背中を推すモノ
頼もしい叫びを隣に聞いて、ヒセツは顔をほころばせる。
きっと奈落も同じような表情を浮かべているに違いない。
恐怖を認めた上で虚勢を張れる者こそが、強くなれる。
恐怖に竦んで足を鈍らせる者は強くはなれないし、
恐怖から眼を背けて虚勢を叫んでもそれはただの誤魔化しだ。
越え難い障害であると認め、
それでも尚越えてゆけるのだと胸を張れる者だけが、
いつか本当にその障害を看破する。
その先に到達できる。
「奈落様」
と、シルヴィアが歩を詰め、奈落の隣に並んだ。
「下り階段はすぐそこです」
ヒセツはシルヴィアの視線を追う。
ルードラントの背後、半開きになった扉越しに、確かに階段が確認出来る。
読図の結果、ルダの居場所は地下二階である可能性が高かった。
いまも尚、ルードラントの指令で鯨召喚の儀式を取り行っているはずだ。
「ほら、先に行きなさいよ、奈落」
告げながら、ヒセツは警棒で素振りを始める。
重さを確かめ、速度を見極め、眼前の悪に対してどれほどの威力を発揮するのかを定めるために。
「行ってルダちゃんを助けるのよ。王子様っていうには、ガラ悪過ぎだけど」
ぴたり、と素振りを止める。
突き出した警棒の向く先に自分の役割を見る。
ルードラント破壊の助力となり、正義の在り方を実感する事を、改めて主眼に据える。
「多分あの子が、一番地獄を見てるわ」
ルードラントが下卑た口調で異を唱えているが、ヒセツはそれを意に介さなかった。
「大丈夫かよ? 結構強そうだぜ? あいつ」
背中を向けたまま、奈落が声音も変えずに淡白に尋ねて来る。
憂慮している気配などまるでなかった。
ヒセツを駒としてしか扱っていないのか、それとも憂慮する必要もない程、実力を認めているからなのか。
後者だといいとは思うが、断言は出来ない。
だが、その必要もないだろう。
言葉で答えるよりも、提示すればいいのだ。
結果を出せばいいのだ。
「さっさと刑罰執行して、すぐ追いつくわよ」
「舐められた、ものですな――」
ひどく、沈着冷静な声が闖入した。
極力声帯を震わせないよう留意した声――そう比喩しても過言ではない。
口調こそ異なるが、その声を、ヒセツは聞いた事があった。
公園での一件――ヒセツが対峙した男が、扉の奥から姿を現した。
尖った顎を持ち、総白髪をオールバックにまとめた初老の男。
眼鏡の奥に光る、あらゆる感情を削ぎとったような瞳は忘れられない。
「リガレジー、テメー、何しに来やがった?」
猫背のルードラントが、見上げるように男――リガレジーの顎をねめつける。
彼は表情を崩さずに――というより、表情らしい表情など面に浮かべていなかった――答えた。
「喧嘩っ早さに定評のあるどこぞの社長が、いつまでも戦場に顔を出さないものですから。嫌な予感がしまして――と、言えば納得しますかな?」
「しねーな」
と、リガレジーの言葉を寸断するルードラント。
即答してから、しかし粘着質な笑みを漏らす。
「しねーが、結果的には僥倖だぁな」
銀縁眼鏡の位置を直して、リガレジーは奈落から最後尾のパズまでを順々に睥睨する。
「壊し屋が降りれば、残るは年端いかぬ少年少女。我々にとっては、文字通り児戯ですな」
「つーかよ、行かせねーっつの。あそこにゃあルードラント製薬会社の意志、その全てが詰まってんだ。――……あと六時間、死守すりゃ俺らの勝ちなんだ」
獣のように唸るルードラントに、その口調程の余裕は感じられなかった。
刑罰執行の強行軍に、最深部への奈落の到達。
彼にとって、あってはならない事だった。
特に、正念場となるいまこの時間には。
「行かせてもいいでしょう。下階には英雄が待機していますからな。壊し屋一人、屠れぬはずがない」
英雄という単語に、奈落が身を強張らせる。
常に斜に構える彼らしくもない、眼に見えた緊張だ。
彼にとって鯨召喚の阻止と十年前の仇討とは、天秤でぴたりと吊り合う命題なのだろう。
それに気づくでもなく、猫背の社長と無感情の男の対話は続いていた。
「英雄なら、そっちに合流させたはずだぞ」
「いえ、来ておりません」
と、怪訝そうに――と言ってもほとんど表情に変化はなかったが――答える。
「恐らくは、残った方が良策と判断したのでしょう。文字通り、英断という奴ですな。私と同じく」
「そうかよ。だが、そういう事なら――」
ルードラントは奈落に向き直る。
「壊し屋」
「あ?」
「行っていいぜ。行って死んでこい」
「てめえに許可もらうまでもなく行くけどな」
応じて、奈落はルードラントに背を向ける。
ヒセツと視線を交わし、パズとラナとも同様に向き合う。
そして頷き合う。
ヒセツも全員の顔を今一度見渡す。
誰一人として、悲観的な表情を浮かべてはいなかった。
大丈夫だ、と思う。
何一つ心配はない、とも。
「ここは任せた……!」
そう言い残して、奈落は壁際へと駆け出した。
睨みつけるは角隅の床下。
そこへ両手をかざし、叫ぶ。
「栄華の栄光、示すは具現、振るうは奔流!」
詠唱に応じて放たれた光熱波は、更に下へと続く穴を穿つ。
ヒセツを追い越し、ラナに見送られ、パズと平手を打ち合い――
赤黒いコートを翻して、最奥へと消えていった。
――――――――――――――――シルヴィアは?
