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激昂のイレギュラー  作者: 亜空獅堂
Phase1:幸せな世界
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Phase1-4:幸せな世界

 モノクロの視界。

 赤外線による暗視モードを使用し、彼女は、会場の設営風景を見下ろす。

「いま見えてるので二十から二十五人くらい……? 妙な動きをしてる人はいないかな」


 場所はフェニックス・フィールド。

 普段はスポーツによる歓声を浴びている巨大スタジアムだが、今は警察の管理化にある。

 明日開催される、警察主催の発表会。その準備のために、一部警察官を含めたスタッフたちが場内を行き交い続けていた。


 狐面の少女、カザミ・シルヴァがいるのは、天井の縁に沿って設けられた、照明技師などが歩く細い通路、キャットウォーク。


 ……ではない。

 さらにその上だ。ドーム状の屋根の、最も急勾配な崖の部分。

 もはや慣れたものだ。ここから落ちたところで生き延びられるという自信もあるが、純銀製のブーツにある窪みをわずかな突起に引っ掛け、器用に膝を深く折り曲げている。


 狐の仮面を通して見えている情景は、全て録画中だ。

 まさかこんな場所から覗き見ている者がいるとは思うまい。夜闇と高度が相極まり、誰も彼女に気づかない。


『申シ訳アリマセン。先ノ事態は、ワタシのリサーチ不足デシタ』

 耳につけているカフから、時々不自然に上ずる機械の声が聞こえる。

 ただそれは、現在市場に出回っているモノよりも人間味がある。

「だからパッチのせいだけじゃないって言ってるでしょ。同居人があんな判断の早いヤツだって想定しなかった、あたしの責任でもあるんだし」


 通話相手は、パッチという名のロボットだ。

 カザミではない誰かが名前を付けた。旧型のお手伝いロボットで、影に紛れて行動するカザミの唯一の仲間と言える。


 気遣いはしたが、実際のところ、今回の入念な下見はあの失敗への反省でもある。

 アング・リーの自室に侵入し、本人確認をしたら、目的の物をかっさらって即座に逃げ出す手筈だった。


 決して油断していたわけではない。だが、失敗までは考えていなかったのだ。

 警察の英雄であるダン・フルーレは、腕こそ立つが、現在は車椅子生活。

 その息子も異例の早期就任を果たしたとはいえ、まだ現場に出たことすらない『ひよっこ』。

 しかしそんな輩に発砲され、あろうことか、バリアという手の内まで晒してしまった。

 カザミのプライドはひどくかすり傷を負った。


『しかしカザミ様。ココデ警察ガ何ヲ発表スルのかは、公式ニ説明サレテイナイワケデスヨネ?』

「だからでしょ。ここに来る人たちやメディアをワッと驚かせるためにわざと隠してる。つまり、あたし達が想像してる代物で間違いないってわけ」

『ナルホド。デハ狙いヲソチラにシフトするとイウワケデスネ?』


 録画はもう十分だ。

 カザミは仮面を外す。首を左右に振り、窮屈になっていた前髪を整えた。

 直の翠眼が、下層の照明によって生まれた環境光に照らされる。

「諦めてるわけじゃない。あのアングって子もこれを見に来るみたいだし」

