人
◇
「だから言ってんだろうが。俺達は刑軍で、極秘任務のためにここに泊まるンだよ!」
噛みつかんばかりの勢いで、奈落はカウンターを殴りつけ、烈火の如く叫んだ。
相対する若い職員はすっかり逃げ腰で、今にも崩れ落ちそうだ。
カウンターテーブルが両者を隔てていなければ、
掴みかかる奈落に職員は喰われていただろう。
「え、ええ。ですから、宿泊されるのは一向に構いません。ですが……」
「何が気にくわねえッてんだよ! ああ!?」
歯切れの悪い職員が言い終えるより早く、奈落はカウンターを再度殴りつける。
「ひっ」
と短く悲鳴をあげながら、職員は一歩後ろへと退いた。
それを追いかけるように奈落は上半身をカウンターに乗り出し、
右手に持つそれを堂々と掲げた。
「何度言わせやがる! この刑軍手帳は正真正銘の本物だ! 天下の刑軍様が宿泊なさるんだぜ? 宿泊代は半額、否! 九割引が妥当ってもんだろうがああ!!」
つまりはそういう事だった。
何事もなくヴェンズ入りを果たした奈落達は現在、宿泊施設を訪問中である。
扉をくぐるなり、奈落は受付に対して値踏みするような視線を投げた。
結果、職員がまだ仕事に慣れない新参者であると判断した奈落は、ヒセツから拝借した刑軍手帳をかざしたのである。
そしてあろう事か刑軍への特別待遇――具体的には宿泊代の割引――を頼んで――
否、強制し始めたのだ。
その狼藉に対して、本物の刑軍であるところのヒセツが黙っているわけがない。
いまも奈落の頭を警棒で叩きつけたい衝動に駆られ、その衝動に応じようとする自分がいる。
だが現実はというと、ヒセツはパズと共にカウンターから離れた客椅子に座している。
「ああもう! やっぱり我慢できないわ! あの馬鹿を脅迫容疑で刑罰執行する!!」
今にも腰を上げそうなヒセツに、しかし隣りに座すパズが半眼で牽制を加えた。
「行動を共にする限り壊し屋・奈落の罪を不問とする。加えて最大限の協力を惜しまない、だったっけ?」
「うぐ……っ!」
パズの言葉は呪詛となってヒセツへと降り注ぐ。
彼の言葉は、誰あろうヒセツ自身が今朝発したものである。
彼女は苦虫を百匹は噛み潰したような表情を浮かべた。
「刑罰執行軍之心得第九条之三項だよね。ヒセツ」
「あんた、童顔のくせに結構エグいわね……選択間違えたかしら」
恨みがましい視線を向けられても、パズは口元の微笑を微動だにさせなかった。
「やだなあ何を言うのさ無害な子供にー」
「あいつよりよっぽど性格悪いんじゃないかしら」
「良く言われるよ。その逆もね」
笑みを絶やさないままに言ってのけるパズから目を背けたヒセツは、
ロビーの奥にシルヴィアとラナの姿を見た。
先程手洗い場に行きたいと申し出たラナにシルヴィアが付き添い、戻ってきた――
こちらへと歩いてくる。
ヒセツは苦笑を浮かべる。
シルヴィアは、ラナの一歩後ろから付かず離れずの距離を保って歩いている。
親子や姉妹に見えてもいいだろうに、その距離感が、二人の関係を不明瞭にさせていた。
だがその苦笑もすぐに内へと潜む。
ラナの顔色は悪く、表情にも覇気がなく、まるで人形のようだった。
それこそ、心の存在を疑ってしまうほどに。
「違うよ」
「え?」
不意をつかれて生返事を返したヒセツは、声の主であるパズを振り向いた。
「心が存在しているから、生気の欠けた表情を浮かべる事が出来る」
「………」
「だからこそ、その表情を変える事も出来る」
「……心、読まれてる?」
目を丸くして尋ねるヒセツに、パズは苦笑した。
「まさか。でも顔に書いてあるからね」
ヒセツは慌てて腰巻のポーチから手鏡を取り出したが、当然そんな文字は見当たらなかった。
パズに対して非難の視線を向けるが、彼は既に客椅子を離れ、シルヴィアとラナを迎えていた。
