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激昂のイレギュラー  作者: 亜空獅堂
Phase1:幸せな世界
3/13

Phase1-3:幸せな世界

 快晴の青空に四角の赤をかざす。

 逆光で、全ての赤がどす黒く見えた。


 ワシントンに位置するマイライズ・ハイスクール。

 屋上で肌を撫でる風は、ここが単なるビル街ではない、自然と共存する都市であることを再認識させる。


 そのコンクリートの上に寝転がり、アングは太陽を隠すように赤い立方体を掲げていた。

 陽の光に透かされたアングの手は、常に血管が浮き出て見えるほどに色素が薄い。他の人よりも明らかに。


 病的とも呼ばれる白さが、キューブの赤を毒々しく見せてしまっている。

 様々なノイズを忘れるためにここへ来たはずだ。結局、昨夜の象徴物を眺めていた。

 あまり深く考えれば、また先程のような発作が起きる。

 その枷ゆえに、キューブの形状を確認することに意識を集中させていた。


 このバラバラな赤の面を綺麗に揃えれば、何かが起きるのではないか。

 ふと幼稚な発想が頭に浮かぶ。死んだ母親のメッセージでも隠されている可能性はゼロではない。

 そんなドラマチックな展開は無いだろうと頭では理解しつつ、アングは、一度挫折したパズルへ両指を這わせた。


 ひとまず、一番暗い赤を近くに寄せるよう意識する。

 いけそう。いけない。

 ……迷走。

 始めた時の根拠のない自信は、一瞬で潰えた。活路すら見つからない。アングの眉間のシワが自然と深くなっていく。



「元々、なんでそんな物を持ち歩いているのかと思っていたけど」


 不意に。

 あまりにも年齢とそぐわない、落ち着いた声が降りてきた。

 ほぼ真上。そこから見下ろす位置に彼女は立っている。

「やっぱり、アング君の身の丈には合ってなかったみたいね」

「……メーナ」

 太陽に照らされているためか、パブリックイメージである高貴さがより強調されているように見えた。


 メーナ・シンフォニー。

 アングと同年度の生まれでありながら、今やこの北米連合において、その名を知らぬ者はいない国民的俳優だ。

 つい昨年まで、ありとあらゆる映画とドラマの出演枠を占有し、多くの人々の目に留まっていた。


 腰まで届くピンクブロンドのロングヘア。右側にだけ結われたシニヨンと、その下から伸びるサイドテール。

 薄紫と濃紫のツートーン・ドレスはビスチェ風に仕立てられ、肩口から膨らむシースルー素材の袖も、彼女の現実離れした印象を強める。

 加えて、スカートの裾を彩る金色の装飾。バレリーナのような靴。全身からこれでもかと高貴さが漂っている。

 それでいて、サイドテールに絡まる黒のリボンや、翻るスカートの裏地に見える漆黒が、彼女をミステリアスさも漂わせる存在に昇華させている。


 特に今は、その裏地の黒がよく見える状況だった。

 膝丈までのスカートは風で捲られており、太腿だけならまだしも、脚の付け根のラインまで視認できてしまう。


 見てはいけないものが見えてしまう。

 頬に熱がこもるのを自覚し、アングは誤魔化すように寝返りを打った。不貞寝の体勢である。

「……お前、何だって俺に構い続けるんだよ」

「私が行きたいところにたまたまアング君がいるだけなんだけど?」


 白々しい嘘だ。

 この屋上は現在開放されておらず、アングが侵入できているのは、廃棄処分寸前だった鍵をくすねたからだ。

 つまり、会うのは決まってこの場所である以上、彼女も確信犯である。


 メーナは手を伸ばし、有無を言わさず、思考途中だった赤い立方体を取り上げた。

 珍しいものを見るようにパズルの側面や背面を覗き込む。そこから口角をかすかに上げ、カチャカチャと、感触を味わうように不均等なリズムで思考を刻み始めた。


 既にメーナの視線は、手に持っている物体に釘付けの状態。アングは完全にいないものとされていた。

 そこまでの対抗心はないが、突然現れては人のパズルを強奪し、喋りもしない。中々にいい度胸だ。

 アングは仕返しに、皮肉めいた投げかけをしてみる。

「多忙な人気俳優さんはずいぶんと時間がお有りで」

