盟友に別離を促す
◇
「さて、お前に頼みがある」
十一権義会支部に向かったパズとエリオを見送って、奈落はヒセツへと向き直った。
彼女もまた事態の展開を追い切れていないようで、怪訝に眉根を寄せていた。
「ねえ、二人はいったいどこへ行ったのよ?」
「十一権義会支部だ」
即答する奈落の言葉に、ヒセツは尚も首を傾げる。
「こんな夜遅くに? それに、エリオさんは帰ってきたばかりじゃないの」
「必要な情報がある。あと九時間でルードラントを止めるためのな」
そこまで言うと、勘のいいヒセツにはこちらの意図が掴めたようだ。
急に意気込んで、彼女は奈落へと詰め寄った。
「居場所がわかったのね!?」
「これからわかるんだ」
そう訂正を入れてから、一息。
奈落は立ち上がって、ヒセツと正面から向き合う。
視界に映るものを見遥かすかのような、あるいは余りある好奇心を体現したかのような大きな瞳。
控えめな鼻筋。
丸みを帯びた顔立ち。
後頭部を銀色のバレッタで留めた、肩までの栗色の髪。
奈落よりも二十センチは低いであろう身長。
どこから見ても、年端もいかない、難しい事など考えずに遊んでいてもいい年頃の少女だ。
だが、その印象を覆す出で立ちである事も確かだ。
柔軟性を失わないままに引き締まった筋肉。
腰帯から吊り下げた伸縮式の警棒。
外見には表れない、魔法使いとしての素質。
そして何よりも、その小さな胸に宿る信念。
彼女は少女である事よりも、刑罰執行軍である事を選択し、その意志はいまも歪む事なく存在している。
そういえば、落ち着いて正面から彼女を見据えたのは、これが初めてかもしれないな、等と思いながら。
奈落は話す。
彼女が仲間に加わると決まってから、ルードラント攻略のために、ずっと心に描いていたシナリオを。
「刑罰執行軍・ヒセツ・ルナ」
改まった口調に、ヒセツは目を丸くした。
「……何よ?」
憮然とした口調で返してくるのは、警戒だろうか。
別段的外れな態度ではない。
本来奈落は、ヒセツにとって刑罰執行の対象であるのだから。
非合法の壊し屋と、刑罰執行軍。肩を並べて歩く方が稀有なのだ。
「頼みたい事がある」
「だから何? もったいぶってないで言いなさいよ」
険のこもるヒセツの応答を聞きながら、奈落は内心で苦笑する。
(刑軍に頼むだって? この俺が?)
常の関係ならば、そんなものは問答無用で唾棄されるべきだろう。
聞く耳持たぬと寸断され、刑罰執行を加えられるに違いない。
それでも眼前の彼女は――不審には思っているのだろうが――こちらの言葉を待っている。
刑罰執行軍に依頼する等という珍事は、これが最初で最後になるかもしれない。
「パズが戻ってきて、ルードラントの居場所が割れ次第、刑軍に出動を要請してほしい」
「――……?」
ヒセツは眉根を寄せて、こちらの様子を窺っている。
疑問や懸念を口に出したい気持ちはあるのだろうが、彼女は視線をもって奈落に言葉を促すにとどめた。
「ルードラントには二千人の社員――もとい、配下がいる。一対二千が現実的かどうかはともかく、それだけの人数を相手にしてる時間がねえ。その間に鯨が召喚される。だから刑軍に、その二千人を制圧してもらいたい」
注意してほしいのは、と奈落は続けた。
「通報の仕方だ。一般人を装わずに、はっきりと刑罰執行軍・ヒセツ・ルナとして通報してくれ。刑軍の人間からの要請でなきゃ、人数は確保出来ないだろうからな」
奈落の案を聞いたヒセツが浮かべた表情は、笑みだった。
だがそれが名案に賛同を示す笑みなのか、愚考を一蹴するための笑みなのかは判断しかねた。
恐らく、ヒセツ自身にも判然としなかったのではないだろうか。
「――成程? アンタはその隙にルードラント本人を叩くってわけね?」
「ああ」
にべもなく即答する奈落は、ギリッ…と硬質の何かが擦れ合う音を聞いた。
それが、ヒセツが感情的に歯噛みした音だと気づくまでに、時間はかからなかった。
ヒセツの表情が次々と移ろう。彼女の戸惑いを表わすかのように。
「そう怒るなよ。確かに本音を言えば、刑軍を囮に使いたい。けどかと言って、狂言で刑軍を扇動するわけじゃない。ルードラントは水面下で刑罰執行を逃れてきた連中だ。強制執行で証拠の一つも見つかるだろうから、刑軍は大手柄を立てられ――」
「……違うわね」
ヒセツが、囁くような声音で口を挟む。
それは不思議と奈落の耳朶を強く打ち、自然と口をつぐませた。
「違うわね。――アンタが言いたいのは、その先なんでしょ?」
彼女はとても聡明だ。
奈落は彼女と視線を交わしたまま、首を縦に振った。
「ああ。ヒセツ・ルナ。
つまり今夜、俺の――壊し屋の仕事と並行して、刑罰執行軍の大規模な強行軍が行われる事になる。
それは、お前の本来の仕事だ。
この辺の刑軍なんざかき集めても、せいぜいが五百人程度だろ。
数の上じゃ不利な戦いになる。
お前が参加する事で、救える命と立てられる武勲があるはずだ。
何より刑罰執行軍として通報してもらう以上、お前は参加しなきゃならなくなるはずだ。
通報するだけして放置じゃあ、それこそお前の進退に関わるだろうからな」
