Phase1-3:幸せな世界
快晴の青空に四角の赤をかざす。
逆光で、全ての赤がどす黒く見えた。
ワシントンに位置するマイライズ・ハイスクール。
屋上で肌を撫でる風は、ここが単なるビル街ではない、自然と共存する都市であることを再認識させる。
そのコンクリートの上に寝転がり、アングは太陽を隠すように赤い立方体を掲げていた。
陽の光に透かされたアングの手は、常に血管が浮き出て見えるほどに色素が薄い。他の人よりも明らかに。
病的とも呼ばれる白さが、キューブの赤を毒々しく見せてしまっている。
様々なノイズを忘れるためにここへ来たはずだ。結局、昨夜の象徴物を眺めていた。
あまり深く考えれば、また先程のような発作が起きる。
その枷ゆえに、キューブの形状を確認することに意識を集中させていた。
このバラバラな赤の面を綺麗に揃えれば、何かが起きるのではないか。
ふと幼稚な発想が頭に浮かぶ。死んだ母親のメッセージでも隠されている可能性はゼロではない。
そんなドラマチックな展開は無いだろうと頭では理解しつつ、アングは、一度挫折したパズルへ両指を這わせた。
ひとまず、一番暗い赤を近くに寄せるよう意識する。
いけそう。いけない。
……迷走。
始めた時の根拠のない自信は、一瞬で潰えた。活路すら見つからない。アングの眉間のシワが自然と深くなっていく。
「元々、なんでそんな物を持ち歩いているのかと思っていたけど」
不意に。
あまりにも年齢とそぐわない、落ち着いた声が降りてきた。
ほぼ真上。そこから見下ろす位置に彼女は立っている。
「やっぱり、アング君の身の丈には合ってなかったみたいね」
「……メーナ」
太陽に照らされているためか、パブリックイメージである高貴さがより強調されているように見えた。
メーナ・シンフォニー。
アングと同年度の生まれでありながら、今やこの北米連合において、その名を知らぬ者はいない国民的俳優だ。
つい昨年まで、ありとあらゆる映画とドラマの出演枠を占有し、多くの人々の目に留まっていた。
腰まで届くピンクブロンドのロングヘア。右側にだけ結われたシニヨンと、その下から伸びるサイドテール。
薄紫と濃紫のツートーン・ドレスはビスチェ風に仕立てられ、肩口から膨らむシースルー素材の袖も、彼女の現実離れした印象を強める。
加えて、スカートの裾を彩る金色の装飾。バレリーナのような靴。全身からこれでもかと高貴さが漂っている。
それでいて、サイドテールに絡まる黒のリボンや、翻るスカートの裏地に見える漆黒が、彼女をミステリアスさも漂わせる存在に昇華させている。
特に今は、その裏地の黒がよく見える状況だった。
膝丈までのスカートは風で捲られており、太腿だけならまだしも、脚の付け根のラインまで視認できてしまう。
見てはいけないものが見えてしまう。
頬に熱がこもるのを自覚し、アングは誤魔化すように寝返りを打った。不貞寝の体勢である。
「……お前、何だって俺に構い続けるんだよ」
「私が行きたいところにたまたまアング君がいるだけなんだけど?」
白々しい嘘だ。
この屋上は現在開放されておらず、アングが侵入できているのは、廃棄処分寸前だった鍵をくすねたからだ。
つまり、会うのは決まってこの場所である以上、彼女も確信犯である。
メーナは手を伸ばし、有無を言わさず、思考途中だった赤い立方体を取り上げた。
珍しいものを見るようにパズルの側面や背面を覗き込む。そこから口角をかすかに上げ、カチャカチャと、感触を味わうように不均等なリズムで思考を刻み始めた。
既にメーナの視線は、手に持っている物体に釘付けの状態。アングは完全にいないものとされていた。
そこまでの対抗心はないが、突然現れては人のパズルを強奪し、喋りもしない。中々にいい度胸だ。
アングは仕返しに、皮肉めいた投げかけをしてみる。
「多忙な人気俳優さんはずいぶんと時間がお有りで」
「もう数だけで成果をあげるのはやめたの。今は自分でスケジュールを組んでるし、こういう時間を作るのも有意義だと思わない?」
会話の途中で、メーナが見せつけるようにキューブを突き出してくる。
強引に視界へ入れられたそれを見て、アングの頬が唸りを上げて引きつった。
雑なモザイクのようだった赤の羅列が、同じ明度と彩度ごとに完璧に区別されていた。
ほんの数十秒。それも言葉を交わしながらやってのけた。
「マジかよ……」
驚きの声を浴びた彼女は、「ふふっ」と笑う。
公の場では絶対に見せない、自慢げに胸を突き出すという年相応な仕草。
だがすぐに、アングは、キューブの『ある部分』を見て思わず顔を寄せた。
その反応を見て、メーナも完成物を確認し、目をパチクリとさせた。
自ら、アングに見せていたほうの面を確認する。
完成したキューブの中央部分。
センターキューブだけが、露骨に飛び出している。
「押せ」と言わんばかりの主張だ。
――何かおかしくないか?
