私は貴方に名前を呼ばれたくありません
あっさりと終わる貴族令嬢のざまぁなお話です。
「よぉシーナ、何辛気臭い顔をしているんだよ!」
「…マリクルーズ伯爵令息。」
貴族学園の廊下を歩いていた高等部2年のシーナ・ミント伯爵令嬢は、声をかけてきた同じく高等部2年のウィリアルド・マリクルーズ伯爵令息に眉を顰めた。ウィリアルドの周りには彼の友人である令息達が数名居て、何処か微笑ましそうにシーナとウィリアルドの様子を遠巻きに見ている。
「別に辛気臭い顔などした覚えはありませんが。」
「拗ねんなよ。そんな顔しているとシーナの幸せが逃げちゃうぜ?」
「…あのですね、マリクルーズ伯爵令息。」
やれやれといった仕草で話しかけてくるウィリアルドを、シーナは何処か面倒臭そうな様子で見た。
「何度も言っておりますが、気安く私の名前を呼ばないで頂けませんか。」
ウィリアルドとシーナは入学した時に同じクラスとなった。シーナとしては同じクラスメイトの1人としか認識していなかったが、ある時いきなり馴れ馴れしい態度でシーナに接してくるようになった。さらにシーナは許可してないのに名前で、しかも呼び捨てで呼んでくるようになった。シーナは何度も止めて欲しいと言ったのだが聞き入れて貰えず困っていた。しかし2年生になると2人はクラスが離れた。これでもうウィリアルドに絡まれなくなると思っていたシーナだったが残念ながら平穏は訪れなかった。ウィリアルドは廊下や食堂、帰る間際などにシーナを見かけると絡んできた。しかも何故か1日に最低1回は接触してしまうのであった。
「ははっ、相っ変わらずだなシーナは!」
「おいウィル、そろそろ移動しないと間に合わないぞ!」
「おお、悪いな。じゃあな、シーナ。」
にこやかに笑いながらシーナの肩をポンッと軽く叩いてウィリアルドは小走りに友人達の元へ行き、合流するとそのまま歩いて行った。シーナはウィリアルドに触れられた肩を顔を歪めながら何度も汚れを落とすように払った。
「最悪……もう限界だわ。」
シーナは忌々しそうに遠くなるウィリアルドの背中を睨み付けながら、ある決意をするのであった…。
◇◆◇
「ウィリアルド・マリクルーズ伯爵令息はクラスに残っていらっしゃるかしら?」
その日の放課後、授業が終わるとすぐにシーナはウィリアルドが在籍するクラスに足を運んだ。クラス内で談笑したり帰宅準備をする生徒達で少し騒がしい中、シーナの声がクラス内で響き渡りシーンと静まり返った。
「っ、え、シーナっ!!」
ウィリアルドは驚きながらも嬉しそうな顔をした。ウィリアルドの友人達も何かを期待するようにシーナを眺めてきている。ウィリアルドはクラス内で人気があるのかしらないが、クラスの生徒達はシーナとの仲を知っている様子でワクワクとしたような様子で落ち着きなく伺っている。シーナはそんなクラスの雰囲気に内心で舌打ちをしながらウィリアルドの座る席の前に移動した。
「マリクルーズ伯爵令息。何度言っても聞いて頂けないのでこの場でハッキリと言わせて頂きます。もう馴れ馴れしく私の名前を呼ばないで下さい。」
シーナの言葉にクラス中が静まり返った。何処か気不味い雰囲気が流れる中、ウィリアルドが笑い出した。
「おいシーナ。態々俺のクラスまで来て言いたい事がそれかよ。照れ隠しも程々にしろよな!」
ウィリアルドの言葉にウィリアルドの友人達は苦笑いをし、クラスに小さな笑い声が聞こえ始めた。
「照れ隠し…それってつまり私がマリクルーズ令息を慕っているとお思いなのですか?」
「ちょ、いやそれはその…さ、流石にこの場で言うのは恥ずかしいだろう。」
心なしか頬を赤らめるウィリアルドに、シーナは眉を顰めて不快そうな顔をした。
「私、マリクルーズ伯爵令息の事を慕った事なんて一度もありません。」
「っ、いやいや、そんな嘘を言わなくても良いって!」
「私にはお慕いしている令息がおりました。」
シーナの告白に、ウィリアルドと周囲は固まった。「えっ、嘘。」「ミント令嬢には他に好きな人が?」と言った声がちらほら聞こえて困惑した空気に変わっていく。
