迷宮に次手を探る
「状況を整理しよう」
十分間の休憩を挟んで、奈落は全員に視線を配りながら言った。
ラナの告白には息をつく間もなかった。
刻限が急迫している今だからこそ、一度冷静になる必要があった。
窓際に位置するヒセツは立っているのに疲れたのか、どこからかクッションを持ちだして座り込んでいた。
シルヴィアは奈落の隣の椅子に腰かけている。
それはパズが使っていたもので、当人は床に直接足を崩していた。
浮かない顔をしているが、そんな事を言い始めたらこの場に浮かれた顔をしている者は一人だっていない。
腕組みして、奈落は慎重に言葉を紡ぐ。
「俺らの周りで起こってて、解明されてなかった事を全て挙げていく。
とにかく、全てだ。
――まずは依頼人であるトキナスの正体。
次に英雄・カルキ・ユーリッツァの目的。
ルードラントの自作自演の目的。
焼け跡に残った魔紋陣の意味。
ラナとルダのうちルダのみに固執する理由。
かに見えていたが、やはりラナを連れ戻そうとするルードラントの真意。
加えて、その事にかなり焦っている理由。
ルードラントの居場所。
トキナスが、自身優秀どころじゃねえ程に強力な魔術師であるにもかかわらず、俺に依頼してきた理由。
ここ一週間でルードラント関連の情報の価値が急落した理由。
そして引っかかるのが、十一権義会議員であるイルツォル・エルドラドの解任。
それから最後に、ルードラントに俺らの行動が筒抜けな理由だな」
「筒抜け……?」
と、不安を吐露したのはラナだ。
言葉を返せば、その場にいたラナ以外の全員が、その事実を承知していた。
首肯したのはヒセツだった。
腕で両足を抱え込み、その視線は床の木目に向けながら。
「昨日の一件は居所がはっきりしてたからともかく、さっきの襲撃は私達の動向が解っていない限り、出来ない芸当なのよ。忌々しい事にね。私達がホテルに入った時間、部屋番号、そして別行動を始めた事実。全てを把握した上で絶好の機会を狙って、ラナちゃん、貴方の誘拐を試みた」
誘拐という単語に、ラナが身を震わせる。
誘拐を試みた――奈落は胸中でそう反芻する。
一度は解放したにもかかわらず、ラナに再び生じた価値。
それは――ラナ自身の告白によって明らかとなった。
「さて、ラナが使い魔だと解って、解決できる謎がいくつかある」
「ルードラントがラナを狙う理由、それは二つあったんだよ」
と、言葉を継ぐパズ。
「その理由の二つともが、ラナが優秀な使い魔である事に起因する。一つ目はいたって単純。一度は手放したけれど、やっぱり惜しくなったから。ラナとルダが揃っていさえすれば、極端な話、何度でも鯨を召喚できるわけだし。それに、単体でも充分な戦力だと思うよ」
一瞬で瓦礫を呑みこむ使い魔を、ラナはコンマ数秒で召喚した。
その能力は驚愕に値する。
奈落自身だって、もし自分にその戦力があれば相当に重宝だろうと思う。
つまり、そういう事だった。
「二つ目の理由。ルードラントは、ラナを奈落さんに奪われる事を恐れたんだ。ラナが反旗を翻した時のリスクを、彼自身がよく理解しているはずだからね」
「ただ捨てられるだけならば、ルードラント・ビビス氏もラナ様を歯牙にもかけなかったでしょう。ですが、誤算が生じてしまった。それが火事場での一件」
と、シルヴィアは朗々と告げる。
「英雄・カルキ・ユーリッツァ氏が、ラナ様を奈落様へ預けてしまった。それが彼にとっては大きな誤算だった」
火事場に放置されていたなら、忘我していたラナはそのまま焼死していただろうから。
声には出さず、奈落は胸中で呟く。
だから後に脅威となる可能性を、ルードラントは全く思慮していなかった。
「だが、英雄がなぜラナを俺に預けたのか。その理由はわからないままだ」
「解らない事は後よ。解る事を一つ一つ確認して、それから解らない事を考えるの」
脇を見やると、ヒセツが姿勢はそのままに視線を奈落へと向けてきていた。
「言うじゃねえか」
「アンタが言ったんでしょ。状況の整理って」
違いねえ、と奈落は頷いて、改めてラナへと視線を据える。
小さな体躯を僅かに震わせながらも、こちらの話に傾注していた。
抗う覚悟を決めたのだ、と奈落は思う。
「ラナが反旗を翻す――そこまで思考が至ると同時に、一つの疑問が生じる。使い魔は、主の意志に従わなきゃならない。意思への介入は時間がかかるけどな、それが原則だ」
「アンタの梟には忠誠心まるでなさそうだったけど?」
と、ヒセツが半眼で皮肉を返す。
「俺には使い魔の意思に干渉する意志はないからな。だから普段は口やかましいが、必要な場面では俺の指示に従ってたろ」
