Phase1-5:幸せな世界
鼻歌交じりに軽いステップを踏む。ジョイはフェニックス・フィールド内の関係者用廊下を、我が物顔で進んでいた。
今日は彼にとって念願の日。窮屈なスーツに身を包んでいるが上機嫌である。
宣誓式の当事者でもあるため、同じく客として出向くアングよりも、一足先に家を出ていた。
集合場所の会議室が見えてくる。
ビンタでもする勢いで扉を押し開けた。
「ッグッモーニーン! 今日はよろしくお願いしま――」
その元気は空回りと化す。
室内では、宣誓式の出席者たちが横並びに着席。全員が一斉にジョイの方を向いた。
ホワイトボードの前で説明を行っていた男性も、少しだけ顔をこちらに向けている。
まるで自分だけ除け者かのようだ。想像していたものとは全く違った光景。
「あれ?」
ジョイの口から気の抜けた声が漏れた。
「……つまり、大量の人員補充に踏み切った理由は、イレギュラー事案による殉職者が多数発生したためである」
男性は、ここまでの流れが無かったかのように説明を再開する。
明らかに異質な風貌だった。
どうしても目を引かれるのは、顔に装着している仮面だ。
白地の上に、黒のペイントで描かれた笑顔。だが吊り上がった口角も、抉れたように鋭い目頭も、純粋な笑みとは違う。どこか含みを持ったようなデザインだ。
服装も普通の警察官と異なる。縁に骨のような装飾が施されたグレーのジャケットに、ステンドグラスのような配色のネクタイ。
本来なら素肌が見えるはずの首や手は、光沢を放つ黒のボディスーツに覆われており、一切を晒していない。
そのシックでスタイリッシュな様相が、自然とジョイの視線を釘付けにしていた。
しかしジョイの好奇心は、途端に彼の発言で封じられる。
「ゆえに、一時間の遅刻をしても悪びれない人材まで入ってくる」
「ええ!?」
皆の視線がかすかに細まったのを感じた。
ジョイはたまらず抗議の声を上げる。
「いやっ、だって今日のことについては、昨日……!」
わざわざ署まで出向き、話を聞いたのだ。
しかも父親のお墨付きでもある。集合時間は今より後だということも忘れるはずがない。
だがジョイの言い分は、仮面の男に全く響いていない。
「言い訳は署で聞こうか、ねぼすけ君」
室内が沸くに沸いた。式直前の緊張感など塵になったかのような騒ぎようだ。
ジョイは納得がいかず、誰にも聞こえない程度に低く唸った。
*
更衣室へ向かうよう指示されたジョイは、中のベンチに座り、両手を膝についたまま固まっていた。
せっかくの晴れ舞台が、謎の誤解によりこのままでは台無しだ。
しかし自分で対処しようがない。顔が引きつるばかりである。
扉が開く。
現れたのは……あの仮面の上司だ。
ジョイは反射的に立ち上がり、さらには完璧な角度のお辞儀を即座に繰り出した。
「申し訳ありませんでした!!」
だが、返ってきたのは思わぬ反応である。
男は純黒の掌を向け、ジョイを制した。
「いいや、違う。こちらのミスだ」
ジョイは礼の姿勢のまま顔を上げ、キョトンとする。
「えっ?」
「君が昨日の時点で、既に個別の説明を受けていたのだと知らなくてな。そうだと分かっていれば、あそこで意地悪なことは言わなかった」
釈明を聞いたジョイは昨日のことを思い出す。
署にいた指導員が何者だったかは定かではないが、確かにあの場で指導を受けていたのは自分だけであった。
「……ってーいうとつまり。僕だけが、警察直々にお呼ばれされた……」
不安が一気に反転する。
親指と人差指の間を顎に当て、ニヤリと口角を上げた。
「超絶スペシャルってこと~? ふっふ~ん!」
「似ている」
「えっ?」
ボソッと零された言葉にジョイが反応する。
仮面の男は、少し楽しげに声色を上げた。
「その、根拠もないのに自信満々なところがだ」
彼は両腕を背に回し、話し始める。
「私の名はゼオン・マクラウド。そして君は、ダン・フルーレ捜査官の息子、ジョイ・フルーレ君だね?」
「父のお知り合いですか!?」
「既に何度も話したことがあるうえに、近々設立される部署では、同じチームの一員となる」
「はへ~~」
思わず感嘆の声が漏れる。
父が大物であることは理解していたが、その仲間も中々にキャラが濃い。高揚感にも似た喜びを覚える。
ゼオンはカフを操作し、二人の間に資料ホログラムを展開した。
「ちなみに、彼の推薦で受けることができた能力適性テストの結果だが……」