『ナント!』


 カザミは細い足場の上を容易に立ち上がり、ズボンのポケットに両手を突っ込む。

 不安定に揺れているのは、風でなびく髪や服の裾のみ。体幹に叫びはない。

「実質、警察に囲まれた場所になる。リスクはある」


 眼下では、明日の主役気取りの者たちが、準備に追われている。

 カザミは嘲笑うように見下ろす。誰がいま一番優位に立っているのか。

「でも警察のほうは生体認証もあるだろうし、手に入れるんだったら、そっちを狙ったほうが断然良い」

 ここで対峙する気はない。

 ただ自分が目的を果たすために利用させてもらう。





 横長のテーブルには、いつもの倍は金をかけたであろう豪勢なディナーが所狭しと並んでいる。

 ここはフルーレ邸のリビング。家族の新たな船出を祝う、パーティが開かれようとしていた。


「みんな、グラスは持ったな? いいか、オレのありがたい言葉が終わるまで置くんじゃないぞ!」

 四人は既に着席。グラスを掲げながら、大きく声を張り上げる家主、ダン・フルーレの言葉を渋々聞いている。

 強靭な体躯。白熊のようだと言われるモッサリとした髭。髪も同様に、五十一歳にしてすっかり真っ白となった。

 もはや英雄を越え、英雄の父と呼べる風格を醸し出す。


 彼が座っているのは木製の椅子ではなく、車椅子だ。

 銃撃戦に巻き込まれた一般人を救うために飛び出し、両脚を負傷。歩く力を失った。

 それでも彼は自分にできることを精一杯続け、理想的な警察官だと今もなお称えられていた。


「こういう時のこの人って話が長いのよ。告白の時もね?」

 もっとも、この家の中では舐められている節もある。

「あー、よせよせ!」

 妻のバレリーが何か言い始めようとしたのを、ダンがわざとらしい咳払いで遮った。

 その様子に、ジョイが手を叩いて大笑い。釣られてアングの口元も緩んだ。

 ダンの愛嬌と、そんな彼を尻に敷くバレリーの掛け合いは、この三年半、身寄りのないアングにとって何よりの癒やしとなっていた。


「今日のミニパーティは他でもない。我が息子ジョイが、遂に明日、正式な警察官となる!」

 その本人が苦笑いで返す。

「こういうのってさぁ……普通、終わってからするもんじゃないの?」

「なーにを言ってる。明日からはもう忙しくなるんだぞ」


 ダンは仕切り直して続ける。

「今日は明日に控える宣誓式の打ち合わせをしに署まで行ったらしい。本官は長期の休みを取っているためにその場にはいなかったが、後から聞いた話では、指導員による解説をしっかりと拝聴……」

 ジョイは目を閉じ、自信満々に頷いてみせる。


 それを待っていたと言わんばかりにダンの言葉が加速する。

「と見せかけ、しっかり寝息をかき、何も聞いていなかったそうだ!」

 ジョイが背筋をピンと伸ばし、グラスの中のオレンジジュースを零しそうになる。

「ええ!? 気づかれてないかと思ってたのにぃ……」

「こいつぁいかんな! ガハハ!」


 豪快に笑い飛ばすダン。

 しかしひとしきり笑った後、ふと表情を柔らかなものに変えた。

「だが警察にとって最も大事なのは、平和を守りたいというその心意気だ。何も話を聞かないのはもちろん良くないが、その後どう行動するかが、警察官としての品格を示すと本官は考えている」


