標を定めるが、即座に変更する。

左斜め後ろ――死角からの攻撃が肉薄していた。

手甲を嵌めた左腕を頭上に掲げて、振り下ろされた刃を受け止める。

痺れる腕を引き、警棒で応戦する。

連撃を見舞い、それに意識を集中させる一方、魔法で不意を突く。


安堵する間もなく、別の殺気が放たれる。

二方向、いや、三方向か。

違う。

一方に二人分、つまり方向的には二方。


殺気を察知する技術は、この三年間で習得した。

相手が武術の修練を受けていない、ただの喧嘩屋ならばほぼ確実に察知できるようになった。

例えばここにいる二千人がそうだ。

十人に一人は武術の経験がありそうな技量を見せたが、それ以外は素人だ。


だが何分、数が多すぎる。

広大な空間に所狭しと殺気が入り乱れているから、どれが自分に向けられているのか判別しづらい。

常よりも神経を過敏にしていなければ、タイムラグが生じる。

極度の集中と長時間の戦闘で、想像以上の速度で疲労が蓄積していった。


息が荒い。

足が休息を訴える。

殺気を読む思考が霞んでくる。


だが一瞬たりとも油断する事は出来ない。

一瞬の判断ミスが惨事を招く事は、この三十分で思い知った。

ほんの五分前だ。

判断を誤って一撃を被った同僚がいた。

膝を折ると、ルードラントの組員は彼に殺到して容赦のない殴打を加えた。

もう立ち上がれないように、徹底的に痛めつけられた。

やがて解放された彼の生死の確認は、まだ出来ていない。

誰にもその余裕がないのだ。


ルードラント側は殺す気概で武器を振るっているが、刑罰執行軍側はそういうわけにいかないのだ。

何せ彼らに確定した罪は不法侵入と執行妨害のみだ。

死罰を加えるには軽すぎるため、昏倒させるつもりで手加減しなければならない。


しかも――援軍が来たとは言え――数の上では現在250対2000。

軍人一人につき四人を相手取っても、まだ向こうは千人の手が空いている。

だから昏倒させても、残る千人に治癒魔術を施されて復帰してしまうのだ。


はじめこそ刑罰執行軍側に戦局は傾いていたが、奇襲による動揺も納まり、彼らは役割分担と連携による戦略を、自然と構築してしまった。


それがラッケンを苛立たせていた。

味方は減っても治癒している暇がない。

敵は治癒を繰り返す事で絶対数が減らない。

一人一人の技術が長けていても、戦局は逆転している。


と、ラッケン・イヴィスに不幸が降りかかる。

背後からの攻撃を、察知出来なかったのである。

気づいた頃には絶望的に刃が迫っていた。

もちろん振り返って対応するには遅すぎるし、詠唱に数秒かかる魔法など論外だ。

身を投げようにも前方と左右を敵に固められている。

そもそも偶然攻撃に気づけたのも、三方向からの急襲を回避しようと背後に気を向けたからなのだ。


複数気配からの殺気に紛れて、武術経験者が気配を殺して近づいたのだろう。

ラッケン・イヴィスは死を覚悟する。

あとコンマ数秒で決定的な一撃が加えらえる。

だが一秒が経過しても、その瞬間は訪れなかった。


人生で一番長かっただろう一秒をやり過ごして、軍曹は即時、頭を切り替える。

背後からの脅威が去り、前方と左右へ警棒で威嚇しながら魔法を放つ。


「我、御するは生命の源――愚者に圧砕と急流を!」


形成された水塊が敵影三つを捉え、打ち抜く。

昏倒したのを確認して、ラッケン・イヴィスは油断なく背後を振り返った。

何が起きて何が起きなかったのかを知らねばならない。


が、ラッケンは呆気に取られ、眼を丸くする。

青天の霹靂に貫かれた彼は、戦場にもかかわらず棒立ちになった。


「メセルド・イリシズ大佐ぁあッ!?」


「いかにも」


短く頷いた男は、周囲に見せつけるように腰に手を当てて斜に構えた。


ラッケンは驚愕の中で理解する。

自分はこの男に救出されたのだと。


メセルド・イリシズ。

二十五歳にして大佐に抜擢された異例の存在。

