塔
◇
治安は悪そうだな――
それが、ヴェンズに対して奈落の持った、最初の感想であった。
最も活気を帯びる橋上市に背を向けるようにして、奈落は街路を北上していた。
大通りも細い路地も取捨する事なく歩を進めるが、往来には浮浪者の姿が目立った。
恐らく彼らにとっても住みよい街なのだろう。
物資に恵まれた観光地では、飽和量を超えて捨てられる食材も多い。
それらを貪って、彼らは生を繋いでいる。
襤褸をまとった者達のぶしつけな視線を、奈落は肌に感じていた。
煉瓦敷きの道を彩るのは、主に横転した屑籠や吐瀉物で、その脇には泥酔した男が転がったりしていた。
上着が乱暴にめくられているところを見ると、金品を盗まれたのだろう。
(華やかさの裏側なんて、こんなもんか……)
だがそんな街だからこそ、情報も集めやすい。
浮浪者も富裕層も、保身のために情報に敏感になっているのだ。
彼らは独自のネットワークを構築し、利益には殺到し、危険には近づかないようにしている。
それが住人達の処世訓だ。
奈落は街路の脇にしゃがみこんでいる男へと足を向けた。
「少しものを尋ねたいんだが――」
話しかけると、男は虚ろな目を奈落へと向ける。
それから口を閉ざしたまま、大儀そうに手の平を差し出してくる。
伸び放題の頭髪や髭に隠された目が、報酬を訴えていた。
奈落は心得たもので、懐から硬貨を一枚取り出して男に手渡した。
「………何だ?」
男は硬貨を愛おしそうに見つめながら言った。
奈落にはもう目も向けなかった。
「ルードラントって奴がかなりの大所帯でここに来てるはずなんだが、心当たりは?」
「場違い塔」
と、男は即答する。
「ルードラントって名前は知らないが……関わり合いになっちゃいけねえ団体さんが、そこに移住してきたって話は聞いた」
「場違い塔ってのは、あれだな?」
尋ねる奈落の視界には、一つだけ地平線から突き出た建造物が映っていた。
圧倒的に平屋の多いヴェンズにおいて、非常に珍しい建造物だった。
それは地上三十メートル、十階層という計画のもと着手された。
なぜそんなものが必要だったのかははっきりしないし、いまとなっては気にする者もいない。
なぜなら、その計画自体が頓挫したからだ。
結局、半端な建造物は放置され、いつしかヴェンズの景観に似合わない――
場違い塔の名で呼称されるようになった。
男が頷くのを見て、奈落は確信を得る。
「またか……。こりゃ、間違いねえかもな」
奈落が件の塔についての知識を得たのは、ここ一時間の事である。
というのも、聞き込みを開始してから、実に三回に一回の割合で場違い塔の名を聞いたのである。
ルードラントがそこにいると、街ゆく人々は口を揃えた。
ネットワークの一端に触れた奈落は、その優秀さに流石に舌を巻くばかりだ。
適当に礼を言って、奈落は場違い塔へと足を向けた。
そこが本当にルードラントの隠れ家なのかを確認しなければならない。
真実だとすれば、壊し屋として破壊する。
相手の戦力によっては、ヒセツやパズと合流して、態勢を整える必要が生じるかもしれないが。
(それにしても――)
目的地が決した事で、奈落の胸中には別の懸念が浮上してきた。
(ラナ……彼女は、何者だ?)
昨夜のルードラントの襲撃以後、ラナはほとんど口を開いていなかった。
何かを考え込むように、顔をうつむかせてばかりだった。
その様子はどこか躊躇しているようにも思えたが、何を判断しかねているのかはわからない。
そもそも、なぜルードラントはルダやラナの身柄を執拗に求めるのか。
(いや待て。ラナは英雄から渡された。それにトキナスの野郎もラナは不必要だと言っていた。
その時点で、ラナには利用価値がなかった)
だがその彼女に価値が生まれた。
そうでなければ、昨夜の襲撃の説明がつかない。
ルードラントもトキナスも、そして英雄も――なぜ年端もいかぬ少女二人に血眼になるのか。
主体的に動いているようでいて、奈落はまだ、誰かの手の平の上で踊らされている――
その可能性をどうしても払拭できないでいた。
自分を遥か上方から見下ろしている者がいる。
果たしてルードラントか、トキナスか、英雄か――あるいは、ラナか。
あまり信用しない方がいい、とパズは言った。
あるいは正鵠を射ているのかもしれない。
自問したところで、解答は得られなかったが。
情報収集を続けながら二十分ばかり歩いたところで、奈落は足を止める。
赤黒いコートをはためかせていた風が、ぴたりとやんだ。
風を遮蔽するその建造物を、壁伝いに見上げて行く。
大地と天を結ぶかのように突き出た奇妙な塔が、そこにあった。
◇
次回、パズとヒセツは十一権議会を訪れる――。
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