Phase4-3:誰が為の断罪
家の扉を開け放ち、アングは、そのままの勢いで階段を上がろうとする。
リビングでは、ソファに座ったバレリーが、テレビの報道を眺めながらポテトチップスを噛み砕いていた。
扉の開閉音と足音を聞いてか、こちらへ振り向く。
「アング君! また強化イレギュラーが出たみたいね。怪我は……」
どこか気の抜けた心配の声。
それを無視したアングは、すぐさま、薄闇に包まれた自室へと入る。
サッと辺り一面を見回す。必要な物はとにかく多そうなので、一旦、壁面に備え付けられた引き出しを乱暴に開けた。
中には、ダンに買ってもらったPCの箱が、放置されたままだった。
それを取り出し、まず、見える分の着替えを箱に放り込む。
次に、使える機会があるかは不明だが、机の上の充電器。机の引き出しからは、非常時用の現金財布も手に取る。
防寒着は直接羽織るとして、残るは、何を捨てるか……。
というところで、ユージーンの金切り声が脳内にて弾けた。
『どこへ行く気だよ!』
作業をしながら、荒い呼吸混じりにアングは述べる。
「みんなを巻き込むわけにはいかない……!」
『離れたって、人質にされたらおんなじ話だろ!』
「そんなことは分かってる、いちいち口を挟むなッ!!」
反論が聞こえなくなった。
理解したのかと思ったが、そうではない。
すぐに気配を察知した。
扉に背を向けていたアングだったが、ゆっくりと振り返る。
バレリーがそこに立っていた。
何かと急ぐアングを不審と感じ、様子を見に来たのだろう。
「アング君、何してるの?」
カフで通話しながらとでも思われているのか、ユージーンへの発言を『独り言』だとは認識していないようだ。
別に、こっそりと抜け出そうとしていたわけでない。
予定していたよりは早いが、アングは顎を少し引き、説明する。
「バレリーさん。しばらくの間、ここを離れます」
「ええ……?」
「その……。友達と、ちょっと大がかりなことをしようと思ってて、準備するにも、ずっとその友達の家にいたほうがいいというか……」
「どれくらい?」
「い……一ヶ月、以上は」
「そんなに……」
咄嗟の苦しい言い分。もし彼女が、知る限りの友人宅に電話でもかけようものなら、一瞬で嘘がバレてしまう。
だが、今はとにかく、離れることに意味がある。
気の緩い彼女であれば、あっさりと受け入れてくれるだろうとも思ったが……。
彼女はハッと口の前に両手をやり、青ざめた。
「もしかして、私の料理が不味すぎるから……!?」
「だから、そういうわけじゃ……」
「あなたの面倒を見るっていうのは、亡くなったリリアンさんとの約束なのに、一ヶ月もだなんて」
それは、あまりにも不意な情報の提示。
「は……?」
アングは口をぽかんと開けた。
認識が確かであれば、母リリアンを失ってすぐ、見るに見かねたダンが、付き合いも長いからという理由でアングを引き取ったのがこの生活の始まりだ。
バレリーの口ぶりでは、まるで、最初からその予定だったように聞こえる。微妙な齟齬がある。
たまらずアングは問う。
「……なんて風に?」
「もしあたしが死んだり、動けなくなったりしたら、その時は息子をお願いする……みたいな?」
「いつ、そう言われて……?」
「確か、亡くなる半年くらい前だったわねえ」
アングの神経が逆立っていく。
まるで、近い内に自分が死ぬことを、分かっていたかのようだ。
彼女が急死した原因は不明とされている。腕や脚にほのかな外傷もあったが、心臓の機能停止が有力。
アングは、内なる住人を睨みつけるように、視線を斜め上へと浮かせる。
