Phase1-9:幸せな世界
ハッと顔を上げる。
汗が滝のように流れ、息を整える自分は、現実の自分ではない。何故だかそう理解できた。
あれほどの地獄が何一つ見当たらない。
大量の死体は? そこから這い広がる炎は?
陰も光も存在しない。ただ一色、黒だけの空間にアングは立っていた。
隣にいたあの少女も見当たらない。どこへ進めばいいのかも分からない。
アングは周囲を見渡し、意味もなく一歩を踏み出す。
まるで狙い澄ましたかのようだった。
一つの証明が灯る。その真下にいる存在を照らす。
アングの瞳に映る。
自分よりも明らかに小さい、発展途上の華奢な身体。
身長とは不釣り合いではあるが、本物と遜色ないカウボーイの服を身に着けている。
胸元には、赤黒い染みが付着している。
最期に会った四年前。
そこから変わらぬ短髪と、眩しい笑顔を見せてくれた。
「ユージーン……」
エレメンタリースクールからジュニアハイスクール時代の親友、ユージーン・クロス。
あの日の姿のままだ。
思えば、この空間に飛ばされる前に聞こえた声も、無駄に思いやりのある彼のものだった。
何を意味するのかは自ずと理解できる。
違ってほしいという僅かな希望が歩幅を鈍らせる。
「そうか。俺は……死んだのか?」
ユージーンは四年前に死んだ。それも、アングの目の前で。
誰もが残念に思い、同時に、素晴らしいと称えた。
彼の笑みが、より優しさを増したように見えた。
アングの重い足取りを考慮してか、向こうから歩み寄り、両腕を広げる。
少し照れくさい。
だが、こんな事情でもなければ素直になれない。
アングは身を委ねた。
悔いはない。大切な友とまた一緒にいられるのだから。
――パァンッ。
痛み。
同時に、甲高い炸裂音。
血が伝染する感覚が遅れて押し寄せる。
背後で何かが舞った。貫いた。
身体の震えが止まらなくなる。
核となる部分から、全方位に向けて無数の針が伸びていくような激痛。
アングはその腹部を押さえ、掌を見る。
どこに肌の色があるのか分からない。
それほどまでに鮮血で染まっている。
「……え……」
おかしい。
これは現実じゃない。人に魂というものが宿っているのだとしたら、今は確実にそちら側になっているはず。
なのに、どうしてこんなに苦しい?
見下ろしていた手の、そのさらに奥。
照明に照らされ、黒光りする物体が、強調されて見える。
押し当てられていたのは、西部劇でよく扱われる、リボルバーだった。
「死にたい……ってぇ?」
何故だ。
意味が分からないまま、アングは粘ついた声を見上げる。
彼の笑みは、いつの間にか狂気を孕み、別人のように変わり果てていた。
「お前には苦しんで苦しんで、苦しみ続けてもらわなきゃーいけないんだよ、アングゥ」
「何……を……」
ユージーンの手が、アングの頭頂を掴む。
「痛いか? そうだろ~。今まで味わったことがないよなァ!?」
わざと身を低くし、下から覗き込むようにしてくる瞳には、かつての優しさなど微塵もない。
掴まれた髪を軸に身体を揺さぶられる。
「オレが何に『怒ってる』のか分かるか? なぁ?」
「おこ……ってる……?」
聞いたはずのない言葉だ。
だが、何故か異常なほど耳に馴染んだ。
「意味不明なこと言ってんじゃねーぞ! 自分の名前だろッ!!」
腹の穴から血が漏れ続ける。短く、心もとない息しか繰り返せない。
視界の半分が潤む。
何年ぶりだろう。涙が溢れてきた。
あれは、笑い死にそうになった時のことだった。
なぜ涙というものが存在するのか分からなかった。何の用途なのか。意味のあるものなのか。
「そんなに知りたいんなら教えてやるよ」
ユージーンの声が終わるのと同時。
開演のブザーが鳴り響く。暗闇だった空間にも光が差し込んだ。
まるで最初からそうだったかのように、一面の黒が巨大なカーテンとなって左右に開く。
その向こうに、懐かしい光景が見えた。
一人の男が、苦しそうな息遣いでベンチにもたれかかっている。
脇腹からは、今のアングと同じく、血が溢れ出していた。
*
