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不招の客


アウトロウをあとにして帰路につく。

パズの店から奈落の家までは、歩いて十五分とかからない距離だ。

その途中、軒を連ねた露天商がレンガ敷きの道路に並ぶが、一際目を引くのは、

やはり城壁のように高くそびえたこの壁だろう。

一般的なレンガ敷きのそれでなく、その壁は一枚の鉄で構成されていた。


どうという事もない区画整理のための壁にはどれも落書きが施されているが、

この壁にだけは、落書きはおろか綻び一つない。


奈落の視線も、その城壁に向いていた。公然と、そして堂々とそびえるその壁は、


「ルードラント製薬会社、ねえ……」


そうなのだ。

街の中心で異彩を放つこの壁の向こうに、噂の絶えないルードラント製薬会社本社がある。


こうも公にそびえていてなお、刑軍は彼らを殲滅出来ずにいる。

その理由の一つとして証拠不十分が挙げられるが、それを助長するのがこの城壁である。


探査の魔術を施された、高さ五メートル・全長三二十メートルの巨大な壁は、侵入者を察知すると同時に攻撃を放ち、容赦なく例外なく愚か者を排除するという按配だ。


その事を承知している街の人々は、誰もその壁に触れようとしない。

奈落も例に漏れないが、それも近日中に撤回されるのかも知れない。

依頼を承諾するならば、この壁を越え、ルードラントを壊さなければならないのだから。


まったくもって、


「面倒な仕事だな」


その台詞を壁との別れの挨拶として、奈落はコートを翻した。


狭い小道に入って五分ほど歩を進めると、質素な平屋が目に付いた。

最近購入したばかりの、安さだけが売りの襤褸家だ。

隣近所と比較しても、我が家はハッキリとこぢんまりとしていた。


その事に小さく息をついて、玄関の扉に手をかけ――なかった。


ふと、奈落は親の敵を見つけたかのように眼を細め、射抜くような視線を扉に向ける。


嫌な汗が頬を伝った。


今確かに、微弱ではあるが人の気配を察知した。

招かれざる客の気配、だ。

家にはシルヴィアを置いて留守を任せておいたが、どうやら無意味だったようだ。

捉えた気配はシルヴィア含め二つ。

もう一つは――考えるまでもない。

非合法の壊し屋に友好的な客が訪れるはずがない。

恐らくは刑罰執行軍――適当に当たりをつけて、奈落は足音を立てないよう慎重に一歩、二歩と引いていった。


「全く、今日は刑軍に縁のある日だな。――しがない壊し屋に何の用事だ?」


背後へと運んでいた足を、適当な距離が開いたところで止める。

靴の踏む大地が、静かに乾いた砂埃を上げる。

奈落は右腕を前方に掲げて、そっと瞳を閉じた。

真昼間の日差しから隔絶した視界に、代わって果てのない闇が広がる。

その中で、奈落は閉じた視線で彼らを探し始める。

神経を集中し、闇という一点を見つめる。

走査する視線は、やがて目的である対象を捉えた。

その瞬間を逃さずに目を見開く。


「顕気」


ごく短い詠唱は、攻撃のためのものではなかった。

奈落は静電気を発した両手の平で、視界を遮る頭髪を後頭部へと撫でつける。

活力を宿した一対の眼が露わになり、黒髪は怒髪天を突くが如く逆立つ。

それが壊し屋・奈落のスタイルだった。

加えて、彼は詠唱する。


「――求むるは影、贄の羊、脅威を退けよ」


慎重に一字一句を、しかし早口に紡ぎだす。

瞬間、彼の言葉に呼応して、右手の先から光が放たれる。

天空に伸びる緑色の淡い光条。

湾曲の無い真っ直ぐな光線は、しかし唐突に歪み、そして瞬く間に一つの形を形成し――変化を終えた。


「うっし、上出来。んじゃ行くぜ」


その姿に、奈落が満足げに頷く。

それを先頭に、我が家へと再び歩を進め始めた。


ガチャリ…。

赤黒いコートの男が、そもそも鍵の無い玄関扉をゆっくりと開け放つ。

何の躊躇も感じられない手際。

普段どおりに扉をくぐり、内と外との境界をまたぐ。


刹那。


警棒が脳天に打ち下ろされた。

ビュンッっと風を切り裂く音とともに放たれるのは、一切の予備動作も迷いもない、洗練された動きだ。

疑問を差し挟む余地すらなく振るわれた凶器は、寸分違わず対象を屠った。

事実を事実とする証拠として、脳天に打ち下ろされた警棒の勢いそのままに、彼の頭がグニャリと歪んだ。


「――ッ!?」


かすかに息を呑む音。

予想外の展開に、襲撃者の動きがわずかに鈍る。

その瞬間を、彼の背後に控えていた赤黒いコートの男が見逃そうはずも無かった。