歯切れの悪い呼吸が聞こえる。彼が何かを隠していることは既に分かっている。
そしてリリアンは、イレギュラーの少女、カザミとも関わりを持っていそうだった。
やはり母にはもう一つの顔が……。
すると目の前のバレリーが、いきなり両手で頭を抱えながら派手に唸り始めた。
「ああ、私は、リリアンさんとの約束を破ることに――!」
「ならないですよ! 大丈夫ですから!」
「本当に? じゃあ毎週二回は、友達の家での様子を報告すること。いい?」
前のめりで詰め寄ってくる彼女に、アングはたじたじと両手を前に出す。
「はい……。はい、分かりました! 送りますから!!」
目の前に、ムスッと眉を傾けた表情。
しかし、アングの承諾を聞き、パチッと元の満面の笑みに戻った。
「よろしい! ところで、今夜出るの?」
「一応そのつもりで……」
「今晩は冷凍食品だけど、食べてから行ったほうがいいわよ」
両手のひらをパンッと合わせる。
「あっ。ちょうど缶詰もお昼に買い溜めしておいたから、持っていってね?」
機嫌の良い足取りで、彼女は一階へと戻っていく。
食べずに出ていくつもりだったが、折角の厚意なので、それだけはいただくこととする。
ただ、これが通常の感情を持った人間同士のやり取りならば、もっと引き止められていたのかとも思う。
事の流れを見ていたユージーンが鼻で笑う。
『帰る場所があるのは良いもんだね~』
アングは聞き流していると、扉の方を向いていたために、視界に入った。
血の跡がこびり付いた金属バット。
こんな思い出は排除したほうがいい。
アングは机の前に腰掛け、パソコンを起動する。
こういった端末は個人情報の集合体であり、万が一、敵に押収されるようなことにでもなれば、確実に利用されてしまう。無論、消す必要がある。
システム設定の初期化を押せば一発だが、アングには、今一度確認しておきたいものがあった。ヘブンバンクというクラウドサービスの項目をクリックする。
一斉に表示されたのは、写真のサムネイル群だ。カフで撮影してから直にサーバーへと送られたものと、それとは別に、家族や友からシェアされた写真。
新しい方から順番に見ていく。ネットサーフィンで保存したセンシティブな画像も混ざってしまっているのが煩わしい。
ハイスクールでの馬鹿な瞬間。ただの綺麗な朝日。充電カースタンド店で働く黄色い怪獣の着ぐるみなどなど……。
このあたりのものは、名残惜しいが削除する。
しばらく進めていき、ある一枚の写真に対して、アングの指の動きが止まった。
抵抗が震えとして滲み出る。
この写真は、自分が、フルーレ邸に出迎えられた日の記念写真だ。
家全体が画角に収まり、扉の前にて四人で並び、自身は、隣にいるジョイに肩を寄せられている。
『相変わらずラブラブじゃないかー! うおおおお!』
からかわれながらも、無言でその写真をしばらく見つめ……。
消さずに次のページへ。
『っ……』
一転して、今度は、脳内の彼の声色が曇った。
何を隠そう、映し出されたのが、演劇コンテストで優勝した時の集合写真だからだ。
トロフィーを手にし、照れ笑いを浮かべるアングが中央にいる。
ユージーンは写っていない。
この次の写真は、一年半前へと一気に飛ぶ。
ジュニアハイスクールの初登校日ということで、レンガ塀の前で、見上げるアングと母親の自撮りツーショット。
ピースをする彼女とは対照的に、息子は白い歯を噛み、げんなりとした表情。
母リリアンは、一体いつから『裏』を抱えていたのか。
その疑問は頭の片隅に入れておくとして、アングには、別に後悔が生じていた。
家族と写る時、なぜ自分は、いつも嫌そうな顔をしている?