 するとダンは懐かしむように目を閉じ、天井を仰ぐ。

「かくいう本官も、入りたての頃には連続殺人事件対策による会議の集合時間に堂々と寝坊し……」


 ギコギコ。ギコギコ……。

 無機質の往復する音が、家主のスピーチを上書きする。

 ダンが瞬きを繰り返す。ふと横を見る。


 妻のバレリーが、堂々とグラスを置き、ピザを切り始めていた。

「……ってうぉぉい!! あぁ、もういい! 乾杯(チアーズ)!!」

 ダンが投げやりにグラスを突き出す。それぞれがまばらなタイミングでガラスをぶつけ合った。

 バレリーは、切り取ったばかりの湯気が立ち込めるピザを、アングの皿に載せてくれた。アングは礼の言葉と共に頭を下げる。



 部屋の隅で、テレビが点いたままだった。

 和やかなムードにそぐわない重苦しさが耳に入ってくる。

『それでは、ワシントンで発生した、イレギュラー事案の最新ニュースです』


 アングの視線が画面に吸い寄せられる。

 映し出されたのは、マイライズ・ハイスクールのすぐ近くにある公園。

 その現場に、今ではテレビメディアくらいしか使わない大きなマイクを持った男性リポーターが待機している。

 黄色の規制線が入口を塞ぎ、物々しい雰囲気を漂わせている。


 学校の生徒が、このリビングには二人もいる。

 とても他人事とは思えず、この場の全員が動きを止め、画面を直視した。

『警察からの正式発表はまだですが、イレギュラーと思われる人間が拳銃の発砲と、手榴弾を使用。三人の尊い命が失われた模様です』

「三人も!?」

 明らかに驚くジョイとは対照的に、ダンは警察らしく落ち着いている。

「危なかったなあ。強化イレギュラーであれば、学校ごと巻き込まれていたかもしれない」


 番組はスタジオに切り替わり、女性キャスターと男性解説者の掛け合いが始まった。

『そもそも、死の間際の苦しみや、社会不適合的な感情を永続的に保有するという、このイレギュラー種。極めて凶暴ですが、なぜ彼らの急速な増加が起きているのでしょう?』

 ホログラム映像となって表示されたグラフを、男性解説者が指し示す。

『増殖はこれまでも起きていましたが、この一年間での上昇値は、前年比の約五十二倍です。ここまでになりますと、誰かが意図的に画策したと考えるのが自然かもしれません』

『意図的に』

『それこそ、イレギュラー率いるレジスタンスが何らかの技術を用い、人間の凶暴化に使用しているのではないかと』

『そのイレギュラー化のメカニズムは、いつか解明されるので――』


 まだ議題は続くという矢先のことだ。

 かすかな電子音と共に画面が真っ暗になった。電源が消されたのだ。

 それを実行したのが誰なのかは、耳のカフに手を当てているバレリーを見ればすぐに分かる。

「あんなの点けてたら、食事が身にぃ入らぬぁいわ」

 あまり事件への関心は無さげであった。発言の途中でピザを頬張りに頬ばる。

 この家族の中で、誰よりも食い意地があるのはバレリーだ。


 ニュースの続きが見られなくなったことに不満を漏らす者はいない。

 ただダンは、先程の内容を気にかけていた。

「しかし、普通の人間は持つことがない、社会不適合的な感情か」

 顎髭を擦りながら天井を見上げ、続けて言う。

「いったいどんなもんなんだろうなぁ」



 アングは急に喉を潤したくなった。グラスのコーラを慌てて流し込む。

 普段生じるあの『発作』は、きっと関係ない。何故だかそう自分に言い聞かせる。


 ……それよりも。

 アングの胸中では、別の一件のほうが大きく蠢いていた。

 校舎の裏で、仲間たちと共に聞いた銃声。自分はそれを無視し、構わず屋上へと向かった。



 もしあの時。

 即座に気付いた自分が行動を起こしていれば、三人もの命は失われずに済んだのでは?