シミ一つ、皺一つない軍服を纏う長身は二メートルに達し、それでいて痩躯。

無駄のない筋肉に支えられる肉体の頭頂部には、きっちりと七三に分けられた金髪。

二重瞼に収められた紅い瞳。


頭一つ抜きんでた視界で、メセルドはロビーを一望した。


戦闘は停止していた。

ラッケンによる大佐登場の絶叫は、次々に伝播してついにはロビー全体に行きわたり、

驚愕と警戒の入り混じる沈黙を生んだのだ。


「ふむ。なかなか荘厳な光景だね?」


応じる者はいない。

ラッケンは請け負いたくもない全員の代表として、口を開いた。


「な、なぜ、大佐がここに……? 確か、宮廷勤務だったはずでは……」


宮廷からヴェンズまでは、一級の獣車に乗っても半日以上かかるはずだ。


「いや、何。大事になっていると聞いたものでね。飛んできたまでだよ」


あっさりと答えるメセルド。


「し、しかし、もうお休みになられていたのでは……」


例のヒセツ・ルナという少女から一報が入った時は、既に夜更けだった。

そこから軍備を整えて、突入時刻は午前零時を過ぎていた。


「起きていたので問題ない。遊戯盤の『最終冒険Ⅴ』に興じていてね」


『………は?』


全員が口を揃える。

ロビーに浮かびあがった疑問符は2250を数えた。

その疑問に狼狽したのは、時の人、メセルド大佐ただ一人だった。


「な……ッ! し、知らんのかね!? 『最ぼ五』知らんのかね!?」


「その略は無理があると思いますが……一応、聞いた事はあります」


確か、自分の写し身となる駒を用意して、敵となる駒をいくつ取れるかを競う遊びだ。

色々とやり込む要素があるらしいが、ラッケンは経験した事がなかった。


ラッケンの回答で一応既知であるとわかり、メセルドは平静を取り戻した。

咳払い一つ。


「そうだろう。知らないわけがあるまい。あれほどの名盤なのだから。それでだ、つい先程『最ぼ五』で二千人斬りを達成してね」


メセルド・イリシズ・大佐は遠い目をした。


「――ふと思ったのだよ。この二千人斬り、現実で起こればどれほど圧巻だろうかと。そこに一報が飛び込んできたら………行くしかないね?」


『うちの上司こんなんばっかだよ!!』


自分の部下一同の叫びを聞き流して、メセルドは言葉を続ける。


「しかし残念な事に、あまり時間がないのだよ。一時間だけ空けると言って出てきたのでね。帰ったら提督と朝まで『最ぼ五』だ」


『提督ーッ!!』


やはり聞き流して、メセルドは腰にあてていた両手を軽く握って、構えを取った。

不可視の剣を持つような、奇妙な構えだった。


「さて、前置きが長くなってしまって申し訳ない。その分、巻きで行くのでどうか許してくれたまえ。――罪の裁定、怨恨の運び手、罪業の刻印!」


詠唱に応じて顕現したそれを見て、誰もが言葉を失う。

メセルドの手中に、一振りの鎌が握られていた。

その大きさが尋常ではない。

柄は五メートルを越え、刃は十メートル近くあった。

それも鉄の様な硬質さを伴っていなかった。

真黒い靄が、揺らぎながら鎌の形を形成しているのだ。

だから巨大ではあっても、重量は感じさせなかった。


呆然と大鎌を見上げていた一同に、刑罰執行軍大佐は解説を加える。


「この使い魔は非常に優秀でね。清廉潔白な人間を斬っても何ら害も与えない。

逆に罪人を斬れば、全身に激痛が走る。

まあ、どれだけ屈強な者でも悲鳴を上げるくらいには激しい痛みだね」


ルードラント側の人間達が戦慄する。

あれだけの巨大な鎌を、この密集したロビーで回避しきることは不可能だ。

一振りで何十人もの人間が戦闘不能になる。


逆に感心の声を上げる刑罰執行軍だが、メセルドの解説はまだ続いていた。


「だが困った事に、この使い魔は非常に厳格でもあってね。どんな小さな罪も見逃さないのだよ。完璧主義者なのだね。

さて、刑罰執行軍の諸君らに問いたい。

拾った小銭は交番へ届けたかね?

走ってはいけない廊下を走ってはいないかね?