自分の所有物だというのにそう感じる。謎の人物に狙われ、遂には自ら変形し、自己主張を始める物体。
そしてメーナもまた、その飛び出したパネルを、興味ありげに見つめていた。
止めたほうがいい……。
加速するアングのざわめき。本能的な警戒だ。もう喉元まで出かかっている。
しかし、押せばどうなるのかという好奇心が、その言葉を押し戻す。
この躊躇いは、彼女が決断するには十分過ぎた。
細い指先によって凸部が押し込まれる。
パネルが、元の位置へ沈んだ。
――――何も起こらない。
隠されたメッセージはおろか、爆発も、誰かの血が舞うことも、マヌケな音が出ることもない。
何一つ変わらず、遠くでパトカーのサイレンが鳴っているだけ。
メーナも、キューブの全面を改めて見回すが、一切の変化が無いことを確認。
「はい」
拍子抜けな完成品をアングの手元へ返した。
「新しい物を買ったほうがいいんじゃない?」
故障品だと思ったらしい。
「解いてあげたんだから、私のお願い聞いてくれる?」
「お前が勝手にやったことだろ」
「私の映画の視聴」
自分に都合のいい展開を作り、要求を重ねに重ねる。好感度ナンバーワン俳優の真実である。
アングはため息をつき、気だるげに上半身を起こした。
「ゲームに出たらやってやる」
「私のこと、本当にその程度にしか見てないのね」
「自意識過剰」
「あなたのそういうところがお気に入りなんだけど」
からかうような口調。アングはささやかな抵抗として、ムスッと顔を背けた。
メーナは腰の後ろで手を組み、軽やかに背を向け、屋上の出入り口へと向かう。
長居すれば、妙な噂になりかねないからだ。彼女の引き際はいつも潔い。
扉に手をかける。そこで彼女は、振り向きざまに微笑を浮かべる。
こなれた感じに、口の前で人差し指を立てた。
「それじゃあ、またよろしくね。優しい不良さん」
扉の向こうへと入り、何事もなかったかのように階段を下りていく。
屋上に本当の静けさが戻った。
他愛のない言葉を交わす仲にはなりつつある。とはいえ、相手は知名度の高い大女優様だ。その事実がもたらすささやかな緊張感というものはいまだにある。
アングは再びコンクリートへ背中を預けた。
「……勝手にしろ」
視界に、この街を象徴する建造物が入ってくる。
いつぞやか飛行を始めたホワイトハウスの存在は、ここが北米連合の首都の一つなのだということを思い出させる。
そもそも、何故こんなワシントンの中でも有数の『掃き溜め』のような学校に、稀代の大女優が通っているのか。踏み込みすぎた話になると思い、アングはずっと聞かないでいる。
しかしこうも思う。
実は自分は、とんでもない時間を過ごしているのではないか。
そんな疑問は湧くが、空の青さが目に染みるのがせめてもの答えだ。
いつの間にやらそれすらも『日常』と化している。否定しようのない事実である。