 別に多くの人は見捨てる。だからこれでいい。いいはずなのに。

 何故こうも胸が重たくなるのか。





 自室に戻ったアングは、シャワーの準備すらできずにいた。

 着替えを持ち、不要な物を置く。ただそれだけだというのに時間がかかる。いまだ、趣味で購入した、溶けた蝋を模したデザインのペンダントしか外せていない。


 報道の内容が脳を釘刺していた。

 自分の近くで事件が起きるなど、実際久しぶりのことだ。だから今の気分はその反動だと思いたい。


 だが、本当にそれだけなのか。

 このままでいいのか。

 アングの心はすり減り続けるばかりである。


 電気も点けていない、今の心境と重なる闇の部屋。

 その中で立ち尽くすアングのもとへ、ラフな寝間着姿の影が現れた。

 濡れた髪をタオルでくしゃくしゃと雑に拭いている、ジョイだ。


「もう上がったよアングー……」

 部屋に入りかけたところで、アングの沈んだ心境を読み取ったのか。

 声量が緩やかに静まった。


 サスッ、サスゥッ……。

 分かりやすい忍び足が発生する。


「アング」

 振り返らずとも分かる。

 優しげで、妙に甘ったるい声。

 特に応じる気は無い。アングはそのまま闇に身を委ねようとする。


 ジョイは一切躊躇しない。

 背中が、入浴直後のほんのりとした熱に包まれる。

 深く。耳同士が擦れ合うほどの至近距離……。


 ――アウトだ。

 アングは、右肘でジョイの胸板を刺した。

 ゴスッ、という鈍い音。ジョイが両膝をついて悶え苦しむ。

「うぼええェェエエェェ……!」


 重症を負わせるほど本気でやったわけではない。リアクションが過剰だ。

 アングは冷ややかに親友を見下ろす。

「その気は無いって言ったよな?」

「ハグくらい、自由で、いいって……思うじゃんっ……!」

 涙目になりながらも息を整え、その場で宙返りするという無駄に器用な方法で立ち上がる。

「でも、照れ隠しなんだろう? アングってば、やっぱかわいいなぁ」

「はぁ……」

 つくづく懲りない。アングは呆れ返り、溜息をつく。


「ねぇ、アング」

 だがジョイの声色は、途端に真剣なものに変わった。

「僕は先に約束を果たしたよ」


 少しの沈黙。

 何のことを言っているのかは分かる。だが、あまり深く話し込みたくはない。

 ポケットの中から赤いキューブを取り出し、それを見ることで誤魔化す。

 夜影のせいで全て黒く見える。


「流石だな」

「元々、君が目指すっていうから始めたことだったんだよ?」

 やはり痛いところを突かれた。

 アングは聞こえていないふりをし、自分の髪をクシャクシャとかき回す。

「誰かが苦しんでいる時に、誰よりも早く手を差し伸べていたのは君だ」



 ジョイの言葉により、あの日の記憶がかすかに蘇る。

 ――十年前。歩道での話だ。

 運搬ロボットが故障。積み荷が崩れ、老人の下半身が押し潰される事故があった。

 周囲の大人たちは、救急隊を呼ぶだけで済ませようとしていた。


 唯一積み荷を退かそうと飛び出したのは、当時わずか七歳のアング。

 積み重なってしまっているせいで七十キロ以上にも及んでいるそれを、子供一人でどうにかできるはずがない。

 それでも、歯を食いしばり、箱に食らいついていた。


「あの時は父さんの怪我もあって、色々と悩んでた時期だったんだ。……そんな時、君に出会った」

 擦り切れ始めた手に、似た大きさの手が重なる。

 それがジョイとの初めての交流。彼が力強く微笑みかけてきたのを今でも覚えている。


 子供たちにだけ任せるわけにはいかないと思ったのだろう。その無謀さに、遅れて、野次馬のわずか二人のみが手を貸した。

 結局老人は重傷を負ったが、あの時すぐに荷を退かしていなければ、二度と歩けない体になっていたという。



 ここまでが、いま鮮明に思い出せる部分である。

「君に感銘を受けて、本当に良かったと思ってるんだよ」

「もうあの時の俺じゃないって言ったら?」

 ジョイが両腕を広げる。

「だから今度は、僕が君に気づかせてあげようと思ってね!」


 思わずアングは言葉を詰まらせた。

 その間に、ジョイは人差し指を突きつける。

「内なる心っていうの? 口では隠せても丸見えだよ。『正義への渇望』ってやつがさ」

「俺はぁ……そういうのは別に……」

 だがもし……と考え、ふと視線を逸らしてしまう。


 渇望。

 もし胸の『つっかえ』の原因が、本当にそれだとしたら?

 母の死をきっかけに考え方が変わったのだと思っていた。だが、その正義を『止めてしまっている』ことに拒絶反応が起きているのでは?


 勝手に一人で考え込んでいたものだから、ジョイが馬鹿にするように目を細めてきた。

「あぁ~、これがいわゆる思春期ってやつなのかな? 反応がおっそいですねぇ」

「うるさいぞ」

「というわけで……」


 ジョイは姿勢を正し、右手の五指を額に添える。

 模範的すぎる敬礼の構えだ。

「本官、ジョイ・フルーレは、先に行かせてもらいます!」

 悪ふざけにも聞こえるが、終わり際には、薄暗闇だろうと埋もれない、温かな微笑みを見せた。

「期待してるよ。僕のヒーロー」

 頭のタオルで再び髪を拭きながら、ジョイは自分の部屋へ戻っていった。


 彼がいなくなるだけで随分と静かになる。アングは自然と吹き出してしまう。

 キューブを机に置き、言葉をこぼす。

「こっちの台詞だ」

 遅すぎる返答を残し、着替えを持ってシャワーへと向かう。




 完成した状態のまま、メーナから受け取ったはずのレッド・キューブ。

 その六面が、再び元のまばらな赤に戻っていることに気づいたのは、翌日、アングが家を出る直前のことだった。

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