何より――見てはいけない本や写真を18歳になるまで我慢したかね?」


軍人達が一斉に戦慄する。


慌てて静止する全員の声を無視して、メセルド・イリシズ・大佐は大鎌を振るう。


ロビー全体に悲鳴が上がった。

敵味方わけ隔てなく。


ああ白状しよう。

ラッケン・イヴィスは悶絶しながら吐露する。


私もその一人だ、と。



ヒセツは地を蹴り、彼我の間合いを一瞬で詰める。

目標はルードラント――ではない。

その隣に立つ痩身の男、リガレジーだ。

ヒセツが自分を対象とした事に驚いたのか、彼は僅かに目を丸くした。

それによって判断が鈍くなるのを期待しながら、しかし慢心を持つ事なく、ヒセツは警棒の一撃を見舞う。


リガレジーは右斜め前方に身を投げて回避。

そのまま転がるようにして部屋の中央まで駆け、こちらを振り返るなり呪文を詠唱した。


「我、御するは原初より在るもの――対象を貫け光刃」


ヒセツは殺到する光の刃に対し、自身もまた魔法を詠唱する。


「我、御するは文明の源――五指の火の精霊ッ!」


掲げた右手五指から放たれたのは、それぞれが十センチほどの炎弾だ。

それらは各々の軌道を描きながら中空を奔る。


一つは光刃と相対する。

分散した分、相殺するには力が足りないが、軌道を反らすだけで十分だ。

残りの四つはリガレジーに肉薄する。

前後左右から襲う炎弾を、しかしリガレジーは器用に身をひねってかわした。

衣服を焦がしたが、有効打としては認められない。


だが無理な体勢での回避により、リガレジーの視界はヒセツを捉えていない。

その間隙を見逃すはずもなく、ヒセツは警棒を構えてリガレジーへと疾駆する。


「小娘が――俺をシカトかぁああ!?」


声を荒らげるのはルードラント。

視界の端に映る彼がこちらに両手を掲げるのを捉えたが、しかしそれを歯牙にもかけない。

なぜなら――、


「qqqqqeeeyyyッ!!」


ルードラントの魔術よりも格段に速い魔術を、ラナが展開出来るからである。

ルードラントが口を開いたとラナが認識してから、詠唱を終えて使い魔が効力を発揮するまで、要する時間は僅か一秒足らず。


刃のような角を持つ獣が、ルードラントへ斬りかかる。


「ボクも戦えるんです!」


だが直線的な動きなだけに、彼は容易く回避した。


それでも、優先すべき目的は達している。

すなわち――ルードラント・ビビスに魔術を詠唱させない事である。

彼が意識支配の魔術を使えば、ヒセツは七分間の支配を余儀なくされる。

そうなればこちらの不利は否めない。

その七分で、一気に畳みかけられるだろう。


長期戦は望ましくない。

長引けば、隙が生まれる可能性が高くなる。


ルードラントの追撃を考える事なく、ヒセツはリガレジーに警棒を振るう。

リガレジーは頭から首にかけてを両腕で包み込み、ガードする。

こちらの動きが見えていたわけではあるまい。

咄嗟に急所をかばったのだろう。


(――それが仇よッ!)