空中に点数が表示される。
「身体能力はニューレコード。つまり歴代トップ」
「おおっ!」
「座学のほうはワーストレコードだった」
ジョイの笑顔が一瞬で固まる。
一旦、沈黙で話を流そうとする。
「だが、身体能力はこれからの警察官にとって最も重要な要素と言える」
ゼオンは数値を指で弾き、ホログラムを消した。
「日毎に過激さを増していくイレギュラー事案に対抗する為には、実力のある人間を早めに前線へ投入すべきだ」
ジョイがいま一番求めていた言葉である。
「それなら、まさに自分にもってこいですよ!」
快活な笑顔を浮かべた彼は、そのまま自分の胸を拳で叩いた。
「早く父さんと肩を並べられるように頑張ります!」
フッ、とゼオンが鼻で笑う。
警察の、おそらくかなり階級の高い人物に認められたのだ。ジョイの自信は再び有頂天となった。
「君には本当に、期待しているよ」
ゼオンが一歩近づき、ジョイの肩に手を載せる。
黒い手袋によるひんやりとした感触。
そこにジョイは、確かな『未来の栄光』が宿っているのだと連想した。
*
イベント内で二度目の熱狂が訪れた。歓迎の拍手だ。
ステージ上で一列に並び、今まさに敬礼を始めた五十名の新人警察官たち。彼らに向けられている。
普段はスポーツ会場らしいスタイリッシュな演出が売りのスタジアムだが、今日は明らかに違った。
露骨に子供も喜びそうな、ポップで派手な装飾に彩られている。
実際、何百組もの家族連れやカップルが懸賞で無料招待されていた。アング達はジョイの関係者ということで本人から招待状を受け取ったが、本来は有料販売の抽選制。
堅苦しい警察のイメージでは席が埋まらなかったのだろうとタロウは予想した。
ただ、先に待つ発表内容自体はかなり大きなもののようだ。
スタンド席四階。その更に上に位置するVIPルーム。
下民を見下ろすにはもってこいの場所だが、そこに鎮座するのは、現在のアメリカ地域における最高権力者、ゴードン統括官だ。
現在妻が失踪しているとの話だが、全くどうでもいいのか。スーツが張り裂けそうなほどに出た腹を揺らし、両隣にバニーガールを侍らせ、ねっとりゆっくりな拍手を送る。
大物政治家というステータスを悪いベクトルへ強調しすぎた姿だ。
また少し前には、二十二歳にして世界的天才指揮者と称される、ヴィウス・ノヴァ・マイヤーによるミニオーケストラの披露があった。
それが第一の拍手喝采である。
今は第二波の真っ最中。その終わり際だ。
なお、現在ステージ上の列の中にいるジョイだが、完全に油断しきっていたようだ。
退場の行進が始まるなか、彼だけが観客に向けて大きく手を振り始めた。なんとも屈託のない満面の笑み。
会場が盛り上がっているからいいようなものの、遠くの席で見ていたアングは、あまりの緊張感のなさに呆れ返るしかなかった。
ふと、隣のタロウへ視線を向ける。
そして思わず二度見した。
タロウは俯き、ただひたすらにカメラを弄っている。
ステージと手元を交互に見ているわけではない。小モニターに映る数値を細かく調節しているのだ。
「おい。今の撮ってたよな?」
「いや」
無責任な返答……。アングは額を押さえ、俯き気味に首を横に振った。
「一生に一度の瞬間だぞ!」
「ジャーナリスト志望の僕としては、次のお披露目に命を賭けている!!」
どうせタロウが撮影しているだろうと油断していた自分も責任は感じなければならないはずだが、どうにも納得がいかない。
ならばと、タロウより一つ奥に視線を送る。
ジョイのお披露目を楽しみにしていたマックスならば、カフを使って写真の一枚くらいは撮っているはず。
そこにいたのは、サングラスがズレ、口からはよだれを垂らす爆睡男だった。
ジョイの晴れ舞台を……と意気込んでいた彼は、睡魔に勝てなかったのだ。
「いや~、人の興味って残酷だね」
準備に夢中のタロウが他人事のように呟いた。
アングは深い溜息をつき、パーカーのポケットから例の物を取り出した。
ジョイへの祝福ムードが終わった今、意識は自然と、一つの疑問へと収束していく。
母の形見である『レッド・キューブ』。
だがその配色は、いつの間にやら、地味なモザイク模様に戻っていた。昨日、メーナが完成させる前の状態だ。
彼女が元に戻したわけではないのは確か。では、ジョイか他の誰かがこっそり配列を滅茶苦茶にしたのか。
いたずらにしてはあまりに面白みに欠けるだろう。
勝手に戻った?