奈落の頼みを引き受ければ、彼女の刑軍としての立場が危うくなる。
出動要請した者達とともに、行軍に参加しない限り。
「ここで手を引いて刑罰執行軍に戻れって……そう言うのね」
「端的に言えばな」
「何でよ!? 何で突然、そんな事を言い出すのよ!」
叫ぶヒセツに対して、奈落は慎重に心中を吐露する。
誤解を介在させる事のないように。
「突然じゃねえさ。お前と行動すると決めた時から、俺はこの結末を考えてた。ヒセツ・ルナ個人と協力するよりも、遥かに大きな力を利用出来る――この結末をな」
「結局アンタは、私を駒の一つとしか見てなかったってわけ……?」
「人聞き悪いな。お前も刑軍として活躍出来る舞台に立てるんだ。お互いに旨味のある話だろ」
パタン、と扉の閉じる音が聞こえた。
シルヴィアが、ラナを連れて部屋を移動したらしい。
確かに、ラナも聞いていて気分のいい話ではないだろう。
奈落は言葉を続ける。
「それに、もうわかったはずだろ。俺がどういう壊し屋なのか。もう納得してんじゃねえのか?」
真実を得たい、と彼女は言った。
奈落と行動する事で、自分自身の実感を判断材料に、正義と罪についての納得を求めていた。
「……確かに、アンタは私の思ってたような非道な人間じゃなかった。まあ非道な面もあるんだけど。でも、いまだって最悪の事態を避けるために奔走してる」
「ならこの関係は解消されていいはずだ」
静かに言い放つ奈落は、ヒセツの目尻に涙を見た。
彼女は怒るでもなく悲しむでもなく、裏切られたふうでもなくましてや歓喜するわけでもなく――しかしそのどれもを混濁したかのような色合いに顔を歪ませる。
放つ声音を震わせながら。
「でも私は、ルードラントの破壊を手伝うって言ったわ……。それについてだって刑罰執行軍である以上、途中で放棄して嘘にしちゃいけな――」
「刑罰執行軍之心得最終章一節」
呪文のように奈落の口から放たれた言葉は、ヒセツを閉口させた。
彼女が片手で頭を抱えたのは、呆れたのか、あるいは顔を隠したかったのか。
「……前述の心得が刑罰執行執務を妨げる場合、その心得は必ずしも強制力を持たない。――本当に、何でアンタはそんなに条項に詳しいのよ……」
吐き捨てるように言うヒセツに、奈落は苦笑するしかない。
「そういうわけだ。もう何もお前を束縛しちゃいない。刑罰執行軍に合流して、鯨の方は俺らに任せとけ」
それが最善なのだと、奈落は考えた。
選択肢は三つ。
まずは、刑軍に頼らず奈落とヒセツを戦力の中心として二千人と対峙する方法。
次に、匿名で刑軍に出動要請をする方法。
ヒセツとの協力関係を続行が可能かもしれないが、匿名では説得力に欠ける。
集まる刑軍はせいぜいが様子見としての五人程度だろう。
そして、奈落が選んだ三つ目の選択肢。
刑軍による出動要請。
説得力も信憑性も格段に上がり、ルードラント制圧のための戦力を集合させるだろう。
その代替として通報者であるヒセツ・ルナにも強行軍への参加義務が生じるだろうが――効率としてはこれが最善と言えた。
何より、鯨召喚という刻限が設定されてしまった以上、短期決戦が望ましい。
ヒセツが首を縦に振る瞬間を待っていた奈落だったが、その瞬間はいつまで経っても訪れなかった。
それどころか、
「……………嫌よ」
長い沈黙を挟んで、彼女はそう明言したのだ。
「お前なあ……」
聞きわけのない態度に、奈落は苛立ち交じりの嘆息をする。
「これが互いにとっての最善だろうが」
「そうかもしれない」
と、ヒセツは認めた上で首を振った。
「でも、違うわ」
「何が違うって?」
「アンタがルードラントを壊して、私が刑罰執行軍として二千人を相手にする……それは、刑罰執行軍の正義よ」
胸中を上手く言語化できないのだろう。
もどかしそうに言葉を選びながら、ヒセツはしかし、目を逸らさなかった。
「でも、私が確かめたいのは、私の――ヒセツ・ルナの正義なのよ!」
意志に任せるがまま、ヒセツは奈落に詰め寄った。
奈落はたじろぐ事なく対峙する。
正義の所在を改めて確認する、一人の少女と。
「もし、私がいない事で鯨が召喚されたりしたら!? ラナちゃんやパズ君が、シルヴィアが命を落とすような事になったら!? もしも――奈落が……ッ!!」
「お前が参加しなかった事で、命を落とす刑軍もいるかもな」
「知らない誰かより仲間の命よ!」
そう即答してから、ヒセツは自分が何を口走ったのかを認識したようだった。
彼女は急に萎縮して、バツの悪そうに一歩を退いた。
「ごめん……エゴだわ、こんなの」
「正義なんてものが、そもそもエゴなんだよ」
正義を否定する奈落に、ヒセツは口を開きかけたが――
吐くべき台詞は見つからなかったようだった。
彼女自身、自らが掲げる正義のエゴイズムに気づいているのだ。
正義を声高に叫ぶはずだった口は、小さく、全く別の言葉を紡ぎ出した。
「刑軍を呼べば、いいんでしょ……」
「奴らの居場所が、完全に割れてからな」
肩を落とし、立っている事も出来ないとばかりに椅子に座すヒセツ。
奈落は安堵とも寂寥ともつかない眼差しで、その様子を見守った。