真中から奇怪な谷のような形に歪んだ男の脇を縫うように、腰を屈めた低い姿勢で、素早く足を滑らせる。

その先に、驚愕に目を丸くした襲撃者――刑軍の姿を認め、彼は口元に笑みを浮かべた。


自分を模した使い魔の横から滑り出て、屈めた腰を、跳ぶような膝のバネの動きで一気に伸ばす。

踊り出た位置は敵の眼前。

奈落は腰を伸ばした際に浮かせた左足を、杭のようにカーペットに打ち下ろす。

全身に伝わる床からの反動に腰の回転を乗せ、左肘を思い切り背後に流し、エネルギーを全て右腕に集結させる。

スピードを乗せた右腕を、拳を、一気に刑軍に突き出した。

ここまでの動作にかかった時間はコンマ数秒、視認する事すら困難な右拳を――しかし刑軍は防いだ。凶器の両端を両手に握り、水平に構える事で盾としたのだ。

拳と凶器のぶつかり合い。

拮抗するかに見えた押し合いだが、すぐに結果は訪れた。

勢いの乗った拳は、凶器の盾もろとも刑軍を背後へと吹き飛ばしたのだ。

迫る壁に背を激しく打ち付け、刑軍が昏倒しその場に崩れる。

当然、奈落には抵抗する相手を防御策ごと吹き飛ばすような力は無い。

恐らく、刑軍の対応が不十分だった――構えたまでは良かったものの、全く力が入っていなかったのだ。


結果、奈落の勝利に落ち着いた。


張り詰めた緊張の糸が切れ、場に静寂が流れ込む。

奈落もその空気に倣い、突き出した拳を収め、安堵の息をついた。

沈静化した事で、浅い呼吸も耳にしっかりと届く。

気を失った襲撃者のものだ。

不完全とはいえ抵抗を示した刑軍に、奈落は苦笑と賞賛と視線を送る。

襲撃者は、刑罰執行軍採用の頭部用防具を被っていた。

首から上をほぼ包囲する作りのために、顔は窺えない。

奈落は相手の昏倒を確認するため、防具を慎重に外した。


と、青天の霹靂が彼を襲う。


理解を示した彼は、思わず舌を巻いた。

美しいというよりも可愛いと形容した方がしっくりとくる丸い顔立ち、肩までの栗色の髪、それを後頭部で留める銀色のバレッタ。

軍の制服に包まれた華奢な肢体。

そして。規則正しく上下する胸は、わずかに膨らんでいた。


「こいつ、さっきの……?」


襲ってきた刑軍は――先程窃盗犯を豪快に転ばせた、あの少女に相違なかった。


「言ってた大事な仕事って、俺への刑罰執行の事だったのか……」


否が応にも、先程の邂逅が思い出される。

起きればまた面倒な問答をする事になりそうだ。

想像しただけで顔をしかめてしまい、目覚めないうちに捨ててしまおうと決めた。

だがその前にやる事があった。

ひとまず襲撃者から視線を外し、自分を迎えるべきだった本当の送迎者の名を、半眼で、露骨に剣呑にうめいた。


「――シルヴィア」

「ここに」


呼びかけに、打てば鳴るような勢いで、凛とした響きの声が頭上から応えた。

途端、天井が瓦解した。

にわかに信じがたいが、突然亀裂が走ったかと思うと、続く動作で天井の一部が瓦解したのだ。

崩れる天井の瓦礫が重力に引かれ、派手な音を立ててカーペットに牙痕を穿つ。

一つや二つではすまない、大小様々な礫が降り注ぎ、もうもうと砂埃が立ち込めた。

砂のカーテンが落ち着くと、その中で。瓦礫の山の上、一人の少女が肩膝をついていた。


「主の呼びかけを天井裏にて待ち、御用とあらばどこからともなくスラリと参上

――今日は忍者テイストで決めてみました」

「……………いや、もうどこからツッこむべきかも分かんねえや」


肩を落とす奈落の眼前、感情の起伏を見せない無表情で、黒髪黒瞳の少女が首を傾げる。

無駄に凝った登場で襤褸家に拍車をかけたこの少女こそ、今朝方鍋を降らすという偉業をなした――シルヴィアである。

身を包む黒の和服は、なぜか砂埃の中心にあってなお一つの汚れもなかった。


「で? 一応家主としては無視できず、言及したいところだな。天井壊した理由を」

「壊し屋である奈落様に仕える者としては当然の行為だと判断します」

「成程。たった今、俺は急に目の前の間抜けを壊したくなったんだが見解を述べよ」

「何を仰っておられるのでしょうか。奈落様の前に間抜けな女などおりません。

ですが、日々立派に主のために尽くす忍びの模範ならば、ここに」

「お前の減らず口は相変わらずだなあ――殴っていいか?」

「奈落様、口が減らないのは当然です。一つしかありませんので、減ると困ります。

ところで、なぜ私を殴ろうなどと仰られるのか、皆目見当もつかないのですが?」


会話があらぬ方向へ行ったまま帰ってこない。奈落は嘆息をもって閑話休題とした。