ありえない発想が指先から侵食してくる。
もはや、母の形見であることを抜きにしても、捨ててしまったほうがいいのではないか。そんな選択肢すら浮かんできた。
そう。そうすれば、あの泥棒に狙われることもなくなる。
『アングゥ……』
不意に、脳の血管を駆け巡る謎の声。
隣から聞こえた気がしたため、アングはタロウの方を向く。
「何だ」
「は?」
彼はいまだカメラに執着。迷惑そうに眉を寄せた。
「話しかけないで。いまイメージトレーニング中」
タロウの声ではない。
もっと低く、しかし子供が無理をして作ったような捻れた響き。言葉では表し難いものだった。
気のせいか?
アングはなんとなしに顔を上げ、スタジアムの通路へと視線を移す。
次のお披露目がメインイベントだ。今のうちに用を済ませようという者たちで荒波を作っている。
だが、そこに……。
左右へ歩く大勢に反し、たった一人、立ち尽くす者がいた。
彼女は、こちらを見てほくそ笑んでいる。
ジーパンのポケットに手を突っ込み、肩が見える独特な着崩し方をしたライダースジャケット。
見覚えしかない。いま、彼女のことについて考えていたばかりだ。
答え合わせをするかのように、ジャケットの裏から『それ』を取り出した。
白地に橙の隈取。
狐の仮面だ。
見せつけるかの如く、自身の顔へかざしてみせた。
アングが仰天しているのを余所に、彼女は仮面をしまい、ゆっくりと歩き出す。
明らかにトイレへ向かう足取りなどではない。真っ直ぐに、こちらを目指して前進してきている。
自室への侵入よりも、ある意味ではこちらの方が脅威だ。数万人の観衆に紛れていつの間にやら殺される可能性がある。
危機を察知したアングは、もはや悩むより早く席を立った。
「トイレ」
「あと一、二分なのにぃ?」
タロウの指摘を無視し、アングは、彼女とは逆側の通路へ早足で向かう。
人混みに近づきながらチラチラと背後を確認する。やはり例の少女が追ってきていた。
群衆に紛れて乗り切るつもりだったが、メインイベント直前だからか、心なしか人通りが減り始めている。
どうする。どう逃げる。
思案しながらただ歩みを進めていた、その時だった。
全く近くを見ていなかった。アングの肩が、席の前で背中を丸めて立っていた男性の背に、遠慮なく衝突。
男性は崩れるように前方へよろけていく。
「あっ、すみません……!」
アングは咄嗟に男性の背中と胸に手を当て、支えようとする。
キゥ……、ヒューッ……。
喉からなのか、肺からなのか。
ひどく掠れた異音が彼の体内から漏れ出ている。
彼はアングの方を見向きもしない。
ただ前の席に座っている他人の背中へ、ねちっこく自分の鼻を擦り付けていた。
「(……変なやつ)」
ホームレスか、精神異常者かは分からないが、こんな人物にかまけている暇は無いと判断した。
アングは押し飛ばすように彼との接触を解く。そして移動を再開した。