失ってから初めて分かるものなのだ。むしろ、こうあるべきなのかもしれない。
今ならまだ、完全には失わずに済む。
二枚の家族写真だけはカフに転送保存。残りを空にした。
白一色の画面と、耳障りも失せた沈黙。
見つめているうちに、これだけでは足りないとも思った。
けじめをつけなければならない。
アングは、メールの受信欄を開き、検索ボックスの日付入力欄に、四年半前のものを入力。
当時の学校から送られてきた、ある内容を確認した。
『おい』
威圧のある声が内側から止めにかかる。
『何をするつもりだ』
けじめの何たるかを彼は察したのだ。
*
ジョリントという男は、驚くほどに手際が良い。こういったトラブルに見舞われた際の『秘密ルート』を事前に用意し、ゴードンへのナビゲーションをカフ越しに口頭で行う。
その通りの進路を徒歩で辿っていくと、いつの間にやら、ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港への敷地内に侵入できていた。今は滑走路の端にある巨大な貨物倉庫の中だ。
レッドと思われる人物からの死刑宣告があったため、すぐに逃れねばと、ゴードンは空飛ぶホワイトハウスへの帰還を目指していた。
しかし、長時間待ち続け、時計の針がてっぺんを指しかねない時間。
一向に空から、あの白い家の大陸は降りてこない。
その点が不十分であれば、今回の大移動も全てが水の泡だ。
検品などを行う深夜スタッフに見られまいと、木箱の陰に隠れて周囲を警戒。しゃがれた声で文句を言う。
「どういうことだ! ちゃんとホワイトハウスへ連絡は送ったんだろうなぁ!?」
まだ通話が繋がっているジョリントが、無機質に返答する。
『はい。しかし、どうやら今のあなたは、失踪したということになっているようです』
「なんだと!?」
『せめて、SPの護衛を自ら解くということさえしなければ、展開は違ったのでしょうが、Mに見限られた可能性が高い。失踪している人物を招き入れようというほど、向こうも寛容ではないということです』
想定外の事実を淡々と言われる。ゴードンはたまったものではなく、動悸がしてきた。
「つまり私は、このまま地に足つけて、逃げおおせるしかないというのか!?」
文句も出る。しかしゴードンが欲しいのは、次なる対策。
それを引き出す旨の威圧でもあったが、秘書の口から発せられたのは、欠片も浮かばぬ出題だった。
『統括官。この空港の名称にも使われている、ロナルド・レーガンなる人物が何者か、ご存知ですか?』
「ああ!? し、知るか……!! 古代には大統領という職があって……その一人なんだろう!? 何をしたかなど知らん!!」
わずかに溜息が聞こえた。
まるで、勘が鈍いとでも言いたげだ。
『ひとまず落ち着いてください。あなたが知りたかった情報について、こちらで独自に突き止めました』
何のことか思い出せないほどに動転している。ひとまず、息を整えながら、彼の発言を聞く。
『スタジアムでのレッドを撮影した人物は、マイライズ・ハイスクールに通っている青年、タロウ・サキヤマでした』
たしかにその人物の特定は、ジョリントにも頼んでいた。
強化イレギュラーが客席に運ばれている様子まで撮影されていたら、という危惧から、彼を捜索するよう特対にも指示はした。
しかしそれは、この危機下で優先する情報ではないとも思った。
「今更そんな報告をして、どう状況が転ぶというんだ!!」
『……最初にレッドの存在を拡散した彼が提示する動画は、今後、一定量の注目を集める。それは揺るがない事実です。ゆえにあなたは、彼を消し去ろうと、警察に調査を依頼しましたが……』
少しの息継ぎの後に、提案される。
『発想を逆転させましょう。利用するのです』
ゴードンの頭の中には全く無かった発想だ。聞いた彼は「ぬぅ!?」と不意に発する。
『あなたとレッドが対面したタイミングで、絶好の瞬間だとして彼に撮影させます。そしてその場へ、警察と鉢合わせるよう仕向ける。レッドはあなたに対して怒り狂い、更にその流れで、警察に対してまで攻撃を仕掛けざるを得なくなるでしょう。一部始終はネットに拡散されるため、あなたは何の疑いもなく保護される立場に回る。実質、逃走と同じ結果です』
「だが私は……レッド・アーマードの強奪という、最重要事項の達成に失敗した!!」
『その最新の評価を、あなたが処罰される前に塗り替えてしまえばいい』
彼の言い分はこうだ。
失敗し、首を切られそうなら、それ以上の大きな成功で存在感を示せ。
『Mは実績を重んじます。もしこのまま尻尾を巻いて逃げ出せば、それこそ彼女の不興を買い、世界から排除されるでしょう』
最後の単語に身震いする。
反射的に目の前の木箱へしがみついた。
「排除……!? や、やめてくれ! まだ、『救済の道』は果たされていないんだ!! それを成し遂げるまでは死ねない!!」
そう。
わざわざ自分が、強化イレギュラーの生産を再開したのは、何かしらの野望のためではない。『救済』のためだ。
諦めかけていた道筋が再び見えてきたから、こんな凶行を行っている。
『では私の提案に乗り、成功してみせてください。ゲームチェンジャー足り得ない老いぼれを、Mは望んでいません』
優秀な秘書。
いや、秘書以上の働きを冷徹にこなすジョリントだったが、今の口ぶりは、どこか見下しているように思える。
そんな人物に従うことはプライドが許せないが、これは退路のない賭けなのだ。ゴードンは奥歯を血が出るまで噛み締めた。