「私は自分の名前は、家族か親しい友人、そして何れ現れるかもしれない婚約者にだけ呼ばれたいのです。私はマリクルーズ伯爵令息の事を慕ってもいなければ友人だと思った事もありません。それなのに急に名前で呼ばれるようになってしまいました…その結果、お慕いしている方に勘違いされて振られてしまいました。」
シーナの言葉にクラスの生徒達、特に令嬢達は気の毒そうにシーナを見つめた。
「…勿論。そのような勘違いがなくても私の想いは成就しなかったかもしれません。でも、こんな形で終わりになりたくありませんでした。」
ちなみに、シーナには好きな人も居なければ誰かに告白なんてしていない。周囲に、そしてウィリアルド自身にウィリアルドの事なんか好きではないと理解させる為の作り話だ。シーナはウィリアルドを睨み付けると、ウィリアルドは呆然とした表情から気不味そうな表情に変化させた。
「マリクルーズ伯爵令息、お願いします。もう私の名前を気安く呼ばないで下さい。私は…本当はクラスの皆さんの前で、皆さんを巻き込んでまでこんな事を言いたくありませんでした。でも、それだけ本気で言っているのです!」
シーナの言葉にクラスの生徒達は哀れみの目線をシーナに送った。シーナと生徒達はウィリアルドの答えを何も言わずに待ち続けた。ウィリアルドは数秒後、苛立ったような顔でシーナを見た。
「…ったく、そんな事知らねぇよ。シーナの好きになった奴がどんな奴かは知らないけどさ、俺がシーナと仲が良いだけでお前を見ようとしないならその程度の奴だったって事だろう? そんな奴さっさと忘れるんだな。」
ウィリアルドの言葉にシーナと生徒達は固まった。生徒達の中でウィリアルドに軽蔑の眼差しを向ける者が段々と多くなっていた。
「…マリクルーズ伯爵令息、私が言いたいのはそう言う事ではありません。」
「五月蝿いなっ!! 要はするにシーナは振られたショックを俺にぶつけたいだけなんだろう?! 良いぜ、好きなだけぶつけろよ。でもすぐに気持ちを切り替えろよな!」
「お、おいウィル…!」
何処か投げやりな態度で的外れな事を言うウィリアルドに、ウィリアルドの友人も流石に困った顔をしている。
「…つまり、マリクルーズ伯爵令息は私の名前を呼ぶ事を止めてくれないと言う事でしょうか?」
「…。」
シーナの問いに、ウィリアルドはむくれた様子を見せて何も答えなかった。いや、その沈黙こそがやめる気はないという答えだった。シーナは俯いて溜息を吐くと、改めてウィリアルドを見返した。
「では、私もマリクルーズ伯爵令息の事を好きに呼んでも構いませんよね?」
シーナの言葉にウィリアルドは何かを期待するように、ぱっと表情を明るくさせた。
「っ、あぁ、勿論だ! やっと素直になったのかよシーナ。“ウィリアルド”でも“ウィル”でも構わないぜ!!」
嬉しそうに微笑むウィリアルドに、シーナも同じように微笑み返した。
「では、マリクルーズ伯爵令息の事を今後はあだ名として“クズ野郎”と呼ばせて頂きますね?」
シーンとクラスは静まり返った。ウィリアルドは笑顔のまま凍り付いたように固まり、周囲の人達は令嬢の口から飛び出してきた暴言に驚いたまま沈黙してしまった。
「…は? 今、なんて…。」
「聞こえませんでしたか? 貴方の事は“クズ野郎”と呼ぶと言ったのですよ、クズ野郎。」
ウィリアルドはショックを受けて、顔色を悪くさせた。そんなウィリアルドの様子を見兼ねてか、ウィリアルドの友人が慌てたように口を挟んできた。
「お、おいミント令嬢! ウィルに対して思う事はあるだろうが、いくら何でもそんな呼び方は失礼だろう?!」
「好きに呼んで良いと許可を頂いております。ですよね、クズ野郎?」
あだ名で呼ばれる度に傷付いていくウィリアルドは表情を歪ませた後首を左右に振り、無理やり苦笑いを作った。
「い、いや流石にそんな呼び方は嫌に決まっているだろう! 酷いぜシーナ、普通に名前を呼んでくれないか?」
「私に嘘をついたのですか? クズ野郎。」
ウィリアルドの苦笑いがさらに引き攣っていく。
「っ…、い、いや嘘を付いた訳じゃない! お、俺はてっきり、シーナも俺の事を名前で呼んでくれると思っただけだ! く、クズ野郎だなんてそんな呼ばれ方をされるのが嫌なだけだ!! というか誰だってそんな呼ばれ方されたら嫌に決まっているだろう!?」
「そうですか、でも私はクズ野郎と呼びますから。」