閉ざされていたはずの口元が、歯軋りよりも重みのある不快音と共に開く。
赤の装甲……レッド・アーマードは、鋭い牙を剥き出しにした。
同時に、十本の指先から白い爪が生えた。単に伸びるだけではなく、指全体を覆い尽くすように拡張までする。
漏れる息遣いは、限界の合図だった。
爪を逆立て、獰猛な獣の咆哮が会場を揺らす。
戦闘能力を持つ者たちの視線が、その赤き一点に集中する。
装甲の継ぎ目から炎が噴き出す。
低い体勢を描くと、怪物へ向けて突進を始めた。
一回一回の重い足踏みが、床に亀裂を走らせる。
対する強化イレギュラーは、頭を下げ、巨大な銃口にエネルギーをチャージし始めた。
普通に走っていれば、難なく迎撃されていたかもしれない。
だがレッドは、地面に爪を突き立てた。敷かれていたパネルごと掬い上げる。
そこを起点に、前方へ、火柱が次々と立ち並んだ。
怪物は気づいて一瞬ピクリと動くが、俯いたままの視界から咄嗟に回避することはできない。
顔に直火を浴びた。
中の骨まで焼きかねない焦げ付きと共に、強化イレギュラーは大きく仰け反る。
火柱を追走していたレッドが、怪人の懐に潜り込む。
右手を振り上げ、胸部から顎にかけて、五本の爪痕を刻んだ。
金属と肉が同時に抉れる音。火花が散り、傷口から赤い熱が滲み出る。
それらはすぐに膨れ上がり、爆発した。
ただ見ていることしか出来なかったカザミは、爆風に煽られながらワイヤーを射出し、跳躍する。
状況をよりよく見れる、スタンド席の柵へと着地した。
レッドの攻撃は終わっていない。
黒煙を上げて転げた怪物の胸ぐらをつかみ、無理やり起き上がらせる。
これまであまりに人とかけ離れていた銃型の怪人。その金属の肌が剥がれかけ……。
人間の頭が見えた。
だがレッドは一切たじろがない。
近くにあったパイプ椅子を掴み、鋭利な棒状だけが残るまでへし折る。
それを、まだ金属の残る肩口へ突き刺す。
「ギギィィィアアァアアアアアア」
ツギハギの悲鳴が漏れる。
もっと聞きたいとでも思ったのか、さらに深く、かき混ぜるように押し込んだ。
カザミは息を吸うのを忘れかける。
どちらが殺戮者なのか分かったものではない。
*
横っ腹から血を流している男性のもとへ、少年が近づいていく。
両手で、他人から貰ったナイフを握りしめている。
幻影としてそれを見下ろすアングは、既に正体が分かっていた。
十歳の頃の自分だ。
周囲を取り囲む大人も子供も、死にかけの男へ向けて、罵倒の嵐を浴びせている。
「イレギュラーだー!」
「殺っちまえー!」
誰も彼を人として見ていない。
そして、一つ一つの無思慮が、少年の背中を押すこととなった。
男は何か懇願の声を出していた。
少年の耳には届かなかった。
馬乗りになる。
ナイフを高く振り上げる。
男は涙を流し、震える両手を前に出している。
対する十歳の自分は、笑っていた。
また一つ大人になれる。純粋な希望を抱いた笑みだった。
ゾシュッ。グチュッ。
短い刺突を何度も繰り返す。
胸が抉れ、血溜まりが出来ていく。
男の全身がピクピクと痙攣する。
やがてなにも動かなくなった。
血みどろの光景が滲む。
赤が薄くなる。濃くなる。
現実と重なり合う。
目の前にいたのは、かつての男と同じように瀕死の、銃型の怪人。
いつの間にやら、自分が致命傷を与えていた。
もう勝負はついている。アングは、手に持っていたパイプをそこらへ放り捨てる。
――ここまでは自分の感覚だった。
あるはずのない、『もう一つの脳』が脈動を始める。
それは確かな吐き気となって木霊し、意識を後退させた。
視界が遠のく。
状況は見えているが、双眼鏡を逆から覗いているような疎外感。
そして、身体が勝手に動き出した。
鮮明な赤と、鋭い白に染まった自分の手。
その手が、化け物の皮に指を突き立てる。
両手で。
内から外へ。
キャベツを半分に割くかのように、いとも容易く。
内側から、瀕死の男の口が見えた。
アング自身の意識は激しく震える。
「よせ……」
狙いは既に定まっている。
命令は、受け入れられない。
