彼女と彼女
非合法の壊し屋・奈落。
彼はルードラント製薬会社の破壊と、娘の救出を、
依頼人・トキナスより請け負う。
謎を多く残す依頼人だったが、
10億という報酬に釣られた奈落は、
謎の失踪を遂げたルードラントの足取りを掴むべく、
調査を開始する。
しかし成果を得られぬまま帰宅を余儀なくされ、
そこで奈落を迎えたのは、火中より救い出して以来昏倒を続けていたラナであった。
一切の記憶を失ったと自供するラナの身柄に対し、
奈落はひとまずの保護を決めるのだった。
しかし――
◆
夜の帳が落ち込んで、日中から一転、世界は闇色に満ちていた。
人の姿のない、閑静というよりも寂しいといった感の街路を、ラナは一人歩いていた。
何ら特別な意図のない、ただの散策である。
二日間とはいえ昏睡状態にあった彼女の身体は凝り固まっていて、
それをほぐすための軽い運動だ。
ただ、反対されるだろう事は容易に想像できたので、奈落には何も言わず、黙って出てきていた。
なればこその、誰もが寝静まった時間帯での散策だった。
日付が変わって二時間といったところか。
周囲に人影はなく、家々から漏れる明かりもなかった。
目を盗むように出てきたのには、奈落に対して負い目を感じていたからに他ならない。
家に泊めてもらうためとはいえ、彼に嘘をついてしまったのだから。
奈落やシルヴィア、パズに胸中で幾度となく謝った。
良心の呵責に、今にも押しつぶされてしまいそうだった。
――ボクは、記憶喪失なんかじゃない。
ルードラントの目的だって、覚えている。
ラナの記憶は、奈落がいま最も求めている類の情報であった。
それを記憶喪失と偽り秘する事は、奈落への離反とも判断できる。
それでも、言えない理由がラナにはあった。
全て吐露してしまえばどれだけ楽になれるだろう。
何度も口を開きそうになって、必死に押し留めた。
奈落にしたって、飛躍的に仕事が進むに違いないというのに。
恩を仇で返していた。
それでも、ラナは口を固く閉ざす。
真実の供述は、ラナを路頭に迷わせる結果へと直結するのだから。
正体を知られれば、ボクは彼らに追い出されるに違いない。
――実際、奈落もシルヴィアもボクにそう言ったのだ。
だから、これからもラナは嘘をつき続ける。
人気のない路地を行く。
こうして歩けるのも、帰れば迎えてくれる人がいるからこそ出来る。
人との縁が、彼女の警戒心を弛緩させていた。
雲はない。
ほのかに照らす月明かりが、道を判別できる程度の明度を、地上に確保している。
だから間もなく気付いた。
足を向ける先に立つ、夜気に沈んだ人影に。
全身に緊張が走る。
まさか人に遭遇するとは思っていなかった。
目を丸くすると同時に自分の軽率さを呪ったが、もはや後の祭りだ。
聞こえた音は、嘘をついてまで手中に収めた平穏が、いとも容易く崩れ去る音か。
恐怖で、ぴたりと足が止まる。
地に縫い付けられたように足は動かなかった。
うつむく視界に、人影の足先が入り込んだ――
相手は臆する事なく近づいてきているようだ。
迷いのない足音が刻まれるうちに、人影はラナの眼前にまで迫った。
焦燥で、動悸が早鐘のように激しくなる。
ラナは固く眼を閉じた。
再び目を開けた時には、人影は消えていてくれるのではないか――
逃避でしかない、そんな幻想を想いながら。
が、それは確かに存在している。
耳障りにすら思う鼓動を遮って、人影が声を放った。
「ねえ、顔上げてくんない?」
まるで旧知の仲であるとばかりの、気安げな口調だった。
それはかえってラナの緊張を煽っていた。
それは、相手に、それだけの余裕がある事の証左なのだ。
従順であれ。
逆らう事を恐れた彼女はそんな強迫観念にかられた。
恐怖に震えながら、ラナはゆっくりと顔を上向かせ、ゆっくりと目を開けた。
そして。
――私が目の前に立っていた。
「え……?」
呆気に取られ、ラナは間抜けな呟きをもらす。
一瞬、本気で自分の像が鏡に映りこんでいるのかと思った。
そう錯覚してもおかしくないほどに、眼前の人影はラナと酷似していた。
鋭い観察眼の持ち主ならば、姿勢の差異には気付くかもしれない。
遠慮がちな性格を象徴するようにラナが猫背なのに対し、人影は自信を双肩に担うかのように胸を張っていた。
そして唯一、一見して分かる相違点と言えば――
ラナがツインテールにまとめている長髪を、人影は腰まで下ろしている点か。
ラナの表情が、たちまち歓喜のそれへと変化した。
「――ルダっ!」
人影――ルダは、ラナの豹変ぶりに口元をほころばせた。
「もしかして、今まで気付いてなかったの?」
ルダ。
ラナと双子の関係に当たる少女。
姿形はもとより、声質までがそっくりだった。
髪形まで揃えれば、他人に彼女らを区別する事は不可能だろう。
二人の邂逅で、閑散とした夜に暖とした空気が流れ込んだ。
「本当にルダ? どうしてここにいるの? あの人に、捕まってたんじゃ……」
解放されたラナと違い、ルダにはまだルードラントの言う価値が残っていたはずだ。
ルードラント製薬会社が全焼したとは奈落から聞いたが、それはルードラントの自作自演。
ルダは未だ捕らわれの身となっているはずだった。
「ねえ、ルダ。どうしてここにいるの?」
幼いがゆえの率直な問い。
刹那、ルダは表情を曇らせるが、その理由を察するには、ラナは無垢に過ぎた。
風の日の月の如く、ルダの表情は一瞬で明るいそれへと戻る。
「それなんだけど、歩きながら話そ」
聡明な彼女にしては珍しい、もったいぶった言い方だった。
それを怪訝に思いながらも、ラナは首肯してルダと並んで歩き出した。
月光に照らされ伸びる影の長さは、一ミリさえ相違はなかった。
全く同じ身長、
全く同じ声質、
全く同じ――。
ラナとルダ――双子の歩みは遅々としていた。
次回、ルダの登場は何を意味するのか。
そして双子の邂逅に、ある人物が絡み合っていく――
続きを気にしてくれる方、偶然ここに辿りついた方、
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