「なっ…い、嫌だと言っているだろう?! 俺はクズ野郎だなんて呼ばれたくないっ!!」
「私だって同じですよ。名前で呼ばれるのが嫌で止めて欲しいと何度も言ったのに、クズ野郎は聞いてくれなかったではないですか。」
「っ…!」
シーナの反論にウィリアルドは言葉を詰まらせた。ようやくウィリアルドはシーナの気持ちを理解し始めたのか、先程までの勢いを完全に無くした様子だ。そんなウィリアルドを見た後、シーナはウィリアルドの傍にいるウィリアルドの友人達に視線を移した。
「クズ野郎のご友人達も、私がクズ野郎に名前で呼ばないで欲しいと言っているのをただ笑って見てましたよね。嫌がる私の姿を、クズ野郎と一緒に楽しそうに笑って見てましたよね?」
「っ、ち、違う!」
「お、俺達はそんなつもりじゃ…。」
「その、微笑ましいなと思っていただけで…。」
“クズ野郎のご友人達”という言い方に何か思うことがあるのか、焦った様子で何かを言う令息達をシーナはただ睨み付けた。生徒達はウィリアルドだけではなくその友人達の事も軽蔑し、冷めた目で見つめている。シーナと生徒達からの圧に、ウィリアルドの友人達は縮こまってしまった。
「…私が振られた事なんてどうでもいい事なんでしょうね。でもこれだけは言わせて下さい。私は照れ隠しなんてしてません。心の底から、ウィリアルド・マリクルーズ伯爵令息に気安く名前を呼ばれる事が本当に嫌なんです。名前で呼ばれるのとあだ名で呼ばれる事は違う? いいえ、相手が嫌がっているのであればどちらも同じです。止めて欲しいと言っても止めてくれない事がどれだけ嫌なのか、どれだけ辛いのか分かって下さい。」
シーナの言葉にウィリアルドとウィリアルドの友人達は俯き黙り込んでしまった。
「クズ野郎。」
シーナの声に、ウィリアルドはビクッと怯えたように恐る恐る顔を上げた。
「今後も私の意思を無視して気安く名前を呼ぶ限り、私も貴方の事はクズ野郎とずっと、呼ばせて頂きますからそのつもりで居て下さいね。」
「っ…す、」
シーナの冷たい目線と言葉の数々に、流石に参った様子でやつれたウィリアルドは唇を震わせながら言葉を発しようとする。
「何ですかクズ。」
野郎すらつけない言葉は最早、あだ名ではなく悪意そのものだった。
「す、すまなかった! ミント伯爵令嬢…。」
「…分かって頂けて安心しました。」
シーナは涙を流し始めたウィリアルドを冷めた目で見つめた後、事の成り行きを見届けた生徒達に会釈した。
「皆さん、お騒がせしてすみませんでした。では、これで失礼しますね。それでは御機嫌よう、クズ野郎。」
シーナは嫌味なほどの笑みを浮かべながらその場を後にした。
「…あれ、今クズ野郎、て聞こえた気がしたけれど…幻聴かな?」
クラスの生徒の誰かがボソッと呟いたが、誰も反応しなかった。
翌日、シーナは何時も通りに登校した。ウィリアルドはシーナの姿を見ると気不味そうに避けるようになった。ウィリアルドの友人達も似たような態度を取ってくるがシーナの悪口を言ったり嫌がらせをしてくる様子は見られない。ウィリアルド達が反省したからかもしれないが、昨日の現場を見たクラスメイト達から白い目で見られているらしくウィリアルド達の評判は下がった事も影響しているのかもしれない。以前はどちらかと言えば人気がある立場だったようだが肩身の狭い思いをするようになった事で彼らは大人しくなったような気がした。今後はシーナのような不快な思いをする犠牲者は出ないかもしれない。そんな事を思いながら、シーナは今まで悩まされていたストレスから解放された事に心の底から安堵するのだった…。
好きでもない、ましてや嫌いだと思っている人に馴れ馴れしくされたり名前を呼ばれるのは嫌ですよね 笑 ちなみにこれは男女関係なく思うのでしょうか? それとも作者がそう思うだけでそんな事ないと思う方のほうが多いのでしょうか? 貴族のお話では基本的には家名で呼んだり、名前を呼んだ後に「様」や「令嬢/令息」などをつけるので名前で呼び捨てにするのは現代よりも厳しいのだろうなと思います。ここまで読んで頂き本当に有難うございました! もし宜しければ評価して頂けると嬉しいです(*^^*)