もう一つの意識が拳を振り上げる。
「よせッ!!」
迷いのない殴打。
頭部は半壊し、黒い血液が弾け飛ぶ。
視界にまだら模様を描いた。
思えば、血しぶきは何度も浴びてきた。
再び過去へと引き戻される。
九歳の頃の話だ。
路地裏。
落書きの壁。
腐ったゴミ袋の山。
当時のアングが、老人を力いっぱい殴りつけたところだ。
服装も体毛も不潔なホームレスであった。彼は壁に寄りかかりながら座り、意地汚い笑顔で生肉を貪り食っていた。
だがその肉は、金を払わずに得た、盗品だ。
ロボットが労働を担うようになってから、こういった人間は増えた。
『他人の為にならない』行動は悪。『他人の為になる』ことは正義。法律で定められている。
その中でも万引きは、極めて劣悪な犯罪行為。
「何でこんなことした?」
ユージーンの声が横から響く。
二人は霊のように浮かび、過去の様子を見下ろしていた。
その過去の行動を、現在の自分が問われる。
「な、何で、って……」
かつての友からの問いかけに、何故だか躊躇を覚える。
当時の心境を必死に掘り起こす。
「いいことを、したんだ。あのおっさんは泥棒で……」
だから。
「悪人だから、平和の為に……」
粛清。正義。
正しいことのはずだ。誰もが祝福してくれた。
「人の為になるのなら、殺してもいいって……」
なのに心はざわめく。
過去のアングは、肉屋の店主である、コック帽を被ったロボットへ視線を向けた。
彼は腕を組みながら首を傾げている。
やがて、うんうんと頷いた。
アングは、殴るのに使った手を扇いで冷ました後、背後のもう一人を手招きする。
この日は、ジョイも連れての活動日だった。
彼には金属バットを持たせていた。
現代の自分は、瞳孔が縮んでいくのを感じた。
ジョイは、歯の折れたホームレスの前でしゃがみ込み、マジマジと見つめる。
ちょうどいい。
そう言いたげに彼は口元を緩ませた。
彼は再び立ち上がり、バットを両手で強く握り直す。
止められない。
知っている。過去は変えられない。
止められるわけがない。
「たす……けて――」
望みの一筋など誰にも拾われない。
億万プレイヤーさながらのフルスイングであった。
飛んだ血は、幻影であるアングの視界まで届いた。
ベースボールと同じ要領で顔面を引っ張り打ち。
吹き飛んだ身体が、エリア角のゴミ箱に激突。
その衝撃で首がへし折れた。
だが、ジョイは気づかない。
近づき、追撃する。
三度、四度。
金属を縦に振り下ろす。
所詮は九歳の筋力だ。原型がなくなるほどではない。
頭部は、潰れたトマトとして残った。
やり遂げたジョイに対し、過去の自分は、頭をガシガシと撫でてあげた。
ジョイは頬を染め、嬉しそうにアングを見つめた。
最後に、ロボットの店員とハイタッチ。
辺りに漂うのは、達成感によって生み出された、幸せな空気だった。
……幸せな空気。
この頃はそう思っていた。
今の今まで疑わなかった。
強化イレギュラーは動かなくなっていた。
独りでに動いたアングの身体が、彼の生命活動を終わらせたのだ。掴んでいたボロボロの身体を無造作に手放す。
ここまでは、自分の意識ではなかった。
混濁していた意識が戻りかける。
「う……あ、あぁ……」
声にならない呻きを上げながら、アングは自分の頭を押さえた。
こんなところにいたくない。全てから逃げたい。
絶命した怪物に背を向け、ふらつきながら歩き出す。
――視界に地獄が映り込む。
足元に転がるのは、強化イレギュラーの攻撃によって作られた、一般客の遺体たち。
性別も年齢も関係ない。子供だろうと構わず、死に物にされた。
顔の原型を留めていないものもあるが、それ以外の顔には。
まばたきするたびに、何かが被さる。
直前の記憶が呼び出したものだろう。あの警察官と同じ……。
笑顔の仮面だ。
ヒビが入る。
次々と、全ての仮面が真っ二つに割れ落ちていく。
その下にあったのは、イレギュラーの証。
開いた瞳孔。
白目。
吐血。
伸び切った舌。
目尻から流れ落ちる液体。
絶望に染まった死に顔。