「もう数だけで成果をあげるのはやめたの。今は自分でスケジュールを組んでるし、こういう時間を作るのも有意義だと思わない?」


 会話の途中で、メーナが見せつけるようにキューブを突き出してくる。

 強引に視界へ入れられたそれを見て、アングの頬が唸りを上げて引きつった。


 雑なモザイクのようだった赤の羅列が、同じ明度と彩度ごとに完璧に区別されていた。

 ほんの数十秒。それも言葉を交わしながらやってのけた。

「マジかよ……」

 驚きの声を浴びた彼女は、「ふふっ」と笑う。

 公の場では絶対に見せない、自慢げに胸を突き出すという年相応な仕草。



 だがすぐに、アングは、キューブの『ある部分』を見て思わず顔を寄せた。

 その反応を見て、メーナも完成物を確認し、目をパチクリとさせた。

 自ら、アングに見せていたほうの面を確認する。


 完成したキューブの中央部分。

 センターキューブだけが、露骨に飛び出している。

 「押せ」と言わんばかりの主張だ。



 ――何かおかしくないか?

 自分の所有物だというのにそう感じる。謎の人物に狙われ、遂には自ら変形し、自己主張を始める物体。

 そしてメーナもまた、その飛び出したパネルを、興味ありげに見つめていた。


 止めたほうがいい……。

 加速するアングのざわめき。本能的な警戒だ。もう喉元まで出かかっている。


 しかし、押せばどうなるのかという好奇心が、その言葉を押し戻す。



 この躊躇いは、彼女が決断するには十分過ぎた。

 細い指先によって凸部が押し込まれる。

 パネルが、元の位置へ沈んだ。



 ――――何も起こらない。

 隠されたメッセージはおろか、爆発も、誰かの血が舞うことも、マヌケな音が出ることもない。

 何一つ変わらず、遠くでパトカーのサイレンが鳴っているだけ。


 メーナも、キューブの全面を改めて見回すが、一切の変化が無いことを確認。

「はい」

 拍子抜けな完成品をアングの手元へ返した。

「新しい物を買ったほうがいいんじゃない?」

 故障品だと思ったらしい。


「解いてあげたんだから、私のお願い聞いてくれる?」

「お前が勝手にやったことだろ」

「私の映画の視聴」


 自分に都合のいい展開を作り、要求を重ねに重ねる。好感度ナンバーワン俳優の真実である。

 アングはため息をつき、気だるげに上半身を起こした。

「ゲームに出たらやってやる」

「私のこと、本当にその程度にしか見てないのね」

「自意識過剰」

「あなたのそういうところがお気に入りなんだけど」

 からかうような口調。アングはささやかな抵抗として、ムスッと顔を背けた。


 メーナは腰の後ろで手を組み、軽やかに背を向け、屋上の出入り口へと向かう。

 長居すれば、妙な噂になりかねないからだ。彼女の引き際はいつも潔い。


 扉に手をかける。そこで彼女は、振り向きざまに微笑を浮かべる。

 こなれた感じに、口の前で人差し指を立てた。

「それじゃあ、またよろしくね。優しい不良さん」

 扉の向こうへと入り、何事もなかったかのように階段を下りていく。


 屋上に本当の静けさが戻った。

 他愛のない言葉を交わす仲にはなりつつある。とはいえ、相手は知名度の高い大女優様だ。その事実がもたらすささやかな緊張感というものはいまだにある。

 アングは再びコンクリートへ背中を預けた。

「……勝手にしろ」


 視界に、この街を象徴する建造物が入ってくる。

 いつぞやか飛行を始めたホワイトハウスの存在は、ここが北米連合の首都の一つなのだということを思い出させる。


 そもそも、何故こんなワシントンの中でも有数の『掃き溜め』のような学校に、稀代の大女優が通っているのか。踏み込みすぎた話になると思い、アングはずっと聞かないでいる。

 しかしこうも思う。

 実は自分は、とんでもない時間を過ごしているのではないか。

 そんな疑問は湧くが、空の青さが目に染みるのがせめてもの答えだ。


 いつの間にやらそれすらも『日常』と化している。否定しようのない事実である。

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