そして平然とした顔で肩をすくめ、こう言うのだ。
「二人とも聞いてよヒセツが僕の事を最低人格者だって罵るんだよー」
「誇張にも程があるわよ!?」
辛抱溜まらず、ヒセツは跳ね起きるようにしてパズへと詰め寄った。
「だって本当の事だし?」
「それは言い過ぎだって言ってるの!」
刑罰執行軍の少女は抗議をまくしたてるが、二人の様子は言い争いと呼ぶには相応しくない。
何せパズは彼女の言葉を受け流すばかりで、まさに暖簾に腕押しといった体なのだ。
しかもそれを楽しんでいる節すらあり、ヒセツはその事に一向に気づかない。
と、傍観を決め込んでいたシルヴィアが、
「ヒセツ様」
と口を挟む。
その静々とした呼びかけに、思わず言葉を止める。
振り向く先、シルヴィアは一礼、あくまでもフラットな口調で続けた。
「両御方の意見を総合し、鑑みるに………最低ですねヒセツ様」
「味方がいない!!」
パズとシルヴィアの双方から覚えのない非難を受け、ヒセツは天井につるされたシャンデリアに向かって叫んだ。
だが、とヒセツは思う。
味方の候補はまだ残されている。
しかしその候補は、彼女ら三人の騒ぎの渦中にいて尚、表情を凍らせたままだった。
さすがに能天気な真似は出来ないな、とヒセツは思う。
声をかけていいものか、躊躇いが生じてしまう。
だがそんな胸中をよそに、パズはぶしつけに碧い瞳を少女――ラナへと向けた。
「ラナ、君はどう思う?」
「ちょっと……ッ」
あまりにも配慮のない呼びかけに、ヒセツは顔をしかめた。
案の定、突然話題を向けられたラナは
「え、あの……その」
と困惑気味に視線を泳がせるばかりで、ほとんど言葉になっていない。
答えを促すパズを諌めようか、ラナの動揺を抑えようか、ヒセツは一瞬判断に迷った。
その一瞬を縫って、ラナの頭に大きな手を乗せた者がいる。
奈落だった。
「何どもってんだよ。それじゃあ何も伝わらないぜ?」
いつの間に戻ってきたのだろうか。
気づけば彼は相変わらずの不敵な笑みを浮かべてそこにいる。
奈落はしゃがみこんでラナと視線の高さを合わせると、自信満々にヒセツを指差した。
「さあ遠慮なく言ってやれ。私の方が百倍可愛いわってな」
「趣旨が違う!? それに人を指差さない!」
「ヒセツ様、ついに女としても惨敗なのですね……」
叫ぶヒセツを尻目に、シルヴィアは天を仰いで目頭を押さえる――
あくまでも無表情に。
「だから何の話よ! というかアンタ、交渉はどうしたのよ!?」
「あ?」
と、奈落は眉根にしわを寄せる。
彼の黒瞳に射抜かれ、ヒセツはたじろぐ。
その視線は、自明である解答についていつまでも抗議する子供へ向けられるようなそれだった。
奈落は立ち上がり、自信満々に親指で後方を示した。
その先をヒセツの視線が追っていくと、やがてがっくりと肩を落とすホテルの受付を捉えた。
つまり――
「八割引きまで値切ってやったぜ」
そう言って、奈落はぐっと親指を立てた。
「ああいうタイプは強引に押すのが一番だっ」
「あああああああああああ………」
満足げな奈落に対して、ヒセツは肺の底から力無い声を絞り出しながら、その場に崩れ落ちた。
そして、倒れてしまいそうになる身体を何とか両腕で支えながら地面に呟く。
「あんたねえ……その所業はヒセツ・ルナの悪行として記録されるのよ……?
ちなみに刑軍割引なんて存在しないからね? だから、たちどころにその悪行は上司に知られて……
ふふふ、零下の声音でこう囁かれるの。『荷づくりは順調かね?』って……」
次回、一行の談話はもう少しだけ続きます。
連続して掲載してなるべく早く展開したいものです。
続きを気にしてくれる方、偶然ここに辿りついた方、
いらっしゃいましたら、評価いただけましたら幸いです。