『怒り』
友の声が反響する。
その単語に心臓が跳ねる。
『恐怖、悲しみ、絶望……』
知らないはずの言葉の羅列。
『こういうのを全部引っくるめて、負の感情っていう』
しかし、欠落したパズルのピースを埋めるかのように、ピタリとはまっていく。
ユージーンが目を見開く。
『オマエら人間が忘れてた、人間らしい感情だよッ!!』
「危ない!!」
前方から聞こえた鋭い女声が、線となって走る。
通過し、アングの身体を反転させる。
五つの弾丸が迫ってくる。
強化イレギュラーはまだ死んでいなかった。最期の力を振り絞り、右手の指先から全弾発射を行った。
アングに直撃する射線は一本のみ。だが当たれば一巻の終わり。
――考える余裕すら与えてくれない。
再びだ。もう一つの意識が、アングの身体を乗っ取った。
右掌を前へ突き出す。
関節部から噴き出した炎が、小さな障壁となった。
焦げる音を立てて弾丸を受け止める。
炎に包まれたそれを、払うように右腕を振るう。
射線が百八十度回転する。
発射した本人……強化イレギュラーの方へと向く。
宙に浮く炎と弾丸を、すぐにはどうこうしない。
『なあアング』
ユージーンの呼びかけ。
この身を動かしているのは、おそらく彼だ。
『一番肝心なことについてまだ触れてないぞ?』
だから、抗うことはできない。
『言ったな? 人の為になるのなら、人を殺してもいいって』
『じゃあオレは?』
――やめてくれ。
俺が悪かった。
それ以上は、もう――。
『オレは死んでもよかったってか!? アングゥッ!!』
数度のまばたきの後、景色は屋内へと変わった。
威厳ある茶色の壇上。木柵、傍聴席……。
十三歳のアングは、被告証言席に立たされていた。
思えばこの頃は、まだ白髪など生えていなかった。
全く悪びれない、透き通った瞳で前を見据えている。
裁判長は、極めて穏やかに、言い聞かせるような声で言った。
「被告、アング・リー君に問います。あなたの行動理由は何ですか?」
あどけない少年は、少し下を向いて考える。
探るように。しかし、包み隠さず口を開いた。
最後の扉が開く。
無意識に鍵をかけていた、奥深くに隠していた扉だ。
その先にあるのは、ジュニアハイスクール時代の体育館。
整然と並べられたパイプ椅子に、多くの家族が、友人が、座っている。
全員の視線はステージの上へ。
生徒たちが全力で挑んだ西部劇が、クライマックスを迎えていた。
裁判長への説明が重なる。
『子供がやるからって、お遊びだと思われたくありませんでした』
かつての相棒同士。二人のカウボーイの決闘。
演じているのはアングとユージーンだ。
『僕たちは審査員さんの評価でトップでした。ここで無罪になれば、優勝が正式に認められる。みんなハッピーです! つまり――』
早撃ち。
銃の模造品が同時に抜かれる。
硝煙が上がったのは、アングのものだけだ。
破裂音。
胸元の一部が肉片となって弾け跳ぶ。
軽い身体を浮かせるには十分過ぎた。
ステージ上に彼は落ちた。
赤。
偽物ではない、本物の赤。下に広がっていく。
全てが本物だった。
友を撃ったという事実。
死にゆこうとする命。
それを見下ろしていたアングも、最初こそ目を見開いた。
しかし、みんなで話し合った最高の『演出』だ。
だからアングは、客席へ向けて、最高の決め顔を見せた。
『リアリティを出すため、友達のユージーン君を殺しました!』
どよめきと歓声は紙一重である。
すぐに被害者と人殺しは拍手で称えられ、彼らを主役にした。
実際、問題視されたのは、『十三歳という年齢で銃を使用したこと』にあった。
あくまで銃を似せた別物であると理解された。
『みんなを楽しませた』。規格外の演出が、世界に受け入れられたのだ。
フラッシュが焚かれる。
暗闇の中に、今の自分が立ち尽くす。
スポットライトに照らされるなか、頭上から何かがヒラヒラと落ちてくる。
指で摘み取る。
写真だ。一枚の……懐かしい写真。
トロフィーを持つアングと、クラスメイト全員の記念写真だ。
そこにユージーンはいない。