「はあ……。そんでシルヴィア、あの娘は刑軍みたいだが、何でお断りしなかった」

「主ではなかったゆえ、忍びが出るわけにもいかなかったので」

「お前は忍びじゃなくて――」

「奈落様――」


力無い奈落に、シルヴィアが口を挟んだ。


「――後ろです」

「――ッ!」


表情の伴わない忠告。

奈落は反射的に背後を振り返っていた。

言葉の意味を吟味する間もなく、ただ経験が危険だと警告したのだ。


果たしてその先で、数分前の光景が再現されていた。


いつのまに意識を取り戻したのか――

刑軍の少女が警棒を振りかぶり、こちらへと打ち下ろす、その瞬間だった。

咄嗟に奈落は背後へと跳躍する。間一髪、鼻先を警棒が掠めた。

あと一瞬でも行動が遅れていれば――想像して、奈落はゾッとした。

跳んだ先に、既にシルヴィアはいない。

右か左か、それか上にでも身を退けたのだろう。

前方からは舌打ちが聞こえた。

度重なる空振りに苛立っているのか、少女は間髪いれずに二撃目を放つ。

下段からの、掬い上げるような一閃。

今度は横に跳んでそれを回避。

間断なく少女の剣戟は続く。

正眼に構えた警棒で、向かって左に逃げた奈落を水平に薙ぐ。

それも背後に跳んでかわし――奈落は焦燥にかられた。

背に感じるのは、平板で硬質の気配。

壁だ。

避ける事に精神を研ぎ澄ませていた奈落は、自分が罠にはめられた事に、ようやく思い至った。

敵の鮮やかな剣戟は、それすらも罠にかけるための手段でしかなかったのだ。

眼前に、勝利の笑みでにじり寄る少女。

背後には、壁。

まさか我が家で袋小路に陥るとは思ってもみなかった。

今更に、安さだけで購入した事を後悔する。

額といわず全身が、危機的現状に冷や汗の涙を流す。


手がないわけではない。

今や勝機を掴んだ事を確信し、彼女の瞳には自信が溢れている。

ともすれば、それは奢りに転じかねない危ういものだ。

その間隙を――縫う。


――やってみるか。


心中で腹をくくる。

そもそも賭けなければ可能性など生まれないのだから。

奈落は、今にも襲い掛かってきそうな少女から逃げるように、瞳を閉じた。


「お手上げだ。まさかアンタが俺を狙ってるなんてな。分が悪ぃ」

「そうね。私も、まさかアンタが壊し屋・奈落だとは思わなかったわ。

さっき窃盗犯と一緒に捕まえておけば良かったわね。

ま、これで仕事完遂だから良いけど!」


叫びと共に、少女が地を蹴った。

繰り出されるは、好機を最大限に活かした、大きく振りかぶる必殺の斬撃。

一瞬。

結局、ほんの一言二言分の一瞬の猶予しか、奈落には与えられなかった。


だが、魔術師はその一瞬を勝機へと昇華させる。


敵が大振りの一撃を選択した事も好都合だった。

必殺の攻撃は、それだけ時間がかかる。

とは言っても、それもほんの一瞬の相違でしかないが。

高速展開される状況の中、一瞬の余裕で勝敗は分かたれる。


稼いだ一瞬で、閉じた視界――闇の中から、探り当てた。

攻撃の一瞬で、開いた視界――身を翻し、必殺の軌道から身を逸らす。


掠めた警棒をやり過ごし、奈落は右手を浅く掲げ、早口にまくし立てた。


「求むるは刃、鉄の光条、我が手中に為せ!」


甲の宝石が光条を宿し、それが形を変えぬままに鋼鉄と化し、刃となって奈落の右手に頼もしい重みをズシリともたらした。

奈落が刃を水平に構えるのと、少女が上段からの一撃を加えるのとは、同時だった。

キィンッ――と、小気味いい音を放ち刃と警棒が交差、激突する。

二人の頬に汗が伝う。

少女が両手に握る警棒に、更に体重を乗せる。

奈落が右手だけで支えていた刃の柄に左手を添え、押し返す。

お互いに引けをとらない、互角の鍔迫り合い。

だがその最中で、奈落は勝利を確信していた。

こんなものは茶番に過ぎないと、口元に笑みさえ浮かべた。

その余裕に少女が眉をひそめた。

慙愧の念は、しかし一瞬後、明らかとなる。

奈落は力を緩める事なく、瞳を閉じたのだ。

閉じた視界、すなわち闇の中で、新たに適当な使い魔を探査する。

鍔迫り合いのような硬直状態に陥った場合、瞑目し詠唱するだけで使い魔を召喚できる魔術師は、絶対的優位に立つ。



瞑目し使い魔を召喚する――その過程の中において、奈落は当然気付けなかった。



敵が彼と同種の――勝利の笑みを浮かべた事に。


続きを気にしてくれる方、偶然ここに辿りついた方、

いらっしゃいましたら、評価いただけましたら幸いです。

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