疑問が差すと同時、その解答はヒセツの横を駆け抜けた。
奈落の描いた軌道をトレースするように。
皆が呆気にとられている中、彼女は刑軍式の敬礼などして、
「私も行きます。ぶっちゃけ――ここにいても役に立たないので」
穿たれた大穴に身を躍らせた。
『あの馬鹿………ッ!!』
ヒセツとパズの叫びは、大穴の向こうに届いただろうか。
届いたところでどうしようもないが。
「で、残ったのは三人かよ」
嘆息混じりに放たれた言葉。
弾かれたように、ヒセツとパズは振り返る。
ルードラントとリガレジーの態度は、明らかに緊張感に欠けていた。
構えさえ取っていない。
壊し屋が離脱し、後の戦力は取るに足らないとでも言いたげだった。
リガレジーが肩を落とす。
「申し訳ありません、我々には子守の経験がなく……。少々、手荒い躾になるかもしれません。特に、反旗を翻した、使い魔の子供には」
邪気に満ちた、底冷えする声。
正面からそれを受け止めたラナは、本能的に一歩を退こうとする――
が、パズが背後から肩を支えた。
ヒセツは苦笑する。
一見無垢な笑顔に見える彼の笑みは、実際のところ皮肉や嫌味以外の何物でもない。
邪気の度合いなら、パズだって引けを取らないだろう。
「大丈夫。怖くないさ。ほうら見てごらん。二人とも全盛期過ぎたただのおっさんだ」
「このガキ……ッ!」
この場に似つかわしくない毒舌は、恐怖に絡め取られるラナを懐柔する。
但し、敵陣営にも火を灯してしまったが。
格下というこちらへの見解はそのままだが、燃え広がった闘志はヒセツ達を容赦なく包囲するだろう。
だが、遅い。
ヒセツの決意、闘志は、とっくに点火して燃え盛っている。
後発の火が燃え広がる前に、呑み尽す。
それだけの事だ。
「最近のガキは、ッんとに馬鹿しかいねーなぁああッ!」
反論する必要はない。
これから、彼らの認識が間違っていたと証明さえすれば、それで良いだけの話なのだから。
刑罰執行軍として。
最強の壊し屋の、協力者として。
ヒセツ・ルナとして。
「簡単な話よ。今までの謎かけに比べれば。こんなのは、間違いを正せばいいだけの事よ。だから単純に行くの――正義の所在を確かめにね」
ヒセツは、
刑罰を執行するべく、
破壊するべく、
確かめるべく、
警棒を正眼に構えた。
◆
「放蕩の賢者、飛び跳ねる知、屋根裏の祭唄ッ!!」
地下二階は全体が劇場としての機能を有し、広大な空間は高さ五十メートル以上を保有していた。
自由落下で着地出来る高さではない。
そこで奈落が落下の風を受けながら召喚したのは、五十センチほどの梟の使い魔だった。
「ほっ、ほけけッ!? 何故にこの老いぼれ!? ぼれッ!? 愚かに過ぎるツンツン小童! お主、飛行の使い魔契約しておったろうッ!」
せわしなく、それこそ狂ったように梟は羽ばたく。
それでも上昇は出来ず、ゆっくりと下降していく。
無理もない。
梟の細い足首に、奈落はぶら下がっているのだから。
それだけでなく、奈落の首に両腕を回して、シルヴィアもまた摑まっている。
「お前に用事がある」
「ほけッ!?」
奈落は頭上で顔を真っ赤にする梟を見上げる。
梟は奈落の顔を見る余裕などなかったが、もし見ていたなら――
思わず、羽ばたくのを忘れてしまっていたかもしれない。
奈落は寂寥を隠しきれぬ顔で――どこか嬉しそうな、だがそれを喜んでいいのかわからず、結果的に寂寥として表出されたような顔で――、見上げていたのである。
奈落は唇を強く引き結び、やがて、泣きそうに声を震わせながら告げる。
「放蕩の賢者。お前に、知恵を授ける」
「………ほ?」
梟は下降を続ける。
眼下に展開する悪夢の祭壇が、少しずつ大きくなっていった。
◆
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いらっしゃいましたら、評価いただけましたら幸いです。