もう一つの照明が灯る。
背後にいる。死んだ時と同じ姿のユージーンを照らし出す。
「ああそうさ。みんなで話し合って決めた演出だ。きっとみんな……知り合いも先生も、ボクの両親だって許してくれる。稀代の名演出だって評価される、ってさ。実際色んなところで話題になってたぞ」
アングの目元に、虚ろな隈が宿っていく。
「でもさぁ……」
ユージーンの言葉には、血が滲み始めた。
「観客を喜ばせる為? みんなの為ェ? だからユージーンを殺して、舞台を盛り上げるってェ!?」
魂の叫びを背中で浴び続ける。
振り返れない。
振り返る勇気がない。
「冗談じゃねえ……。オマエも、世界も、オレも……!! いったい何を言ってたんだッ!!」
怨念がこもっているようだった。
赤い鎧は右拳を握りしめ、空中で止まっていた、『炎に包まれた弾丸』へと突き出した。
放たれた一発は、怪物のそれを凌駕する速度と質量を伴う。
風圧によって地面は抉れ、後続の火柱が直線の焦土を作る。
避けられるわけがない。
弾丸が、強化イレギュラーの胸部を貫いた。
「グォォォォアアアアアアアア」
浮き上がった巨体が悲鳴を上げる。
人の口だったものが瞬時に白骨化する。
身体全体から光の線が噴き出す。
三肢は千切れ、頭部の血管があり得ないほどに膨れ上がる。
その瞬間、脳裏に記憶が流れ込む。
自分のものではない。おそらくあの怪物の、遡る時間。
蛍光灯が点滅する不気味な天井。
誰かに引きずられる感覚。
鏡の前で自分の顔を触り、青ざめる姿。
女性と、その子供と思わしき少女に手を伸ばす、幸せな時間。
全てが火の海と化す。
強化イレギュラーは爆発した。
一部分ではない。全てが砕け、弾け飛んだ。
噴き出した血液は炎となり、さらに周囲一帯を焼き尽くす。
*
その爆発は、大衆的に見れば業火の惨劇。
局所的に見れば、集結の合図だった。
仮面の男と秘書に先導され、隣接するヘリポートまで逃げ込んだ統括官。
乗り込む直前、体内まで響く爆音を聞き、思わず振り返る。
開いた屋根から昇る黒煙。その根本に見え隠れする紅蓮の炎。
ギトギトとした汗は、焦りの証拠でもあった。
だが今は、歯を見せて笑うことができる。
止まっていた救いの道が再び動き出すのだ。
少なからずの人々が、現場でその瞬間を目の当たりにした。
正義を志す青年は、赤き鎧を、ただカッコいいと思った。
壇上の主役だった彼女は、獄炎に巻き込まれなかったことに胸を撫で下ろした。
青の装甲を纏った少女は、作り続けてきた微笑みを忘れかけた。
記者を目指す青年は、物陰に隠れ、赤き鎧が現れてからの全てを記録した。
ある女好きは、逃げる最中に出会った女性たちと、会場外観を背景に自撮りを行った。
波紋は遠くにも届く。
ある俳優は、メイク室で、大切な人物との通話を終え、心配げにテレビを見つめた。
テレビに映るのは、会場”外”の様子だけだ。
ある夫婦は、二人の息子の安否を確かめるため、警察へ電話をかけ続けた。
ある爆弾魔は、肝心の場面が映らない中継に対し、「つまんなーい!」と不満を漏らした。
ある医者は、患者と遺体が運ばれてくるのを待ち望んだ。
そして。
中継の光だけが灯る暗闇で、優雅に脚を組む人物。
思い描いていた通りの盤面に、口元がほころぶ。
仮面の男は思い出す。あの日見た炎が再来したと。
反逆の娘は戦慄する。これが、自分が手にしたかった力なのかと。
『負の感情も、罪の意識も存在しない』
死んだ友の声は雄弁に語る。
力を手にした青年は、心が壊れかけていた。
『覚醒者をイレギュラーって呼んで、正義の名のもとにぶっ殺す』
炎が辺りを包む。
語られる真実に、顔を上げることができない。
『アング。これこそが、オマエが信じ続けてきた世界の正体だ』
本当の感情を、失ったものを知ったその日。
全てが反転した。
日常は非日常に。
真実は虚構に。
正義は狂気に。
地に落ちた炎が再び破裂する。
彼は、イレギュラーになった。
全てが焼き尽くされる――。
破滅の始まりであった。
(つづく)