それが奈落のスタンスだった。
だが、ルードラントは、
「個々の意思にまで干渉していたってわけ?」
「どうなんだ?」
と、ヒセツからの問いの矛先を、奈落は正面へと向けた。
ラナは、苦虫と苦渋を煮詰めて嚥下したような顔で答えた。
「干渉なんて、そんな生易しいものじゃありません……。あの人は、ボク達の意思なんてまるで無視して……。昨日のルダは人が変わったみたいになってました。もうルードラントの支配下にあった……ッ 和解だなんて言ってたけど、そんなのは絶対に嘘ッ!」
声を荒らげるラナの双肩に、そっと手が添えられる。
それは席を立ったシルヴィアの両手で、それに抑えられるようにして肩の力が抜けていくのがわかった。
「ルードラントは使い魔に対して強制力を働かせている。そこでさっきの、疑問が浮かび上がってくるわけだ。――なぜ、奴はラナに対してそうしない?」
「そういえば……」
奈落の疑問に頷くヒセツは、腕組みしてしばし黙考する。
そして啓示を受けたかのように平手を合わせた。
「ルダの支配で手いっぱいで、ラナにまで気を向けていられないとか、どう?」
奈落は、ヒセツの言葉にほんのわずかだけ片眉を上げる。
その意見を吟味するかのように口元に手を当てるが――違う。
それは口元を隠すための手だった。
自制しきれずに浮かんでくる不敵な笑みを、隠すための。
目端にパズを捉えると、彼もまた口の端を吊り上げていた。
「そいつは違うな。ルードラントは優秀な魔術師だ。少なくとも、鯨召喚を本気で考えるくらいにはな。俺の推測が正しければ――ラナ、いまの君の主はルダだな?」
ラナと同様、ルダもまた召喚を可能とする使い魔ならば、その結論は決して的外れではないはずだ。
不要と廃棄されたラナを、ルダは自らが主となる事で再び召喚した。
彼女達は、お互いを心のよりどころとしていたのだろうから。
「――そうです」
そう肯定してから、ラナは慌てて首を振った。
「でも、別に隠していたんじゃありませんっ。ただ、別段言う必要もないかと……」
尻すぼみになっていくラナの声音からは、罪悪感がありありと伝わってきた。
嘘をつく事で、良心の呵責に苛まれてきたのだ。
もう隠し事はしていないとの主張は、彼女にとって貫かねばならない最大の罪滅ぼしだった。
ラナの言に、奈落は頭を振った。
「いや、それこそが重要なんだ。ルダが主であり、その使い魔であるラナがここにいるという事実――それはつまり、ルダの支配が不完全である証拠になる」
「証拠?」
そう首を傾げるヒセツは立ち上がって、ポケットから煙草を取り出す。
箱から取り出した一本に小声での魔法で火をつけ、特にうまくもなさそうに吸った。
「まず、ラナがここにいるという事実。いいか? 召喚維持には精神力が必要になる。ルードラントの支配下にあるのなら、ルダは召喚を維持出来ず、ラナは忽然と消えてしまうはずだ」
「ルードラントの指示で召喚を維持しているって可能性もあるわ」
「何のために?」
「それは……」
考えが及ばなかったらしく、ヒセツは口ごもった。
「それにだ。昨日の段階で、ルダは涙を流していた。重傷を負ったラナを見てな。つまり、少なくともその時点では支配は完全じゃなかった。で、それは今も変わらねえ。支配下にあるのなら、ルードラントはこう命じりゃいいからさ。ラナの契約呪文を教えろってな。そうすりゃ、ルダの魔術を解約出来る。そんで改めて、ラナを自分で召喚すればいい。それがないって事は、ルダの支配はまだ未完全だ」
「でもこうは考えられないかしら」
と、ヒセツが口を挟む。
「ルードラントはルダを完全に支配下に置いた。でもそれはついさっきなのよ。そしていま、虎視淡々と解約呪文を唱える機会を窺ってる。でもそれが出来ない。なぜならいまは、アンタがラナの目の前にいるから。解約すると同時にアンタまで召喚魔術を使った場合、ラナの取り合いになる。ルードラントはその取り合いを制する自信がない」
「それはねえな」
饒舌に話すヒセツの言葉を、奈落は言下に否定する。
「もしそうなら、さっきの襲撃の意味がない。あと数時間でルダを支配出来ると解っているなら、下手な真似して警戒を強化させるより、ラナが一人になる瞬間を狙って解約、俺の知らねえとこで契約を結べばいいだけの話だ」
「……成程ね」
頷き、ヒセツは食器棚から取り出した皿に煙草の灰を押し付けた。
「でも、それが解ったからって何だって言うのよ?」
「時間の余裕が出来るだろ」
果たして、奈落は即答した。
続きを気にしてくれる方、偶然ここに辿りついた方、
いらっしゃいましたら、評価いただけましたら幸いです。