刑罰執行軍は、基本的に頭部や首への攻撃を許されていない。

下手をすれば人命を奪いかねない急所は、少尉階級以上の人間ではないと行えない事になっている。


警棒はヒセツの思惑通りの軌道を描いて、何の対処もされていない脇胴に叩き込まれた。


「……かっ……はッ」


肺の中の空気を吐き出して、リガレジーが呻く。

ヒセツは警棒を振り抜き、その勢いに転がされたリガレジーは二転三転を経て、素早く起き上がった。


男は口を切ったのか、血と唾を拭い、その顔にはっきりと苛立ちを浮かべていた。

ヒセツの口元に勝ち誇るような笑みがほころぶ。

表情を歪めさせただけでも、彼にとってはひどく屈辱だろう。

脇腹を押さえながら、リガレジーは数度の深い呼吸で気を整えた。


「確かに、侮っていたようですね。非礼を詫びましょう」


「へえ、結構素直じゃないの」


感心しながらも、ヒセツはリガレジーの眼の動き、足の位置をしきりに確認していた。

何度も左に目線が向くのは、ルードラントとラナの攻防が続いているからだろう。


だが、強引に攻めに向かうわけにもいくまい。

彼の足はいつでも迎え撃てるよう、こちらへと足を向けている。


視線を固定しないまま、リガレジーは紳士を思わせる静かな口調で告げる。


「ですが、もう一撃も受ける事はないでしょうな」


「どうして?」


と、答えながらヒセツの頬には冷たい汗が伝った。


「急所を狙えないのでしょう? 先の攻防ではそういう取り決めがない限り、頭部に攻撃が加えられるはずですからな。刑罰執行軍の規則ですかな?」


「さあ、どうかしら?」


「素直な方だ」


別段笑うでもなく、リガレジーは言う。

ヒセツはそっぽを向いて表情を隠したが、どうやら読まれてしまったらしい。

嘘をついた時表情に出るのは、昔から変わらない。


「頭部への攻撃がないとわかれば、備えなければならない攻撃の幅も、だいぶ狭くなりますな」


リガレジーは腕組みして、思い出すように虚空を見つめて話題を変えた。


「ところで社長から聞いたのですが、貴方は興味深い事を言っておられたようですな。確か――暴力に融通を利かせる。素晴らしい言葉です。私も見習わなければ」


「………ッ!」


ヒセツは警棒を構える。

腰を落として、衝撃に備える。

暴力に融通を利かせる――つまり、変則的な使用方法をするという事か。

しかも宣言までしてみせた。

余程自信があるのだろう。

敵の一挙手一投足を見逃しまいと目を凝らす。


「我、御するは原典より在るもの――円陣囲む高貴なる舞踊」


刹那、ヒセツは目を瞠った。

彼は一切の挙措を見せる事なく、その場から消失したのだ。

移動した様子もない。

駆け足の音も聞こえない。


(光の魔法――屈折率を変えた!?)


予測が立った頃には遅かった。


突然後頭部を襲った巨大な衝撃に、ヒセツは為す術もなく吹き飛ばされた。



地下二階へ降り立つと、奈落とシルヴィアはその光景に絶句した。


一辺五百メートルほどの劇場――といっても座席一つなく、コンクリートの壁面が剥き出しになったただの広間だが――、その床一面に描かれた魔紋陣が、緑淡色に発光していた。

その中央には、奈落の見知った少女が空虚な眼差しで同様の光に包まれている。

目を凝らせば、魔紋陣は彼女の両手指から伸びた十本の長大な線で構成されていた。


ルダの口元は絶え間なく、高速で動いていた。

まだ距離があるために聞こえないが、か細い声で呪文の詠唱を続けているのだろう。


全体が淡い光に照らされた広間は、祭壇を想起させた。

ルダという少女を生贄にする事で鯨を召喚する、悪趣味極まる祭壇だ。


ラナの言の通り、ルダは自我を失っているようだった。

ただ鯨を召喚する、その装置としてのみ価値を見出された憐れな少女は、

自覚する事もなく貢献している。


奈落は天井を仰ぎ見る。

描かれた魔紋陣と向かい合う天井には、不自然な亀裂が生じていた。

まるで空間そのものに刻んだ裂傷のようなそれは、二つの世界を連結する通路なのだろう。

あの亀裂があとわずかでも開こうものなら、間もなく向こう側から鯨が顕現する。


奈落は舌打ちした。


成程事態は深刻だ。

が、ラナの目算ではあと五時間は猶予があるとの事だ。


「その前に片づけとこうと思ったんだが――いないじゃねえか」


周囲を見渡しても、奈落の捜している人影は見つからなかった。

ここで召喚の儀式を見張っていたはずの、英雄・カルキ・ユーリッツァがいない。

英雄と決着をつけねばならないと決心していただけに、肩すかしをくらったような気分だ。


だが、召喚を目前にして、刑罰執行軍と壊し屋の急襲を受けて――

この大事な場面で、姿を消すだろうか。

彼の意志であるとするならば、いったい何があったのか。


「まあ、アンタに訊けばわかる話だよな」


奈落の捜している人影――英雄・カルキ・ユーリッツァは見つからなかった。

だが、奈落とルダの間に立つ別の人影があった。


ルダ救出という奈落の目的を阻む位置に。

耽溺するルダを守る位置に。




全ての元凶は立っていた。




「そうだよな。まだアンタ――黒幕が、残ってたんだ」



漆黒のサングラス、シワ一つない黒のスーツ。



奈落にルードラントの破壊を依頼した、張本人。



依頼人・トキナスは、涼しい目で奈落を見据えていた。





続きを気にしていただける方、偶然ここに辿りついた方、

いらっしゃいましたら、評価いただけましたら幸いです。

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