そっと残ったバニラの味。
掲載日:2026/03/27
晩春、駅前の小さな公園で、僕は彼女を待っていた。
相席している飲みかけのコーヒーからは、ゆっくりと白い湯気が立っている。
「……待った?」
息をのむ音で気づいた。
少し息を切らして、肩までの髪を緩やかに揺らしている美咲が、少し困り顔でこちらを覗き込んでいた。
「全然。五分くらい」
実は、何分待ったかなんてわからない。
知る必要もないと思う。
息を切らしてまで僕に会いに来てくれる人がいるのに、どうして時計が必要なんだろうか。
相席しているのは、コーヒーから美咲に変わった。
ミシッ、と古びたベンチが軋む音が鳴った以降、僕たちの間には沈黙がひっそりと置いてあった。
「ねえ」
美咲が僕の手の中にある紙コップのふちを指で撫でながら、ほんの少しだけ僕の顔を覗く。
「もしさ、いつか離れてもさ、今日のこと、覚えててくれる?」
「忘れるわけないよ」
考えるよりも先に口が動いた。
思わず握った手は、いつも通り小さくて、いつも通り冷たい。
「やったね」
美咲は手を繋いだまま、小さく微笑んで僕の肩にそっと頭を載せた。
美咲の口元は、茜空の色に染まっている。
チャイムが鳴り響く。
サッカーボールを持った子どもたちが家へと駆け出す中、僕たちは小さな幸せを生きている。
「私のこと、ずっと好きでいてよね」
言葉は出なかった。
ただ、僕の唇にバニラの甘い味がそっと残った。




